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原宿をつくった男! ジム会長兼社長・八木原 保が語る「原宿物語」(後半)

財界オンライン 2022年7月10日 11時30分

トレンドを追う会社ではなく、理念をもった会社として

 前回お話したように、わたしは周りの反対をよそに、1965年(昭和40年)に東京・原宿で独立しました。

 わたしが会社を設立した時に考えていたことが三つあります。

 一つは、ニットの世界で独創的な商品を出していきたいと。他がやらない商品をやりたいということは、ものすごく思っていて、特にわたしは田舎の農家の生まれだったこともあり、環境を意識した商品づくりが大事だろうと考えました。

 やはり、環境というのは、人が生きていく上でとても重要な要素です。実際、日本で初めてオーガニックコットンの商品づくりをやらせてもらいましたし、オーガニックウールやオーガニックリネンをやらせていただきました。今でこそESG(環境・社会・企業統治)だ、SDGs(持続可能な開発目標)だと言われますが、やはり環境保全は大事なことだと思います。

 二つ目は、いろいろな成功者の本を読んだりして、小さくてもいい、きらりと光る存在でありたいということです。

 昔から思っていたのが、会社というのはどうしてこんなに簡単につぶれるのだろうと。独立するからには、どうやって会社を継続させ、内容のいい会社にすればいいのかと。やはり、どんなにファッション・トレンドをつかんだヒット商品を生み出すことのできる会社であっても、トレンドだけを追う会社というのは長く続いていない。

 だから、トレンドを追う会社ではなく、きちんと理念をもった会社として長く続く会社にしたいと思いました。その理念の一つが環境と言うことになるのかもしれませんが、これだけ栄枯盛衰の激しいファッション業界を生き抜くことができたのは、そういうことだと思います。

原宿をつくった男! ジム会長兼社長・八木原 保が語る「原宿物語」(前半)



 そして三つ目は、やはり、会社が地域に密着していないと駄目だということです。原宿発のアパレルメーカーも沢山出てきましたけど、彼ら、彼女らは世田谷区や横浜市内あたりから通ってくる人が多い。でも、やはり、地域のことはその地域に住んでみないと分かりません。

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 渋谷、新宿と違って、原宿にはまだ住んでいる人がいます。自分たちの街だという意識があるからこそ、美化や防犯にも積極的に取り組むことができます。

 いい時だけ来るのでは、本当の意味で、その街のことは理解できない。自分もそこの住民になって、地域の人たちと一緒に街を守っていくという形にしなければ長続きしないと。そういう環境づくや地域貢献がすごく重要だと考えました。

 こうした結果、わたしも自分の力があまり無かったのかもしれませんが、当社の業績が決して右肩上がりというわけではないけれど、おかげさまで安定した経営はできています。ですから、周りの方々に言わせれば、当時のわたしは生意気な若造だったと思いますが、何とかここまでたどり着くことができたのは、そうした信念が揺るがなかったことが大きいと思います。

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