にしはら・はるお
1928年3月東京生まれ。49年早稲田大学第一法学部卒業、56年同大学院法学研究科修士・博士課程修了、62年法学博士、67年早稲田大学教授、72年法学部長、82年総長に就任。88年全私学連合代表、98年国士館理事長などを経て、2005年アジア平和貢献センター理事長。07年瑞宝大綬章。
89回にわたる中国への訪問
─ 今年は日中国交正常化50年の節目を迎えます。足元では米中対立や台湾有事など懸念事項も多くありますが、日本は中国との共存をどう進めていくべきだと考えますか。
元防衛大臣・森本敏 ウクライナ戦争が極東に波及する要因(その3)
西原 中国といかに接していくかは、私の生涯にわたる大きなテーマの1つです。私は1982年6月から中国に通い始め、コロナが始まる2019年まで89回、中国を訪問しています。さらに、1988年から「日中刑事法学術交流」を始め、2年に1回ずつシンポジウムを開いてきました。このシンポジウムは35年間、17回を数えます。
なぜ日中刑事法学術交流を始めたかというと、中国に法治主義を徹底すべきだという思いがあったからです。1978年から鄧小平による改革開放が訴えられましたが、実態は浸透していませんでした。法治主義など誰も知らなかったのです。そこでまずは刑法の分野から広げていこうと思ったのが最初です。
─ 法治主義の浸透を命題に掲げたわけですね。
西原 ええ。当時の中国では新しい刑法が制定されてから10年も経っていませんでした。しかし刑法ではどこの国でも窃盗は悪い、殺人は悪いというように共通の価値観が多くあります。だから政治体制に違いはあっても、刑事法の共同研究ならできるのではないかと提案したのです。それで実現したのが88年に上海で行われた「(第1回)日中刑事法学術討論会」でした。
─ 反応はどうでしたか。
西原 ものすごく評判が良かったのです。報告者のほか、裁判官や検察官、弁護士、刑務所の職員など傍聴者もそうでした。その結果、何と35年間で17回と続いてきたのです。今はコロナで中断していますが、コロナが終息すれば開催する大学も決まっています。
─ 西原さんが総長を務めた早稲田大学は中国留学生を多く受け入れていますが、今の中国での法治主義は定着していると言っていいですか。
西原 少なくとも刑事法の理論の上では非常にレベルが高くなりました。ドイツや日本と同等なくらい発達しています。ですから、中国人の学者とも対等な議論ができます。そこでこれを国際法などの分野にも拡大させていこうということで、18年と19年に「日中国際法学者シンポジウム」を行ないました。
相手の立場に配慮
─ どこで行なったのですか。
西原 上海で2回、東京で1回です。3回とも大議論となりましたが、夜の懇親会では和気藹々とした和やかな雰囲気で日本人と中国人との親睦を深めることができました。これができたのも日中刑事法学術交流を通じて培った信頼感があったからだと思います。
中国人の中には日本人に反感を持つ人もたくさんいますが、中国人から信頼感を得ていれば、それは日本人であっても全く関係ありません。
─ それだけ西原さんが中国人との交流を深めてきたと。
西原 例えば私が90歳の誕生日を迎えた4年前、日中刑事法学術交流30周年の記念シンポジウムが上海でありました。このとき中国の学者25人が660頁に及ぶ北京大学出版社の大論文集を献呈してくれたのです。少なくとも法律界では初のことで、日中の人物交流全体の中でも稀有なことだと思います。
─ なぜそういった関係を構築することができたのですか。
西原 おそらく私が常に「中国の立場に立つ」という方針を堅持したからだと思います。欧米や日本のような民主主義国は自分たちの価値観が普遍的だと信じています。ですから、他国も本来は同じようであるべきだと思う傾向にあります。しかし、それぞれの国には歴史や民族性、置かれた国際環境の特殊性があります。民主主義が採れない国も当然あるのです。
国の個々の行動についても同じです。その場合、民主主義国の人々が自分たちの価値観の視点だけから他国人の行動を批判したら、それは相手からは受け入れられず、むしろ反発を招くことになりかねません。逆効果です。ですから私はいつも中国の価値観体系の根本に立って、中国人が気付いていない観点から問題解決の理論を探るよう実践しています。これが長年友好関係を保てた理由です。
