ふじい・りゅうた
1959年東京都生まれ。桐朋学園大学音楽学部を卒業後、同校研究科へ進学。研究科在学中にフランス・パリのエコール・ノルマル音楽院に留学、同校高等師範課程修了後、桐朋学園大学音楽学部研究科を修了。フルートを林りり子、小出信也、クリスチャン・ラルデに師事。小林製薬、三菱化成工業(現三菱ケミカル)を経て、94年龍角散入社。95年社長に就任。2013年から日本商工会議所社会保障専門委員として、厚生労働省社会保障審議会医療保険部会臨時委員を務める。
コロナ拡大前から着々と準備
コロナ危機に加えてロシアによるウクライナ侵攻、さらには原材料高騰など企業経営を取り巻く環境は厳しさを増しています。中でもインバウンドビジネスに依存してきた業界は、かつてない危機に直面しています。
関西経済同友会代表幹事に直撃!関西はインバウンド、中国市場に頼った産業構造から脱却できるか?
当社の「のど薬」や「のど飴」もインバウンド、特に訪日中国人のお客様には大変ご好評を得ています。ただ、コロナ前のインバウンド全盛期だけでなく、コロナ禍以降も中国向け販売が急速に伸びつつあるのです。
実は当社は60年以上前から台湾・韓国・香港、米国への販売戦略を徹底的に講じてきましたが、中国現地での販売に関してはハードルが高く、あえて対応してきませんでした。中国で販売するためには工場の建設や技術移転を求められたからです。
一方、香港や台湾では既に多くの家庭薬製品が正規販売されていたので、家庭薬業界として徹底的な共同販促活動を展開しました。香港では主に中国人観光客向けのチェーンストアーで、また、台湾では中国のアモイから船で30分の位置にありながら台湾領である金門島でも大きな実績を上げました。まだ日本ではインバウンドという言葉すら言われていなかった時です。
状況が大きく変化したのは2010年。観光庁が「クールージャパン戦略」を講じる際、同庁からお声がかかりました。「日本ののど薬やのど飴は売れるのではないでしょうか」と。
香港や台湾ではもちろん、日本でも沖縄や冬の北海道で中国人などのお客様に当社の商品が売れることはよく分かっていました。ですから、売れるであろうことは容易に想像できました。
観光庁のご尽力もあり、日本の「OTC医薬品(薬局やドラッグストアなどで、自分で選んで買うことができる医薬品)」をTAXフリーで販売することができるようになり、ビザ発給時に現地で必ず訪れるであろう旅行代理店などに配布されるフリーペーパーや旅行雑誌などに家庭薬業界として共同広告を掲載したり、免税店などへの導線を確保するなど、様々な工夫を凝らしました。団体客が訪れるお店では製品を掲載したフリーペーパーを掲示し、陳列棚を家庭薬製品で埋めていただきました。その結果、店頭での販売もしっかり伸びました。
やはり中国でのビジネスを進める上で重要なのは、売れるかどうか分からずに闇雲に進出するのではなく、まずは観光客として来日する方々に使っていただけるかどうかを確認する。その上で現地に進出するという段階を踏んだことが大きかったと思います。その結果、リスクを低減することができました。
「神薬」と呼ばれて大ヒット
訪日観光客向けの販売を開始すると、一気に注文数が増加。工場は昼夜運転しないと生産が追い付かない状況になりました。当初は設備投資が間に合わず、人海戦術で対応せざるを得ませんでしたが、いつまでもそのようなことはできません。インバウンド売上のお陰で工場の設備は一気に近代化。生産能力も拡大しましたが、長期間にわたる昼夜運転を続けたことで、設備の償却も進み、今では工場の生産ラインは低コストで万全の構えになっています。
そして訪日観光客が年間3000万人を突破した18年になると、SNSなどで当社の商品が拡散していきます。SNSで「神薬」として発信されたことは何よりも大きかったです。SNSで拡散されると、今度は中国の検索サイト「百度」での検索ワードにも「龍角散」というワードが急上昇していきました。他にも中国の新聞社から転職してきた当社の社員のアイデアで中国のSNS「WeChat」を通じて当社の商品について発信するといった広告戦略も講じました。
