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【公立病院改革の第一人者】監査法人長隆事務所・長隆代表「病院経営も〝人〟が全て。病院の理事長同士がまとまれば効率的な医療ができる」

財界オンライン 2022年12月19日 15時0分

長年、公立病院改革に取り組んできた監査法人長隆事務所の長隆氏は「トップがまとまれば病院の再編・統合はできる」と訴える。コロナ禍で国家財政はさらに逼迫し、自治体病院の経営も苦しくなる一方。そんな中で山形県や名古屋市などで自治体病院の統合・再編を手掛けてきた長氏。同氏は「自治体病院同士の連携は全国の病院の参考になります」と語る。その意義とは?

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病院改革の有効策は「連携」
 ─ 数々の自治体病院の改革に身を投じてきた長さんは今の病院を取り巻く環境をどのように分析していますか。

 長 1200兆円を超える国の借金を抱える日本の財政問題は超高齢社会の一層の進展に加え、コロナにより深刻度合いは一気に増しました。これは地方も同様です。そのため、万年赤字の公立病院の改革は財政問題とは切っても切り離せません。

 その改革の最も有効な手立ての1つが「連携」です。実際に、自治体病院同士が連携して黒字経営に転換し、患者の満足度が高まった事例があります。その1つが山形県酒田市にある「日本海総合病院」です。

 2018年に山形県庄内地区の複数の病院や介護施設、3医師会などが集まり、地域医療連携推進法人「日本海ヘルスケアネット」を設立しました。

 山形県酒田市には528床の病床を持つ県立の日本海病院とその近くに400床の病床を持つ市立の酒田病院があり、この2病院を合わせると約1000床という日本でも最大級規模の病床を持つ病院となれたのです。

 さすがにこの地域には多すぎる数でしたので、そこから約700床にダウンサイジングして再編・統合し、地方独立行政法人「山形県・酒田市病院機構」という病院として再出発。今や日本で最も業績の良い病院の1つになりました。

 ─ この要因とは?

 長 人的面の統合だけではなく、病院のハード面での統合も推進したのです。中でも人的面の統合が重要でした。それまで同じ酒田市内で2~3㌔しか離れていなかった場所に2つの病院があったのですから、それだけで両病院が永続的に存続していくことは難しい状況でした。

 医師や看護師、さらには患者を奪い合うことは目に見えていましたからね。そこでそれらを統合し、医療従事者も病院職員も身分を非公務員型にしたのです。これらの改革を先導したのは理事長の栗谷義樹氏です。

 ─ リーダーシップですね。

 長 ええ。栗谷氏は全国の病院の中でも先駆けて新しい取組みを次から次へと実践してきたのです。その結果、周辺の医療法人や社会福祉法人をはじめ、地方自治体である酒田市までも同機構に参加。県立と市立という違ったレベルの地方公共団体が運営している公立病院を再編・統合して、独立行政法人化させたことが成功している日本で最初の例です。



千葉・旭中央の独法化  ─ 経営形態を変更して創意工夫で経営しているのですね。

 長 大規模な例では2016年に地方独立行政法人となった千葉県旭市にある旧市立病院の「総合病院国保旭中央病院(旭中央)」があります。病床数が約1000ある大規模な病院です。

 独立行政法人になる前も、開設以来一度も赤字になっていない稀有な病院ではありますが、その病床数の多さを大学からの医師の派遣によって支えていました。ただ、ある時、整形外科に来ていた医師を東大が引き上げてしまい、人手が足りなくなってしまったのです。

 その際、独立行政法人にすることを私がお手伝いし、職員の皆様もやる気にあふれた方々でしたので、今では全国でも有数の病院として大きく発展しています。

 ─ そのような状態の中で、どんな改革をしたのですか。

 長 旭中央の改革が成功したのは、1つには多くの人が独立行政法人化の方向で改革を進めていくことに賛成してくれたことがあると思います。努力する人が報われる経営体質にすることを、大多数の病院スタッフが賛成したということです。医師数も増え、この独法化は大きな成功例となったと思います。

旭中央病院の「改革の方向」
 ─ その旭中央の「改革の方向」とは、どのようなものになるのですか。

 長 実は約10年前にも、このエリアを中心に銚子市なども含めて病院を集約しようという提案をしたことがあるのですが、手を挙げてくれたのは旭中央と山武市の「さんむ医療センター」だけでした。

 さんむ医療センターは199床ほどの病院ですが、千葉県内でも業績の良い国保病院の1つ。現在は建物を建て替え中なのですが、この病院も独立行政法人化して医師も努力すれば報われる給与体系に切り替えた結果、経営が良くなりました。

