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円覚寺派・横田南嶺管長の訴え「日本が持つ精神性を今こそ思い起こす時」

財界オンライン 2022年8月18日 11時30分

「禅は危機に強いと言われているんです」─円覚寺の横田南嶺管長はこう語る。これまでの歴史の中で、各国で仏教が弾圧された時にも、本尊や経典を持たない禅はしなやかに生き残ってきた。また、その時代時代のリーダー達が覚悟と使命感を持って行動し、日本が大事にしてきた精神を受け継いできたことで今がある。だが「その大事な精神が薄れてきている」と横田管長は危機感を見せる。今の時代の我々が引き継ぐべき精神性とは。

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歴史の変遷の中を…
 ─ 近年、日本で薄くなってきた人と人とのつながりが、コロナ禍によって、さらに断ち切られようとしている印象があります。円覚寺はコロナ禍ではどういう状況でしたか。

 横田 コロナ禍では、行事を含め、いろいろなものが止まりましたから、私自身皆さんにお話する機会もなくなった時期もありました。最初の緊急事態宣言の時には、一時的に寺を閉じざるを得ませんでした。

 ─ 先人からのつながりを大事にするというのは、古来日本人が持ってきたものだと思います。これが薄れているというのは教育とも絡んできますね。

 横田 ええ。個人がバラバラになり、家を大事にしなくなるなど、日本が培ってきた良い部分が崩れかけている気がしています。私はその中でも頑張ろうと思っていますが……。

 ─ 人々の心が乱れている中、「禅」の位置づけをどう考えていますか。

 横田 禅は、他の宗教とは違って、特別の神や仏を信じなさいという教えではなく、自分自身の中に仏を見出そうという教えです。ですから禅は危機に強いと言われているんです。

 歴史を遡っても、昔の中国を含めて、時の政権によって仏教が弾圧された時代が何度もありました。しかし禅は、特定の本尊も経典も持たず、銘々が主人公です。お寺を潰されて、仏像を壊され、お経を燃やされても、どこかで坐禅をして生きている。

 そうやって禅は生き抜いてきたんです。身一つで何とかなる、自分の外に拠り所を求めないという強さがあります。その意味で歴史の中をしなやかに生き抜いてきたと言えます。

 ─ 日本で広まるのは鎌倉時代のことですね。

 横田 ええ。鎌倉の武士達が、特別な神を信仰するより、坐禅をして自分を見つめるという教えに心惹かれたんでしょうね。

日本の精神性を受け継いできた人々
 ─ 北条時宗公の時代には「元寇」という国難がありました。

 横田 元々、元寇の戦没者追悼のために建てたのが円覚寺です。元は2度襲来したわけですが、今の時代との最も大きな違いは「情報」がないことだったと思います。今は、どの程度の軍勢が来るというのが、ある程度わかりますが、それが全くなく、日本が滅ぶかもしれないという中で戦ったわけです。

 1回目の「文永の役」は、元は威嚇のために1日で軍を引いたそうです。その後、使者を遣わして属国にしようとしたわけですが、時宗公は使者を斬った。そうして九州に防塁を築いて、鎌倉武士を派遣、地元の武士達と共に元の上陸を阻止しようとしたんです。

 2回目の「弘安の役」では5月から7月後半まで2カ月、上陸を防ぎました。そうして「神風」、台風が来て、元軍の船は大破したわけです。

 元の侵攻を防いだことも立派です。さらにこれは今の時代に最も私が言いたいことですが、円覚寺は敵も味方も平等に供養したということです。これを「怨親平等」(おんしんびょうどう)と言います。この考え方はあまり知られておらず、何とか広めなくてはいけないと思っているんです。

 ─ この精神は日本人の腹に落ちる感じがします。そうした考え方は、いつ頃まであったんでしょうか。

 横田 いろいろ調べましたが、明治維新まではありました。古くは平将門などが逆賊とされましたが、時の村上天皇は比叡山で供養していますし、「島原の乱」の天草四郎も供養されています。

 それが明治維新以降は西欧的な考え方になり、「勝てば官軍」ということで賊軍は祀らなかった。例として挙げられるのは靖国神社で、官軍しか祀られていません。仏教学者の中村元先生は『靖国問題と宗教』という論文で、靖国神社の一番の問題はそこにあると指摘しています。

