社会の安定のため本質論議を!
「日本はアルゼンチン化している」─。オリックスシニア・チェアマン、宮内義彦氏はこう日本の現状を憂う。アルゼンチンは農業大国でもあり、戦前は豊かな国として知られたが、第2次世界大戦の終了(1945)から70余年間、経済が低迷。
【あわせて読みたい】【『財界』創刊70周年】「道を拓く」経済リーダーと共に
日本も1990年代初め、バブル経済が崩壊して以降、経済が低迷。「これではいけない」と宮内氏は啓発する。「ぬるま湯状況を一つひとつ打破していかないといけない。社会に活力を取り戻すにはどうしたらいいのかという問題意識。その意味では日本にはたくさん課題がある」と宮内氏。
では、どうするか?
今、『新しい資本主義』論が盛んである。宮内氏は「資本主義は生産の部分について、競争と市場の選択というメカニズムが組み込まれています。競争して、優れたものが選ばれるという市場経済は、経済的価値をつくるシステムとしては、これに優るものはありません」と語り、問題なのは「分配の問題」と強調。氏はもっと分配を底辺に持っていくべきとして、ベーシックインカム策に賛成する。
低所得者層に一定程度の所得を分配する政策については論が分かれる。
働かなくなる人も出るのではないかという反対意見もあるが、「博打に走ったりするわけではなく、学校に行けなかった子供を行かせることができるようになったというプラスの効果が報告されている」とプラス効果を見るべきだと氏は語る。
ともあれ、社会の安定のために、もっと本質論議を徹底し、政策を決めるべきだという宮内氏の考え。
企業の使命とは?
企業の使命は、社会で富を生み出す、その一点にあると宮内氏は強調。その観点からガバナンス(企業統治)を進めるべきと訴える。
宮内氏は1935年(昭和10年)生まれ。1964年、当時日本で勃興したリース業のオリエント・リースの創業に参加し、45歳で社長に就任。リース以外に生命保険、銀行など事業の枠を広げ、海外展開を含めて新機軸を打ち出していった。
「その時はベンチャービジネス。この会社が潰れてしまうかもしれないと思いながら走り出した」と述懐。
とにかく生き抜く。生きていった次には「今度は何とか伸ばしていきたい」と上場会社にし、海外に進出するなど、目標を一段ずつ高めていった。
途中、バブル崩壊やリーマンショック(2008)で同業が経営破綻するという例も出た。なぜ、オリックスは生き抜いたのか?「親会社の存在がなかったから、誰も助けてくれない。だから、いろいろな意味でマネジメントがしっかりしたのだと思う」と宮内氏は振り返る。
同社は当初、三和銀行(現三菱UFJ銀行)、日綿實業(現双日)などが出資したが、当時の社長、乾恒雄氏は独立路線を貫き、自立・自助の経営に徹した。若き宮内氏もその薫陶を受け、自分の足で立つという企業の本質を貫いたということ。
宮内氏は政府の規制改革の作業にも長くかかわってきた。とかく同調圧力が強いとされる日本社会にあって「自分で考えて行動していくことが大事」と語り、「私はしょっちゅう同調圧力に負けていますが(笑)、若い時から広い世界を見せてもらったことはありがたいと思っています」と述懐。
先の大戦の終戦時には10歳。「私達の世代は、戦争に負けた時、世の中がひっくり返ったのを覚えています。大体、権威者の言うことは、ほとんど疑い深い目で『ホントか? 』という感じで見てきた(笑)」とユーモアを交えて語る。
自分の目で物事を確認し、自分の頭で判断することが大事。
ともあれ、失われた30年からの再生は、誰からの責任というのではなく「国民1人ひとりがそういう意識を持つことが大事だと思う」という宮内氏だ。
医療界も改革の時!
コロナ禍に見舞われて2年半以上が経つ。今、第7波が進行中で、気の抜けない状況が続く。現場の医療界からも「日本の医療のあり方を見つめ直す時」という声が高まる。「日本に家庭医を! 」と提言するのは、河北医療財団理事長の河北博文氏(1950年生まれ)である。
河北氏は医療の原点に立って、これからの医療のあり方を提言、また自らの河北医療財団で新しい地域医療を実践するなどして知られる存在。現在、公益財団法人日本医療機能評価機構代表理事・理事長も務める。
その河北氏は「日本は、人々の生活に寄り添う医療を仕組みとしてつくるべき」と訴える。
その骨子は「プライマリ・ケア」の仕組みをつくり直すというところにある。日本には「かかりつけ医」があるが、これは極めて曖昧な概念。もっと人々の生活に寄り添う「家庭医」の存在が必要という考え。
例えば、すでに家庭医制を敷くのは英国。6000万人の人口で全国を150の地域に分け、40万人の人口を1つの地域単位とする。1地域で大体40カ所設置だから、人口1万人を1カ所の診療所で担当。「5、6人の医師に6、7人の看護師、事務が4、5人、さらにはセラピストが何人かいて、大体30~40人の単位」と河北氏。
家庭医を設けるためには現状の自由開業医制を変革、医療資源の適正な分配が必要になる。
河北氏は生活に寄り添うために『受容』、『傾聴』、『共感』の3つが医療側に必要と強調。心を共にして患者に寄り添う─と提言。これは、医療界のみならず、受診する側の国民にとっても新たな視点を開かせてくれる考えだ。
『道を拓く』人達の変革の動機とは─。
「日本はアルゼンチン化している」─。オリックスシニア・チェアマン、宮内義彦氏はこう日本の現状を憂う。アルゼンチンは農業大国でもあり、戦前は豊かな国として知られたが、第2次世界大戦の終了(1945)から70余年間、経済が低迷。
【あわせて読みたい】【『財界』創刊70周年】「道を拓く」経済リーダーと共に
日本も1990年代初め、バブル経済が崩壊して以降、経済が低迷。「これではいけない」と宮内氏は啓発する。「ぬるま湯状況を一つひとつ打破していかないといけない。社会に活力を取り戻すにはどうしたらいいのかという問題意識。その意味では日本にはたくさん課題がある」と宮内氏。
では、どうするか?