 ─ つまり、現場の医師たちがやる気を持てるように病院を立て直すことも可能だと。

 長 その通りです。独法化はそういった仕組みを取り入れるために行うのです。

 自治体病院の経営形態は現在のまま、身分は公務員のままで良いということであっては改革が進まなければ共倒れになってしまいます。そうではなくて、現場で一生懸命働く医療従事者や医師、看護師たちが頑張れば頑張った分だけ報われるような仕組みを整えることは重要なのです。



大都市・名古屋での事例
 ─ こういった改革は都市部でも展開可能なのですか。

 長 もちろんです。有名な事例の1つが名古屋市です。同市内には城北、城西、東、守山、緑の中小規模の5市立病院がありました。まず、名古屋市立病院の統合・再編によって、それぞれ東と西に500床ずつの「名古屋市東部医療センター」と「西部医療センター」が作られ、それぞれの特色を生かす市民病院となったのです。

 再編が進み、経営も改善されたのですが、両病院に再編されなかった2つの小さな市立病院もあり、赤字経営が続いていました。そんな中で、医師の安定的な確保や医療の質の更なる向上、臨床研修・研究の充実などの観点から、21年4月にその赤字の病院を市立病院としては廃止し、名古屋市立大学医学部附属病院に組み込むことになったのです。

 ─ ここでも改革を引っ張ったリーダーがいるのですか。

 長 はい。名古屋市立大学理事長の郡健二郎氏です。郡氏が医学部長だったとき、いち早く病院連携の重要性に気づき、近隣の豊川や新城といった地域の医療関係者とも議論を重ね、名古屋市立大学から医師を派遣したりしてきました。

 赤字に悩んでいた名古屋市でも病院の再編・統合の動きが出てきました。私が名古屋市立5病院市立病院経営改善推進委員会の委員長として方針を決めさせていただきました。当時、名古屋市内も公立病院が多すぎたのです。それで市立病院を5つから2つにしたらどうですかとまず答申しました。

 そんな取り組みをしている最中に郡氏が名古屋市立大学の理事長に就任し、私の考え方にも賛同いただき、私を強力に支えていただきました。大学の附属病院化までに10年近くの歳月がかかりましたが、理事長はやり遂げました。

 ─ 他に援軍がいたと。

 長 ええ。名古屋市の場合は、名古屋市自身も一貫して私を支持してくれました。当時の副市長から「長さん、市は一生懸命やります。このまま何もしなければ市の財政は破綻してしまう。長さんの案を応援するから、ぜひ答申を出してくれ」と。それから苦節10年です。



病院連携で医師の融通が可能に
 ─ 名古屋市の病院改革の主導役になったのですね。名古屋大学も刺激を受けたのでは?

 長 そうかもしれませんね。名古屋大学も岐阜大学の運営法人と統合し、「東海国立大学機構」を発足させましたからね。また、名古屋市立大学の取り組みを参考にしているのが三重県です。長年、医師不足が続いていたようですが、今では研修医の募集で競争倍率が出るほどに集まり、医師も急増し、医師不足が解消されています。

 ─ 最後に監査法人である長隆事務所は監査法人では珍しく基本理念を掲げています。この理由を聞かせてください。

 長 おっしゃるとおり、当法人は「すべての人に健康と福祉を 住み続けられる町づくりに貢献する」という基本理念を掲げています。

 通常、監査法人の使命は監査をすることですから、監査法人の理念には監査の質について謳うケースがほとんどです。つまりは監査をやればいいというスタンスになっています。さらに言えば、基本理念すら掲げていない監査法人があることも事実です。

 しかし、私は監査を通じて何を実現するかということが重要だと思うのです。ですから、当法人は「すべての人に健康と福祉を 住み続けられる町づくりに貢献する」ために監査をさせていただいているというスタンスでいます。そういった視点の理念を掲げる監査法人は珍しいと思います。

 監査法人は単に監査をしてあげるという姿勢ではなく、持続可能な町づくりに貢献するという目標のために監査をしているのです。これを忘れてはいけません。


おさ・たかし
1941年生まれ。64年早稲田大学第二政治経済学部。67年税理士試験合格。71年監査法人太田哲三事務所入所。75年公認会計士第三次試験合格。76年公認会計士長隆事務所開業。2002年税理士部門を法人化、東日本税理士法人に名称変更、代表社員に就任。総務省地方公営企業アドバイザー、総務省公立病院改革懇談会座長など多数の公職を歴任。

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