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野村不動産社長・松尾大作の「神は細部に宿る」精神 「新しい街づくりは小さなことの積み重ね」

財界オンライン 2022年12月20日 11時30分

「日々の仕事を地道にやること。これが大事」─野村不動産社長の松尾大作氏はこう話す。足元で経済環境が不透明感を増し、日本でも金利上昇の足音が聞こえ始め、不動産への悪影響が懸念されている。だが、「どんな状況下でも、お客様のニーズを敏感に捉えて、事業を展開していくということに尽きる」と松尾氏。財閥系と違い、土地を持たず、スピードで勝負してきた野村不動産。次の成長に向けて打つ手は─。

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コロナ禍を経て変わった住まい方、働き方
「コロナ禍で住まい方、働き方が変わった。特に住宅は、一部でリモートワークが定着し、住まいで過ごす時間を豊かにしたいというニーズが強まっている」と話すのは、野村不動産社長(野村不動産ホールディングス副社長グループCOO=最高執行責任者)の松尾大作氏。

 特にマンションではコロナ前には、多少部屋が狭くても都心に近い場所のニーズが強かった。しかし、例えばリモートワークが増え、小さい子供がいる家庭などでは「トイレや浴室で仕事をしている人もいると聞いている」と松尾氏。

 野村不動産の顧客は各世代満遍なくいるが、コロナ以降は特に30代で、正社員の共働き夫婦「パワーカップル」の需要を掘り起こすことができ、「顧客層が厚くなった」(松尾氏)。

 オフィスについては、大企業を中心に「様子見が続いている」と松尾氏。リアルの対話を重視してオフィスに回帰する企業もあれば、リモートワークを進める企業もあり、対応は様々。

 この状況下、空室率の上昇が話題になるが、松尾氏は「私は不動産において、マクロのデータではなく、あくまでも局所的な、ミクロの情報を大事にしている」と話す。1つの大きな企業がオフィスのフロアから抜けて平均の空室率が上昇していたというケースも多いからだ。

「どんな状況下でも、お客様のニーズを敏感に捉えて、事業を展開していくということに尽きる」(松尾氏)

 だが、不動産を巡る環境は不透明感を増す。土地価格や建築費用の高騰、さらには欧米で金融引き締めが進む中、日本でも今後、金利の上昇局面が来ることが予想されている。松尾氏は今後をどう見通しているのか。

「我々は用地取得に関しては3、4年先まで数字が読めている。ただ、足元のマンション販売は好調で、各デベロッパーは用地確保に動いており、競争は激しい。用地情報、特に大きな事業法人が〝模様眺め〟で態度を決めかねていて、用地が出にくくなっている」

 また、相続案件の一部が、建築費高騰で相対的に土地の価格が下がったことで、土地が出てきづらくなっているという悪影響が出る。

環境変化に対応した新たな組織づくり
 不動産を巡る環境は日々変化を続けており、それに対応した組織づくりも進めている。野村不動産は14年、開発企画本部で「法定再開発」や「マンション建て替え」の専門部隊を組成し、首都圏で30件以上、全国で50件近い再開発に参画。

 22年4月には「事業創発本部」を設置。老朽化した公共施設や複合用途の公有地、学校法人・医療法人の施設・土地、PPP(Public Private Partnership=官民連携)など近年増加している新しい需要を専門で掘り起こす組織となっている。

 この部署は、野村不動産が中野区とともに進めている、中野サンプラザ跡地を含む再開発「中野駅新北口駅前エリア拠点施設整備事業」も所管している。

 これらの新たな部署の設置で「単発の入札案件を手掛けるだけでなく、重層的に需要を捉えることができるようになった」と手応えを感じている。

 建築費については、コロナ前から労務費の上昇が始まっていたが、コロナ禍、ウクライナ戦争、さらには為替の円安が加わって、さらなる高騰を招いている。「この対応は大きな課題」。 数年先までの建築工事は発注済みで、あとは追加工事費をいかに抑えるかということになるが、問題はこれから開発する物件。建築費に見合った用地の取得が難しくなる中、「価格が上がってもお客様にご納得いただくために、これまで以上に商品企画に工夫が必要になる」。

