「我々にとって総合金融グループとして抜けているものを全て持っているのが新生銀行だった」─SBIホールディングス社長の北尾氏は新生銀行買収をこう振り返る。だが、課題は新生銀に残る公的資金3500億円。これに目処を付け、SBIグループとしていかに成長するかが問われる。20年余前に起業した時は、ある意味で孤独な戦いだったが、今は仲間の輪も広がった。それは「顧客中心主義」という普遍的考えがあったからだと話す。
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7年で大手地銀並みの資金量を誇る存在に
─ 北尾さんは1999年に創業して23年が経ちますが、改めて自らの生き方を振り返ってどう感じていますか。
北尾 幸いにして、これまで創業時に思い描いた通りに歩んでこられたと思っています。神助、天助によって、今日まで無事に来ることができたのではないかと。
もちろん、ここに来るまでにはいろいろなことがありました。例えば2008年のリーマンショックでは多くの金融機関が大きなダメージを受けましたが、我々は誰にも助けてもらうことなく、自ら何とか繁栄の道を歩んでくることができましたから、ありがたいと思っています。
─ 北尾さんが創業の時に基本としたことは?
北尾 創業時の事業構築の中心には「顧客中心主義を貫く」という普遍的な考え方を据えました。特にインターネットの時代には、この顧客中心主義が極めて大事になるだろうと考えていたのです。
そして1社、証券会社だけをつくって終わりにするのではなく、最初から組織を一つの「生態系」とし、その組織体の中で相互進化とシナジー効果を出していこうと考えました。
さらに技術に対する絶対的な信奉です。創業時はネットの技術でしたが、その後はフィンテックの視点でブロックチェーン(分散型台帳技術)を始め、様々な技術を導入しています。今は、ブロックチェーンの技術を土台に、デジタルスペースという次の新しい世界に乗り出そうとしているところです。
常に自己否定をしながら自己変革を遂げ、自己進化をすることができたかなと思っています。
─ 1人で戦い始めたところに、今は仲間の輪が広がってきたということはいえますか。
北尾 そうですね。お陰様で我々と提携したいという企業がたくさん現れるようになりました。私は「オープンアライアンス」と表現していますが、いろいろな企業と提携しながら、ウィン・ウィンの形をつくっていきたいと思っています。
─ 北尾さんをここまで踏ん張らせた思いは何ですか。
北尾 起業する時、この事業が本当に世のため、人のためになるのか、インターネットで何ができるだろうと考えました。
例えばネット証券では価格破壊を通じて、それまで証券会社に入っていた利益を投資家に分配する。ネット銀行では、預貯金の金利を高くしていくということに取り組みましたが、これはインターネットだから可能になったことです。「顧客中心主義」といった思想とインターネット技術がうまく噛み合ったのだと思います。
もう一つ大事に考えていたのは、証券会社はいつの時代でもマーケットに大きく左右されるという認識を持つことです。
どんなにいい証券会社をつくっても、マーケットが悪くなると利益が大きく落ちます。一方、銀行業はストック型のビジネスですから、必ずしもマーケットに左右されるわけではありません。
─ マーケットに左右されない姿を目指してきたと。
北尾 我々は最初からボラティリティ(変動性)をできるだけ少なくするように事業グループを形成してきました。ですから、証券業を核に出発しましたが、グループ内に銀行や保険会社などをつくってきました。常に考えていたのは事業を多様化して不安定な経営にならないことです。
我々と新生銀行のアセット(資産)を合わせると17 兆円(2021年12月末)を超えました。預金量でいっても、三井住友信託銀行さんとの合弁である住信SBIネット銀行と新生銀行を合わせると、横浜銀行、千葉銀行に次ぐ規模(2021年9月時点)です。
ただ、横浜銀行が横浜興信銀行以来、100年以上の歴史があるのに対し、我々がネット銀行をスタートしたのは2007年です。この短期間でこれだけの資産を築くことができたということには大きな意味があります。
新生銀行連結子会社化で「規模」と「ノンバンク」を手中に
─ 改めて、新生銀行をグループに入れた狙いと、そのメリットを聞かせて下さい。
北尾 今の3メガバンクにしても、それぞれが3行、4行が統合してできていますから、今も申し上げたように規模を大きくすることは金融機関にとって大事なことだと認識しています。
我々は今回の新生銀行の連結子会社化で、その規模を大きくすることができ、アセットが17兆円、資本も1.5兆円(2021年12月末)を超えたということで、大きな意味がありました。
─ 金融機関にとって規模はどんな意味を持ちますか。
