まつおか・ひろやす
1966年イタリア・ローマ市生まれ。89年慶應義塾大学法学部卒業。91年米オルブライト大学経営学科、92年7月米ピッツバーグ大学経営大学院を卒業し、10月米国のインターナショナル・クリエイティブ・マネジメント社に入社。94年東宝東和に入社し、98年取締役、2001年常務取締役、08年代表取締役社長、15年代表取締役会長。14年東宝取締役、18年常務取締役、21年取締役常務執行役員などを経て22年5月26日から現職。父方の曽祖父は阪急東宝グループの創業者・小林一三氏。元プロテニスプレーヤーでスポーツリポーターの松岡修造氏の実兄。
会社創立90周年で社長就任
―― 会社創立90年という節目での社長就任となりました。まずは抱負を聞かせてください。
【本土復帰50年】吉本興業が沖縄でソーシャルビジネス
松岡 当社は創業者の小林一三が興し、紆余曲折を経て今に至ります。結果として当社は現在大変良いポジションにいるのではないかなと思います。経営を率いてきた島谷能成会長(前社長)を中心に、全社員が一生懸命やって東宝はこのポジションにいます。これを絶対忘れないようにしたいと思っています。
その意味では、私の仕事は次の世代に良い形でバトンタッチをすることです。私はそのためのチームリーダーなので、目の前のことだけではなく、先々のことを考えながら仕事をしていきたいと。社長就任に当たり、自分なりに考え、自分の役割とはそういうものだと思いました。
―― 紆余曲折という点では、1946年から48年にかけて発生した労働争議もありました。
松岡 ええ。「東宝争議」とも言われました。他にも映画業界の斜陽化に伴い、製作機能を分離したりしました。決して最初からナンバーワンの会社だったわけではありません。諸先輩方が徐々に徐々に、いろいろなことを積み重ねて今の地位になったということです。
―― そういった歴史を踏まえて、2025年までの3年で1100億円程度の投資を実施することを表明しましたね。
松岡 はい。当社は今年4月に発表した「中期経営計画2025」と32年の創立100周年に向けた「長期ビジョン2032」からなる「TOHO VISION 2032 東宝グループ 経営戦略」を策定しています。
この経営戦略を策定する際、議論したのが10年先の会社創立100周年のときに東宝はどういう会社でありたいかということでした。将来からバックキャストで考えると、いまやらなければならないことがあるはずだと。そう考えたときに、この3年間は10年後のことを考えて積極的に投資をしていこうということになったのです。
1100億円というのは成長投資の金額で、最低でもこれぐらいを使って成長するための土台を作ろうというのが基本です。使い切らなければいけないわけでもないし、もっといいものがあったら額を超えるかもしれません。そして我々があまり得意としていなかったM&Aについても別枠で考えようということで議論しています。
―― 社会との関係で言えば、東宝はどんな価値を提供する会社だと言えますか。
松岡 東宝は人々に夢や希望というものを、娯楽を通じてご提供する会社だと思っています。これは100年後も変えなくていいだろうと。これこそ我々のパーパスだと思っています。
小林一三の創業の理念である「健全な娯楽を広く大衆に提供すること」は我々の使命でもあります。ただそれを現代風の考え方などを織り交ぜていきながら、世界の皆様にご提供するべきではないかと思っています。
その新しい時代のテーマは「Entertainment for YOU 世界中のお客様に 感動を」です。この「YOU」とはまさに当時の大衆であり、今の顧客です。当初は「YOU」ではなく「EVERYONE」という言葉を使おうという声もあったのですが、「YOU」は二人称単数でもあり、複数でもあると。これからは多様性の時代だから、一人ひとりに呼びかけつつ、全員にも訴える。この両方を横断しているYOUを使おうとなりました。
