自治体病院同士の合併の先駆けとして有名な日本海総合病院。同病院は2008年に山形県の旧市立病院が旧県立病院を統合する形で発足した独立行政法人「山形県・酒田市病院機構」の傘下に入る形。再編・統合1年目には黒字化し、さらには地域医療情報ネットワークを構築し、地域の医療機関で医師記録も共有。県立病院出身で院長の島貫隆夫氏は「黒字になると、こんなに違うんだな」と振り返る。病院が連携するための苦労とその成果を赤裸々に語る。
【医療界にも非営利法人のホールディングカンパニー制が登場】山形県・酒田市病院機構・栗谷義樹理事長に直撃!
統合・再編した年から黒字計上
─ コロナ禍を機に医療業界では病院連携が求められる時代となりました。日本海総合病院が参加する山形県・酒田市病院機構はその先達でもあります。2つの病院の統合・再編から出発して15年近くになりますね。
島貫 そうですね。当院は2008年山形県酒田市の「旧市立酒田病院」と県立の「旧日本海病院」が再編統合し、新たに独立行政法人「山形県・酒田市病院機構」として発足しました。私は理事長の栗谷義樹とは違う旧県立病院の出身です。
私が働いていた県立病院の経営はよくありませんでしたし、患者様の数も少なくなってきていました。ですから当時から、かなり危機感は持っていました。そんな中で統合を先導したのが栗谷です。栗谷のお陰で今の健全な病院運営につながりました。
実は統合・再編する前から栗谷の話は伺っていました。「何とかこの地域の医療を継続できるようなものにつくりかえないといけない」という危機感ですね。
そんな話を聞いていたものですから、栗谷から統合・再編の構想が出てきたときは、その考えに即座に賛同しました。そして、統合・再編後も何とか二人三脚で地域医療の発展に力を尽くすことができています。
─ 医療提供体制から見た場合に、統合・再編で効果が発揮されたことは何ですか。
島貫 統合・再編によって急性期機能を日本海総合病院へ集約することになりました。急性期病院にとっては様々な医療提供体制を確立することが割とやりやすくなったのです。急性期と回復期との役割分担ができるようになったことで余裕が生まれ、様々な取り組みができるようになりました。
統合・再編したその年から、僅かではありますけれども、黒字を計上することができました。その後は割と経営は安定してこられたのかなと。そういうことがバックグラウンドにあるものですから、急性期病院では様々な医療機器などを購入することができたわけです。その前の県立病院時代は機械1つ買ってもらうのも大変でしたからね。
─ 県の承認がいると。
島貫 もちろんです。県の承認は必要ですし、予算化していないと駄目だとか、いろいろな理由がありました。しかし統合・再編を経て利益が出るようになり、その後も収益を上げて、ある程度の余裕が出てきたときには状況は変わっていました。
「栗谷先生、新しい医療機器が欲しいのですが」と言うと、買ってくれるわけです(笑)。手術台と心・血管X線撮影装置を組み合わせたハイブリッド手術室などは自分たちの予算で購入することができるようになりましたし、研修医が来るための環境も整えることができました。
研修医も増加
─ 受け入れるための施設と言うことですか?