北尾 金融機関である以上、安心・安全は至上命題で、今回我々は、それを改めて規模で担保することができました。
また、我々にとって総合金融グループとして抜けているものがいくつかあり、それらを全て持っているのが新生銀行でした。とりわけアプラス、レイク、昭和リースといったノンバンク領域は我々にないものでした。これらを持つことで、我々は国内外でも珍しい総合金融グループになったと思います。
─ 創業時から、証券だけでなく総合金融グループを志向してきたことが生きたと。
北尾 そうです。我々は一個人として個人金融資産を持ち、リスクとリターンで、証券、銀行、保険などのどこに配分するかの意思決定をしています。そのポートフォリオの主体となる金融機関を全て持っておくことには大きな意味があります。
もう一つ、ノンバンクは銀行よりも収益性が遥かに高い。我々は地方創生戦略を進めるべく、8行の地域金融機関と戦略的資本・業務提携を結んでいますが、各行の規模はそれほど大きくありません。昨今法律が改正され、銀行業務の範囲が広がりました。
例えばこれまで、リース事業はある程度の規模がなければできませんでしたが、我々と連携すれば、地方銀行でも地元のお客様に提供できます。
─ 新生銀行とは連携について、かなり話し合いが進んでいるんですね。
北尾 どんどん進んでいます。新生銀行とのシナジーを強化するために「新生会議」と呼ぶ会議を定期的に開いていますが、そこで様々な分野で両社の事業連携について打ち合わせています。新生銀行にいる方々にもどんどんメンバーに加わってもらい、一緒に銀行をよくしていこうと考えています。
さらに、新生銀行の若手10名程からの質疑応答に私が答えるようなディスカッション形式の座談会も行っています。私以外にもSBI証券社長の高村正人など、当社グループの幹部とも実施しています。これから人材交流も活発にしていきます。
─ 人材交流ということは、新生銀行の人がSBIに来ることもあると。
北尾 そうしたことをどんどんやっていこうと。それは強制的にではなく自ら手を挙げてもらうような形で進めます。こうした人材交流を行いながら、関係を密にしていく。お互いを知るということが一番大事と考えています。
企業哲学を浸透させ意識改革を
─ 新生銀行社長には前SBIホールディングス副社長の川島克哉さんが就きましたが、川島さんを選んだ理由は?
北尾 川島は私と30年以上の付き合いです。あれほど私が怒った人間もいないのではないかというくらい、いろいろな形で苦楽を共にしてきました。「出藍の誉れ」で、彼は十分にやっていけます。
「3年という時間を与えるから、向こうで頑張ってきなさい。大義である公的資金3500億円の返済に、3年で決着をつけよう」ということを伝えて、送り出したわけです。
─ 改めて、新生銀行の強みはどこだと考えていますか。
北尾 一つは能力の高い人がいることだと思っていますが、それを十分に生かし切れていないとも感じています。なぜなら、公的資金3500億円が手枷足枷となって組織全体が縮こまっているからだと思います。
例えば、運用一つ取ってみても、一般的な地銀の運用よりもリスクテイクしていない。公的資金が入っていることを意識し過ぎて、自分達のリスクに関わる行動を制限してきたように思えます。
リスクというのはマネージャブルなリスクかどうかが大事なんです。ところが、かつてそうした判断に至らずに大きなリスクを取り、リーマンショックの際に大きな痛手を受けた。これで「羹に懲りて膾を吹く」になってしまったのです。
極めて保守的な運用となっているので、これを少し変えるだけで、運用益は大幅に改善されるのではないかと思います。
─ どのように運用を立て直していきますか。
北尾 新たにポートフォリオを組み直すことを考えています。これは当社グループのモーニングスター社長の朝倉智也の下で練り上げたポートフォリオを元に、新生銀行の担当者と話し合っていく予定です。
また、新生銀行では、その時々の株主の意向を受けて歴代社長が変わり、その都度経営方針も変わってきたため、終始一貫した企業哲学が生まれていない。哲学、思想を持つことはあらゆる面で一番大事ですが、これをきちんと持てば、大きく意識改革が進むのではないかと考えています。
孫子の『兵法』にも、一丁目一番地は「道」だと書いてあります。道というのは君子の哲学、思想が末端にまで行き渡って、一体化がなされている状況ですが、これがなかった。
西欧でも例えばピーター・F・ドラッカーが経営には価値、使命、ビジョンの確立が最も重要と言っています。これらはアウトソーシングできないんだと。
全て自分の目で見て、自分の耳で聞き、自分の頭で考える。ソフトバンクグループの孫正義さんの言葉を借りれば「脳味噌がちぎれるくらい考える」ということが大事です。
公的資金返済の方法は?