「第4の柱」の事業の育成
―― 創業者の理念を踏襲しつつ、新たな挑戦もしますね。東宝は演劇、映画、不動産に続く「第4の柱」の事業の育成も進めているということですが。
松岡 はい。「アニメ」を第4の柱にしたいと考えています。実は当社のアニメ配給事業は数十年の歴史があります。『ドラえもん』から始まり、『名探偵コナン』『クレヨンしんちゃん』、そして『ポケットモンスター』もある。それこそ宮崎駿監督や細田守監督、新海誠監督などの作品もあります。
当社は素晴らしいアニメをずっと扱わせていただいています。アニメはこの数年、商売のレベルが上がっているのは確実だと思います。全世界で配信市場が非常に成長して行く中で、アニメというジャンルが確実に広がり、ファン層も広く厚くなっています。そこに当社はここ10年定期的に自社幹事作品を送り込んできたのです。
まさにいま、アニメは成長軌道に乗っているジャンルだと思います。島谷が10年前に「TOHO animation」というレーベルを作り、最初は苦労しながらも、結果として今はそれが花開いている状況です。日本だけでなく、海外でも展開できていますし、グッズの販売やゲーム展開もできるようになっています。
―― アニメが事業の幅を広げているのですね。
松岡 その通りです。アニメから派生して演劇もできるようになっています。映画という事業セクションで言うと、映画館もあり、映画の配給もあり、映画を製作する部門が東宝にはあります。これまではそれを一括りでやってきました。その中にアニメも含まれていたわけです。
ただ、いま申し上げたようにアニメは事業に幅があります。1つのシリーズが何年間もずっと継続して収入を上げるわけですから、回収に対する考え方や利益の出し方、それこそどうやってそのシリーズを成長させるかという部分に対する投資の仕方もちょっと違います。
ここにきて、そういった違いが如実に表れてきたので、映画とアニメを分けた方が戦略も立てやすいだろうと。そして投資家やメディア、消費者の皆様からも分かりやすい構造になるのではないかと考え、アニメを4本目の柱にしました。映画部門という柱を2つに分割したという感じだと思っています。
実写化やグッズ販売など事業の幅が広がるアニメ
─ それほどアニメが大きな存在になっているのですね。『ゴジラ』も原動力として東宝を引っ張っている存在ですね。
松岡 ええ。『ゴジラ』シリーズは「もっとも長く継続しているフランチャイズ映画」というカテゴリーでギネス世界記録に認定されました。『ゴジラ』はほとんどの国で通用する、日本でも稀有な存在です。
おそらく過去も東宝の社員が「うちはゴジラの会社だよ」と言えば世界でも通用しただろうし、今も東宝とはどんな会社ですか? と聞かれたら「ゴジラの会社です」と言うと「あぁ! あのゴジラの? 」と言われます。ゴジラは我々の看板なのです。
─ 日本のアニメに対する評価は世界でも高いということですね。
松岡 そうですね。私たちにとって大きな財産です。だから私は日本のエンタテインメント界はもっと外をみなければならないと思います。たとえば、『劇場版 呪術廻戦 0』は日本での興行収入が約138億円、世界の興行収入は約116億円です(7月13日現在、中国未公開)。
日本でこれだけ大ヒットした映画が海外でもヒットしているという事例は、1999年の『劇場版 ポケットモンスター ミューツーの逆襲』以来はじめてですね。日本と海外ではチケット代が違うので興行収入を比較しただけではわかりにくいですが、日本と海外の観客動員数で言うと、海外の方がたくさん見ていらっしゃる。
こうしたアニメでの成功を切り口に、次は実写製作の成功確率を上げていきたい。日本のIP(知的財産)の可能性は素晴らしいと思います。アニメーションで広げた世界中の注目を、日本の実写にも向けてもらいたいのです。
小林一三の精神とは?