島貫 ええ。研修医専用の住居であるレジデントハウスを建てたのです。レジデントハウスができて住環境が整えば庄内地域以外からも研修医が集まりやすくなりますからね。
私自身、こう実感しました。「なるほど、黒字になると、こんなに違うんだな。自己資本を持つということはすごいことなんだな」と(笑)。それまで勤務医として働いていたときには感じられなかった感覚でした。それを初めて実感したのが栗谷と一緒になってからですね。
─ 医療の世界で自己資本という言葉を使うこと自体が少ないように思います。
島貫 ええ。確かにあまりないでしょうね。私たちの県立病院時代は、そんなことを考えたことすらありませんし、「こういうものが欲しいんですけれども」と相談すると、「あなたの病院は働きが悪いのに何を言っているんだ」と言い返されていました。しかし、経営という感覚を持つことで、そういった環境も一気に様変わりすると。素晴らしい経験をしましたね。
それから栗谷の功績として特筆すべきことは、統合・再編するときにドクターの数を減らさなかったことです。通常なら2病院を統合・再編すると、ドクターの数も半分くらいに減らしてもいいのではないかというケースが多いと思うのですが、それをしなかったのです。
実はこのとき栗谷をサポートしたのが、当時の山形大学医学部附属病院の医学部長だった嘉山孝正先生でした。ドクターの数は減らさないで病院運営を行うという栗谷の考え方をサポートしてくれたのです。その意味では、医師の資源が1+1=2以上になったというところが大きいかなと思います。
─ 病院経営が黒字になり、人員削減もなければ、医師や職員にもやる気が出てきますね。
島貫 もちろんです。そもそも2つの病院では医師不足が深刻でしたから、もともと人手が足りていたわけではありませんでした。ドクターや医療資源が多かったわけではありません。もちろん、統合・再編で人員が減った部門はありますけれども、研修医が増えるなど、次第に人が集まってきました。統合・再編当時は100人足らずだったのが、今は150~160人まで増えています。
医療情報を開業医だけでなく薬剤師、介護施設等と幅広く ─ 看護師も減らさなかったのですか。
島貫 看護師の場合は少し事情が違いました。実は統合・再編当初、県立病院に所属していた看護師は県に戻りたいという希望が多かったのです。
─ 県職員の身分を失いたくないと。
島貫 ええ。それで3年ぐらいの猶予期間を設け、その間に最終的な決断をしてもらうという形になったのです。ですから、統合・再編してすぐに県に戻したわけではなく、猶予をもって戻りたい人は戻ればいいという形にしたのですが、実際に3年の猶予期間が経つと、7割以上が病院に残ったのです。
─ それは嬉しいですね。
島貫 はい。病院にまつわる、いろいろな医療提供体制は割と良い方向に回り始めたわけですね。しかし、地域医療をどう守るかということは、また別の課題でした。当院が属する庄内二次医療圏は面積で言えば、神奈川県と同じ広さになります。人口は同県の33分の1です。
─ 総数で地域の人口はどれぐらいになりますか
島貫 統合時は約30万人、現在は26万人超弱です。そういう中で、急性期病院が連携しながら様々な取り組みをしなくてはいけません。では、その連携する方法は何か。ちょうどそのときに電子カルテが始まりました。いわゆる病院での医療情報の電子化が進んできましたので、その医療情報の連携を進めようということで始めたのが「ちょうかいネット」でした。
─ どういうものですか。
島貫 いわゆる地域医療情報ネットワークです。「ちょうかいネット」では、病院の医療情報を開業医だけでなく、薬剤師や介護施設、ケアマネージャーなどにも幅広く開示するものになります。今では開示病院の医師記録を全て開示しており、診療所の先生にも診療記録などを見てもらうことができるようになっています。
─ 便利なように思いますが、現場の医師の反応は?
島貫 驚くことに特に大きな反対は起こりませんでした。統合・再編する1年前に旧県立病院では電子カルテを導入していたのです。私は「ちょうかいネット」は、ここからスタートしたと思っているんです。
旧県立病院時代に電子カルテを導入するとき、私たちは仕様書を作って入札に向かいました。ところが当時の斎藤弘県知事から待ったがかかった。当時、県立病院は県内に5つあったものですから、「日本海病院だけが電子カルテを入れても意味がない」と。
県立病院の標準化というか、プラットフォームを担うようなものでないといけないという指摘を受けたのです。そうすれば、ゆくゆくは全ての病院がつながるはずだというのが県知事の考え方でした。ですから、いったんは差し止めになりました。
この意見を受けて山形県の県立5病院の標準化プランを作成し直し、それを提出しました。無事に許可を受けることができ、第1弾として日本海病院に電子カルテが導入されました。今でこそ様々な業界でプラットフォームという考え方が当たり前になっていますから当時の知事の先見性は素晴らしいものでした。
─ それが今も生きてると。
島貫 そうですね。そこから我々は電子カルテを皮切りに、医療DXを広げていくことになりました。私自身も医療DXの醍醐味が少し分かったような気がしました。そして、日本海病院で電子カルテを導入した1年後に、酒田市立病院と統合・再編することになったわけです。
