普段つけている市販のマスクはほぼ役に立たない…
―― 長期化するコロナ禍に加え、ロシアによるウクライナ侵攻など、世界経済が混乱しています。感染症対策として興研のマスク需要が一気に増加したわけですが、コロナ禍の2年半をどのように総括しますか。
酒井 2020年1月から拡大した新型コロナウイルス感染症は世界的大流行(パンデミック)となり、いまだ流行の終息を見ない状況が続いています。
日本でコロナが大騒ぎになったのは20年2月からですけれども、あの時に分かったことは世界のマスク生産の約7割が中国ということでした。日本企業はメーカーとは言いながらも、実質は商社機能しか持っていなかったわけで、一時は日本でマスクが手に入らない状態になりました。
一方、当社はタイにも工場がありますが、国内でマスクを生産していましたので、注文が一気に殺到しました。
―― 国内に工場を構えていたことで、世界中でマスク争奪戦が起こった時にも、きちんとマスクを供給できたわけですね。
酒井 ええ。ですが、あの時はコロナ患者を受け入れる感染症指定病院だけではなく、一般の病院や普通の消費者にまで一気に需要が拡大しましたから、注文が来ても製造能力が追い付かないわけです。
要するに、コロナ前までの需要というのは、そんなに無かったんです。それまでは感染症指定病院を中心に、当社の社員が病院へ行って、看護師さんを中心にマスクはフィットが大切だということをずっと言い続けてきたんですね。
―― それはマスクの付け方の啓発でもある?
酒井 仰る通りです。皆さんが普段つけている市販のマスクは残念ながら、ほぼ役に立ちませんよと。マスクはフィルタの性能よりもフィッティング性能が大事です。顔の隙間からの漏れの方がはるかに大きなリスクがあるんですね。
―― 中国製のマスクの性能は劣るわけですね。
酒井 それはそうです。中国は世界一のマスク大国ですが、性能もそうですし、値段も全然比較になりません。
例えば、欧米にはそれぞれの規格があって、率直に言って、日本の方がはるかに進んでいるんですが、彼らはそれを規格として認めません。そうなると、例えば、呼吸に追随して空気が流れてくる防じんマスクがあるんですけど、こういう当社にしかないような製品は、向こうの規格としてまだ認められていません。
話は逸れましたが、それくらい日本製のマスクの性能は高いんですよ。そういうことを当社は以前からずっと啓発してきましたので、感染症指定病院あたりではコロナ前から当社の名前も知られていたんです。
それがパンデミックで一気に注文が殺到したということで、製造能力には限界があるものですから、現場を通じて、毎日、今日は何人コロナ患者がいて、最低限マスクが何個必要ですかと。われわれは注文が来たすべての病院と連絡を取って、その日に間に合う最低限の数量をお出ししたんですよ。
【政界】参院選後、岸田首相に問われる『覚悟』と『決断』
―― 最低限の数量となると、どれくらいの量になりますか。
酒井 例えば、1千個必要だというところもあれば、1万個だとか、4万個ほしいという病院もありました。そういう病院を一つひとつ確認して、200個なら対応できるとか、400個ならできるとか、最大でも1千個くらいでしたかね。最低限必要な量を分散して送りました。
元防衛大臣・森本敏「日本の課題は国家と国民の主体性と自主性を取り戻すこと」
―― それを興研の社員が送り届けるわけですか。
酒井 いや、あの頃は病院に来るなと言われていましたので、われわれが直接運ぶのではなく、病院と連絡が取れる商社さんを通じてお送りしていました。これは今でもやっています。
そういう状態でしたから、20年4月に、当時の安倍晋三首相が緊急対策としてメーカーに集まってもらい、マスクの増産を要請したんです。当社の村川(勉・社長)もオンライン会談に参加して、増産しましょうということで、増産体制をすぐにとりました。
ただ、一気に24時間体制にすると言っても簡単にはできません。普通は作業員や管理者双方が戸惑いますよね。ところが、たまたま2009年に新型インフルエンザが大流行した後で、当時の所長が有事が起こった時に対応するにはどうしたらいいかということで、別の部署にいた技術屋をマスク製造の現場に2~3カ月異動させて、管理の仕事を覚えさせたりしていたんです。
―― 危機時への備えができていたと。
酒井 ですから、そういう人材がいたということで、すぐに24時間体制に切り換えられたわけではありませんが、1カ月もしないうちに体制が整ったということはありました。
―― 危機時に頼りになるというか、伸びる社員というのは、どういうタイプの人ですか。
酒井 人間は皆、伸びるんですよね。伸びない人もたまにはいますが、企業というのは、日常的に社員が伸びる訓練をする体制をつくっておくことが大事なんです。
続きは本誌で
