※2022年7月6日時点
参院選は10日の投開票に向け最終盤に入った。その舞台裏で自民党内では微妙な駆け引きが進む。これまでも首相経験者が現職の首相に意見するケースはあったが、今回も事務次官人事でそれが見られた。ただ、現首相の岸田文雄は安倍晋三元首相の要求を”拒否”。ひとり立ちの機会を虎視眈々とうかがっているようにもみえる。2024年9月の党総裁選を見据えた岸田の覚悟が見え始めている。
【政界】動き出す自民党の首相経験者たち 見据えるのは参院選後の内閣改造
異例ずくめの人事
通常国会閉会から一夜明けた6月16日午後、岸田は衆院議員会館にある安倍の事務所を訪ねた。安倍との会談は約30分。首相官邸に戻った岸田は、待ち受けた記者団に「今国会を振り返り、今の政治課題や参院選について意見交換した」と語った。安倍も番記者に同じような説明をした。
ところが翌17日、防衛相の岸信夫が記者会見で思いがけない発表をする。「本日の閣議で防衛省幹部人事について内閣の承認がなされた。7月1日付で退職する島田(和久)事務次官は引き続き防衛大臣政策参与として勤務していただく」
島田は安倍政権時代に首相秘書官を6年半務め、20年8月に事務次官に就任した。今も安倍の信頼は厚い。交代期に当たる在職2年が近づく中、年末の国家安全保障戦略など3文書改定を手がけるために続投もあり得るという観測が出ていた。
しかし、首相官邸は島田の続投をよしとせず、ついに安倍が岸田に直談判する事態になったようだ。会談の詳細は伝わっていないが、この場で岸田が安倍の要求を断り、翌日発表したとみるのが妥当だ。
安倍も、実弟の岸も今回の人事に怒り心頭だったと防衛省関係者は明かす。しかも、後任の事務次官は島田と旧防衛庁入庁同期(1985年)の鈴木敦夫。同期が続けて次官になるのも、防衛装備庁長官からの起用も異例だった。
この人事を主導したのは官房副長官の木原誠二(政務)と栗生俊一(事務)だとされる。栗生は、各府省の幹部人事を一元的に管理する内閣人事局長でもある。防衛省の意向と関係なく次官を決めることは制度上、何ら問題がない。ただ、今回は自民党最大派閥の長が関わる案件だ。2人はなぜ、安倍の怒りを買うのを承知で島田の交代に踏み切ったのか。そこに岸田と安倍の確執が見え隠れする。
「もう決めたことだ」
政府が6月7日に閣議決定した経済財政運営の指針「骨太の方針」で、23年度の防衛費は「新たな中期防衛力整備計画にかかる議論を経て結論を得る必要があることから予算編成過程において検討し、必要な措置を講ずる」と記された。
翌年度の予算編成は、まず夏の概算要求基準(シーリング)で一定の制限をかけるのが通例だが、防衛費に関しては、年末までの新中期防策定作業に沿って予算をつけるという意味だ。事実上、シーリングの対象外になる可能性がある。
自民党は、防衛費を5年以内に国内総生産(GDP)比2%以上に引き上げるよう求め、島田は政府側でその旗を振ってきた。ロシアによるウクライナ侵攻後、安倍が来年度は7兆円近くまで増額するよう繰り返し発言していることとも一致する。
骨太の方針は防衛費の具体的な水準には触れていない。玉虫色の表記にしたのは、増額幅を巡って首相官邸と自民党に隔たりがある証拠だろう。「増額の財源をどうするのか。医療費負担や年金にしわ寄せがいく」(共産党委員長の志位和夫)という野党の批判に、岸田は「(2%の)数字ありきではない。国民の命や暮らしを守るために何が必要かを踏まえ、予算と財源を詰める」と真正面から答えていない。
関係者によると、安倍の怒りにひるんだ木原は、すぐに岸田のもとに駆け込んだ。しかし、岸田は「もう決めたことなんだから」と取り合わなかったという。一方、安倍は「こういうことをしていると政権全体に影響する」と不満を漏らした。