 コロナ禍以降の物件では、テレワークスペースを充実させたり、感染防止のために非接触型機器を導入、電気自動車(EV)の充電設備の設置など、様々な付加価値を付けている。

 さらにZEH(net Zero Energy House)化、再生可能エネルギー設備を標準化。コストは上がるが、環境性能を高めることで、購入者は住宅ローンにおいて借入額や控除額で優遇措置を受けられるといったメリットが出る。「トータルで商品力を上げて、お客様のご評価を得られるようにしていく」。

 マンション価格の高騰が続く中、市況に変調を来すのではないか?という懸念の声は絶えない。それに対して松尾氏は「人口減少で供給戸数が減っているのではなく、我々事業者は『出したいけれども出せない』状況。需要自体は底堅い」と強調。

 一方で「その状況にあぐらをかいてもいけない」と続ける。消費者マインドは理屈では測れない世界だということは、30年に及ぶ不動産開発の経験で体に染み付いている。一旦マインドが冷え込むと、実体経済以上に落ち込むこともあり得る。

 その点で懸念されるのが、日本における金利上昇。今、首都圏を中心にマンション価格が上がっても売れているのは、低金利で資金が借りやすくなっていることが大きい。

 足元で、すぐに金利が上がる状況は想定しづらいが、物価は上がっていく。マンションはより「高い買い物」になるということ。「この2年ほどは各社とも出せば売れる状況だったが、今後は選別が激しくなり、優勝劣敗がはっきりしてくるのではないか」と見る。より「質」が問われる時代になっている。

2025年、本社を東京・芝浦に移転
 近年、野村不動産では、そのエリアのシンボルになるような大型再開発が目立つ。

 日本橋で三井不動産、野村ホールディングスとともに参画する「日本橋一丁目中地区第一種市街地再開発事業」ではグループ発祥の地である「日本橋野村ビル旧館」の保存、活用において役割発揮が期待される。

 前述の中野サンプラザ跡地再開発は、7000名クラスのホール事業も手掛ける。地域文化の象徴となる開発だが、「ポイントはエリアマネジメント」(松尾氏)。すでに地域活性化に向けたイベントを手掛けている。

 エリアマネジメントは同社の特長の一つ。野村不動産がこれまで手掛けてきた千葉県船橋を皮切りに、神奈川県日吉、そして東京都亀戸でも「地域に開かれた街づくり」を進めてきた経験を生かしていく。

 そして「芝浦プロジェクト」は浜松町ビルディング(東芝ビルディング)の建て替えと、JR東日本が保有する「東海道貨物支線 大汐線用地」を活用し、オフィス・ホテル・商業施設・住宅を含む高層ツインタワーを開発する。

 区域面積は約4・7ヘクタール、延床面積は約55万平方メートル、高さは約235メートル。「S棟」は25年2月竣工予定、「N棟」は30年度竣工予定となっている。

 ホテルは、日本初進出のフランスのラグジュアリーホテル「フェアモント」が入る。また、敷地のうち3000平方メートルを緑地とし、その環境の中で出社しながら「ワーケーション」(ホテルやリゾート地で働く過ごし方)を実現する「トウキョウ ワーケーション」を提案。

 こうした新たな働き方を具現化する意味もあり、野村不動産は25年に、48年間本社を置いていた新宿から、芝浦プロジェクトのS棟への移転を決めた。

「新しい企業風土を創ろうということで移転を決めた。移転コストはかかるが、次の成長を取りに行くためには不可欠だと考えている」と松尾氏。

 現時点で、まだ東芝ビルは稼働中だが、テナントの移転でフロアが空いている。そこで、その場所に「トライアルオフィス」を設置して、様々な部署が新たなオフィスづくりに向けた課題出しをしている。そこで出た課題を自らの新本社や、顧客のオフィスづくりに生かしていく。

「大規模開発でも、大きな部分ではなく、目線を下げて、小さな部分にフォーカスしていくことが大事」と話す。芝浦でも開発規模などが話題になるが、それだけでなく人々の「働きやすい空間づくり」に気を配る。