─ 新生銀行に残る公的資金3500億円の返済に3年で目処を付けるということですが、非上場化も一つの選択肢ですか。
北尾 新生銀行株式の保有比率は、我々と政府とを合わせると、すでに相当高いわけです。
そこで我々が配慮すべきことは、少数株主の立場をどれだけ尊重しながら、3500億円の血税の返済を成し遂げるかということです。
もちろん業績を上げていくとうことは言うまでもありません。一方、新生銀行は前身の旧日本長期信用銀行が破綻した後に、政府から資金の注入を受けており、国民負担が発生しない形で回収するには株価を約7450円まで高める必要がある。7450円と公的資金3500億円が結びついているために、返済できずに20年以上が経っているわけです。
ですから、そこはもう少しフレキシブルに考えるべきだと思っています。いずれにせよ、返済は必ず成し遂げます。
─ SBIグループの30年後、50年後の姿をどう描いていますか。
北尾 私が残す遺伝子として、起業家精神を常に持ち続けていて欲しいと思っています。そして、スピーディに意思決定ができる体制は、ずっと確保してもらいたいですね。
もう一つは、常に自己否定、自己変革、自己進化で、成功体験にあぐらをかくことなく、常に進化し続けていく。これらの遺伝子が残っていれば、これからの300年でも隆々としていけるのではないかと思います。
─ グループのこれからを担う人材にはどう期待しますか。
北尾 私の次の世代、新生銀行の川島、SBI証券の高村、モーニングスターの朝倉などに、私はいろいろな形で薫陶を与えてきましたが、人間的に非常に成長していますね。
企業経営は1人ではできません。ですから、みんなの力を集合していけるような人間力を持たなければいけないと思います。彼らはその人間力を、私の下で随分養ってくれた。
早い時期から、グループ企業の経営を任せて、その中で鍛えてきました。実践の中で鍛えることが大事だと思います。そして本人達も非常に努力している。今後も彼らの成長が楽しみです。
【あわせて読みたい】SBI・北尾吉孝が新生銀行獲得で背負った『プラス・マイナスの両面』
7年で大手地銀並みの資金量を誇る存在に
─ 北尾さんは1999年に創業して23年が経ちますが、改めて自らの生き方を振り返ってどう感じていますか。
北尾 幸いにして、これまで創業時に思い描いた通りに歩んでこられたと思っています。神助、天助によって、今日まで無事に来ることができたのではないかと。
もちろん、ここに来るまでにはいろいろなことがありました。例えば2008年のリーマンショックでは多くの金融機関が大きなダメージを受けましたが、我々は誰にも助けてもらうことなく、自ら何とか繁栄の道を歩んでくることができましたから、ありがたいと思っています。
─ 北尾さんが創業の時に基本としたことは?