内閣人事局は、08年に成立した国家公務員制度改革基本法に基づき、第2次安倍政権時代の14年に設置された。各府省による縦割り行政の弊害を改めるのが目的だったが、安倍、菅両政権が長く続くうちに、人事権を武器にした官邸による霞が関支配が強まった面は否定できない。
安倍が今回、その内閣人事局から島田の続投にノーを突き付けられたとしたら、皮肉と言うほかない。政府高官は「さすがに安倍さんから人事にまで口を出されるのは嫌だろう」と岸田の決断を支持した。
ただ、不可解さは残る。ストーリーがあまりに出来すぎているのだ。
「政高党高」と称して自民党への配慮を欠かさない岸田の政治手法は、「何がしたいのかわからない」(政府関係者)という批判と背中合わせだ。当然、そうした声は岸田の耳にも入る。だからといって、今回の人事で岸田が「安倍の言いなりにはならない」と宣言したと考えるのは早計ではないか。
区割り改定も火種
ある自民党政治家が思い浮かぶ。今年1月に91歳で死去した海部俊樹だ。
89年の参院選で自民党が敗北すると、当時、最大派閥として権勢を誇っていた竹下派は、河本派の海部を新総裁・首相に担ぎ出した。中小派閥出身の海部に実権はなかったが、クリーンなイメージが世論に受け、内閣支持率は高水準で推移。90年の衆院選で同党は大勝した。
しだいに自信をつけた海部は91年、衆院への小選挙区制導入を柱とする政治改革関連法案が党内の反対で廃案の運びになると、「重大な決意で臨む」と表明するに至る。これに対して「海部おろし」が激化し、最後は竹下派にも見限られて同年11月に退陣した。
やや話がそれるが、海部の首相在任中にはイラクがクウェートに侵攻し、91年に湾岸戦争へと発展した。停戦後、国論が二分する中で政府はペルシャ湾に海上自衛隊の掃海艇を派遣。これが自衛隊の海外での活動が拡大する契機になった。現在のウクライナ危機と対比すると、政権が国際情勢への対応を迫られている点も似通う。
自民党が参院選で勝利したとしても、党内第4派閥の岸田派に政権運営の主導権が移るわけではない。海部の例を引き合いに出すまでもなく、慎重さが身上の岸田が、安倍の不興を買うような人事をあえてするだろうか。「不可解さ」の理由はそこにある。
政府関係者は声を潜める。「島田の交代が突然決まったとは考えにくい。安倍サイドがうまく利用した可能性がある」。解説はこうだ。岸が島田の交代を発表すると、多くのメディアが「岸田対安倍・防衛省」という視点で報じた。安全保障に関する国民の意識が高まる中、それは安倍にとって決して不愉快ではない――。
この間、安倍は防衛費増額だけでなく、自民党内の積極財政派の後ろ盾になって財政健全化目標の見直しを政府に迫るなど、表立った発言を強めてきた。参院選後も、安倍派をおろそかにしたら岸田政権は成り立たないというブラフと言える。
ほかにも火種はある。
衆院選挙区画定審議会(区割り審)は6月16日、小選挙区を10増10減し「1票の格差」を最大1・999倍に抑える区割り改定案を決定し、岸田に勧告した。見直しの対象は25都道府県の140選挙区に及ぶ。岸田は区割り審の作業をねぎらい、「内閣としては、勧告に基づき、必要な法制上の措置を講じる」と述べた。
しかし、人口比をより反映しやすい「アダムズ方式」で区割りを見直すと、議席は東京など都市部に集中する。地方の保守地盤がダメージを受けるため、選挙制度に詳しい衆院議長の細田博之は10増10減案を公然と批判してきた。
山口も1減の対象だが、安倍の地盤の下関市と、外相の林芳正の地盤の宇部市は別の選挙区になり、2人の公認争いは生じない見通しだ。それでも、安倍は「3増3減(東京3増、新潟、愛媛、長崎各1減)でも格差は2倍以内に収まる」と周囲に語り、10増10減には懐疑的だという。
