「個人技の経営」から「チーム経営」へ─。トヨタ自動車が社長交代を発表した。2009年に豊田章男氏が社長に就任してから約14年。その間、同氏は世界販売台数を1.4倍、時価総額を2倍以上に成長させた。そんな豊田氏は4月1日から代表取締役会長となって次期社長の佐藤恒治氏をサポートする。「若さ」と「クルマ好き」が社長交代の決め手になったと語る豊田氏の後を継ぐ佐藤氏。将来のトヨタの姿をどう描くのか。
ガソリンスタンドを配送拠点に ENEOSと三菱商事が新会社
「もう古い人間だ」
「デジタル化、電動化、コネクティビリティ。そういうものも含めて私は『もう古い人間』だと思う。『新しい章』に入ってもらうためには、私自身が一歩引くことが、今必要なのではないかと思う」─。トヨタ自動車社長の豊田章男はこう語る。
豊田氏の軌跡を振り返れば大きく4つの期間に分けられる。
09年からの3年間はリーマン・ショック後の赤字転落、米国に端を発した大規模リコール、東日本大震災、タイの大洪水など危機対応に明け暮れた。自身の社長就任を「マイナスからのスタート」と表現するように、それまでの「規律なき拡大路線」を歩んできた歪みが採算悪化やリコールに結びついたからだ。
この反省として豊田氏が取り組んだのが「持続的成長」と「競争力強化」だ。そこで豊田氏は次の3年間を「意志ある踊り場」と表現し、「いったん立ち止まってでもトヨタ生産方式に根付いた競争力のある生産現場を実現する」ことに心血を注いだ。
この結果、生まれたのが部品共通化の新たな手法「TNGA」だ。設計思想を根本から見直したことで22年3月期の損益分岐点台数は09年3月期比で30~40%引き下げることに成功。
その後の4年間は「トヨタらしさ」を取り戻すことと「トヨタをモデルチェンジすること」だった。豊田氏は「トヨタ生産方式」と「原価の作り込み」の再強化を掲げ、生産現場だけでなく、事務職場や技術職場でも「ムダ、ムラ、ムリ」の徹底的な排除に取り組んできた。
また、小型車や中型車など製品ごとに地域ニーズに応じたクルマづくりを進める「カンパニー制」も導入。この頃から豊田氏のキーワードは「町いちばんのクルマ屋」になった。
そして直近の4年間で精を出してきた取り組みの1つが「仲間づくり」。ダイハツ工業の完全子会社化を皮切りに、マツダやスズキとは資本業務提携し、SUBARUを持ち分法適用会社にした。異業種でもソフトバンクと新会社を設立し、NTTやKDDIとも協業を進めている。
これらの一連の取り組みについて、トヨタOBは「創業家出身社長だからこそ為せる技」と語る。中でも私財を投じてトヨタからソフトウエア部門を切り離し、自動車用基本ソフトを手掛ける「ウーブン・プラネット」の設立や工場の跡地を実験型未来都市にする「ウーブン・シティ」といった大規模プロジェクトは「任期の短いサラリーマン社長ではできない芸当だ」(同)。
そして今のトヨタが直面しているのが「モビリティカンパニーへの変革」だ。かねてより同社の社内では社名を「トヨタ自動車」から「トヨタ」に変更することも検討されている。自動車業界における「100年に一度」の大変革期を迎えている中で、「クルマの収益構造が大きく変わる」(アナリスト)からだ。
これまでのハードの売り切りではなく、デジタルとの融合により、クルマに搭載されるソフトウエアで機能を更新し、様々なソフトで収益を上げるモデルへと変わっていく。そのときにはソフトを提供するIT企業がビジネスでの主導権を握り、自動車メーカーはその〝下請けになる〟と危惧される。「それはトヨタも例外ではない」(幹部)。
クルマは社会システムの一部に
佐藤氏はそういった時代にトヨタを率いることになる。偶然にも佐藤氏は豊田氏が社長になった年齢と同じ53歳。「50代の若さで執行役員に上りつめただけに数字や仕事に厳しい人」(別の関係者)とも言われる。
同氏は1992年に入社したエンジニア畑出身で、94年から「カローラ」や「プリウス」の部品開発に携わり、現会長の内山田竹志氏の下でクルマづくりの手ほどきを受けた。自他共に認めるモータースポーツ好きで、水素エンジン車の開発も担当。最近ではトヨタの旧型スポーツ車「AE86」を購入して自宅で分解するなど車好きの一面も。
そんな佐藤氏は「クルマはモビリティをはじめとする社会システムの一部になっていく。その中でクルマを進化させ続けていきたい」と語る。ただ、〝つながるクルマ〟は電動化と切っても切り離せない。世界の自動車産業では「エンジン車の時代は終わった」(外資系メーカー首脳)と指摘する声もある。
その点、トヨタは電動化に対して燃料電池車やハイブリッド車などを各地域のエネルギー事情に合わせて展開する「全方位外交」を継続する。ただ、足元で投入できている電気自動車(EV)は「bZ4X」のみ。その意味では、佐藤氏が率いる「レクサス」がいち早くEVを投入済みで、35年にはEV専業メーカーになるだけに、電動化で世界の潮流を引っ張る存在になれるかどうかが試される。
また、気になるのは豊田氏の今後の動向だ。社長交代を受け、異例の3期目に突入していた日本自動車工業会会長についても辞意を表明した。財界からは今回の動きを経団連会長就任への布石と見る向きもある。退任する内山田氏も「日本の産業界に大きく羽ばたいて欲しい。そのためにはトヨタの『会長』という肩書がセットでないといけない」と豊田氏を諭す。
