「国民のために働きたいといった志を持った若者が集まっており、その純粋さに逆にこちらが刺激された」と話すのは、前・防衛大学校長の國分良成氏。国民を守る自衛隊の仕事は過酷だが、学生達は卒業しても「生まれ変わっても防大に」と話すという。そうした志を持った若者をどう養成するか、國分氏ら教員は真剣に議論し、実践してきた。これからの教育のあり方をどう考えるか。
【あわせて読みたい】次期防衛大学校校長に久保文明・東大大学院教授が決定
戦後日本が生み出した叡智の結晶
─ 國分さんは9年間、防衛大学校長を務めた経験から『防衛大学校』(中央公論新社)という書籍を出されましたね。改めて在任時を振り返って何を感じますか。
國分 防衛大学校のすごさは一言では言えませんが、戦後の日本が生み出した一つの叡智の結晶だと思います。教育・訓練の要素もあれば、リーダー養成の要素もあり、国を守るという国防の要素もある。
さらに大学という高等教育機関であると同時に士官学校でもあると。このバランスを取り、両立を図ることが大事でした。人のため、公のために働く人材、人のために人生を捧げる覚悟をもった人材を養成するためにつくられた学校ですから、目的は非常に明確です。
私は一般大学の経験も長いですが、一般大学は「社会に有用な人材」を送り出すという漠然とした目標を持ち、その後、多くは企業に入っていきます。企業に入ることに目的性を持っているわけです。ある方が言っていましたが、就職活動というのは合う鍵を探すようなものだと。結果、学生は合った企業に入っていくのです。
─ ある意味で、企業に入ることが目的化していると。
國分 ええ。自分たちが本当にその企業に入りたいということよりも、結果として入ったことによって、入社することを目的化してしまっています。一体、何のためにその会社に入るのかというミッション、使命感が薄く弱い面があるんです。
私が慶應義塾大学にいた時には、学生達に「大企業に入るのはいいが、そこに入る意味はどういうことだ、何を目的に入るんだ」と問うてきました。しかし、多くの場合、一般大学の先生達は、いい企業に就職できたら、それで満足だという話になってしまうんです。
─ 防衛大学校は違ったと。
國分 防衛大学校で驚いたのは、使命感やミッションという言葉を使わずとも、最終目的が「どうやったら人のために役に立つか」ということしかないということです。
これは徹底的に教育するだけでなく、学生たち自身の努力がないとできません。ですから普通に育った20歳前後の若者達を、どのように育てるかという議論を常にしていました。
誤解を恐れずに言えば、9年間校長を務めて、初めてこんなに真剣に教育のことを考えたという感じがしているんです。
ですから、今回本を出すことになって、出版社の方も防衛大学校の本は教育なのか、軍事・安全保障なのか、戦後史なのか、どこに位置させるか迷ったようです。私も「この本を何のために書いているのか」を自問自答しながら書きましたね。
─ 書いている間、どういう思いがよぎりましたか。
國分 やはり「教育とは何か?」という問いが頭の中にありましたね。有為な人材をどうやってつくるか。これは人材養成学校としては、非常に大事なことだと思います。
入ってみるまで想像だにしていませんでしたが、防大の卒業生は結構変わり者が多いんです(笑)。そして、彼らの個性はかえって温存されるんです。
─ 一般的に、自衛隊という厳しい環境の中では個性が失われてしまうのではと思いがちですが、そうではないと。
國分 そうです。仕事に関しては、組織の論理が優先しますので、個性を抑えなければいけません。であるがゆえに、逆に個性が温存されるんです。
卒業生達に会っていると、すでに自衛隊を引退した人達は特に個性が爆発しています(笑)。抑えていたものが、みんな出てくる。話していて、とっても面白いですよ。
みんな、育ってきた環境が違いますから、個性は違うわけです。一方で非常に規律と命令を大事にする仕事であり、組織で動いています。その意味では、基本的には誰が来ても能力は変わらず、個性によって仕事に影響が出るということをできるだけ避けようとします。
でも、20歳を越えた人間の個性は、年齢を重ねてもそこまで変わりません。ずっと温存される。それに寮生活でみんなお互いに個性を知っている。
─ お互いがお互いのことを深く知る関係だということですね。
國分 同じ場所で24時間一緒ですからね。「親は騙せても同期は騙せない」とみんな言いますが、そういう世界の中にいるとお互いに個性を知り尽くして、それを尊重しているわけです。