─ 今後に期待が持てますね。さて、改めて松岡さんの曽祖父でもある創業者・小林一三の精神をどう解釈していますか。
松岡 お会いしたことがないので本でしか読んだことがないのですが(笑)、小林一三は阪急電鉄をはじめ、阪急百貨店や宝塚歌劇団、そして東宝を興しました。共通していることは、やはり大衆に対しての視点、顧客の方たちにどうサービスを提供できるのかを非常に合理的に考えられたのではないかと思うのです。
ですから、我々もその気持ちを忘れずにいれば、常に顧客のことを考えているから作品をヒットに近づけられるのでしょうし、できるだけ多くの方に観ていただくために、映画館の設備や場所なども最適に考えていけるのだと思うのです。おそらく小林一三も90年前に1人で考えて実行したのでしょうね。
最初にこれらの様々な事業を始めたとき、小林一三は阪急沿線をいかに素晴らしいエリアにして、いかに沿線沿いの方たちの日々をサポートして幸せになっていただくかを考えていたのではないかと思うのです。東宝はそのための1つのピースだったのではないかなと。
─ 全ての事業が共通している要素ですね。
松岡 はい。たまたま我々は映画業界ということになりますから、全国に映画館などを展開することができました。ただ、気持ちとしては大衆の皆様に健全な娯楽を提供して幸せになっていただくという理念を忘れてはいけませんし、それを最初に提唱した小林一三が非常に理念の高い素晴らしい人だったと。
─ このときから顧客志向を持っていたと言えますね。話はかわって松岡さんは米国留学もしていますが、このときの経験で良かったことはどんなことですか。
松岡 私は大学卒業後、米国留学をし、1989年にペンシルベニア州のオルブライト大学で学び、大学院に進学しました。大学院卒業後、ICMという会社で研修員を経験したのです。メールボーイや電話番が主な仕事でした。米国には通算で5年ほどいました。
もし日本にずっといたとすると、おそらく私は非常に凝り固まった思想で狭い視野の人間だったのではないかなと思います。米国での生活を過ごしたことで、全く違う考え方の人や全く違うやり方があるということを知りました。そのことは私に一番大きな影響を与えたと思います。
その後、私は「東宝東和」という会社に入って外国映画の輸入配給を担当したのですが、今までと違うやり方で作品を獲得していこうと模索し、最終的には「ユニバーサル・ピクチャーズ」と「パラマウント・ピクチャーズ」という海外の大手映画会社の作品をお預かりする立場になるまでに漕ぎつけました。
その過程では山ほど失敗もしましたけれども、いろいろなチャレンジをさせてもらうことができたという点では、そういう場を提供してくれた東宝グループに感謝しているところです。
1966年イタリア・ローマ市生まれ。89年慶應義塾大学法学部卒業。91年米オルブライト大学経営学科、92年7月米ピッツバーグ大学経営大学院を卒業し、10月米国のインターナショナル・クリエイティブ・マネジメント社に入社。94年東宝東和に入社し、98年取締役、2001年常務取締役、08年代表取締役社長、15年代表取締役会長。14年東宝取締役、18年常務取締役、21年取締役常務執行役員などを経て22年5月26日から現職。父方の曽祖父は阪急東宝グループの創業者・小林一三氏。元プロテニスプレーヤーでスポーツリポーターの松岡修造氏の実兄。
会社創立90周年で社長就任
―― 会社創立90年という節目での社長就任となりました。まずは抱負を聞かせてください。
【本土復帰50年】吉本興業が沖縄でソーシャルビジネス
松岡 当社は創業者の小林一三が興し、紆余曲折を経て今に至ります。結果として当社は現在大変良いポジションにいるのではないかなと思います。経営を率いてきた島谷能成会長(前社長)を中心に、全社員が一生懸命やって東宝はこのポジションにいます。これを絶対忘れないようにしたいと思っています。
その意味では、私の仕事は次の世代に良い形でバトンタッチをすることです。私はそのためのチームリーダーなので、目の前のことだけではなく、先々のことを考えながら仕事をしていきたいと。社長就任に当たり、自分なりに考え、自分の役割とはそういうものだと思いました。
―― 紆余曲折という点では、1946年から48年にかけて発生した労働争議もありました。
