2023年(令和5年)は卯(ウサギ)年。ウサギは跳びはねるということで、跳躍の年にしたいものだが、内外の諸情勢から見ると、野放図に跳びはねるということではなく、緊張感を強いられる局面もありそうだ。
「VUCAの年」という向きもある。
Volatility(変動)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑)、Ambiguity(不透明)の頭文字を取って〝VUCA〟とされるわけだが、ひと頃よく使われた言葉。
コロナ禍が3年続き、ウクライナ危機もほぼ1年近くとなり、ウクライナ側の反攻が目立ち、侵攻したロシアの劣勢が伝わってくる。
押され気味のロシア・プーチン大統領は、「核は防衛用」としつつも、核の使用に含みを持たせる発言。
戦争が早く終結することを切に願う2023年だが、何が起きるか分からないVUCAの時代だけに、緊張感の求められる年になりそうだ。
しかし、そういう混沌とする時代環境を生き抜くには、基本的な道義、本質・本筋に則った行動が求められるということ。
本質・本筋を追究する2023年だと思う。
ウサギにちなむ神話に『因幡の白兎』がある。古事記に登場する話だが、隠岐島に居る兎が対岸の因幡の国まで行きたいと思い、一計を案じる。
兎がワニザメに向かって言う。
「あなたたちとわたしたちの種族のどちらが多いか数えてみよう。あなたたちもできるだけ、多くの仲間を連れて、並んでください」
ずらりと並んだワニザメたちの背中の上をピョンピョン跳びはねて兎は因幡へと渡る。
自分たちは利用された。すっかりだまされたと知ったワニザメたちは兎の毛を剥ぎ取る。丸裸にされた兎は困ってしまう。
泣いている所へやって来た大国主(オオクニヌシノミコト)が治療法を教えて、兎は救われるという神話。
大国主の思いやりの心もさることながら、兎が得た教訓は、人をだますというか、己の利益のために人を利用してはいけないということ。
人としての生き方、他との共存・共生を考えさせてくれる神話が古来、日本では語り継がれてきた。では具体的に、国と国の利害得失をどう計り、調和させ、ソリューションを引き出していくか。
卯年の2023年は日本の底力が試されている。
まさに混沌とした状況。その中で、これからの生き方・働き方を考える場合に、どういう価値観、規範を基準に捉えるべきか?
経済同友会代表幹事の櫻田謙悟さん(1956年生まれ)は、日本再生について、「課題や処方箋は出尽くした。あとは実行あるのみ」とした上で、日本には古来、行動規範、価値観があると強調。
「日本には、新渡戸稲造博士が説いた『武士道』や渋沢栄一の『論語と算盤』などがあります。そうした行動規範や価値観をもって、全ステークホルダーが課題解決に向かって取り組んでいく時だと思います」
いわば全員参加での解決だ。
櫻田さんは、全てのステークホルダーで取り組むことが大事という考えを示し、『生活者共創社会』を目指そうと提言。
『生活者』とは何か?