「決めるのは総裁」
衆院小選挙区の新たな区割りは、参院選後の臨時国会での公選法改正を経て、次の衆院選から適用される見通しだ。しかし、区割りが変わる現職には「うちは半分近くが初見の有権者になりそう」(閣僚経験者)などと戸惑いが広がっている。有権者への新区割りの周知と候補者調整に一定の時間がかかるため、岸田の解散戦略にも影響する。
今の衆院議員の任期満了は25年10月。参院選が終わると3年間は大型の国政選挙の予定がなく、自民党が勝てば岸田は「黄金の3年」を手にすると言われている。しかし、実際には24年9月の党総裁選というハードルが待ち構える。
解散がなければ25年夏の参院選は衆院選とのダブルの可能性が高まり、総裁選は「選挙の顔」を選ぶ重要な意味を帯びる。もしその時点で政権が失速していたら、岸田の再選には黄信号がともる。昨年の総裁選直前に再選を断念した前首相・菅義偉と同じ状況だ。岸田は総裁選より前に解散のタイミングを探るだろう。
それには、参院選後の自民党役員・内閣改造人事がまず重要になる。岸田が引き続き融和を重視するか、それとも独自色を出すか、党内の関心は高い。結果として人事への不満が噴き出すようだと、区割り改定問題に飛び火し、岸田の求心力は一気に揺らぎかねない。
公示前日の6月21日、日本記者クラブ主催の党首討論会で「安倍元首相からいろいろ注文がある。どう対応するか」と問われた岸田は、淡々と答えた。「自民党は懐の深い政党だ。先輩方をはじめ多くの意見を聞きながら、最後は決めていかなければいけない。それが総裁の立場だ」
自民党が参院選で掲げたキャッチコピーは「決断と実行」。偶然とはいえ72年衆院選と重なった。当時の総裁は「今太閤」と呼ばれた田中角栄。岸田が名宰相の道を歩むかどうかは、その覚悟と実行力にかかっている。(敬称略)
参院選は10日の投開票に向け最終盤に入った。その舞台裏で自民党内では微妙な駆け引きが進む。これまでも首相経験者が現職の首相に意見するケースはあったが、今回も事務次官人事でそれが見られた。ただ、現首相の岸田文雄は安倍晋三元首相の要求を”拒否”。ひとり立ちの機会を虎視眈々とうかがっているようにもみえる。2024年9月の党総裁選を見据えた岸田の覚悟が見え始めている。
【政界】動き出す自民党の首相経験者たち 見据えるのは参院選後の内閣改造
異例ずくめの人事
通常国会閉会から一夜明けた6月16日午後、岸田は衆院議員会館にある安倍の事務所を訪ねた。安倍との会談は約30分。首相官邸に戻った岸田は、待ち受けた記者団に「今国会を振り返り、今の政治課題や参院選について意見交換した」と語った。安倍も番記者に同じような説明をした。
ところが翌17日、防衛相の岸信夫が記者会見で思いがけない発表をする。「本日の閣議で防衛省幹部人事について内閣の承認がなされた。7月1日付で退職する島田(和久)事務次官は引き続き防衛大臣政策参与として勤務していただく」
島田は安倍政権時代に首相秘書官を6年半務め、20年8月に事務次官に就任した。今も安倍の信頼は厚い。交代期に当たる在職2年が近づく中、年末の国家安全保障戦略など3文書改定を手がけるために続投もあり得るという観測が出ていた。
しかし、首相官邸は島田の続投をよしとせず、ついに安倍が岸田に直談判する事態になったようだ。会談の詳細は伝わっていないが、この場で岸田が安倍の要求を断り、翌日発表したとみるのが妥当だ。
安倍も、実弟の岸も今回の人事に怒り心頭だったと防衛省関係者は明かす。しかも、後任の事務次官は島田と旧防衛庁入庁同期(1985年)の鈴木敦夫。同期が続けて次官になるのも、防衛装備庁長官からの起用も異例だった。