─ 対等かつ自由に対話する関係と言えますね。
西原 はい。実は昨年の10月、中国の北京人民大会堂で「学術中国」という国際フォーラムが開かれたのですが、そこには6人の外国籍の学者が招かれ、日本からは私が選ばれました。コロナ禍でしたので現地での参加は叶わず、録画した講演を送ったのですが驚きました。
最初は法律分科会の中の講演を予定していたようですが、送られた動画と原稿を見て開幕式での基調講演に回されたのです。そして、フォーラムの事務局によれば、開幕式に参列した中国共産党中央政治局委員の大物が私の講演を「非常に興味深い」と評価し、とても関心を持ったそうです。
変わり得る力を持っている中国
─ 講演の主旨はどのようなものだったのですか。
西原 一言で言えば、「超克」という考え方です。
1つ次元を高め、対立しているものの上に共通のものをつくり出す考えです。そもそも対立はそう簡単に解決できるものではありません。歴史や感情が入ってくると、対立の解消は絶望的になります。しかし、対立をそのまま放っておけば戦争の恐れもある。できれば共通の利益を見つけ出すと対立の解決はできないが、超克はできるという考え方です。
判り易く言えば、国際社会が力をあわせて中国を「けしからん」と批判(対立)するのも必要な道でしょうが、他面、中国が反発し、これを無視する傾向になる(対立)のも否定できません。つまり対立は解消せず、むしろせり上がっていきます。
だからそうではなく、むしろ「あなたの国は良くなる方向に変わり得る力を持っている国ですよ。そうあって欲しいと願っています」と指摘する(超克)。こう聞けば相手は悪い気持ちにはなりません。
ただ、そういう国にさせることは政府にはできませんが、民間人ならできるのです。先ほども申し上げたように信頼を得ている人からは何を言っても中国人は耳を傾けてくれます。
─ 相手を一方的に批判するだけでなく対話をすると。
西原 ええ。「中国には理想社会をつくる力量がある。そういう力を持っているのだから、是非それを実現して欲しいと祈願している」と訴えたのです。
その際、中国の社会主義現代化への道を考える場合に「AI(人工知能)が人間の能力を超えるほどに発達したとき、人類の経済政治機構がどう変わるか」という視点を持ったら良いと提言しました。
例えば、日本や欧米が「選挙制度に基づく議会制民主主義」を採用しているのは、民意を正確に政治に反映させるためには選挙によるしかないと考えたからでした。人知に限界があった当時は必要不可欠でした。
そう考えると、AIが発達するにつれて民意を「選挙以上に」正確に把握できるようになれば、ただでさえ欠陥を含んでいる議会制民主主義はなくならないけれども弱体化していくのではないでしょうか。
逆に最近「民主主義と専制主義の対立」という言葉が国際社会でも使われていますが、AIが発達するにつれて、政治体制は一見昔のような専制主義と同じように見えるけれども、本質は全く異なってきます。今のような民主主義よりも、国民の声が統治に反映されやすい方向に変わっていくのです。
AI時代の到来で変わる構造
─ 一概に民主主義か専制主義かという対立構造で状況を見極め切れない時代になったと。
西原 そうです。経済機構もこれまでは個々の企業が自由に活動した方が経済の効率が良かったのですが、そこからは貧富の格差の拡大や大気汚染など自然破壊を助長するといった弊害が生まれました。
国による総合的かつ体系的な運営がAIによって完璧にできるようになると、その弊害も見事に解決することができるようになります。
─ そういったことを中国側に提言したのですね。
西原 そうです。世界の中で来るべきAI時代の経済政治機構に少なくとも形の上で一番近い機構を持っているのが中国であると。中国は社会主義の現代化を進め、その延長線上でマルクスやエンゲルスが夢見て果たせなかった社会の樹立を目指していると思うのですが、実は彼らの時代には人知が及ばなかったために、それは実現できないことだったのです。
しかし今はそれができるようになる有利さを中国は歴史上初めて手に入れていると伝えました。こんな見方は中国人誰もが持っていなかったようですね。
─ まさに中国自身が国として変わることができるのではないかという指摘ですね。