 浜松町周辺では、東急不動産・鹿島による「東京ポートシティ竹芝」、JR東による「ウォーターズ竹芝」、そして世界貿易センタービルの建て替え「浜松町駅西口地区開発計画」がある。地域間連携をいかに進めるかが活性化のカギを握る。

次の成長へ、海外を開拓
 今、野村不動産は日本で培ったノウハウを海外で生かそうとしている。注力しているのはベトナム、フィリピン、タイという東南アジア諸国。社内では「アジアの成長を取りに行く」という号令がかかる。

「ローカルビジネスであり、国内と海外で基本は変わらない。そして共存共栄できるパートナーと密接な関係をつくること、そして投資ではなく、商品企画を重視して、付加価値をパートナーにも提供していく」

 特に重視するのが「KAIZEN活動」。例えば、これまでの東南アジアの企業が住宅開発などをする際には「雨漏り」など施工の不備や、工程管理が不十分で工期が遅れることが多かった。しかし、これらは日本企業からすると基本中の基本。

 その基本の徹底を長年続けたことで、物件の品質が向上。現地企業からも感謝され「KAIZEN活動」で手数料を得ることもできるようになっている。

 野村不動産は2031年度までに海外事業で約5500億円を投資資金として確保している。中でも現在進行中の中期経営計画ではベトナムの事業量が多く、ホーチミン、ハノイを中心に約2万5000戸の住宅開発を進め、すでに今期から収益貢献を始めている。

 一方、収益不動産事業、つまり投資事業では欧米をターゲットにしている。英国ロンドンではオフィスビルを取得。建築費高騰という逆風は吹くが、「出口は見えている」と話す。

 また、米国オレゴン州ポートランド市で再開発事業に参画。世界の不動産の大市場である米国で「橋頭堡」を築くという意味を持つ。こちらも金利上昇という逆風が吹くが「あまり神経質になっても事業はできない。事業の中でバッファを取りながらやっていく必要がある」。

 松尾氏は1964年10月鹿児島県生まれ。88年同志社大学経済学部卒業後、野村不動産入社。12年執行役員、15年常務執行役員、18年取締役兼専務執行役員、21年4月野村不動産社長就任という足取り。

 松尾氏が不動産業界を志望したのは、元々地理や歴史に興味があり、国内外の歴史書に記されている土地の開発などを読んで憧れを抱いていたことが大きかった。そこで進路を信託銀行か不動産デベロッパーに絞り、「就職活動でお会いした方々が魅力的だった」という野村不動産への入社を決めた。

 松尾氏は若手時代を「必死だった」と振り返る。88年入社の松尾氏はバブル経済崩壊の中、若手時代を過ごした。その厳しい環境下では「単にモノをつくれば売れるものではない」ということを痛感。

 特に松尾氏は「開発」の経験が長い。周囲には用地を買うことに徹する人が多かったが、松尾氏は、その土地にどんな価値のあるものが開発されるのかについても、継続して関わり続けていた。「不動産は残るもの。5年前、10年前に関わったマンションが地域で評判になっていたりするのを聞くことがやりがいにつながっていた」という。

 辛かったのはサブプライム危機、リーマンショックの時。当時、松尾氏は事業部長として大阪にいたが「何をやっても全くダメだった」と振り返る。

 物件が売れず、部下との関係もうまくいかなかった。「この時代の経験は自分にとって戒めになっており、転換期だった」。当時、開発に携わったマンションは今の中古価格の方が高く取引されているという。

 21年に社長に就任したが、世はコロナ禍。そこで様々なことを考える時間が取れた。「やはり最後は現場。日々仕事をしているみんなが何を感じているかが大事」という結論に至った。

 社長就任後に社内で所信表明を行ったが、そこで近代建築の3大巨匠の1人であるルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエの「神は細部に宿る」という言葉を紹介した。

 デベロッパーは大規模開発などダイナミックなイメージが強いが、「細部にわたって地道に努力を積み重ねた結果。〝上〟から見ているだけでは世間の変容は捉えられない。日々の仕事を大事に続けること。これが原点」。

 財閥系と違い、土地という資産を持たない野村不動産だけに、社員1人ひとりが知恵を発揮することが、より求められる。松尾氏はその「人」を束ね、力を発揮させることができるか。

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