この人事を主導したのは官房副長官の木原誠二(政務)と栗生俊一(事務)だとされる。栗生は、各府省の幹部人事を一元的に管理する内閣人事局長でもある。防衛省の意向と関係なく次官を決めることは制度上、何ら問題がない。ただ、今回は自民党最大派閥の長が関わる案件だ。2人はなぜ、安倍の怒りを買うのを承知で島田の交代に踏み切ったのか。そこに岸田と安倍の確執が見え隠れする。
「もう決めたことだ」
政府が6月7日に閣議決定した経済財政運営の指針「骨太の方針」で、23年度の防衛費は「新たな中期防衛力整備計画にかかる議論を経て結論を得る必要があることから予算編成過程において検討し、必要な措置を講ずる」と記された。
翌年度の予算編成は、まず夏の概算要求基準(シーリング)で一定の制限をかけるのが通例だが、防衛費に関しては、年末までの新中期防策定作業に沿って予算をつけるという意味だ。事実上、シーリングの対象外になる可能性がある。
自民党は、防衛費を5年以内に国内総生産(GDP)比2%以上に引き上げるよう求め、島田は政府側でその旗を振ってきた。ロシアによるウクライナ侵攻後、安倍が来年度は7兆円近くまで増額するよう繰り返し発言していることとも一致する。
骨太の方針は防衛費の具体的な水準には触れていない。玉虫色の表記にしたのは、増額幅を巡って首相官邸と自民党に隔たりがある証拠だろう。「増額の財源をどうするのか。医療費負担や年金にしわ寄せがいく」(共産党委員長の志位和夫)という野党の批判に、岸田は「(2%の)数字ありきではない。国民の命や暮らしを守るために何が必要かを踏まえ、予算と財源を詰める」と真正面から答えていない。
関係者によると、安倍の怒りにひるんだ木原は、すぐに岸田のもとに駆け込んだ。しかし、岸田は「もう決めたことなんだから」と取り合わなかったという。一方、安倍は「こういうことをしていると政権全体に影響する」と不満を漏らした。
内閣人事局は、08年に成立した国家公務員制度改革基本法に基づき、第2次安倍政権時代の14年に設置された。各府省による縦割り行政の弊害を改めるのが目的だったが、安倍、菅両政権が長く続くうちに、人事権を武器にした官邸による霞が関支配が強まった面は否定できない。
安倍が今回、その内閣人事局から島田の続投にノーを突き付けられたとしたら、皮肉と言うほかない。政府高官は「さすがに安倍さんから人事にまで口を出されるのは嫌だろう」と岸田の決断を支持した。
ただ、不可解さは残る。ストーリーがあまりに出来すぎているのだ。
「政高党高」と称して自民党への配慮を欠かさない岸田の政治手法は、「何がしたいのかわからない」(政府関係者)という批判と背中合わせだ。当然、そうした声は岸田の耳にも入る。だからといって、今回の人事で岸田が「安倍の言いなりにはならない」と宣言したと考えるのは早計ではないか。
区割り改定も火種
ある自民党政治家が思い浮かぶ。今年1月に91歳で死去した海部俊樹だ。
89年の参院選で自民党が敗北すると、当時、最大派閥として権勢を誇っていた竹下派は、河本派の海部を新総裁・首相に担ぎ出した。中小派閥出身の海部に実権はなかったが、クリーンなイメージが世論に受け、内閣支持率は高水準で推移。90年の衆院選で同党は大勝した。
しだいに自信をつけた海部は91年、衆院への小選挙区制導入を柱とする政治改革関連法案が党内の反対で廃案の運びになると、「重大な決意で臨む」と表明するに至る。これに対して「海部おろし」が激化し、最後は竹下派にも見限られて同年11月に退陣した。
やや話がそれるが、海部の首相在任中にはイラクがクウェートに侵攻し、91年に湾岸戦争へと発展した。停戦後、国論が二分する中で政府はペルシャ湾に海上自衛隊の掃海艇を派遣。これが自衛隊の海外での活動が拡大する契機になった。現在のウクライナ危機と対比すると、政権が国際情勢への対応を迫られている点も似通う。
