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【政界】緊急事態条項創設が焦点に浮上 参院選後に問われる岸田首相の『本気度』

財界オンライン 2022年5月20日 18時0分

※2022年5月11日時点

日本国憲法は5月3日で施行から75年を迎えた。安倍晋三政権時代には集団的自衛権の行使を容認する安全保障関連法などを巡って与野党が激しく対立し、憲法改正論議は停滞した。その後、野党は弱体化し、今国会では衆参両院の憲法審査会で淡々と審議が進んでいる。ウクライナ危機下で国とは何かが問われる中、首相・岸田文雄は憲法改正問題にどう向き合うのか。

【政界】支持率が尻上がりの岸田政権 自・公間内の不協和音をどう吸収するか?

北風と太陽

 衆院憲法審のメンバーでもある自民党の閣僚経験者は元首相の安倍晋三と岸田をイソップ寓話の「北風と太陽」にたとえる。「改憲を強く訴える安倍には反発が出るが、岸田にはそれがない。国民も改憲が必要だと気づき始めている」

 安倍は首相在任中の2017年5月3日、改憲を推進する民間団体の集会にビデオメッセージを寄せ、憲法に自衛隊の存在を明記する条文を加える案を提起して世間を驚かせた。東京オリンピック・パラリンピック開催に乗じて機運を盛り上げるため、「20年を新しい憲法が施行される年にしたい」と改憲の目標時期にも言及した。

 その日の読売新聞には安倍のインタビューが掲載され、安倍が周到に準備したことをうかがわせた。
 
 10月の衆院選で勝利した自民党は翌18年3月、①第9条への自衛隊明記②緊急事態対応③参院選の合区解消④教育の充実─の4項目に関する改憲の条文イメージを発表。安倍は9月の総裁選で連続3選を果たし、任期は21年まで延びた。当時、安倍は「憲法改正に挑戦し、平
成のその先の時代に向かい、新しい国造りに挑む」と意気込みを語った。

 一方、森友学園・加計学園問題で顕在化した安倍政権の「身内厚遇」の体質に野党は追及の手を緩めず、19年参院選で、自民党など改憲勢力は参院の3分の2の議席を割り込んだ。間もなく、首相主催の「桜を見る会」に安倍の後援会関係者が多数招かれていたことが発覚。20年に入ると国内で新型コロナウイルスの感染が拡大し、政権に余力はなくなった。安倍は8月、失意のうちに退陣を表明した。

 後を継いで首相に就任した菅義偉は「安倍政権の継承」を掲げたものの、実際は新型コロナへの対応に手いっぱいで、改憲どころではなかった。「自民党1強」と言われた安倍・菅両政権で改憲論議が深まらなかったのは皮肉というほかない。



ウクライナ情勢が影響

 保守本流の宏池会(現岸田派)に属する岸田の憲法観は、本来なら安倍とは相いれない。しかし、岸田派は党内第4派閥で、政権の安定には最大派閥・安倍派の協力が必要だ。首相就任から半年以上が過ぎても岸田がなかなか独自色を出せないのは、党内基盤の弱さゆえでもある。

 1月の施政方針演説で岸田は「憲法改正に関する国民的議論を喚起するには、国会議員が国会の内外で発信していくことが必要だ。本国会でも積極的な議論が行われることを心から期待する」と述べた。憲法改正に取り組まなければ、安倍との距離は広がる。

 岸田は昨年11月、自民党の憲法改正推進本部を憲法改正実現本部に改称し、元国家公安委員長の古屋圭司を本部長に起用した。関係者によると、推進本部の本部長だった元衆院副議長の衛藤征士郎は憲法審の野党に弱腰な運営にいらだち、改憲に前向きな超党派の議員連盟を作ろうとして、岸田に更迭された。憲法審を有名無実化するような試みは逆効果と考えた岸田は「実務的な運営をするように」と古屋に指示した。

 昨年10月の衆院選で議席を伸ばした日本維新の会と国民民主党は、憲法審を毎週開くよう与党に要求した。両党を含めると改憲勢力は衆参両院で3分の2を超える。立憲民主、共産両党は憲法審の開催に抵抗するすべを失い、岸田が望んだ国会の状況が生まれた。

 外的要因も加わった。ロシアによるウクライナ侵攻だ。衆院憲法審では緊急事態条項の創設が優先すべき論点として急浮上した。

 先述した自民党の条文イメージは、緊急事態として「大地震その他の異常かつ大規模な災害」を想定し、①国会が法律を制定するいとまがない場合、内閣は国民の生命、身体、財産を保護するため緊急政令を制定できる②衆院選や参院選の適正な実施が困難な場合、国会議員の任期を特例で延長できる─と定めている。

 3月24日の衆院憲法審で、自民党の新藤義孝は「緊急事態の対象は大規模自然災害、感染症の大規模なまん延、テロ・内乱、ウクライナへの侵略行為といった国家有事の際の安全保障の4類型があるのではないか」と提起した。ウクライナ大統領のゼレンスキーが前日、日本の国会議員に向けてオンライン演説した余韻が残っていた。