西原 はい。私はAIの発達は人類絶滅の危険をはらんでいるけれども、人類が全力を挙げてこれを克服した場合、人類史上、初めて理想社会の実現の条件が与えられると考えています。
習近平国家主席は現代化の先の(マルクスが当時描いた共産主義とかなり違う)「理想社会」の実現までを既に視野に入れていると私は見ていますが、AIの発達との関連を考慮に入れると、その筋道はもっとはっきりしてくる、その指摘に党の大物は驚き、注目したのでした。
社会主義は変化する
─ これは中国の要人たちにも響くかもしれませんね。
西原 そう思います。実はこの講演の後、中国で最も権威のある雑誌を出版している出版社から「あの講演はveryIlluminating(啓蒙的)だったので、是非あの講演を基礎にしたもっと詳細な論文を書いて欲しい」という要請がありました。党とも関係の深い雑誌社ですから、党の要請だったのかもしれません。
─ 大変なことですね。
西原 それを前提にして考えてみてください。中国のあるべき発展に貢献すると考えれば、あの中国も日本人であることなど全く意に介せずに、真剣に耳を傾けるのです。外からの批判より遙かに有効だと思いませんか。
現に私は論文の中で中国が目指す「理想社会」では国内的には少数民族を含む「人民」の幸せがますます強く追求されるだろうし、国際的には覇権や武力行使をしない方向になるはずだとはっきり示唆しています。自らがそう思うようになること。これが一番肝腎だと思うのです。
いずれにせよ、社会主義というのは元来変化することを前提にした政体です。ここが自らの価値観を普遍的と考える民主主義国と違うところなのです。変化する政体であるということを前提に考えなければ、中国の将来を読み誤ってしまいます。
─ その前提に立って中国と向き合っていくことが大事になってきますね。
西原 中国との関係は永年にわたる私の研究テーマでした。実践しつつ考え抜いた末に到達した方向性が、いま話したことに結実したようです。
かつてアジアの舞台で私見のような役割を演じ、一方において日本を、他方においてアメリカを自省させる国あるいは人があったら、あの無惨な戦争は避けられたかもしれない。そんな反省を踏まえたのが、これまで話してきた私の思想です。
1928年3月東京生まれ。49年早稲田大学第一法学部卒業、56年同大学院法学研究科修士・博士課程修了、62年法学博士、67年早稲田大学教授、72年法学部長、82年総長に就任。88年全私学連合代表、98年国士館理事長などを経て、2005年アジア平和貢献センター理事長。07年瑞宝大綬章。
89回にわたる中国への訪問
─ 今年は日中国交正常化50年の節目を迎えます。足元では米中対立や台湾有事など懸念事項も多くありますが、日本は中国との共存をどう進めていくべきだと考えますか。
元防衛大臣・森本敏 ウクライナ戦争が極東に波及する要因(その3)
西原 中国といかに接していくかは、私の生涯にわたる大きなテーマの1つです。私は1982年6月から中国に通い始め、コロナが始まる2019年まで89回、中国を訪問しています。さらに、1988年から「日中刑事法学術交流」を始め、2年に1回ずつシンポジウムを開いてきました。このシンポジウムは35年間、17回を数えます。
なぜ日中刑事法学術交流を始めたかというと、中国に法治主義を徹底すべきだという思いがあったからです。1978年から鄧小平による改革開放が訴えられましたが、実態は浸透していませんでした。法治主義など誰も知らなかったのです。そこでまずは刑法の分野から広げていこうと思ったのが最初です。
─ 法治主義の浸透を命題に掲げたわけですね。
西原 ええ。当時の中国では新しい刑法が制定されてから10年も経っていませんでした。しかし刑法ではどこの国でも窃盗は悪い、殺人は悪いというように共通の価値観が多くあります。だから政治体制に違いはあっても、刑事法の共同研究ならできるのではないかと提案したのです。それで実現したのが88年に上海で行われた「(第1回)日中刑事法学術討論会」でした。
─ 反応はどうでしたか。
西原 ものすごく評判が良かったのです。報告者のほか、裁判官や検察官、弁護士、刑務所の職員など傍聴者もそうでした。その結果、何と35年間で17回と続いてきたのです。今はコロナで中断していますが、コロナが終息すれば開催する大学も決まっています。