今、『新しい資本主義』論が盛んである。宮内氏は「資本主義は生産の部分について、競争と市場の選択というメカニズムが組み込まれています。競争して、優れたものが選ばれるという市場経済は、経済的価値をつくるシステムとしては、これに優るものはありません」と語り、問題なのは「分配の問題」と強調。氏はもっと分配を底辺に持っていくべきとして、ベーシックインカム策に賛成する。
低所得者層に一定程度の所得を分配する政策については論が分かれる。
働かなくなる人も出るのではないかという反対意見もあるが、「博打に走ったりするわけではなく、学校に行けなかった子供を行かせることができるようになったというプラスの効果が報告されている」とプラス効果を見るべきだと氏は語る。
ともあれ、社会の安定のために、もっと本質論議を徹底し、政策を決めるべきだという宮内氏の考え。
企業の使命とは?
企業の使命は、社会で富を生み出す、その一点にあると宮内氏は強調。その観点からガバナンス(企業統治)を進めるべきと訴える。
宮内氏は1935年(昭和10年)生まれ。1964年、当時日本で勃興したリース業のオリエント・リースの創業に参加し、45歳で社長に就任。リース以外に生命保険、銀行など事業の枠を広げ、海外展開を含めて新機軸を打ち出していった。
「その時はベンチャービジネス。この会社が潰れてしまうかもしれないと思いながら走り出した」と述懐。
とにかく生き抜く。生きていった次には「今度は何とか伸ばしていきたい」と上場会社にし、海外に進出するなど、目標を一段ずつ高めていった。
途中、バブル崩壊やリーマンショック(2008)で同業が経営破綻するという例も出た。なぜ、オリックスは生き抜いたのか?「親会社の存在がなかったから、誰も助けてくれない。だから、いろいろな意味でマネジメントがしっかりしたのだと思う」と宮内氏は振り返る。
同社は当初、三和銀行(現三菱UFJ銀行)、日綿實業(現双日)などが出資したが、当時の社長、乾恒雄氏は独立路線を貫き、自立・自助の経営に徹した。若き宮内氏もその薫陶を受け、自分の足で立つという企業の本質を貫いたということ。
宮内氏は政府の規制改革の作業にも長くかかわってきた。とかく同調圧力が強いとされる日本社会にあって「自分で考えて行動していくことが大事」と語り、「私はしょっちゅう同調圧力に負けていますが(笑)、若い時から広い世界を見せてもらったことはありがたいと思っています」と述懐。
先の大戦の終戦時には10歳。「私達の世代は、戦争に負けた時、世の中がひっくり返ったのを覚えています。大体、権威者の言うことは、ほとんど疑い深い目で『ホントか? 』という感じで見てきた(笑)」とユーモアを交えて語る。
自分の目で物事を確認し、自分の頭で判断することが大事。
ともあれ、失われた30年からの再生は、誰からの責任というのではなく「国民1人ひとりがそういう意識を持つことが大事だと思う」という宮内氏だ。
医療界も改革の時!
コロナ禍に見舞われて2年半以上が経つ。今、第7波が進行中で、気の抜けない状況が続く。現場の医療界からも「日本の医療のあり方を見つめ直す時」という声が高まる。「日本に家庭医を! 」と提言するのは、河北医療財団理事長の河北博文氏(1950年生まれ)である。
河北氏は医療の原点に立って、これからの医療のあり方を提言、また自らの河北医療財団で新しい地域医療を実践するなどして知られる存在。現在、公益財団法人日本医療機能評価機構代表理事・理事長も務める。
その河北氏は「日本は、人々の生活に寄り添う医療を仕組みとしてつくるべき」と訴える。
その骨子は「プライマリ・ケア」の仕組みをつくり直すというところにある。日本には「かかりつけ医」があるが、これは極めて曖昧な概念。もっと人々の生活に寄り添う「家庭医」の存在が必要という考え。
例えば、すでに家庭医制を敷くのは英国。6000万人の人口で全国を150の地域に分け、40万人の人口を1つの地域単位とする。1地域で大体40カ所設置だから、人口1万人を1カ所の診療所で担当。「5、6人の医師に6、7人の看護師、事務が4、5人、さらにはセラピストが何人かいて、大体30~40人の単位」と河北氏。
家庭医を設けるためには現状の自由開業医制を変革、医療資源の適正な分配が必要になる。
河北氏は生活に寄り添うために『受容』、『傾聴』、『共感』の3つが医療側に必要と強調。心を共にして患者に寄り添う─と提言。これは、医療界のみならず、受診する側の国民にとっても新たな視点を開かせてくれる考えだ。
『道を拓く』人達の変革の動機とは─。