松岡 ええ。「東宝争議」とも言われました。他にも映画業界の斜陽化に伴い、製作機能を分離したりしました。決して最初からナンバーワンの会社だったわけではありません。諸先輩方が徐々に徐々に、いろいろなことを積み重ねて今の地位になったということです。
―― そういった歴史を踏まえて、2025年までの3年で1100億円程度の投資を実施することを表明しましたね。
松岡 はい。当社は今年4月に発表した「中期経営計画2025」と32年の創立100周年に向けた「長期ビジョン2032」からなる「TOHO VISION 2032 東宝グループ 経営戦略」を策定しています。
この経営戦略を策定する際、議論したのが10年先の会社創立100周年のときに東宝はどういう会社でありたいかということでした。将来からバックキャストで考えると、いまやらなければならないことがあるはずだと。そう考えたときに、この3年間は10年後のことを考えて積極的に投資をしていこうということになったのです。
1100億円というのは成長投資の金額で、最低でもこれぐらいを使って成長するための土台を作ろうというのが基本です。使い切らなければいけないわけでもないし、もっといいものがあったら額を超えるかもしれません。そして我々があまり得意としていなかったM&Aについても別枠で考えようということで議論しています。
―― 社会との関係で言えば、東宝はどんな価値を提供する会社だと言えますか。
松岡 東宝は人々に夢や希望というものを、娯楽を通じてご提供する会社だと思っています。これは100年後も変えなくていいだろうと。これこそ我々のパーパスだと思っています。
小林一三の創業の理念である「健全な娯楽を広く大衆に提供すること」は我々の使命でもあります。ただそれを現代風の考え方などを織り交ぜていきながら、世界の皆様にご提供するべきではないかと思っています。
その新しい時代のテーマは「Entertainment for YOU 世界中のお客様に 感動を」です。この「YOU」とはまさに当時の大衆であり、今の顧客です。当初は「YOU」ではなく「EVERYONE」という言葉を使おうという声もあったのですが、「YOU」は二人称単数でもあり、複数でもあると。これからは多様性の時代だから、一人ひとりに呼びかけつつ、全員にも訴える。この両方を横断しているYOUを使おうとなりました。
「第4の柱」の事業の育成
―― 創業者の理念を踏襲しつつ、新たな挑戦もしますね。東宝は演劇、映画、不動産に続く「第4の柱」の事業の育成も進めているということですが。
松岡 はい。「アニメ」を第4の柱にしたいと考えています。実は当社のアニメ配給事業は数十年の歴史があります。『ドラえもん』から始まり、『名探偵コナン』『クレヨンしんちゃん』、そして『ポケットモンスター』もある。それこそ宮崎駿監督や細田守監督、新海誠監督などの作品もあります。
当社は素晴らしいアニメをずっと扱わせていただいています。アニメはこの数年、商売のレベルが上がっているのは確実だと思います。全世界で配信市場が非常に成長して行く中で、アニメというジャンルが確実に広がり、ファン層も広く厚くなっています。そこに当社はここ10年定期的に自社幹事作品を送り込んできたのです。
まさにいま、アニメは成長軌道に乗っているジャンルだと思います。島谷が10年前に「TOHO animation」というレーベルを作り、最初は苦労しながらも、結果として今はそれが花開いている状況です。日本だけでなく、海外でも展開できていますし、グッズの販売やゲーム展開もできるようになっています。
―― アニメが事業の幅を広げているのですね。
松岡 その通りです。アニメから派生して演劇もできるようになっています。映画という事業セクションで言うと、映画館もあり、映画の配給もあり、映画を製作する部門が東宝にはあります。これまではそれを一括りでやってきました。その中にアニメも含まれていたわけです。
ただ、いま申し上げたようにアニメは事業に幅があります。1つのシリーズが何年間もずっと継続して収入を上げるわけですから、回収に対する考え方や利益の出し方、それこそどうやってそのシリーズを成長させるかという部分に対する投資の仕方もちょっと違います。
ここにきて、そういった違いが如実に表れてきたので、映画とアニメを分けた方が戦略も立てやすいだろうと。そして投資家やメディア、消費者の皆様からも分かりやすい構造になるのではないかと考え、アニメを4本目の柱にしました。映画部門という柱を2つに分割したという感じだと思っています。