─ 西原さんが総長を務めた早稲田大学は中国留学生を多く受け入れていますが、今の中国での法治主義は定着していると言っていいですか。
西原 少なくとも刑事法の理論の上では非常にレベルが高くなりました。ドイツや日本と同等なくらい発達しています。ですから、中国人の学者とも対等な議論ができます。そこでこれを国際法などの分野にも拡大させていこうということで、18年と19年に「日中国際法学者シンポジウム」を行ないました。
相手の立場に配慮
─ どこで行なったのですか。
西原 上海で2回、東京で1回です。3回とも大議論となりましたが、夜の懇親会では和気藹々とした和やかな雰囲気で日本人と中国人との親睦を深めることができました。これができたのも日中刑事法学術交流を通じて培った信頼感があったからだと思います。
中国人の中には日本人に反感を持つ人もたくさんいますが、中国人から信頼感を得ていれば、それは日本人であっても全く関係ありません。
─ それだけ西原さんが中国人との交流を深めてきたと。
西原 例えば私が90歳の誕生日を迎えた4年前、日中刑事法学術交流30周年の記念シンポジウムが上海でありました。このとき中国の学者25人が660頁に及ぶ北京大学出版社の大論文集を献呈してくれたのです。少なくとも法律界では初のことで、日中の人物交流全体の中でも稀有なことだと思います。
─ なぜそういった関係を構築することができたのですか。
西原 おそらく私が常に「中国の立場に立つ」という方針を堅持したからだと思います。欧米や日本のような民主主義国は自分たちの価値観が普遍的だと信じています。ですから、他国も本来は同じようであるべきだと思う傾向にあります。しかし、それぞれの国には歴史や民族性、置かれた国際環境の特殊性があります。民主主義が採れない国も当然あるのです。
国の個々の行動についても同じです。その場合、民主主義国の人々が自分たちの価値観の視点だけから他国人の行動を批判したら、それは相手からは受け入れられず、むしろ反発を招くことになりかねません。逆効果です。ですから私はいつも中国の価値観体系の根本に立って、中国人が気付いていない観点から問題解決の理論を探るよう実践しています。これが長年友好関係を保てた理由です。
─ 対等かつ自由に対話する関係と言えますね。
西原 はい。実は昨年の10月、中国の北京人民大会堂で「学術中国」という国際フォーラムが開かれたのですが、そこには6人の外国籍の学者が招かれ、日本からは私が選ばれました。コロナ禍でしたので現地での参加は叶わず、録画した講演を送ったのですが驚きました。
最初は法律分科会の中の講演を予定していたようですが、送られた動画と原稿を見て開幕式での基調講演に回されたのです。そして、フォーラムの事務局によれば、開幕式に参列した中国共産党中央政治局委員の大物が私の講演を「非常に興味深い」と評価し、とても関心を持ったそうです。
変わり得る力を持っている中国
─ 講演の主旨はどのようなものだったのですか。
西原 一言で言えば、「超克」という考え方です。
1つ次元を高め、対立しているものの上に共通のものをつくり出す考えです。そもそも対立はそう簡単に解決できるものではありません。歴史や感情が入ってくると、対立の解消は絶望的になります。しかし、対立をそのまま放っておけば戦争の恐れもある。できれば共通の利益を見つけ出すと対立の解決はできないが、超克はできるという考え方です。
判り易く言えば、国際社会が力をあわせて中国を「けしからん」と批判(対立)するのも必要な道でしょうが、他面、中国が反発し、これを無視する傾向になる(対立)のも否定できません。つまり対立は解消せず、むしろせり上がっていきます。
だからそうではなく、むしろ「あなたの国は良くなる方向に変わり得る力を持っている国ですよ。そうあって欲しいと願っています」と指摘する(超克)。こう聞けば相手は悪い気持ちにはなりません。
ただ、そういう国にさせることは政府にはできませんが、民間人ならできるのです。先ほども申し上げたように信頼を得ている人からは何を言っても中国人は耳を傾けてくれます。
─ 相手を一方的に批判するだけでなく対話をすると。
西原 ええ。「中国には理想社会をつくる力量がある。そういう力を持っているのだから、是非それを実現して欲しいと祈願している」と訴えたのです。