これまでのトヨタは豊田氏の「個人技で引っ張ってきた面がある」が、佐藤氏に課せられているのは「チーム経営」となる。EVではテスラ独走が続き、中国・BYDも日本に進出。トヨタも30年までにEVを350万台を販売する構想を描く。37万人の雇用を抱えるトヨタを引っ張るためにもEVに対する更なる情報発信が待たれる。
ガソリンスタンドを配送拠点に ENEOSと三菱商事が新会社
「もう古い人間だ」
「デジタル化、電動化、コネクティビリティ。そういうものも含めて私は『もう古い人間』だと思う。『新しい章』に入ってもらうためには、私自身が一歩引くことが、今必要なのではないかと思う」─。トヨタ自動車社長の豊田章男はこう語る。
豊田氏の軌跡を振り返れば大きく4つの期間に分けられる。
09年からの3年間はリーマン・ショック後の赤字転落、米国に端を発した大規模リコール、東日本大震災、タイの大洪水など危機対応に明け暮れた。自身の社長就任を「マイナスからのスタート」と表現するように、それまでの「規律なき拡大路線」を歩んできた歪みが採算悪化やリコールに結びついたからだ。
この反省として豊田氏が取り組んだのが「持続的成長」と「競争力強化」だ。そこで豊田氏は次の3年間を「意志ある踊り場」と表現し、「いったん立ち止まってでもトヨタ生産方式に根付いた競争力のある生産現場を実現する」ことに心血を注いだ。
この結果、生まれたのが部品共通化の新たな手法「TNGA」だ。設計思想を根本から見直したことで22年3月期の損益分岐点台数は09年3月期比で30~40%引き下げることに成功。
その後の4年間は「トヨタらしさ」を取り戻すことと「トヨタをモデルチェンジすること」だった。豊田氏は「トヨタ生産方式」と「原価の作り込み」の再強化を掲げ、生産現場だけでなく、事務職場や技術職場でも「ムダ、ムラ、ムリ」の徹底的な排除に取り組んできた。
また、小型車や中型車など製品ごとに地域ニーズに応じたクルマづくりを進める「カンパニー制」も導入。この頃から豊田氏のキーワードは「町いちばんのクルマ屋」になった。
そして直近の4年間で精を出してきた取り組みの1つが「仲間づくり」。ダイハツ工業の完全子会社化を皮切りに、マツダやスズキとは資本業務提携し、SUBARUを持ち分法適用会社にした。異業種でもソフトバンクと新会社を設立し、NTTやKDDIとも協業を進めている。
これらの一連の取り組みについて、トヨタOBは「創業家出身社長だからこそ為せる技」と語る。中でも私財を投じてトヨタからソフトウエア部門を切り離し、自動車用基本ソフトを手掛ける「ウーブン・プラネット」の設立や工場の跡地を実験型未来都市にする「ウーブン・シティ」といった大規模プロジェクトは「任期の短いサラリーマン社長ではできない芸当だ」(同)。
そして今のトヨタが直面しているのが「モビリティカンパニーへの変革」だ。かねてより同社の社内では社名を「トヨタ自動車」から「トヨタ」に変更することも検討されている。自動車業界における「100年に一度」の大変革期を迎えている中で、「クルマの収益構造が大きく変わる」(アナリスト)からだ。
これまでのハードの売り切りではなく、デジタルとの融合により、クルマに搭載されるソフトウエアで機能を更新し、様々なソフトで収益を上げるモデルへと変わっていく。そのときにはソフトを提供するIT企業がビジネスでの主導権を握り、自動車メーカーはその〝下請けになる〟と危惧される。「それはトヨタも例外ではない」(幹部)。
クルマは社会システムの一部に
佐藤氏はそういった時代にトヨタを率いることになる。偶然にも佐藤氏は豊田氏が社長になった年齢と同じ53歳。「50代の若さで執行役員に上りつめただけに数字や仕事に厳しい人」(別の関係者)とも言われる。
同氏は1992年に入社したエンジニア畑出身で、94年から「カローラ」や「プリウス」の部品開発に携わり、現会長の内山田竹志氏の下でクルマづくりの手ほどきを受けた。自他共に認めるモータースポーツ好きで、水素エンジン車の開発も担当。最近ではトヨタの旧型スポーツ車「AE86」を購入して自宅で分解するなど車好きの一面も。
そんな佐藤氏は「クルマはモビリティをはじめとする社会システムの一部になっていく。その中でクルマを進化させ続けていきたい」と語る。ただ、〝つながるクルマ〟は電動化と切っても切り離せない。世界の自動車産業では「エンジン車の時代は終わった」(外資系メーカー首脳)と指摘する声もある。
その点、トヨタは電動化に対して燃料電池車やハイブリッド車などを各地域のエネルギー事情に合わせて展開する「全方位外交」を継続する。ただ、足元で投入できている電気自動車(EV)は「bZ4X」のみ。その意味では、佐藤氏が率いる「レクサス」がいち早くEVを投入済みで、35年にはEV専業メーカーになるだけに、電動化で世界の潮流を引っ張る存在になれるかどうかが試される。
また、気になるのは豊田氏の今後の動向だ。社長交代を受け、異例の3期目に突入していた日本自動車工業会会長についても辞意を表明した。財界からは今回の動きを経団連会長就任への布石と見る向きもある。退任する内山田氏も「日本の産業界に大きく羽ばたいて欲しい。そのためにはトヨタの『会長』という肩書がセットでないといけない」と豊田氏を諭す。
これまでのトヨタは豊田氏の「個人技で引っ張ってきた面がある」が、佐藤氏に課せられているのは「チーム経営」となる。EVではテスラ独走が続き、中国・BYDも日本に進出。トヨタも30年までにEVを350万台を販売する構想を描く。37万人の雇用を抱えるトヨタを引っ張るためにもEVに対する更なる情報発信が待たれる。