 国民民主党の玉木雄一郎は新藤が示した4類型を「基本とすべきだ」と同調し、日本維新の会の足立康史も「議論に応じる用意がある」と表明した。

 国民民主党は今国会で22年度予算に賛成し、ガソリン税の一部を軽減する「トリガー条項」の凍結解除を求めて自民、公明両党と政策協議を重ねた。解除は先送りされたが、玉木の与党志向は止まらない。日本維新の会は参院選をにらんでこうした動きと一線を画しつつ、憲法審では足並みをそろえている。



反対名目失った立憲

 1年ほど前にも、新型コロナの感染拡大を背景に自民党内で緊急事態条項を巡る議論が活発化した。当時首相の菅も前向きだったが、党内の関心は「菅降ろし」や衆院解散に向かい、一過性に終わった。今回はその仕切り直しと言える。

 自民党が野党時代の12年に発表した憲法改正草案は、緊急事態宣言下で内閣は「法律と同一の効力を有する政令」を制定できるという規定を新設した。しかし、「戒厳令のようだ」などと専門家らの評価は散々だったため、18年の条文イメージでは「法律で定めるところにより」と緊急政令に枠をはめた。

 それでも他党の警戒感は強い。公明党の北側一雄は同じ3月24日の衆院憲法審で「ウクライナの国会は今も厳然と機能している。緊急事態だからといって、憲法に白紙委任的な緊急政令制度を設けることは、国会の責任放棄につながる」と批判した。同党は緊急政令に一貫して慎重だ。

 一方、国会議員の任期延長に関しては、自民、公明、維新、国民民主4党が必要性を認めている。維新は「憲法審として直ちに結論を取りまとめるべきだ」(足立)と合意を促した。

 では、自民党が緊急政令の部分をあきらめたら改憲原案を作成できるかというと、そう単純ではない。国政選挙の「適正な実施が困難」だと判断する主体は誰か。時の内閣が決めるとしたら、国会議員の身分を内閣が左右することになり、三権分立が揺らぐ。国会だとしたら、選挙ができないような緊急事態に召集が可能かという疑問がわく。延長幅も無期限とはいかない。現時点でこうした各論は手つかずのままだ。

 憲法問題に詳しい国会関係者は「参院選と同時の国民投票はあり得ないが、参院選後の見通しも現時点では立っていない」と語る。夏以降もしばらくは衆参両院の憲法審で粛々と議論することになりそうだ。

 「安倍政権下での改憲には反対」と繰り返してきた立憲民主党は、反対する名目を失って苦しい立場に追い込まれた。国民投票法に政党のCM規制などを盛り込む改正を優先するよう主張してこれまで時間を稼いできたが、その分、党内の憲法論議はおろそかになった。

 自民党はしたたかだ。4月14日の衆院憲法審で国民投票法をテーマに選んだ。

 同法は付則で、国民投票の公平と公正を確保するため、改憲案への賛否を表明する有料広告の制限や運動資金の規制などについて、21年の施行から3年をめどに「検討を加え、必要な法制上の措置やその他の措置を講ずる」と規定している。法律特有の回りくどい表現だが、「その他の措置」が入っているところがミソだ。

 同日の衆院憲法審で自民党の新藤は「法改正が必要な場合もあれば、運用上の措置で足りる場合もある」と立憲民主党をけん制。「検討の状況や結果が、改憲の発議に法的な制約を与えることはない」と強調した。国民投票法と改憲の中身の議論を並行して進め、立憲をテーブルに着かせる思惑が透ける。

 立憲の奥野総一郎は「国民投票制度の不備で日本国民の意思がゆがめられることは断じてあってはならない。措置を講じるまでの間は国民投票の実施は許されない」と食い下がったものの、分が悪い。



「急がば回れ」の功罪

 自民党による野党の分断工作が奏功し、参院選の勝敗を左右する「1人区」(改選数1、32選挙区)で16年と19年に成立した野党共闘は今回、白紙に戻った。自民党は、選対委員長の遠藤利明の地元・山形で「不戦敗」が濃厚になるなど一部の選挙区を除けば、準備段階で野党に先行している。立憲民主党は比例代表で昨年の衆院選を上回る1300万票を目標に掲げて反転攻勢を図るが、現状では厳しい。

 原油高や物価高による経済の変調が与党の逆風になることを警戒し、岸田は3月、総合緊急対策の取りまとめを関係閣僚に指示した。22
年度補正予算案を編成し、今国会中の成立を目指す。

 選挙後も参院で改憲勢力が優位に立てば、改憲案を国民に問う時期がいずれ来るだろう。岸田の本心はなかなか漏れ伝わってこないが、自民党関係者は「岸田は改憲に意欲的だ。しかし、自分から発言するつもりはない。主戦場は国会の憲法審と考えているからだ」と代弁する。自ら旗を振った安倍とは対照的な手法と言える。

 ただ、改憲には大きな政治的エネルギーを要する。トップリーダーが静観したままで実現する保証はない。「急がば回れ」に自民党は我慢できるのか、それとも岸田がどこかでアクセルを踏み込むのか、そのとき公明党はどう反応するのか。

 ウクライナ危機下で「国とは何か」が問われている。侵攻するロシアに対してウクライナ人の「祖国を守る」という思いは強い。危機は突然訪れるだけに、日本の安全保障、引いては憲法改正論議でも〝国の運営〟という視点は欠かせない。いくつものハードルを前に、岸田の覚悟が問われている。 (敬称略)

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