 円覚寺は昔から敵も、異国の兵士ですら祀っていました。しかし明治維新以降、近代国家を目指した日本は、その精神を忘れてしまった一面があります。

 ─ 確かに「戊辰戦争」を戦った会津藩の人々、「西南の役」を戦った西郷隆盛も靖国神社には祀られていませんね。

 横田 その頃から、何かがずれてしまったのだと思います。ただ、その精神をきちんと受け継いでいたのが南京戦で司令官を務めた松井石根です。南京が陥落した時に、部下達に「支那人も供養してやってくれ」と松井は伝えたんです。

 しかし、松井石根の手記によると部下達は「そのようなことをしては士気にかかわる」と反対したと。それを聞いて「日本の軍人はここまで落ちたか」と松井石根は悔やんだのです。そうして退役後は私財を投じて、静岡県熱海に「興亜観音」を建立し終生、中国人をも供養し続けたんです。松井石根は残念ながら、東京裁判によって絞首刑という最期を迎えましたが、そういう人としての立場を貫いたのです。

 ─ 日露戦争時に旅順攻略戦を戦った乃木希典将軍が、ロシア軍のステッセル司令官に敬意を払った話もありますね。

 横田 そうです。敗軍の将に最大限の敬意を表して、ロシアに対してステッセルの罪の軽減も嘆願しているんです。

 ─ 日本人の凛とした精神性を感じさせる話ですね。

 横田 他にも、円覚寺を開山した北条時宗公の話で言えば、明治時代まで官位は従五位上と高くなく、重んじられていませんでした。しかし、それを評価したのが明治天皇だったんです。

 なぜなら、明治天皇は日清・日露戦争に直面し、特に日露戦争の時には、一歩間違えたら国がなくなるという重圧の中で戦ったわけです。その時に過去の歴史の中、同じような思いをしたのは時宗公だけであろうということで、明治天皇が時宗公に従一位をくださったんです。

 さらに日露戦争に関連して言えば、講和の前の下働きをした政治家・金子堅太郎の話もあります。金子は亡くなる前に「円覚寺で話をさせてほしい」といって、実際に話をしたということが伝わっています。

 ─ 金子堅太郎は日露戦争での講和の前に、米国への支援を求めてセオドア・ルーズベルト大統領とハーバード大学で学友だったことを生かして機を通じた人物ですね。なぜ円覚寺で話をしたいと?

 横田 「時宗公がいたから、講和がうまくいった」という思いを持っていたそうです。

 金子堅太郎は日露戦争開戦後、当時の伊藤博文・枢密院議長に呼ばれ、「日露戦争は国力の差もあって長引いたら負ける。だから一気に勝敗を決して、いいタイミングで米国に仲裁に入ってもらいたい。本当は自分が交渉すべきだが、明治天皇のお側を離れるわけにはいかない。学友の君がルーズベルトに依頼して、日本が合図を出したら講和の仲裁をしてくれる確約を取ってくれ」という指令を受けたのです。

 その時に金子堅太郎は「自分のような者に、国の大事な問題を扱うのは無理です」と断ったそうですが、伊藤・枢密院議長から「君は元寇の時のことを知らないのか。北条時宗公は国がなくなるかもしれない危機に、命を投げ出して守ったではないか。君は九州の生まれだが、このことをどう思うのか」と言われたそうです。金子堅太郎は九州の人間として元寇のことを言われると居ても立っても居られないということでルーズベルトを訪ね、援助を取り付けることにつながったのです。

 ─ ロシアは戦争を継続してもいいと思っていたわけですが、もしそうなっていたら日本も危なかったと言われます。

 横田 日本の国はなくなっていたかもしれません。ですから、日本が大事にしてきた精神性を受け継いできた人たちのおかげもあって今があるとも言えます。

 ─ リーダーの先を見据える力と覚悟、使命感が大事だということですね。

 横田 そう思います。国を守る覚悟と使命感はあの時代の人たちの優れた部分だと思います。

 ─ 円覚寺に、こうした逸話が受け継がれているというのも、非常にいいことですね。

 横田 円覚寺の元管長である朝比奈宗源老師が、このことを書き残していました。朝比奈老師はその後、「明治の人は戦争をする時、鉄砲を撃つ前から終わり方を考えていたのに、先の大戦は何なのか」ということも書いていました。