―― 長期化するコロナ禍に加え、ロシアによるウクライナ侵攻など、世界経済が混乱しています。感染症対策として興研のマスク需要が一気に増加したわけですが、コロナ禍の2年半をどのように総括しますか。
酒井 2020年1月から拡大した新型コロナウイルス感染症は世界的大流行(パンデミック)となり、いまだ流行の終息を見ない状況が続いています。
日本でコロナが大騒ぎになったのは20年2月からですけれども、あの時に分かったことは世界のマスク生産の約7割が中国ということでした。日本企業はメーカーとは言いながらも、実質は商社機能しか持っていなかったわけで、一時は日本でマスクが手に入らない状態になりました。
一方、当社はタイにも工場がありますが、国内でマスクを生産していましたので、注文が一気に殺到しました。
―― 国内に工場を構えていたことで、世界中でマスク争奪戦が起こった時にも、きちんとマスクを供給できたわけですね。
酒井 ええ。ですが、あの時はコロナ患者を受け入れる感染症指定病院だけではなく、一般の病院や普通の消費者にまで一気に需要が拡大しましたから、注文が来ても製造能力が追い付かないわけです。
要するに、コロナ前までの需要というのは、そんなに無かったんです。それまでは感染症指定病院を中心に、当社の社員が病院へ行って、看護師さんを中心にマスクはフィットが大切だということをずっと言い続けてきたんですね。
―― それはマスクの付け方の啓発でもある?
酒井 仰る通りです。皆さんが普段つけている市販のマスクは残念ながら、ほぼ役に立ちませんよと。マスクはフィルタの性能よりもフィッティング性能が大事です。顔の隙間からの漏れの方がはるかに大きなリスクがあるんですね。
―― 中国製のマスクの性能は劣るわけですね。
酒井 それはそうです。中国は世界一のマスク大国ですが、性能もそうですし、値段も全然比較になりません。
例えば、欧米にはそれぞれの規格があって、率直に言って、日本の方がはるかに進んでいるんですが、彼らはそれを規格として認めません。そうなると、例えば、呼吸に追随して空気が流れてくる防じんマスクがあるんですけど、こういう当社にしかないような製品は、向こうの規格としてまだ認められていません。
話は逸れましたが、それくらい日本製のマスクの性能は高いんですよ。そういうことを当社は以前からずっと啓発してきましたので、感染症指定病院あたりではコロナ前から当社の名前も知られていたんです。
それがパンデミックで一気に注文が殺到したということで、製造能力には限界があるものですから、現場を通じて、毎日、今日は何人コロナ患者がいて、最低限マスクが何個必要ですかと。われわれは注文が来たすべての病院と連絡を取って、その日に間に合う最低限の数量をお出ししたんですよ。
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―― 最低限の数量となると、どれくらいの量になりますか。
酒井 例えば、1千個必要だというところもあれば、1万個だとか、4万個ほしいという病院もありました。そういう病院を一つひとつ確認して、200個なら対応できるとか、400個ならできるとか、最大でも1千個くらいでしたかね。最低限必要な量を分散して送りました。
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―― それを興研の社員が送り届けるわけですか。
酒井 いや、あの頃は病院に来るなと言われていましたので、われわれが直接運ぶのではなく、病院と連絡が取れる商社さんを通じてお送りしていました。これは今でもやっています。
そういう状態でしたから、20年4月に、当時の安倍晋三首相が緊急対策としてメーカーに集まってもらい、マスクの増産を要請したんです。当社の村川(勉・社長)もオンライン会談に参加して、増産しましょうということで、増産体制をすぐにとりました。
ただ、一気に24時間体制にすると言っても簡単にはできません。普通は作業員や管理者双方が戸惑いますよね。ところが、たまたま2009年に新型インフルエンザが大流行した後で、当時の所長が有事が起こった時に対応するにはどうしたらいいかということで、別の部署にいた技術屋をマスク製造の現場に2~3カ月異動させて、管理の仕事を覚えさせたりしていたんです。
―― 危機時への備えができていたと。
酒井 ですから、そういう人材がいたということで、すぐに24時間体制に切り換えられたわけではありませんが、1カ月もしないうちに体制が整ったということはありました。
―― 危機時に頼りになるというか、伸びる社員というのは、どういうタイプの人ですか。
酒井 人間は皆、伸びるんですよね。伸びない人もたまにはいますが、企業というのは、日常的に社員が伸びる訓練をする体制をつくっておくことが大事なんです。
続きは本誌で