─ 寮では8人から10人が1部屋で暮らすそうですが、日々どういう状況ですか。
國分 知らない者同士が8~10人で、学年も1年生から4年生までがごちゃまぜに入っているわけです。そういう環境で過ごしていると、彼らはどこに行ってもその環境に合わせることができます。彼らに聞くと、どこに行っても、その組織の「匂い」を感じて、合わせることができるというんです。
全く知らない環境に中に入れられるわけですから、そこでお互いを理解していないとおかしなことになります。私が在任していた期間でいじめの事案なども起こりましたが、そうしたことも経験しながら、見ているとその中で切磋琢磨していくという感じです。それがうまくいくと、人間関係が一生続くと。
共に過ごした時間が一生の宝に
─ 非常に関係が濃密ですね。
國分 そうですね。防大には「対番制度」というものがあります。例えば1年生が入った時には「対番」として2年生が1人必ず付いて、面倒を見てくれるんです。
当然、その2年生にも対番がいたわけです。これは1年生から歴代、過去の先輩までつながるんです。途中で辞めてしまった人がいて、対番が途絶えているケースもありますが、対番が現在の1年生から幕僚長まで、途切れずにつながるケースもあるんです。彼らが年代を超えてつながっている「対番会」という集まりもあります。
防大の中で関係が最も強いのが同期会ですが、対番会、校友会という部活動、陸海空、部隊など縦と横の人間関係が様々なにつながっています。辞めた人達の「小原会」というものもあり、その絆も非常に強い。非常に面白いのは、卒業生と会うと防大の話になり、それだけで止まらなくなることです(笑)。
─ 人と人のつながりの濃密さというか、そのよさを感じさせる話ですね。
國分 本当に「人」が大事で、人間関係が濃密です。そこで出来上がっているんです。そうすると、我々が想像できないような世界が防大の中と外に広がっているわけです。その中にある関係性が一生の宝であり、絆になっているんです。
一緒の時間を共に過ごしたことが一生の宝になっていますし、たとえ途中で辞めたとしても、その人は、その後やっていることの公益性を必ず考えています。ですから、彼らにとってこの4年間はものすごく大きい。全ての原点になっていると思います。
─ 防大での生活、訓練は厳しいですから、それを共に乗り越えたというのは大きいのでしょうね。
國分 正直、1年生の時が一番つらいので、みんな「生まれ変わっても防大に入るけど、2年生からがいい」と言いますね(笑)。また、2年生の4月に行われる「カッター競技会」(12名の漕ぎ手で大型の手漕ぎボートの速さを競う)が、非常につらいんです。「入校するのは、それが終わった後がいい」という人達もいます(笑)。
自衛隊幹部は「前に立つ」人達
─ 國分さん自身、9年間教える側として防大生と接してきたわけですが、彼らの成長や変化をどう見ていましたか。
國分 彼ら以上に、私の方が変わったのではないかと思います。また、学生達が変わったかどうか、成果が出るのは将来です。つまり、我々は「種」を蒔いているわけですから。
彼らは将官になるなど、必ずしも偉くなることを目的にしていません。なぜなら、100人の学生のうち、将官になるのは10人以下です。人事評価は同期が一番信頼できるということで、同期評価が重要なようです。「あいつになら任せられる」という感じで、誰が出世したというのはあまり関係ないのです。
─ 問われるのは、文字通り人間力だと。
國分 そうですね。人間力ですし、人を引き付ける魅力でしょうね。自衛隊幹部は「上に立つ」のではなく「前に立つ」のです。そうして部下を引き付けて、彼らが「この人になら命を預けられる」と思うかどうか。それだけです。
今、日本ではいろいろな組織で上を見るヒラメ的な現象が蔓延していますが、それだと問題が置きます。やはり一番大事なのは現場です。
ですから、校長を務める中で、むしろ私の方が教育者とは何か、リーダーとはどうあるべきかなど、いろいろなことを教えてもらいました。
特に教育の目的は何なのかということを真剣に考えましたが、最終的には人間形成なんだというということが、よくわかりました。ただ、我々がつくることはできませんから、契機を与えることが教育なのではないかと思います。それを掴み取るかどうかは学生次第です。
─ あくまでも、選ぶのは学生達だということですね。
