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【宮崎県】河野俊嗣知事が語る” 地方創生への方策”

財界オンライン 2022年11月10日 11時30分

自分たちの強みをどう発揮していくか─。コロナ禍や足元の原材料価格の高騰などで地方の産業が打撃を受けている中、「食」「スポーツ」「自然」「森林」「神話」で成長軌道に戻そうとしている宮崎県知事の河野俊嗣氏。餃子の消費額が日本一に輝き、野球の侍ジャパンの合宿が決まるなど、宮崎が持つ強みを生かした取り組みを進めている。知事就任から11年、これまでの「対話と協働」路線を今後も大事にしたいと語る。地方創生の具体的なポイントとは? 

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コロナ禍で早めに手を打つ

─ 今は人口減に加え、頻発する自然災害など、市民の生活をいかに維持するかが共通の課題になっていますね。 

 河野 宮崎県では2005年の台風第14号で1300億円にものぼる被害が出ました。それ以来、水防災事業などの国土強靭化対策を進めており、今年夏の台風第14号では被害を一定程度抑える効果があったと考えております。ただ、雨の降り方が局地化、激甚化するなど必ずしも全てを防ぐことができたわけではありません。 

 ─ 災害対策にも力を入れてきましたが、コロナ対策について聞かせてください。 

 河野 コロナは宮崎にも大変な影響を与えました。宮崎は九州の中で唯一「医師少数県」と位置づけられ、医療提供体制が脆弱です。ですから、コロナ発生当初、他県よりも早めに強い対策を打って取り組んできました。感染者数は上下を繰り返してきましたが、市町村などいろいろな団体との連携がコロナ対策で生きたと感じています。 

 例えば、コロナ第2波で初めてクラスターが発生したときは、本県も初めて全県で休業要請をかけました。その際に協力金の問題が出たのですが、県と市町村が折半することによって、実質的に東京都と同じ水準の支援が実現しました。全国でもいち早くそういう対策を打てたのです。 

 ─ ネットワークを構築してきたのが危機下で生きたと。 

 河野 そうですね。去年春の第4波では、感染をいち早く抑えた後、経済対策もいち早く打っていこうということで、「ジモ・ミヤ・タビキャンペーン」という県民割を開始しました。すると、去年の11月と12月の県内のホテル・旅館の宿泊稼働指数が全国1位になりました。




口蹄疫からの復活

─ コロナ対応は依然として続きますが、連携の深化は今後も大切ですね。知事就任から3年10カ月が経過しましたが、その間を総括してください。 

 河野 実は毎年夏になると、節目を感じます。2011年8月27日が口蹄疫の終息宣言をした日だからです。130日間、口蹄疫と戦い、終息宣言を経て、そこから再生復興を目指そうと。県民の力を結集して再生・復興に取り組んでいかなければならない状況にあって、その終息宣言の約1カ月後に当時の東国原英夫知事が2期目の知事選には出馬しないことを表明されました。 

 当時、副知事だった私としては、総務部長や副知事として県政の中枢で仕事をし、口蹄疫対策をはじめ、当時の県政を熟知している自分が先頭に立って引っ張っていかなければならないという強い思いがあり、知事選への立候補を決断しました。 

 そして1期目は口蹄疫からの再生復興が課題だったのですが、初日に鳥インフルエンザが発生、5日後に新燃岳が噴火、3月には東日本大震災と県内外が災害続きの中でスタートしました。そういったところから復活の道筋をつくることができたと自負しているところです。 

 ─ 口蹄疫からの復活では、どんな成果がありましたか。 

 河野 口蹄疫の終息宣言後、「宮崎牛」が全国和牛能力共進会で「内閣総理大臣賞」という日本一の賞を獲得しました。その後、いろいろな数字も回復傾向になりました。宮崎牛の受賞もあって農畜産物の輸出が10年連続で伸びています。




焼酎と餃子で日本一

 輸出先としては米国が最も多く、香港、台湾が続きます。コロナで落ちている部分もありますが、飲料を含む食品の出荷額は増加傾向にあります。焼酎も8年連続で出荷額が日本一になりました。口蹄疫など災害が続いた状況から、成長軌道に持っていった手応えはあります。 

 ただ、足元ではコロナに加えて原油高や物価高が大きな課題となっていますので、こちらも元の成長軌道に戻していくことが重要だと思っています。 

 やはり本県の特色の1つは「食」です。「食の王国・宮崎」として国産キャビアも生産しており、コロナ禍でも巣ごもり需要などで消費が伸びています。 

 ─ 国産キャビアで話題に火をつけましたね。 

 河野 ええ。さらに最近では2人以上1世帯当たりの餃子の購入金額が日本一になりました。これまでも3位や4位に位置していたのですが、宮崎市内の餃子普及協議会の熱心な取組みで、ついに日本一となったのです。 

 必ずしも「この味が宮崎の餃子」と確立されたものがあるわけではないのですが、肉や野菜などの素材はもともと素晴らしいものがありますし、宮崎では持ち帰りのお店が多く、買っていく人も「この前お世話になったから」と、ご近所さんに配る分も買って帰るようです(笑)。そこで購入金額も増えていくと。宮崎県民が持つ温かい県民性を感じますね。 

