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【倉本 聰:富良野風話】墓仕舞い

財界オンライン 2023年1月1日 7時0分

終活を一応終え、やれやれと胸を撫でおろしたら今度は墓仕舞いという、ややこしい問題が浮上した。

【倉本聰:富良野風話】ライトアップ

 そも、御先祖にそんな墓があるなんてことを知らなかった。僕の母方の墓である。

 母は京都の生まれであると昔から全く疑いを持っていなかった。物心つくころから母は里帰りにいつも京都に僕を連れて行ったし、宮川町の中にある、えびす湯という銭湯に僕を連れて行き、脂粉の香りで蒸せかえる女湯に母に抱かれて行くのが習慣で、幼心に目の前に林立する芸者衆の逞しい太腿が恐くて母の胸にしっかり抱きついていたものだ。

 母の実家は大和大路松原という名刹・建仁寺のすぐ脇で医者を開業していたわけで、祇園・建仁寺、宮川町という、いわばなまめかしい京都の一角が母方のふるさとと思い込んでいたのである。

 その思いこみの覆ったのが今から40年ばかり前。歴史好きの些か迷惑な母方の従兄が、ある日突然電話をして来て、判ッタデ判ッタデ! うちのルーツは京都やない、佐渡や! やっと突きとめて行ったら偉いことや! 佐渡の古刹の境内に何代にもわたる、でかい墓があって、それを100年間放っぽいとったから住職カンカンに怒っとって、どうする気じゃ! と手がつけられん! あんた、すぐ行って話つけてぇな! そうのたまって何とその従兄は無責任にも程なくコロッと逝ってしまったのである。

 仕方なくその墓の面倒を、その後僕が見ることになってしまった。詫びに行くやら墓参りに行くやら、永代供養の金を払うやら、全く面識も何もない御先祖の面倒を40年間見てきたわけなのだが、さてこの責任者たる僕の妹弟が、一人は死にかけ、一人は呆けかけている。即ち僕が何とかせねばならぬ。そも、あの物好きな従兄奴が余計な探索をしないでくれれば、こんなことにはならなかったのにと思うが、今更ボヤイたって始まらない。それで齢88歳にもなって、今また悩み事を抱えてしまった。

 無責任な周囲は放っとけというが、そうもいかない。それではお寺さんに申し訳ない。

 そこで密かに調べてみると、半分何の関係もなかった筈のこの墓仕舞いの費用というものが、どうも半端でないことが判明した。

 供養とかお礼とかにかかるものは別として、墓石の撤去が大変である。それもウチのは、かなりの敷地に、まずバカでかい苔むした墓石。これが何㌧の重量になるのか。それを囲むように数基の墓石。これらを移動し撤去するのに、かなりの重機が必要となる。それだけでもお寺サンは大変だろう。そう思うと子孫として放っとくわけにいかない。

 さて、そこで一方、いま僕自身が富良野に墓を建てようと考え、御丁寧に何年か前、市から墓地の土地を買ってしまった! すると周囲がバカでかい岩を山から掘り出して運びこんでしまった。この矛盾!! 一体僕の死後、この始末は誰がどうつけるのか。天から見ていよう。

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