國分 そうです。そして、あまりこちら側の思いを引きずらないことが大事だとも感じました。「こうあるべきだ」という形でやり過ぎてはいけないと。学生は個性が皆違いますから、むしろこちらが個性をさらけ出すことが大事だと考えてやってきました。少し変わった校長だと思われたかもしれません(笑)。
昔からの士官学校の校長には厳父のようなイメージがありますが、私はその個性を持っていませんから、むしろ学生と一緒に考え、溶け込むことを意識してきたんです。おかげで学生とは本当に仲良くなりました。
─ 個性をさらけ出す國分さんの姿に、防大生達も共感したのかもしれませんね。
國分 彼らの真摯な態度、純粋性に接して、こんな若者達が、世の中にいるのかと思っていました。私は彼らのような経験をしていませんから、彼らにこの部分はかなわないと思いながら一緒に過ごしていましたね。
国を背負いたいといった志を持った若者が集まってきますから、その純粋さに逆にこちらが刺激された感じがします。いい出会いがたくさんありました。
吉田茂首相の言葉と自衛隊の今
─ 70年前、当時の吉田茂首相が、防大の1期生に「君たちが日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい。自衛隊の将来は君たちの双肩にかかっている」という言葉をかけたと伝わっていますね。
國分 1期生が卒業直前に吉田茂元首相の家を訪問した時に話した言葉として伝わっています。当時は戦後間もなくでしたから、戦中の軍国主義を懸念する空気も強かった。ただ、今はもう違うのではないかと思っています。目立つ必要はありませんが、もう少し国民にきちんと、自衛隊の活動を見てもらいたいと思うんです。
災害時対応の他、牛の口蹄疫、鳥インフルエンザが起きれば動員されますし、コロナ禍では大規模接種にも携わりました。
しかし国防を見ると、24時間体制の中で人が足りていませんから、現場は異常に忙しいんです。その中で辞める人も増えている。私の教え子の中でも優秀な人間も辞めています。
─ 本来の国防に専念できない状態になっているということですね。
國分 ええ。国防の仕事ができるなら忙しくてもいいけれども、報告や書類作業など内向きの仕事が増え過ぎて、とても対応しきれないという状況が起きているわけです。ですから、何でも「最後は自衛隊」という発想はどうなんだろうかと。
ですから、防衛費をGDP(国内総生産)比で2%にするという議論にしても、現場の声をしっかりと集約して欲しいと思います。それによって何が必要なのかを知り、積み上げていってもらいたいと思います。
(以下、11月16日号)
【あわせて読みたい】次期防衛大学校校長に久保文明・東大大学院教授が決定
戦後日本が生み出した叡智の結晶
─ 國分さんは9年間、防衛大学校長を務めた経験から『防衛大学校』(中央公論新社)という書籍を出されましたね。改めて在任時を振り返って何を感じますか。
國分 防衛大学校のすごさは一言では言えませんが、戦後の日本が生み出した一つの叡智の結晶だと思います。教育・訓練の要素もあれば、リーダー養成の要素もあり、国を守るという国防の要素もある。
さらに大学という高等教育機関であると同時に士官学校でもあると。このバランスを取り、両立を図ることが大事でした。人のため、公のために働く人材、人のために人生を捧げる覚悟をもった人材を養成するためにつくられた学校ですから、目的は非常に明確です。
私は一般大学の経験も長いですが、一般大学は「社会に有用な人材」を送り出すという漠然とした目標を持ち、その後、多くは企業に入っていきます。企業に入ることに目的性を持っているわけです。ある方が言っていましたが、就職活動というのは合う鍵を探すようなものだと。結果、学生は合った企業に入っていくのです。
─ ある意味で、企業に入ることが目的化していると。
國分 ええ。自分たちが本当にその企業に入りたいということよりも、結果として入ったことによって、入社することを目的化してしまっています。一体、何のためにその会社に入るのかというミッション、使命感が薄く弱い面があるんです。
私が慶應義塾大学にいた時には、学生達に「大企業に入るのはいいが、そこに入る意味はどういうことだ、何を目的に入るんだ」と問うてきました。しかし、多くの場合、一般大学の先生達は、いい企業に就職できたら、それで満足だという話になってしまうんです。
─ 防衛大学校は違ったと。
國分 防衛大学校で驚いたのは、使命感やミッションという言葉を使わずとも、最終目的が「どうやったら人のために役に立つか」ということしかないということです。