 ─ 先ほどの原油高などからの再生という点では、どんな対策を打っているのですか。 

 河野 物価高の影響を受けた暮らしや経済を再生させていこうということで、「宮崎再生」を旗印に、地域経済を支援する30億円の「宮崎再生基金」を創設しました。口蹄疫のときと同額の基金です。今回も当時と同様の深刻な影響が出ていますので、地域経済をしっかり元気づけていこうと。 

 一方で県民が元気になる話題も必要です。その点では様々なイベントがあります。スポーツでは来年2月、野球のワールド・ベースボール・クラシックを前に、侍ジャパンの合宿が決まっていますし、4月にはG7農業大臣会合が行われます。さらに来年は置県140年ということで、初めて「宮崎県人会世界大会」を開催する予定です。 

 ─ これらのイベントが地方創生への弾みにもなりますね。 

 河野 ええ。他にもラグビーの日本代表が宮崎で合宿中なのですが、現在、国内外のトップアスリートをメインターゲットとした「屋外型トレーニングセンター」を整備しています。 

 ラグビーのみならず、サッカーのプロチームや陸上競技などのチームが合宿する際の練習環境をより強化することとしています。




「5つのS」をスローガンに

─ 宮崎の再生には食とスポーツが鍵を握りますね。 

 河野 はい。食とスポーツは宮崎の強みのツートップだと感じています。私はよく宮崎の強みは「5つのS」と表現しています。それは「食」「スポーツ」「自然」「森林」「神話」で、これらの頭文字が「S」なんです。 

 自然・森林では「綾地域」がユネスコエコパークに登録されましたし、「高千穂郷・椎葉山地域」が世界農業遺産に認定をされました。こうした国際的な位置づけによって県民の誇りにもつながり、地域の魅力の発信にもつながります。 

 また、神話では12年から「記紀(古事記・日本書紀)編さん1300年記念事業」に取り組んできたのですが、その集大成が、昨年の「国民文化祭」「全国障害者芸術文化祭」でした。これも県民の間で認知を高めて発信をしていこうと。 

 そして「神楽」についても、約200ある県内の神楽だけではなく、国の重要無形民俗文化財に指定をされている全国の神楽が連携し、ユネスコの無形文化遺産の登録を目指そうと全国組織が立ち上がりました。こういった文化的な資産の顕彰も県民の誇りにつながります。 

 ─ 先ほどの森林で言えば、木材の有効活用が期待されます。 

 河野 その通りです。宮崎県は杉の木の生産量が31年連続日本一ですし、製材品の出荷額でも全国トップクラスです。コロナ以降、建築用木材の供給が需要に追いつかないことに起因する木材価格の高騰「ウッドショック」が叫ばれる中、材価が回復し、伐採が進んでいます。 

 いわば山が動き出しているわけです。先人が築いた宝の山が、実際に宝として地域経済のプラスになっています。 

 ─ 資源循環型の森林・林業も課題になっていますね。 

 河野 再造林が大きな課題になっていますが、宮崎の再造林率は七十数%と全国トップクラス。「Mスターコンテナ」と呼ばれる育苗容器で通年植栽ができるものを自前で開発し、積極的に再造林を進めています。 

 森林林業では我々はトップランナーであり、全国のモデルを示していこうと頑張っているところです。 

 ─ 河野さんは座右の銘に「ノブレス・オブリージュ」を掲げています。知事になるまでの道のりを聞かせてください。 

 河野 この言葉は高い身分に伴う義務という意味ですが、しかるべき役割を果たすべき立場にある者、またはそういう機会に恵まれた者は、しっかりとその義務を果たしていくべきだと、そういう覚悟を求める言葉だと私は受け止めています。 

 もともと私は中学生の頃に、公のために尽くしたい、国を良くする仕事をしていきたいと考え、外交官を志望していました。被爆地である広島県の出身でもあり、平和の尊さを大事にしていかなくてはならないというのが根底にあったのです。 

 その後、私は地方自治を志し、地方を活性化していくことで、我が国の発展に貢献したいと考えるようになりました。そんな思いで自治省(現総務省)での仕事を選び、国・霞が関や県庁、市役所、各現場で行政経験を積んできました。 

 そして、先ほど申し上げたように、口蹄疫の終息宣言を機に宮崎県の置かれた状況を踏まえると、自分が果たすべき役割が明確になりました。




全国知事会で実績

─ 宮崎県の良さを国内外にどう発信していきますか。

 河野 初めて宮崎県に赴任したのが2005年だったのですが、それまで宮崎というと、ゴルフやトライアスロンなどスポーツの魅力が溢れる地域だと思っていました。実際に赴任して、まさにその通りだなと。

 しかも、初日の夕食で子供が宮崎牛を食べたいと言うものですから家族で食べに行ったら感動しました。野菜も美味しいし、家族全員がすぐに宮崎を大好きになりました(笑)。最初の週末にゴルフに行き、宮崎は天国だなと(笑)。

 ─ 今後はどのような県政を進めていく考えですか。

 河野 私はこれまでも「対話と協働」というスタンスで、国や市町村、経済団体との連携体制を構築してきました。これは自分が大事にしている信条です。この信条を大事にしながら宮崎の成長軌道を戻していきたいと。

 全国知事会でも、地方税財政常任委員会の委員長として物価高騰等に対応するため、交付金の更なる増額等を求めてきた結果、6000億円の新たな交付金の創設が決まりました。引き続き国と密接に連携を図りながら、宮崎の発展に向けた実績を積み重ねていきたいと考えています。

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