 ─ 改めて「怨親平等」は日本の精神ですが、世界に伝えたい考え方ですね。

 横田 他国にはあまりない考え方ですが、太平洋戦争の後、サンフランシスコ講和条約の時に「怨親平等」を言ってくれたのが、当時セイロン(現スリランカ)の蔵相で、後に大統領になったジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナです。

 ジャヤワルダナは「憎悪は憎悪によって止むことはなく、慈愛によって止む」という法句経という仏典の一節を引用して演説し、日本に対して賠償を求めないと言ってくれたんです。

 ─ 世界にわかりあえる人がいるというのはありがたいことですね。

 横田 ええ。ジャヤワルダナはその後、たびたび来日して日本との交流を深めていました。ただ、何度目かの来日で日本に失望する場面がありました。それは敗戦の頃は健気に働いていた日本人が、いつの間にか経済主義に傾き、日本のよき精神を失いつつあることを憂えたからです。

 それでも、亡くなる前には「右目はスリランカ人に、左目は日本人に」という遺言を残し、実際に左目の角膜は日本人女性に移植されました。

 ─ 京都の霊山護国神社は維新の志士の他、東京裁判で被告全員の無罪を唱えたインドのパール判事も祀っています。やはり精神の通じる国というのはあるのだと。

 横田 やはり報復の連鎖、憎しみの連鎖はよくないということだと思います。法句経の中に「怨み心は怨みを抱くその日までやみがたし。怨みなさによりてのみ怨みは遂に消えるべし」という言葉もあります。今のロシアによるウクライナ侵攻にも通じる話ではないでしょうか。

自らの「根」を見直す時
 ─ こういうことを考えると、日本は自らの精神性で世界で果たせる役割があると。

 横田 日本の仏教の役割はその点にあると思っています。西洋的な考えでは、物事を分けて、比べて評価して強い者が弱い者を征服します。

 仏教哲学者の鈴木大拙は西洋人は山を征服するという考えを持つのに対し、日本人は山は神様のいる場所なので敬うと指摘しています。私は和歌山県熊野で生まれ育ちましたから、その考えを自然に受け止められます。

 ─ 日本には全ての物に神は宿るという意識があり、元々はお寺と神社も一体でしたね。

 横田 そうです。明治以降、国力増強のために一神教を持つ強い国にしたいと考え「神仏分離」が進められたのだと思います。さらには仏教を廃する「廃仏毀釈」まで起きました。

 幸い、円覚寺は大きな被害を受けませんでした。ただ、今の「鶴岡八幡宮」は鶴岡八幡宮寺というお寺でした。五重塔や仏像、お坊さんの住まいなどもありましたが、仏教的なものは全て壊されてしまったのです。西洋から技術を真似るのはいいと思うのですが、日本には日本の良さがあると思うのです。

 ─ 日本の精神風土を今一度見つめ直す時だと思いますが、多くの日本人は、自分の故郷を思い出す時にお寺や神社を思い出すことが多いですね。そうした精神を取り戻す時だと。

 横田 ええ。いいものと、失ってしまった部分もあるのではないかと言いたいですね。コロナ前までは盛んに「グローバル」が叫ばれていました。もちろん、グローバルは大事ですが、コロナが全世界に広まったのも、皮肉にもグローバルだったからでしょう。私は今後、もう一度「ローカル」の見直しが必要なのではないかと思っているんです。

 ─ ローカルをしっかりした上でのグローバルが必要だと。

 横田 どなたかが「グローバル化は根なし草をつくる」とおっしゃっていました。その時の「根」につながるのが地元のお寺、神社、先祖、習俗、風習だと思います。これらが皆つながって根になり、自分を支えてくれるのだという認識が大事だと思います。


よこた・なんれい
1964年和歌山県生まれ。87年筑波大学卒業。在学中に東京・円覚寺派龍雲院小池心叟老師の下で得度し、卒業と同時に京都・建仁寺僧堂で修行。91年鎌倉・円覚寺僧堂で修行、足立大進前管長に師事。99年円覚寺僧堂師家、2010年臨済宗円覚寺派管長、17年12月花園大学総長に就任。

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