これは徹底的に教育するだけでなく、学生たち自身の努力がないとできません。ですから普通に育った20歳前後の若者達を、どのように育てるかという議論を常にしていました。
誤解を恐れずに言えば、9年間校長を務めて、初めてこんなに真剣に教育のことを考えたという感じがしているんです。
ですから、今回本を出すことになって、出版社の方も防衛大学校の本は教育なのか、軍事・安全保障なのか、戦後史なのか、どこに位置させるか迷ったようです。私も「この本を何のために書いているのか」を自問自答しながら書きましたね。
─ 書いている間、どういう思いがよぎりましたか。
國分 やはり「教育とは何か?」という問いが頭の中にありましたね。有為な人材をどうやってつくるか。これは人材養成学校としては、非常に大事なことだと思います。
入ってみるまで想像だにしていませんでしたが、防大の卒業生は結構変わり者が多いんです(笑)。そして、彼らの個性はかえって温存されるんです。
─ 一般的に、自衛隊という厳しい環境の中では個性が失われてしまうのではと思いがちですが、そうではないと。
國分 そうです。仕事に関しては、組織の論理が優先しますので、個性を抑えなければいけません。であるがゆえに、逆に個性が温存されるんです。
卒業生達に会っていると、すでに自衛隊を引退した人達は特に個性が爆発しています(笑)。抑えていたものが、みんな出てくる。話していて、とっても面白いですよ。
みんな、育ってきた環境が違いますから、個性は違うわけです。一方で非常に規律と命令を大事にする仕事であり、組織で動いています。その意味では、基本的には誰が来ても能力は変わらず、個性によって仕事に影響が出るということをできるだけ避けようとします。
でも、20歳を越えた人間の個性は、年齢を重ねてもそこまで変わりません。ずっと温存される。それに寮生活でみんなお互いに個性を知っている。
─ お互いがお互いのことを深く知る関係だということですね。
國分 同じ場所で24時間一緒ですからね。「親は騙せても同期は騙せない」とみんな言いますが、そういう世界の中にいるとお互いに個性を知り尽くして、それを尊重しているわけです。
─ 寮では8人から10人が1部屋で暮らすそうですが、日々どういう状況ですか。
國分 知らない者同士が8~10人で、学年も1年生から4年生までがごちゃまぜに入っているわけです。そういう環境で過ごしていると、彼らはどこに行ってもその環境に合わせることができます。彼らに聞くと、どこに行っても、その組織の「匂い」を感じて、合わせることができるというんです。
全く知らない環境に中に入れられるわけですから、そこでお互いを理解していないとおかしなことになります。私が在任していた期間でいじめの事案なども起こりましたが、そうしたことも経験しながら、見ているとその中で切磋琢磨していくという感じです。それがうまくいくと、人間関係が一生続くと。
共に過ごした時間が一生の宝に
─ 非常に関係が濃密ですね。
國分 そうですね。防大には「対番制度」というものがあります。例えば1年生が入った時には「対番」として2年生が1人必ず付いて、面倒を見てくれるんです。
当然、その2年生にも対番がいたわけです。これは1年生から歴代、過去の先輩までつながるんです。途中で辞めてしまった人がいて、対番が途絶えているケースもありますが、対番が現在の1年生から幕僚長まで、途切れずにつながるケースもあるんです。彼らが年代を超えてつながっている「対番会」という集まりもあります。
防大の中で関係が最も強いのが同期会ですが、対番会、校友会という部活動、陸海空、部隊など縦と横の人間関係が様々なにつながっています。辞めた人達の「小原会」というものもあり、その絆も非常に強い。非常に面白いのは、卒業生と会うと防大の話になり、それだけで止まらなくなることです(笑)。
─ 人と人のつながりの濃密さというか、そのよさを感じさせる話ですね。
國分 本当に「人」が大事で、人間関係が濃密です。そこで出来上がっているんです。そうすると、我々が想像できないような世界が防大の中と外に広がっているわけです。その中にある関係性が一生の宝であり、絆になっているんです。
一緒の時間を共に過ごしたことが一生の宝になっていますし、たとえ途中で辞めたとしても、その人は、その後やっていることの公益性を必ず考えています。ですから、彼らにとってこの4年間はものすごく大きい。全ての原点になっていると思います。
─ 防大での生活、訓練は厳しいですから、それを共に乗り越えたというのは大きいのでしょうね。