実写化やグッズ販売など事業の幅が広がるアニメ
─ それほどアニメが大きな存在になっているのですね。『ゴジラ』も原動力として東宝を引っ張っている存在ですね。
松岡 ええ。『ゴジラ』シリーズは「もっとも長く継続しているフランチャイズ映画」というカテゴリーでギネス世界記録に認定されました。『ゴジラ』はほとんどの国で通用する、日本でも稀有な存在です。
おそらく過去も東宝の社員が「うちはゴジラの会社だよ」と言えば世界でも通用しただろうし、今も東宝とはどんな会社ですか? と聞かれたら「ゴジラの会社です」と言うと「あぁ! あのゴジラの? 」と言われます。ゴジラは我々の看板なのです。
─ 日本のアニメに対する評価は世界でも高いということですね。
松岡 そうですね。私たちにとって大きな財産です。だから私は日本のエンタテインメント界はもっと外をみなければならないと思います。たとえば、『劇場版 呪術廻戦 0』は日本での興行収入が約138億円、世界の興行収入は約116億円です(7月13日現在、中国未公開)。
日本でこれだけ大ヒットした映画が海外でもヒットしているという事例は、1999年の『劇場版 ポケットモンスター ミューツーの逆襲』以来はじめてですね。日本と海外ではチケット代が違うので興行収入を比較しただけではわかりにくいですが、日本と海外の観客動員数で言うと、海外の方がたくさん見ていらっしゃる。
こうしたアニメでの成功を切り口に、次は実写製作の成功確率を上げていきたい。日本のIP(知的財産)の可能性は素晴らしいと思います。アニメーションで広げた世界中の注目を、日本の実写にも向けてもらいたいのです。
小林一三の精神とは?
─ 今後に期待が持てますね。さて、改めて松岡さんの曽祖父でもある創業者・小林一三の精神をどう解釈していますか。
松岡 お会いしたことがないので本でしか読んだことがないのですが(笑)、小林一三は阪急電鉄をはじめ、阪急百貨店や宝塚歌劇団、そして東宝を興しました。共通していることは、やはり大衆に対しての視点、顧客の方たちにどうサービスを提供できるのかを非常に合理的に考えられたのではないかと思うのです。
ですから、我々もその気持ちを忘れずにいれば、常に顧客のことを考えているから作品をヒットに近づけられるのでしょうし、できるだけ多くの方に観ていただくために、映画館の設備や場所なども最適に考えていけるのだと思うのです。おそらく小林一三も90年前に1人で考えて実行したのでしょうね。
最初にこれらの様々な事業を始めたとき、小林一三は阪急沿線をいかに素晴らしいエリアにして、いかに沿線沿いの方たちの日々をサポートして幸せになっていただくかを考えていたのではないかと思うのです。東宝はそのための1つのピースだったのではないかなと。
─ 全ての事業が共通している要素ですね。
松岡 はい。たまたま我々は映画業界ということになりますから、全国に映画館などを展開することができました。ただ、気持ちとしては大衆の皆様に健全な娯楽を提供して幸せになっていただくという理念を忘れてはいけませんし、それを最初に提唱した小林一三が非常に理念の高い素晴らしい人だったと。
─ このときから顧客志向を持っていたと言えますね。話はかわって松岡さんは米国留学もしていますが、このときの経験で良かったことはどんなことですか。
松岡 私は大学卒業後、米国留学をし、1989年にペンシルベニア州のオルブライト大学で学び、大学院に進学しました。大学院卒業後、ICMという会社で研修員を経験したのです。メールボーイや電話番が主な仕事でした。米国には通算で5年ほどいました。
もし日本にずっといたとすると、おそらく私は非常に凝り固まった思想で狭い視野の人間だったのではないかなと思います。米国での生活を過ごしたことで、全く違う考え方の人や全く違うやり方があるということを知りました。そのことは私に一番大きな影響を与えたと思います。
その後、私は「東宝東和」という会社に入って外国映画の輸入配給を担当したのですが、今までと違うやり方で作品を獲得していこうと模索し、最終的には「ユニバーサル・ピクチャーズ」と「パラマウント・ピクチャーズ」という海外の大手映画会社の作品をお預かりする立場になるまでに漕ぎつけました。
その過程では山ほど失敗もしましたけれども、いろいろなチャレンジをさせてもらうことができたという点では、そういう場を提供してくれた東宝グループに感謝しているところです。