まさに「爆買い」が続きました。しかし医薬品は対面販売が原則です。メーカーにとって市販後のアフターフォローができないのは海外のお客様であっても問題です。企業としてお客様に安全・安心にお使いいただかなくてはなりません。その対策として考え出したのが越境EC。これであれば直接消費者まで届けることが可能です。これを早期に稼働させるようにしたのですが、越境ECを始めた3年間ほどは鳴かず飛ばずでした。
まだ日本でのインバウンド向け販売が好調だった時に越境ECを始めたわけですから、当然、社内からも「なぜ国内の販売が好調なのに、越境ECにお金をかけるのですか?」といった声が出てきたのも事実です。当時、来日した観光客が大量に医薬品を買って帰国するのを静観する国はないだろうと考え、何らかの規制などが発動されることも予想したのですが、さすがにコロナ禍までは予想できませんでした。
当初、越境ECは自社サイトではなく、他社のサイトでの商品販売をお願いしていました。しかし、コロナ禍でインバウンド消費がなくなったのを機会に、より直接的に管理が可能な自社でのオンライン販売サイトを立ち上げ、自前で販売するようにしたのです。販売の勢いは止まりませんでした。
コロナ禍では中国の大手ECではアリババ(阿里巴巴集団)の『天猫国際』とジンドン(京東集団)の『JD国際』がありますが、『JD国際』での「のど飴」のカテゴリーでは当社の商品がトップとなっており、『天猫国際』でもトップ10以内に入っています。中国人のインフルエンサーが当社の商品を発信したりしたときには、一晩で何千万円も売れたりしました。
自社でも夜9時過ぎから会社でライブ販売を実施すると、画面上で現地のお客様と直接対話する機会もあり、当社ブランドが確実に浸透していくのを日本にいながら実感できました。
ただ、中国らしいなと思う出来事も起こりました。当社の類似品が出てきたのです。当社の商品とそっくりな外観で商品名も「龍の散」。笑ってしまうくらいです。その中で興味深かったのはお客様の反応です。
中国人のお客様からは「自分が買った商品は本当に龍角散の商品なのか?」といった問い合わせがくるのです。当社が「それは違います」と答えると、「なぜ、そんなものを売らせているか。早く片付けさせてください」と言われます。最近では中国人の中国での消費マインドも変わりつつあります。かつては偽物でも安ければ良いという考え方が多かったのですが、今はそんなことはありません。むしろ、本物を買いたいというマインドへの変化です。
中国国内の薬局などでは龍角散の商品が陳列されている
類似品に対して裁判を起こすにしても、現地で直接販売実績がないと難しいため、いよいよ越境ECに加えて、一般貿易にまで進む決心をしたのでした。後日談ですが、中国現地での裁判では当社が勝訴し、中国政府からの排除命令が出され、当社には賠償金が支払われました。
以下、本誌にて
1959年東京都生まれ。桐朋学園大学音楽学部を卒業後、同校研究科へ進学。研究科在学中にフランス・パリのエコール・ノルマル音楽院に留学、同校高等師範課程修了後、桐朋学園大学音楽学部研究科を修了。フルートを林りり子、小出信也、クリスチャン・ラルデに師事。小林製薬、三菱化成工業(現三菱ケミカル)を経て、94年龍角散入社。95年社長に就任。2013年から日本商工会議所社会保障専門委員として、厚生労働省社会保障審議会医療保険部会臨時委員を務める。
コロナ拡大前から着々と準備
コロナ危機に加えてロシアによるウクライナ侵攻、さらには原材料高騰など企業経営を取り巻く環境は厳しさを増しています。中でもインバウンドビジネスに依存してきた業界は、かつてない危機に直面しています。
関西経済同友会代表幹事に直撃!関西はインバウンド、中国市場に頼った産業構造から脱却できるか?