自民党が参院選で勝利したとしても、党内第4派閥の岸田派に政権運営の主導権が移るわけではない。海部の例を引き合いに出すまでもなく、慎重さが身上の岸田が、安倍の不興を買うような人事をあえてするだろうか。「不可解さ」の理由はそこにある。
政府関係者は声を潜める。「島田の交代が突然決まったとは考えにくい。安倍サイドがうまく利用した可能性がある」。解説はこうだ。岸が島田の交代を発表すると、多くのメディアが「岸田対安倍・防衛省」という視点で報じた。安全保障に関する国民の意識が高まる中、それは安倍にとって決して不愉快ではない――。
この間、安倍は防衛費増額だけでなく、自民党内の積極財政派の後ろ盾になって財政健全化目標の見直しを政府に迫るなど、表立った発言を強めてきた。参院選後も、安倍派をおろそかにしたら岸田政権は成り立たないというブラフと言える。
ほかにも火種はある。
衆院選挙区画定審議会(区割り審)は6月16日、小選挙区を10増10減し「1票の格差」を最大1・999倍に抑える区割り改定案を決定し、岸田に勧告した。見直しの対象は25都道府県の140選挙区に及ぶ。岸田は区割り審の作業をねぎらい、「内閣としては、勧告に基づき、必要な法制上の措置を講じる」と述べた。
しかし、人口比をより反映しやすい「アダムズ方式」で区割りを見直すと、議席は東京など都市部に集中する。地方の保守地盤がダメージを受けるため、選挙制度に詳しい衆院議長の細田博之は10増10減案を公然と批判してきた。
山口も1減の対象だが、安倍の地盤の下関市と、外相の林芳正の地盤の宇部市は別の選挙区になり、2人の公認争いは生じない見通しだ。それでも、安倍は「3増3減(東京3増、新潟、愛媛、長崎各1減)でも格差は2倍以内に収まる」と周囲に語り、10増10減には懐疑的だという。
「決めるのは総裁」
衆院小選挙区の新たな区割りは、参院選後の臨時国会での公選法改正を経て、次の衆院選から適用される見通しだ。しかし、区割りが変わる現職には「うちは半分近くが初見の有権者になりそう」(閣僚経験者)などと戸惑いが広がっている。有権者への新区割りの周知と候補者調整に一定の時間がかかるため、岸田の解散戦略にも影響する。
今の衆院議員の任期満了は25年10月。参院選が終わると3年間は大型の国政選挙の予定がなく、自民党が勝てば岸田は「黄金の3年」を手にすると言われている。しかし、実際には24年9月の党総裁選というハードルが待ち構える。
解散がなければ25年夏の参院選は衆院選とのダブルの可能性が高まり、総裁選は「選挙の顔」を選ぶ重要な意味を帯びる。もしその時点で政権が失速していたら、岸田の再選には黄信号がともる。昨年の総裁選直前に再選を断念した前首相・菅義偉と同じ状況だ。岸田は総裁選より前に解散のタイミングを探るだろう。
それには、参院選後の自民党役員・内閣改造人事がまず重要になる。岸田が引き続き融和を重視するか、それとも独自色を出すか、党内の関心は高い。結果として人事への不満が噴き出すようだと、区割り改定問題に飛び火し、岸田の求心力は一気に揺らぎかねない。
公示前日の6月21日、日本記者クラブ主催の党首討論会で「安倍元首相からいろいろ注文がある。どう対応するか」と問われた岸田は、淡々と答えた。「自民党は懐の深い政党だ。先輩方をはじめ多くの意見を聞きながら、最後は決めていかなければいけない。それが総裁の立場だ」
自民党が参院選で掲げたキャッチコピーは「決断と実行」。偶然とはいえ72年衆院選と重なった。当時の総裁は「今太閤」と呼ばれた田中角栄。岸田が名宰相の道を歩むかどうかは、その覚悟と実行力にかかっている。(敬称略)