─ 旧酒田市立病院の医療DXはどう進めたのですか。
島貫 まだ電子カルテは導入していませんでした。ただ、統合・再編のときに診療科の移動などがありました。その際にネットワークを敷いて端末を置けば、旧市立病院から旧県立病院に移ってくる診療科のドクターたちが患者様のサマリー(病歴や治療・看護等の情報)を入力することができますので、一気に旧市立病院にも電子カルテを共有することができたのです。
情報共有で訴訟が減る
─ 患者の利便性も増したということですか。
島貫 はい。当初は2病院それぞれに患者様は自分のIDを持っていたのですが、その後、日本海総合病院に急性期の診療科を全部移したときに、2つの病院のIDを統一しました。大変なシステム統合でしたね。
マイナンバーカードもなく、全ての情報が紐づいていたわけではありませんでしたから、苦労して手作業で紐づけていきました。そして患者様のIDを一本化。そこから「ちょうかいネット」へとつながりました。
─ やはり患者の情報を複数の医療機関で共有できれば医療の効率も上がりますか。
島貫 もちろんです。患者様の医師記録を全部開示したことによって、こんな補完関係ができあがりました。診療所や別の病院から患者様が当院に紹介されてきて外来を受けたり、何回か通院して治療を受け、また診療所などへ戻るわけですね。
そして診療所の先生たちが患者様に「どうでした?」と尋ねるわけです。そのとき診療所の先生は「ちょうかいネット」で当院の診療録が全部読める。どんな病気で、どんな治療をしたか。つまりは、当院のドクターの考え方が分かるのです。
それを見た診療所の先生が患者様に分かりやすく説明してくれるのです。そして患者様も誤解があったら丁寧に修正してくれますし、自分に処置された治療内容も深く理解ができる。ですから、「ちょうかいネット」で医師記録を開示すると、訴訟が増えると言われましたが、実際は逆でした。情報共有がいかに大事かが、如実に現れた事例だと思います。
(次回に続く)
しまぬき・たかお
1955年山形県生まれ。80年山形大学医学部卒業。山形県立新庄病院や山形市内の病院勤務を経て、米南カリフォルニア大学医学部に留学。帰国後、山形刑務所勤務、山形大学医学部第2外科助教授。2008年山形県・酒田市病院機構日本海総合病院副院長などを経て、16年から現職。
【医療界にも非営利法人のホールディングカンパニー制が登場】山形県・酒田市病院機構・栗谷義樹理事長に直撃!
統合・再編した年から黒字計上
─ コロナ禍を機に医療業界では病院連携が求められる時代となりました。日本海総合病院が参加する山形県・酒田市病院機構はその先達でもあります。2つの病院の統合・再編から出発して15年近くになりますね。
島貫 そうですね。当院は2008年山形県酒田市の「旧市立酒田病院」と県立の「旧日本海病院」が再編統合し、新たに独立行政法人「山形県・酒田市病院機構」として発足しました。私は理事長の栗谷義樹とは違う旧県立病院の出身です。
私が働いていた県立病院の経営はよくありませんでしたし、患者様の数も少なくなってきていました。ですから当時から、かなり危機感は持っていました。そんな中で統合を先導したのが栗谷です。栗谷のお陰で今の健全な病院運営につながりました。
実は統合・再編する前から栗谷の話は伺っていました。「何とかこの地域の医療を継続できるようなものにつくりかえないといけない」という危機感ですね。
そんな話を聞いていたものですから、栗谷から統合・再編の構想が出てきたときは、その考えに即座に賛同しました。そして、統合・再編後も何とか二人三脚で地域医療の発展に力を尽くすことができています。
─ 医療提供体制から見た場合に、統合・再編で効果が発揮されたことは何ですか。
島貫 統合・再編によって急性期機能を日本海総合病院へ集約することになりました。急性期病院にとっては様々な医療提供体制を確立することが割とやりやすくなったのです。急性期と回復期との役割分担ができるようになったことで余裕が生まれ、様々な取り組みができるようになりました。
統合・再編したその年から、僅かではありますけれども、黒字を計上することができました。その後は割と経営は安定してこられたのかなと。そういうことがバックグラウンドにあるものですから、急性期病院では様々な医療機器などを購入することができたわけです。その前の県立病院時代は機械1つ買ってもらうのも大変でしたからね。
─ 県の承認がいると。
島貫 もちろんです。県の承認は必要ですし、予算化していないと駄目だとか、いろいろな理由がありました。しかし統合・再編を経て利益が出るようになり、その後も収益を上げて、ある程度の余裕が出てきたときには状況は変わっていました。
「栗谷先生、新しい医療機器が欲しいのですが」と言うと、買ってくれるわけです(笑)。手術台と心・血管X線撮影装置を組み合わせたハイブリッド手術室などは自分たちの予算で購入することができるようになりましたし、研修医が来るための環境も整えることができました。
研修医も増加
─ 受け入れるための施設と言うことですか?