当社の「のど薬」や「のど飴」もインバウンド、特に訪日中国人のお客様には大変ご好評を得ています。ただ、コロナ前のインバウンド全盛期だけでなく、コロナ禍以降も中国向け販売が急速に伸びつつあるのです。
実は当社は60年以上前から台湾・韓国・香港、米国への販売戦略を徹底的に講じてきましたが、中国現地での販売に関してはハードルが高く、あえて対応してきませんでした。中国で販売するためには工場の建設や技術移転を求められたからです。
一方、香港や台湾では既に多くの家庭薬製品が正規販売されていたので、家庭薬業界として徹底的な共同販促活動を展開しました。香港では主に中国人観光客向けのチェーンストアーで、また、台湾では中国のアモイから船で30分の位置にありながら台湾領である金門島でも大きな実績を上げました。まだ日本ではインバウンドという言葉すら言われていなかった時です。
状況が大きく変化したのは2010年。観光庁が「クールージャパン戦略」を講じる際、同庁からお声がかかりました。「日本ののど薬やのど飴は売れるのではないでしょうか」と。
香港や台湾ではもちろん、日本でも沖縄や冬の北海道で中国人などのお客様に当社の商品が売れることはよく分かっていました。ですから、売れるであろうことは容易に想像できました。
観光庁のご尽力もあり、日本の「OTC医薬品(薬局やドラッグストアなどで、自分で選んで買うことができる医薬品)」をTAXフリーで販売することができるようになり、ビザ発給時に現地で必ず訪れるであろう旅行代理店などに配布されるフリーペーパーや旅行雑誌などに家庭薬業界として共同広告を掲載したり、免税店などへの導線を確保するなど、様々な工夫を凝らしました。団体客が訪れるお店では製品を掲載したフリーペーパーを掲示し、陳列棚を家庭薬製品で埋めていただきました。その結果、店頭での販売もしっかり伸びました。
やはり中国でのビジネスを進める上で重要なのは、売れるかどうか分からずに闇雲に進出するのではなく、まずは観光客として来日する方々に使っていただけるかどうかを確認する。その上で現地に進出するという段階を踏んだことが大きかったと思います。その結果、リスクを低減することができました。
「神薬」と呼ばれて大ヒット
訪日観光客向けの販売を開始すると、一気に注文数が増加。工場は昼夜運転しないと生産が追い付かない状況になりました。当初は設備投資が間に合わず、人海戦術で対応せざるを得ませんでしたが、いつまでもそのようなことはできません。インバウンド売上のお陰で工場の設備は一気に近代化。生産能力も拡大しましたが、長期間にわたる昼夜運転を続けたことで、設備の償却も進み、今では工場の生産ラインは低コストで万全の構えになっています。
そして訪日観光客が年間3000万人を突破した18年になると、SNSなどで当社の商品が拡散していきます。SNSで「神薬」として発信されたことは何よりも大きかったです。SNSで拡散されると、今度は中国の検索サイト「百度」での検索ワードにも「龍角散」というワードが急上昇していきました。他にも中国の新聞社から転職してきた当社の社員のアイデアで中国のSNS「WeChat」を通じて当社の商品について発信するといった広告戦略も講じました。
まさに「爆買い」が続きました。しかし医薬品は対面販売が原則です。メーカーにとって市販後のアフターフォローができないのは海外のお客様であっても問題です。企業としてお客様に安全・安心にお使いいただかなくてはなりません。その対策として考え出したのが越境EC。これであれば直接消費者まで届けることが可能です。これを早期に稼働させるようにしたのですが、越境ECを始めた3年間ほどは鳴かず飛ばずでした。
まだ日本でのインバウンド向け販売が好調だった時に越境ECを始めたわけですから、当然、社内からも「なぜ国内の販売が好調なのに、越境ECにお金をかけるのですか?」といった声が出てきたのも事実です。当時、来日した観光客が大量に医薬品を買って帰国するのを静観する国はないだろうと考え、何らかの規制などが発動されることも予想したのですが、さすがにコロナ禍までは予想できませんでした。
当初、越境ECは自社サイトではなく、他社のサイトでの商品販売をお願いしていました。しかし、コロナ禍でインバウンド消費がなくなったのを機会に、より直接的に管理が可能な自社でのオンライン販売サイトを立ち上げ、自前で販売するようにしたのです。販売の勢いは止まりませんでした。
コロナ禍では中国の大手ECではアリババ(阿里巴巴集団)の『天猫国際』とジンドン(京東集団)の『JD国際』がありますが、『JD国際』での「のど飴」のカテゴリーでは当社の商品がトップとなっており、『天猫国際』でもトップ10以内に入っています。中国人のインフルエンサーが当社の商品を発信したりしたときには、一晩で何千万円も売れたりしました。
自社でも夜9時過ぎから会社でライブ販売を実施すると、画面上で現地のお客様と直接対話する機会もあり、当社ブランドが確実に浸透していくのを日本にいながら実感できました。
ただ、中国らしいなと思う出来事も起こりました。当社の類似品が出てきたのです。当社の商品とそっくりな外観で商品名も「龍の散」。笑ってしまうくらいです。その中で興味深かったのはお客様の反応です。
中国人のお客様からは「自分が買った商品は本当に龍角散の商品なのか?」といった問い合わせがくるのです。当社が「それは違います」と答えると、「なぜ、そんなものを売らせているか。早く片付けさせてください」と言われます。最近では中国人の中国での消費マインドも変わりつつあります。かつては偽物でも安ければ良いという考え方が多かったのですが、今はそんなことはありません。むしろ、本物を買いたいというマインドへの変化です。
中国国内の薬局などでは龍角散の商品が陳列されている
類似品に対して裁判を起こすにしても、現地で直接販売実績がないと難しいため、いよいよ越境ECに加えて、一般貿易にまで進む決心をしたのでした。後日談ですが、中国現地での裁判では当社が勝訴し、中国政府からの排除命令が出され、当社には賠償金が支払われました。
以下、本誌にて