ロシアは明らかに計算違いをしていた
―― ロシアによるウクライナ侵攻から3カ月余、この雑誌が出る頃には4カ月が経とうとしています。現状を佐藤さんはどのように見ていますか。
佐藤 今回のウクライナ侵攻が発生したことについては、ロシアの地政学上の関心をふまえると、ある程度、予想されていました。
というのも、2008年にはロシアは旧グルジア(ジョージア)に対して軍事侵攻し、2014年にはロシアによるクリミア半島の併合がありました。そういう背景があったことを踏まえると、ロシアがクリミアを維持するためには、ウクライナの東部地域からの補給線、水の補給も含めた、いろんな形でのライフラインを支配する必要があるわけです。
ですから、長期的にはロシアがさらに影響力を加えてくるであろうことは予想できましたし、 2014年以降、ウクライナも欧米諸国から大量の軍事援助を受けて、能力を強化してきました。そのため、もし両国で戦争が起こったら、ウクライナもある程度抵抗するだろうということも予想されていたんです。
―― なるほど。以前から予想されていたことだったと。
佐藤 ええ。ただ、なぜ2月24日というタイミングで、プーチン大統領が戦争を決断したのか、また、個別の具体的な戦況の中で、ウクライナがどれだけ善戦したのかというのは、おそらく戦後に検証しないと分からないことも多いと思います。
それでも、先ほど申し上げた地政学的な要因や、NATO(北大西洋条約機構)の拡大など、対立構造が以前からありましたので、ウクライナがある種の発火点であるだろうということについては、そんなに不思議ではありません。
その上で、わたしはよく言われているように、今回ロシアは明らかに計算違いをしていたということは言えると思います。
米中の覇権争いが続く中、「IPEF」が13カ国で発足
―― 計算違い?
佐藤 はい。おそらくロシアは、三つか四つの目標を同時に追求しようとしていました。
国家安全保障戦略を改定する狙いは何か? 答える人 元防衛大臣・小野寺五典
一つはやはり、クリミア半島から東部のドンバス地方の間の陸の回廊を確保すること。可能であれば、ウクライナ南部のヘルソンからオデッサに至る黒海沿岸地域を侵略して、その後、モルドバまで攻撃して黒海沿岸の制海権というか、管理権を全てロシアが握る。これを一番大きな目標にしていたと思います。
もう一つは、ウクライナがNATOに加盟することを断固として阻止すること。
そして、三つ目は打倒・ゼレンスキー政権。ただ、これはプライオリティとしては、そんなに高くなかったのではないかと思います。むしろ、簡単に実現できる目標と、楽観視していたように見えます。
この他にも、ドンバス地方の支配地域を拡大して、ロシアの影響力を強めるなど、いろいろな目標が当初はあったと思います。ただ、政治的に考えたら、プーチン大統領は明らかに順序を間違えました。
最初に首都キーウを狙うのではなく、クリミアからドンバスに至る南東部の陸の回廊の確保に集中してれば、ロシアとしては、もっと大きな成果を挙げられたのではないでしょうか。
―― そういう意味での計算違いだったと。
佐藤 ロシアは東部地方だけを攻めるのではなく、最初からキーウを攻めて、ゼレンスキー大統領の退陣を狙うなど、二兎も三兎を追ってしまったために、一兎も得ずになりかねない状況です。
どうしても、大統領を殺害するとか、首都を奪うという話になると、そこに焦点が当たってしまいますので、国際社会の注目や支援はどうしてもウクライナに集まりますよね。そういうことで、ロシアにとっては思うような成果を挙げることができなかったのだろうと思います。
続きは本誌で
―― ロシアによるウクライナ侵攻から3カ月余、この雑誌が出る頃には4カ月が経とうとしています。現状を佐藤さんはどのように見ていますか。
佐藤 今回のウクライナ侵攻が発生したことについては、ロシアの地政学上の関心をふまえると、ある程度、予想されていました。
というのも、2008年にはロシアは旧グルジア(ジョージア)に対して軍事侵攻し、2014年にはロシアによるクリミア半島の併合がありました。そういう背景があったことを踏まえると、ロシアがクリミアを維持するためには、ウクライナの東部地域からの補給線、水の補給も含めた、いろんな形でのライフラインを支配する必要があるわけです。
ですから、長期的にはロシアがさらに影響力を加えてくるであろうことは予想できましたし、 2014年以降、ウクライナも欧米諸国から大量の軍事援助を受けて、能力を強化してきました。そのため、もし両国で戦争が起こったら、ウクライナもある程度抵抗するだろうということも予想されていたんです。
―― なるほど。以前から予想されていたことだったと。
佐藤 ええ。ただ、なぜ2月24日というタイミングで、プーチン大統領が戦争を決断したのか、また、個別の具体的な戦況の中で、ウクライナがどれだけ善戦したのかというのは、おそらく戦後に検証しないと分からないことも多いと思います。
それでも、先ほど申し上げた地政学的な要因や、NATO(北大西洋条約機構)の拡大など、対立構造が以前からありましたので、ウクライナがある種の発火点であるだろうということについては、そんなに不思議ではありません。
その上で、わたしはよく言われているように、今回ロシアは明らかに計算違いをしていたということは言えると思います。
米中の覇権争いが続く中、「IPEF」が13カ国で発足
―― 計算違い?
佐藤 はい。おそらくロシアは、三つか四つの目標を同時に追求しようとしていました。
国家安全保障戦略を改定する狙いは何か? 答える人 元防衛大臣・小野寺五典
一つはやはり、クリミア半島から東部のドンバス地方の間の陸の回廊を確保すること。可能であれば、ウクライナ南部のヘルソンからオデッサに至る黒海沿岸地域を侵略して、その後、モルドバまで攻撃して黒海沿岸の制海権というか、管理権を全てロシアが握る。これを一番大きな目標にしていたと思います。
もう一つは、ウクライナがNATOに加盟することを断固として阻止すること。
そして、三つ目は打倒・ゼレンスキー政権。ただ、これはプライオリティとしては、そんなに高くなかったのではないかと思います。むしろ、簡単に実現できる目標と、楽観視していたように見えます。
この他にも、ドンバス地方の支配地域を拡大して、ロシアの影響力を強めるなど、いろいろな目標が当初はあったと思います。ただ、政治的に考えたら、プーチン大統領は明らかに順序を間違えました。
最初に首都キーウを狙うのではなく、クリミアからドンバスに至る南東部の陸の回廊の確保に集中してれば、ロシアとしては、もっと大きな成果を挙げられたのではないでしょうか。
―― そういう意味での計算違いだったと。
佐藤 ロシアは東部地方だけを攻めるのではなく、最初からキーウを攻めて、ゼレンスキー大統領の退陣を狙うなど、二兎も三兎を追ってしまったために、一兎も得ずになりかねない状況です。
どうしても、大統領を殺害するとか、首都を奪うという話になると、そこに焦点が当たってしまいますので、国際社会の注目や支援はどうしてもウクライナに集まりますよね。そういうことで、ロシアにとっては思うような成果を挙げることができなかったのだろうと思います。
続きは本誌で