北尾 創業時の事業構築の中心には「顧客中心主義を貫く」という普遍的な考え方を据えました。特にインターネットの時代には、この顧客中心主義が極めて大事になるだろうと考えていたのです。
そして1社、証券会社だけをつくって終わりにするのではなく、最初から組織を一つの「生態系」とし、その組織体の中で相互進化とシナジー効果を出していこうと考えました。
さらに技術に対する絶対的な信奉です。創業時はネットの技術でしたが、その後はフィンテックの視点でブロックチェーン(分散型台帳技術)を始め、様々な技術を導入しています。今は、ブロックチェーンの技術を土台に、デジタルスペースという次の新しい世界に乗り出そうとしているところです。
常に自己否定をしながら自己変革を遂げ、自己進化をすることができたかなと思っています。
─ 1人で戦い始めたところに、今は仲間の輪が広がってきたということはいえますか。
北尾 そうですね。お陰様で我々と提携したいという企業がたくさん現れるようになりました。私は「オープンアライアンス」と表現していますが、いろいろな企業と提携しながら、ウィン・ウィンの形をつくっていきたいと思っています。
─ 北尾さんをここまで踏ん張らせた思いは何ですか。
北尾 起業する時、この事業が本当に世のため、人のためになるのか、インターネットで何ができるだろうと考えました。
例えばネット証券では価格破壊を通じて、それまで証券会社に入っていた利益を投資家に分配する。ネット銀行では、預貯金の金利を高くしていくということに取り組みましたが、これはインターネットだから可能になったことです。「顧客中心主義」といった思想とインターネット技術がうまく噛み合ったのだと思います。
もう一つ大事に考えていたのは、証券会社はいつの時代でもマーケットに大きく左右されるという認識を持つことです。
どんなにいい証券会社をつくっても、マーケットが悪くなると利益が大きく落ちます。一方、銀行業はストック型のビジネスですから、必ずしもマーケットに左右されるわけではありません。
─ マーケットに左右されない姿を目指してきたと。
北尾 我々は最初からボラティリティ(変動性)をできるだけ少なくするように事業グループを形成してきました。ですから、証券業を核に出発しましたが、グループ内に銀行や保険会社などをつくってきました。常に考えていたのは事業を多様化して不安定な経営にならないことです。
我々と新生銀行のアセット(資産)を合わせると17 兆円(2021年12月末)を超えました。預金量でいっても、三井住友信託銀行さんとの合弁である住信SBIネット銀行と新生銀行を合わせると、横浜銀行、千葉銀行に次ぐ規模(2021年9月時点)です。
ただ、横浜銀行が横浜興信銀行以来、100年以上の歴史があるのに対し、我々がネット銀行をスタートしたのは2007年です。この短期間でこれだけの資産を築くことができたということには大きな意味があります。
新生銀行連結子会社化で「規模」と「ノンバンク」を手中に
─ 改めて、新生銀行をグループに入れた狙いと、そのメリットを聞かせて下さい。
北尾 今の3メガバンクにしても、それぞれが3行、4行が統合してできていますから、今も申し上げたように規模を大きくすることは金融機関にとって大事なことだと認識しています。
我々は今回の新生銀行の連結子会社化で、その規模を大きくすることができ、アセットが17兆円、資本も1.5兆円(2021年12月末)を超えたということで、大きな意味がありました。
─ 金融機関にとって規模はどんな意味を持ちますか。
北尾 金融機関である以上、安心・安全は至上命題で、今回我々は、それを改めて規模で担保することができました。
また、我々にとって総合金融グループとして抜けているものがいくつかあり、それらを全て持っているのが新生銀行でした。とりわけアプラス、レイク、昭和リースといったノンバンク領域は我々にないものでした。これらを持つことで、我々は国内外でも珍しい総合金融グループになったと思います。
─ 創業時から、証券だけでなく総合金融グループを志向してきたことが生きたと。
北尾 そうです。我々は一個人として個人金融資産を持ち、リスクとリターンで、証券、銀行、保険などのどこに配分するかの意思決定をしています。そのポートフォリオの主体となる金融機関を全て持っておくことには大きな意味があります。
もう一つ、ノンバンクは銀行よりも収益性が遥かに高い。我々は地方創生戦略を進めるべく、8行の地域金融機関と戦略的資本・業務提携を結んでいますが、各行の規模はそれほど大きくありません。昨今法律が改正され、銀行業務の範囲が広がりました。
例えばこれまで、リース事業はある程度の規模がなければできませんでしたが、我々と連携すれば、地方銀行でも地元のお客様に提供できます。
─ 新生銀行とは連携について、かなり話し合いが進んでいるんですね。
北尾 どんどん進んでいます。新生銀行とのシナジーを強化するために「新生会議」と呼ぶ会議を定期的に開いていますが、そこで様々な分野で両社の事業連携について打ち合わせています。新生銀行にいる方々にもどんどんメンバーに加わってもらい、一緒に銀行をよくしていこうと考えています。
さらに、新生銀行の若手10名程からの質疑応答に私が答えるようなディスカッション形式の座談会も行っています。私以外にもSBI証券社長の高村正人など、当社グループの幹部とも実施しています。これから人材交流も活発にしていきます。
─ 人材交流ということは、新生銀行の人がSBIに来ることもあると。
北尾 そうしたことをどんどんやっていこうと。それは強制的にではなく自ら手を挙げてもらうような形で進めます。こうした人材交流を行いながら、関係を密にしていく。お互いを知るということが一番大事と考えています。
企業哲学を浸透させ意識改革を
─ 新生銀行社長には前SBIホールディングス副社長の川島克哉さんが就きましたが、川島さんを選んだ理由は?