従来の経済学では、生活者、消費者、製造業、サービス業と区分けして経済社会の分析などをやってきた。
しかし、それは各領域をバラバラに捉えるものであり、もっと全体観のある形で捉えられないかという問題意識。
「市民(シチズン)でもなく、消費者(コンシューマー)でもなく、個人(インディビジュアル)でもなく、生活者という視点です」
櫻田さんはこう語りながら、「わたし自身、経営者であると同時に、休日などには妻と一緒にスーパーで買い物をする消費者でもありますからね」とユーモアを交えて語る。
スイス・ダボス会議に毎年出席する櫻田さんは、主催者のクラウス・シュワブ教授に「生活者って分かりますか?」と聞いたという。
「SEIKATSUSHA?」と言ったきり、シュワブ教授はしばし黙り込んだ。
すかさず櫻田さんが丁寧に説明していくと、「それはいい言葉だね、そのままSEIKATSUSYAで使っていけばいい」と返答してくれたという。
要は、日本再生へ、生活者の視点で、国民1人ひとりが生き生きとやっていこうということ。
経済領域を含めて、社会運営を担い、その基盤を支えるのは「人」。「人」への投資が日本再生の鍵を握る。
世界全体がコロナ禍、ウクライナ危機を迎えて、生きることは何かとか、働くことの意味を問い直そうとしている。
ステークホルダー(利害関係者)という視点でも、株主至上主義から公益資本主義的な〝社会性〟、〝公益性〟を重視する考え方が強まる。
つまり全ステークホルダー(顧客、従業員、取引先、地域関係者、株主など)が等しく、課題解決に向かっていくことが大事。
「有言実行の時です。経営者の責任と使命は重い」と語る櫻田さんである。
「極限追求の経営」─。東レ社長・日覺昭葊さん(1949年生まれ)は混沌とした状況を生き抜くためにも、モノづくりで極限を追求したいと語る。
「もう安物のコスト競争に陥ってしまうと。われわれとしては研究開発力、技術力、これを売り物にしてというか、これが強みなんだと。(安物のコスト競争では)それが生かせないようになってしまうので、そういった意味で徹底的に極限を追求していきたい」
一番いい例が繊維事業。明治の殖産興業以来、繊維産業は近代産業として始まり、長い歴史を持つ。
繊維は伝統産業で、技術革新もなく、新しいものは生まれないと思いがちだが、そうではない。
「ナノデザインという技術でやると、ものが全く変わってしまうと。繊維の薄さとか複合繊維とかで既存の素材との違いが出る。いわゆるカジュアルウェアでも、全く風合いとかが変わってくるんです」と日覺さん。
〝ナノ〟。100万分の1㍉という単位で素材の可能性を追求。ナノアロイという樹脂は、自動車の衝撃吸収材としても使われる。
「普通のアロイでいくと、破壊試験でもぐしゃぐしゃになるんだけど、ナノアロイでやると、バラバラにならず、衝撃を吸収します」
極限追求の営み─。他が真似できない商品の開発。技術陣の中で、「3人に1人は研究開発技術者」と日覺さん。随所で、〝人への投資〟が続く。
「VUCAの年」という向きもある。
Volatility(変動)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑)、Ambiguity(不透明)の頭文字を取って〝VUCA〟とされるわけだが、ひと頃よく使われた言葉。
コロナ禍が3年続き、ウクライナ危機もほぼ1年近くとなり、ウクライナ側の反攻が目立ち、侵攻したロシアの劣勢が伝わってくる。
押され気味のロシア・プーチン大統領は、「核は防衛用」としつつも、核の使用に含みを持たせる発言。
戦争が早く終結することを切に願う2023年だが、何が起きるか分からないVUCAの時代だけに、緊張感の求められる年になりそうだ。
しかし、そういう混沌とする時代環境を生き抜くには、基本的な道義、本質・本筋に則った行動が求められるということ。
本質・本筋を追究する2023年だと思う。
ウサギにちなむ神話に『因幡の白兎』がある。古事記に登場する話だが、隠岐島に居る兎が対岸の因幡の国まで行きたいと思い、一計を案じる。
兎がワニザメに向かって言う。
「あなたたちとわたしたちの種族のどちらが多いか数えてみよう。あなたたちもできるだけ、多くの仲間を連れて、並んでください」
ずらりと並んだワニザメたちの背中の上をピョンピョン跳びはねて兎は因幡へと渡る。
自分たちは利用された。すっかりだまされたと知ったワニザメたちは兎の毛を剥ぎ取る。丸裸にされた兎は困ってしまう。
泣いている所へやって来た大国主(オオクニヌシノミコト)が治療法を教えて、兎は救われるという神話。
大国主の思いやりの心もさることながら、兎が得た教訓は、人をだますというか、己の利益のために人を利用してはいけないということ。
人としての生き方、他との共存・共生を考えさせてくれる神話が古来、日本では語り継がれてきた。では具体的に、国と国の利害得失をどう計り、調和させ、ソリューションを引き出していくか。
卯年の2023年は日本の底力が試されている。
まさに混沌とした状況。その中で、これからの生き方・働き方を考える場合に、どういう価値観、規範を基準に捉えるべきか?