國分 正直、1年生の時が一番つらいので、みんな「生まれ変わっても防大に入るけど、2年生からがいい」と言いますね(笑)。また、2年生の4月に行われる「カッター競技会」(12名の漕ぎ手で大型の手漕ぎボートの速さを競う)が、非常につらいんです。「入校するのは、それが終わった後がいい」という人達もいます(笑)。
自衛隊幹部は「前に立つ」人達
─ 國分さん自身、9年間教える側として防大生と接してきたわけですが、彼らの成長や変化をどう見ていましたか。
國分 彼ら以上に、私の方が変わったのではないかと思います。また、学生達が変わったかどうか、成果が出るのは将来です。つまり、我々は「種」を蒔いているわけですから。
彼らは将官になるなど、必ずしも偉くなることを目的にしていません。なぜなら、100人の学生のうち、将官になるのは10人以下です。人事評価は同期が一番信頼できるということで、同期評価が重要なようです。「あいつになら任せられる」という感じで、誰が出世したというのはあまり関係ないのです。
─ 問われるのは、文字通り人間力だと。
國分 そうですね。人間力ですし、人を引き付ける魅力でしょうね。自衛隊幹部は「上に立つ」のではなく「前に立つ」のです。そうして部下を引き付けて、彼らが「この人になら命を預けられる」と思うかどうか。それだけです。
今、日本ではいろいろな組織で上を見るヒラメ的な現象が蔓延していますが、それだと問題が置きます。やはり一番大事なのは現場です。
ですから、校長を務める中で、むしろ私の方が教育者とは何か、リーダーとはどうあるべきかなど、いろいろなことを教えてもらいました。
特に教育の目的は何なのかということを真剣に考えましたが、最終的には人間形成なんだというということが、よくわかりました。ただ、我々がつくることはできませんから、契機を与えることが教育なのではないかと思います。それを掴み取るかどうかは学生次第です。
─ あくまでも、選ぶのは学生達だということですね。
國分 そうです。そして、あまりこちら側の思いを引きずらないことが大事だとも感じました。「こうあるべきだ」という形でやり過ぎてはいけないと。学生は個性が皆違いますから、むしろこちらが個性をさらけ出すことが大事だと考えてやってきました。少し変わった校長だと思われたかもしれません(笑)。
昔からの士官学校の校長には厳父のようなイメージがありますが、私はその個性を持っていませんから、むしろ学生と一緒に考え、溶け込むことを意識してきたんです。おかげで学生とは本当に仲良くなりました。
─ 個性をさらけ出す國分さんの姿に、防大生達も共感したのかもしれませんね。
國分 彼らの真摯な態度、純粋性に接して、こんな若者達が、世の中にいるのかと思っていました。私は彼らのような経験をしていませんから、彼らにこの部分はかなわないと思いながら一緒に過ごしていましたね。
国を背負いたいといった志を持った若者が集まってきますから、その純粋さに逆にこちらが刺激された感じがします。いい出会いがたくさんありました。
吉田茂首相の言葉と自衛隊の今
─ 70年前、当時の吉田茂首相が、防大の1期生に「君たちが日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい。自衛隊の将来は君たちの双肩にかかっている」という言葉をかけたと伝わっていますね。
國分 1期生が卒業直前に吉田茂元首相の家を訪問した時に話した言葉として伝わっています。当時は戦後間もなくでしたから、戦中の軍国主義を懸念する空気も強かった。ただ、今はもう違うのではないかと思っています。目立つ必要はありませんが、もう少し国民にきちんと、自衛隊の活動を見てもらいたいと思うんです。
災害時対応の他、牛の口蹄疫、鳥インフルエンザが起きれば動員されますし、コロナ禍では大規模接種にも携わりました。
しかし国防を見ると、24時間体制の中で人が足りていませんから、現場は異常に忙しいんです。その中で辞める人も増えている。私の教え子の中でも優秀な人間も辞めています。
─ 本来の国防に専念できない状態になっているということですね。
國分 ええ。国防の仕事ができるなら忙しくてもいいけれども、報告や書類作業など内向きの仕事が増え過ぎて、とても対応しきれないという状況が起きているわけです。ですから、何でも「最後は自衛隊」という発想はどうなんだろうかと。
ですから、防衛費をGDP(国内総生産)比で2%にするという議論にしても、現場の声をしっかりと集約して欲しいと思います。それによって何が必要なのかを知り、積み上げていってもらいたいと思います。
(以下、11月16日号)