北尾 川島は私と30年以上の付き合いです。あれほど私が怒った人間もいないのではないかというくらい、いろいろな形で苦楽を共にしてきました。「出藍の誉れ」で、彼は十分にやっていけます。
「3年という時間を与えるから、向こうで頑張ってきなさい。大義である公的資金3500億円の返済に、3年で決着をつけよう」ということを伝えて、送り出したわけです。
─ 改めて、新生銀行の強みはどこだと考えていますか。
北尾 一つは能力の高い人がいることだと思っていますが、それを十分に生かし切れていないとも感じています。なぜなら、公的資金3500億円が手枷足枷となって組織全体が縮こまっているからだと思います。
例えば、運用一つ取ってみても、一般的な地銀の運用よりもリスクテイクしていない。公的資金が入っていることを意識し過ぎて、自分達のリスクに関わる行動を制限してきたように思えます。
リスクというのはマネージャブルなリスクかどうかが大事なんです。ところが、かつてそうした判断に至らずに大きなリスクを取り、リーマンショックの際に大きな痛手を受けた。これで「羹に懲りて膾を吹く」になってしまったのです。
極めて保守的な運用となっているので、これを少し変えるだけで、運用益は大幅に改善されるのではないかと思います。
─ どのように運用を立て直していきますか。
北尾 新たにポートフォリオを組み直すことを考えています。これは当社グループのモーニングスター社長の朝倉智也の下で練り上げたポートフォリオを元に、新生銀行の担当者と話し合っていく予定です。
また、新生銀行では、その時々の株主の意向を受けて歴代社長が変わり、その都度経営方針も変わってきたため、終始一貫した企業哲学が生まれていない。哲学、思想を持つことはあらゆる面で一番大事ですが、これをきちんと持てば、大きく意識改革が進むのではないかと考えています。
孫子の『兵法』にも、一丁目一番地は「道」だと書いてあります。道というのは君子の哲学、思想が末端にまで行き渡って、一体化がなされている状況ですが、これがなかった。
西欧でも例えばピーター・F・ドラッカーが経営には価値、使命、ビジョンの確立が最も重要と言っています。これらはアウトソーシングできないんだと。
全て自分の目で見て、自分の耳で聞き、自分の頭で考える。ソフトバンクグループの孫正義さんの言葉を借りれば「脳味噌がちぎれるくらい考える」ということが大事です。
公的資金返済の方法は?
─ 新生銀行に残る公的資金3500億円の返済に3年で目処を付けるということですが、非上場化も一つの選択肢ですか。
北尾 新生銀行株式の保有比率は、我々と政府とを合わせると、すでに相当高いわけです。
そこで我々が配慮すべきことは、少数株主の立場をどれだけ尊重しながら、3500億円の血税の返済を成し遂げるかということです。
もちろん業績を上げていくとうことは言うまでもありません。一方、新生銀行は前身の旧日本長期信用銀行が破綻した後に、政府から資金の注入を受けており、国民負担が発生しない形で回収するには株価を約7450円まで高める必要がある。7450円と公的資金3500億円が結びついているために、返済できずに20年以上が経っているわけです。
ですから、そこはもう少しフレキシブルに考えるべきだと思っています。いずれにせよ、返済は必ず成し遂げます。
─ SBIグループの30年後、50年後の姿をどう描いていますか。
北尾 私が残す遺伝子として、起業家精神を常に持ち続けていて欲しいと思っています。そして、スピーディに意思決定ができる体制は、ずっと確保してもらいたいですね。
もう一つは、常に自己否定、自己変革、自己進化で、成功体験にあぐらをかくことなく、常に進化し続けていく。これらの遺伝子が残っていれば、これからの300年でも隆々としていけるのではないかと思います。
─ グループのこれからを担う人材にはどう期待しますか。
北尾 私の次の世代、新生銀行の川島、SBI証券の高村、モーニングスターの朝倉などに、私はいろいろな形で薫陶を与えてきましたが、人間的に非常に成長していますね。
企業経営は1人ではできません。ですから、みんなの力を集合していけるような人間力を持たなければいけないと思います。彼らはその人間力を、私の下で随分養ってくれた。
早い時期から、グループ企業の経営を任せて、その中で鍛えてきました。実践の中で鍛えることが大事だと思います。そして本人達も非常に努力している。今後も彼らの成長が楽しみです。