島貫 ええ。研修医専用の住居であるレジデントハウスを建てたのです。レジデントハウスができて住環境が整えば庄内地域以外からも研修医が集まりやすくなりますからね。
私自身、こう実感しました。「なるほど、黒字になると、こんなに違うんだな。自己資本を持つということはすごいことなんだな」と(笑)。それまで勤務医として働いていたときには感じられなかった感覚でした。それを初めて実感したのが栗谷と一緒になってからですね。
─ 医療の世界で自己資本という言葉を使うこと自体が少ないように思います。
島貫 ええ。確かにあまりないでしょうね。私たちの県立病院時代は、そんなことを考えたことすらありませんし、「こういうものが欲しいんですけれども」と相談すると、「あなたの病院は働きが悪いのに何を言っているんだ」と言い返されていました。しかし、経営という感覚を持つことで、そういった環境も一気に様変わりすると。素晴らしい経験をしましたね。
それから栗谷の功績として特筆すべきことは、統合・再編するときにドクターの数を減らさなかったことです。通常なら2病院を統合・再編すると、ドクターの数も半分くらいに減らしてもいいのではないかというケースが多いと思うのですが、それをしなかったのです。
実はこのとき栗谷をサポートしたのが、当時の山形大学医学部附属病院の医学部長だった嘉山孝正先生でした。ドクターの数は減らさないで病院運営を行うという栗谷の考え方をサポートしてくれたのです。その意味では、医師の資源が1+1=2以上になったというところが大きいかなと思います。
─ 病院経営が黒字になり、人員削減もなければ、医師や職員にもやる気が出てきますね。
島貫 もちろんです。そもそも2つの病院では医師不足が深刻でしたから、もともと人手が足りていたわけではありませんでした。ドクターや医療資源が多かったわけではありません。もちろん、統合・再編で人員が減った部門はありますけれども、研修医が増えるなど、次第に人が集まってきました。統合・再編当時は100人足らずだったのが、今は150~160人まで増えています。
医療情報を開業医だけでなく薬剤師、介護施設等と幅広く ─ 看護師も減らさなかったのですか。
島貫 看護師の場合は少し事情が違いました。実は統合・再編当初、県立病院に所属していた看護師は県に戻りたいという希望が多かったのです。
─ 県職員の身分を失いたくないと。
島貫 ええ。それで3年ぐらいの猶予期間を設け、その間に最終的な決断をしてもらうという形になったのです。ですから、統合・再編してすぐに県に戻したわけではなく、猶予をもって戻りたい人は戻ればいいという形にしたのですが、実際に3年の猶予期間が経つと、7割以上が病院に残ったのです。
─ それは嬉しいですね。
島貫 はい。病院にまつわる、いろいろな医療提供体制は割と良い方向に回り始めたわけですね。しかし、地域医療をどう守るかということは、また別の課題でした。当院が属する庄内二次医療圏は面積で言えば、神奈川県と同じ広さになります。人口は同県の33分の1です。
─ 総数で地域の人口はどれぐらいになりますか
島貫 統合時は約30万人、現在は26万人超弱です。そういう中で、急性期病院が連携しながら様々な取り組みをしなくてはいけません。では、その連携する方法は何か。ちょうどそのときに電子カルテが始まりました。いわゆる病院での医療情報の電子化が進んできましたので、その医療情報の連携を進めようということで始めたのが「ちょうかいネット」でした。
─ どういうものですか。
島貫 いわゆる地域医療情報ネットワークです。「ちょうかいネット」では、病院の医療情報を開業医だけでなく、薬剤師や介護施設、ケアマネージャーなどにも幅広く開示するものになります。今では開示病院の医師記録を全て開示しており、診療所の先生にも診療記録などを見てもらうことができるようになっています。
─ 便利なように思いますが、現場の医師の反応は?