経済同友会代表幹事の櫻田謙悟さん(1956年生まれ)は、日本再生について、「課題や処方箋は出尽くした。あとは実行あるのみ」とした上で、日本には古来、行動規範、価値観があると強調。
「日本には、新渡戸稲造博士が説いた『武士道』や渋沢栄一の『論語と算盤』などがあります。そうした行動規範や価値観をもって、全ステークホルダーが課題解決に向かって取り組んでいく時だと思います」
いわば全員参加での解決だ。
櫻田さんは、全てのステークホルダーで取り組むことが大事という考えを示し、『生活者共創社会』を目指そうと提言。
『生活者』とは何か?
従来の経済学では、生活者、消費者、製造業、サービス業と区分けして経済社会の分析などをやってきた。
しかし、それは各領域をバラバラに捉えるものであり、もっと全体観のある形で捉えられないかという問題意識。
「市民(シチズン)でもなく、消費者(コンシューマー)でもなく、個人(インディビジュアル)でもなく、生活者という視点です」
櫻田さんはこう語りながら、「わたし自身、経営者であると同時に、休日などには妻と一緒にスーパーで買い物をする消費者でもありますからね」とユーモアを交えて語る。
スイス・ダボス会議に毎年出席する櫻田さんは、主催者のクラウス・シュワブ教授に「生活者って分かりますか?」と聞いたという。
「SEIKATSUSHA?」と言ったきり、シュワブ教授はしばし黙り込んだ。
すかさず櫻田さんが丁寧に説明していくと、「それはいい言葉だね、そのままSEIKATSUSYAで使っていけばいい」と返答してくれたという。
要は、日本再生へ、生活者の視点で、国民1人ひとりが生き生きとやっていこうということ。
経済領域を含めて、社会運営を担い、その基盤を支えるのは「人」。「人」への投資が日本再生の鍵を握る。
世界全体がコロナ禍、ウクライナ危機を迎えて、生きることは何かとか、働くことの意味を問い直そうとしている。
ステークホルダー(利害関係者)という視点でも、株主至上主義から公益資本主義的な〝社会性〟、〝公益性〟を重視する考え方が強まる。
つまり全ステークホルダー(顧客、従業員、取引先、地域関係者、株主など)が等しく、課題解決に向かっていくことが大事。
「有言実行の時です。経営者の責任と使命は重い」と語る櫻田さんである。
「極限追求の経営」─。東レ社長・日覺昭葊さん(1949年生まれ)は混沌とした状況を生き抜くためにも、モノづくりで極限を追求したいと語る。
「もう安物のコスト競争に陥ってしまうと。われわれとしては研究開発力、技術力、これを売り物にしてというか、これが強みなんだと。(安物のコスト競争では)それが生かせないようになってしまうので、そういった意味で徹底的に極限を追求していきたい」
一番いい例が繊維事業。明治の殖産興業以来、繊維産業は近代産業として始まり、長い歴史を持つ。
繊維は伝統産業で、技術革新もなく、新しいものは生まれないと思いがちだが、そうではない。
「ナノデザインという技術でやると、ものが全く変わってしまうと。繊維の薄さとか複合繊維とかで既存の素材との違いが出る。いわゆるカジュアルウェアでも、全く風合いとかが変わってくるんです」と日覺さん。
〝ナノ〟。100万分の1㍉という単位で素材の可能性を追求。ナノアロイという樹脂は、自動車の衝撃吸収材としても使われる。
「普通のアロイでいくと、破壊試験でもぐしゃぐしゃになるんだけど、ナノアロイでやると、バラバラにならず、衝撃を吸収します」
極限追求の営み─。他が真似できない商品の開発。技術陣の中で、「3人に1人は研究開発技術者」と日覺さん。随所で、〝人への投資〟が続く。