その際、中国の社会主義現代化への道を考える場合に「AI(人工知能)が人間の能力を超えるほどに発達したとき、人類の経済政治機構がどう変わるか」という視点を持ったら良いと提言しました。
例えば、日本や欧米が「選挙制度に基づく議会制民主主義」を採用しているのは、民意を正確に政治に反映させるためには選挙によるしかないと考えたからでした。人知に限界があった当時は必要不可欠でした。
そう考えると、AIが発達するにつれて民意を「選挙以上に」正確に把握できるようになれば、ただでさえ欠陥を含んでいる議会制民主主義はなくならないけれども弱体化していくのではないでしょうか。
逆に最近「民主主義と専制主義の対立」という言葉が国際社会でも使われていますが、AIが発達するにつれて、政治体制は一見昔のような専制主義と同じように見えるけれども、本質は全く異なってきます。今のような民主主義よりも、国民の声が統治に反映されやすい方向に変わっていくのです。
AI時代の到来で変わる構造
─ 一概に民主主義か専制主義かという対立構造で状況を見極め切れない時代になったと。
西原 そうです。経済機構もこれまでは個々の企業が自由に活動した方が経済の効率が良かったのですが、そこからは貧富の格差の拡大や大気汚染など自然破壊を助長するといった弊害が生まれました。
国による総合的かつ体系的な運営がAIによって完璧にできるようになると、その弊害も見事に解決することができるようになります。
─ そういったことを中国側に提言したのですね。
西原 そうです。世界の中で来るべきAI時代の経済政治機構に少なくとも形の上で一番近い機構を持っているのが中国であると。中国は社会主義の現代化を進め、その延長線上でマルクスやエンゲルスが夢見て果たせなかった社会の樹立を目指していると思うのですが、実は彼らの時代には人知が及ばなかったために、それは実現できないことだったのです。
しかし今はそれができるようになる有利さを中国は歴史上初めて手に入れていると伝えました。こんな見方は中国人誰もが持っていなかったようですね。
─ まさに中国自身が国として変わることができるのではないかという指摘ですね。
西原 はい。私はAIの発達は人類絶滅の危険をはらんでいるけれども、人類が全力を挙げてこれを克服した場合、人類史上、初めて理想社会の実現の条件が与えられると考えています。
習近平国家主席は現代化の先の(マルクスが当時描いた共産主義とかなり違う)「理想社会」の実現までを既に視野に入れていると私は見ていますが、AIの発達との関連を考慮に入れると、その筋道はもっとはっきりしてくる、その指摘に党の大物は驚き、注目したのでした。
社会主義は変化する
─ これは中国の要人たちにも響くかもしれませんね。
西原 そう思います。実はこの講演の後、中国で最も権威のある雑誌を出版している出版社から「あの講演はveryIlluminating(啓蒙的)だったので、是非あの講演を基礎にしたもっと詳細な論文を書いて欲しい」という要請がありました。党とも関係の深い雑誌社ですから、党の要請だったのかもしれません。
─ 大変なことですね。
西原 それを前提にして考えてみてください。中国のあるべき発展に貢献すると考えれば、あの中国も日本人であることなど全く意に介せずに、真剣に耳を傾けるのです。外からの批判より遙かに有効だと思いませんか。
現に私は論文の中で中国が目指す「理想社会」では国内的には少数民族を含む「人民」の幸せがますます強く追求されるだろうし、国際的には覇権や武力行使をしない方向になるはずだとはっきり示唆しています。自らがそう思うようになること。これが一番肝腎だと思うのです。
いずれにせよ、社会主義というのは元来変化することを前提にした政体です。ここが自らの価値観を普遍的と考える民主主義国と違うところなのです。変化する政体であるということを前提に考えなければ、中国の将来を読み誤ってしまいます。
─ その前提に立って中国と向き合っていくことが大事になってきますね。
西原 中国との関係は永年にわたる私の研究テーマでした。実践しつつ考え抜いた末に到達した方向性が、いま話したことに結実したようです。
かつてアジアの舞台で私見のような役割を演じ、一方において日本を、他方においてアメリカを自省させる国あるいは人があったら、あの無惨な戦争は避けられたかもしれない。そんな反省を踏まえたのが、これまで話してきた私の思想です。