島貫 驚くことに特に大きな反対は起こりませんでした。統合・再編する1年前に旧県立病院では電子カルテを導入していたのです。私は「ちょうかいネット」は、ここからスタートしたと思っているんです。
旧県立病院時代に電子カルテを導入するとき、私たちは仕様書を作って入札に向かいました。ところが当時の斎藤弘県知事から待ったがかかった。当時、県立病院は県内に5つあったものですから、「日本海病院だけが電子カルテを入れても意味がない」と。
県立病院の標準化というか、プラットフォームを担うようなものでないといけないという指摘を受けたのです。そうすれば、ゆくゆくは全ての病院がつながるはずだというのが県知事の考え方でした。ですから、いったんは差し止めになりました。
この意見を受けて山形県の県立5病院の標準化プランを作成し直し、それを提出しました。無事に許可を受けることができ、第1弾として日本海病院に電子カルテが導入されました。今でこそ様々な業界でプラットフォームという考え方が当たり前になっていますから当時の知事の先見性は素晴らしいものでした。
─ それが今も生きてると。
島貫 そうですね。そこから我々は電子カルテを皮切りに、医療DXを広げていくことになりました。私自身も医療DXの醍醐味が少し分かったような気がしました。そして、日本海病院で電子カルテを導入した1年後に、酒田市立病院と統合・再編することになったわけです。
─ 旧酒田市立病院の医療DXはどう進めたのですか。
島貫 まだ電子カルテは導入していませんでした。ただ、統合・再編のときに診療科の移動などがありました。その際にネットワークを敷いて端末を置けば、旧市立病院から旧県立病院に移ってくる診療科のドクターたちが患者様のサマリー(病歴や治療・看護等の情報)を入力することができますので、一気に旧市立病院にも電子カルテを共有することができたのです。
情報共有で訴訟が減る
─ 患者の利便性も増したということですか。
島貫 はい。当初は2病院それぞれに患者様は自分のIDを持っていたのですが、その後、日本海総合病院に急性期の診療科を全部移したときに、2つの病院のIDを統一しました。大変なシステム統合でしたね。
マイナンバーカードもなく、全ての情報が紐づいていたわけではありませんでしたから、苦労して手作業で紐づけていきました。そして患者様のIDを一本化。そこから「ちょうかいネット」へとつながりました。
─ やはり患者の情報を複数の医療機関で共有できれば医療の効率も上がりますか。
島貫 もちろんです。患者様の医師記録を全部開示したことによって、こんな補完関係ができあがりました。診療所や別の病院から患者様が当院に紹介されてきて外来を受けたり、何回か通院して治療を受け、また診療所などへ戻るわけですね。
そして診療所の先生たちが患者様に「どうでした?」と尋ねるわけです。そのとき診療所の先生は「ちょうかいネット」で当院の診療録が全部読める。どんな病気で、どんな治療をしたか。つまりは、当院のドクターの考え方が分かるのです。
それを見た診療所の先生が患者様に分かりやすく説明してくれるのです。そして患者様も誤解があったら丁寧に修正してくれますし、自分に処置された治療内容も深く理解ができる。ですから、「ちょうかいネット」で医師記録を開示すると、訴訟が増えると言われましたが、実際は逆でした。情報共有がいかに大事かが、如実に現れた事例だと思います。
(次回に続く)
しまぬき・たかお
1955年山形県生まれ。80年山形大学医学部卒業。山形県立新庄病院や山形市内の病院勤務を経て、米南カリフォルニア大学医学部に留学。帰国後、山形刑務所勤務、山形大学医学部第2外科助教授。2008年山形県・酒田市病院機構日本海総合病院副院長などを経て、16年から現職。