「戦略3文書」に基づく防衛力整備
─ 昨年12月、政府は新たな国家安保戦略などの「戦略3文書」を閣議決定しました。米中対立やロシアによるウクライナ侵攻が続く中で、この戦略3文書の策定の意義について、どのように受け止めていますか。
森本 今回策定された戦略3文書には、広範多岐にわたる意欲的な戦略指針が盛り込まれており、今までにない画期的な内容になっています。
再考・日本の安全保障戦略(1回目) 元防衛大臣・森本敏
特に、国家防衛戦略は、従来の枠組みに縛られない発想に基づく独創的な内容となっていて、日本にとって戦後、初めて本格的な国防戦略ができたものであり、それは歴史的な意味合いを持っていると考えています。
─ かなり森本さんの評価が高いですね。
森本 それがどういうことかについて簡単に説明します。
先の大戦が終わった5年後の1950年(昭和25年)に朝鮮戦争が起こり、53年に休戦協定ができた後、翌年の54年に自衛隊ができました。その後、世界は冷戦期に入り、自衛隊も育っていきましたが、日本の防衛は実際のところ、米国に大きく依存したものでした。しかし、その中で、日本として独自の防衛力を作ろうとしました。
冷戦期におけるわれわれの目標は、極東ソ連軍の脅威を日米で抑止することでした。日本はそのための防衛力整備を進めていましたが、ソ連軍が増強されることに伴って、防衛力も防衛費も増やさざるを得ないことになり、どこまでこれが続くのかという問題が起こりました。
そこで、日本の防衛に必要最小限の防衛力とそれに見合う予算の枠を設定すべきという歯止め論が出てきました。1976年にできた「防衛費の国内総生産(GDP)比1%枠(当時は国民総生産=GNP比)」と「基盤的防衛力構想」がそれです。
─ 当時の三木武夫内閣が閣議決定したんですね。
森本 ええ。1%枠はその後、1987年には撤廃されましたが、実際にはその後も、ほとんど1%を超えることはありませんでした(もっともバブル期に日本のGDPが減ったために、防衛費の比率が1%をごく僅かに超えたことはあります)。
また、防衛力構想も、脅威を対象とするより、日本の必要最小限度の防衛力の基準を作るという観点から基盤的防衛力を整備するということになり、その後、これは「動的防衛力構想」、「統合機動防衛力構想」と名称は変わってきましたが、実態はほとんど変わりませんでした。
今回の国家安全保障戦略、国家防衛戦略は、この縛りを除去するという今までにない予算編成のルールがひかれ、その中で周辺国の能力と脅威に対応するために何をどの程度装備すべきか? という発想で防衛力が作られました。また、防衛費は1%枠で縛るのではなく、2%を目標に増やしていくという発想になりました。国家として当然のことが当然のように実現したということです。
しかし、こんなことは今までなかったことでした。浜田靖一防衛大臣のリーダーシップが見事だったと思います。それだけではなく、財務当局も、国家の防衛にとって真に必要なことをやろう、という柔軟な対応を示したこともこれを可能にしました。これがなかったら、今回の国家安全保障戦略と国家防衛戦略はできていないのです。
戦後、やっと国として当然の対応をとる勇気と決断を示したのであり、多くの関係者、政治家、官僚、これを後押しした専門家や世論の支持に敬意を表したい。ついでながら、この点から考えると、〝必要最小限度の防衛力〟という表現は、現実になじまないので撤廃することが望ましいと思います。
いずれにしても、われわれは文書ができると、すでにその中身が実現しているように錯覚しますが、いまだにそれは画餅であり、何も実現していないのです。今後は、これらの戦略指針を実現する方が重要な課題ですが、それは、戦略方針を策定することより、はるかに困難な仕事であることは明白です。
再考 日本の安全保障戦略(2回目・中国問題) 元防衛大臣・森本敏
国家と国民の安全を守るには
─ そうした中で、産業界の果たすべき役割とは何だと考えますか。
森本 戦略指針全体を通して、特に、サプライチェーン(供給網)の維持・確保、研究開発の重要性、及び、人材の育成や隊員の処遇改善に重点を置いた内容になっていたことは極めて適切です。
若い人材が欧米に基礎科学を研究するため、留学をするに際して、国が全面援助する制度を採用してほしいと思いますし、彼らが日本の技術を高め、それが国家の安全保障にとって極めて貴重な基盤となるのです。
また、以上の施策を実行する際、防衛産業の協力は不可欠です。産業界も体質の改善を図り、求められる情報を率直に提供できるよう、経済安全保障や防衛装備・生産のための経営組織を再構築する努力が必要です。政府の援助に期待するだけでなく、産業の体質を改善する努力を進めるべきです。
─ 防衛費総額は5年で43兆円と、岸田政権は現状の約1.5倍に防衛費を増額しました。改めて、このことの意義をどう考えていますか。
森本 このような抜本的な施策を進めるため、今後5年間で43兆円の防衛予算を組むことにいろいろな意見が出ていますが、国家と国民の安全を守るには金がかかるものです。
今回の戦略指針にかかる予算措置について、浜田防衛相のリーダーシップと財務省の柔軟かつ、前向きな対応には感心しました。金よりも社会の安定や人の命の方が大切です。増税は誰でも嫌ですが、しかし、国の安全と国民の生命を守るには痛みを伴うのです。
われわれにはそれを受け止める覚悟が必要なのです。(了)
【政界】立て直しに向けて内閣再改造論が浮上 政治リーダーとしての真価問われる岸田首相
─ 昨年12月、政府は新たな国家安保戦略などの「戦略3文書」を閣議決定しました。米中対立やロシアによるウクライナ侵攻が続く中で、この戦略3文書の策定の意義について、どのように受け止めていますか。
森本 今回策定された戦略3文書には、広範多岐にわたる意欲的な戦略指針が盛り込まれており、今までにない画期的な内容になっています。
再考・日本の安全保障戦略(1回目) 元防衛大臣・森本敏
特に、国家防衛戦略は、従来の枠組みに縛られない発想に基づく独創的な内容となっていて、日本にとって戦後、初めて本格的な国防戦略ができたものであり、それは歴史的な意味合いを持っていると考えています。
─ かなり森本さんの評価が高いですね。
森本 それがどういうことかについて簡単に説明します。
先の大戦が終わった5年後の1950年(昭和25年)に朝鮮戦争が起こり、53年に休戦協定ができた後、翌年の54年に自衛隊ができました。その後、世界は冷戦期に入り、自衛隊も育っていきましたが、日本の防衛は実際のところ、米国に大きく依存したものでした。しかし、その中で、日本として独自の防衛力を作ろうとしました。
冷戦期におけるわれわれの目標は、極東ソ連軍の脅威を日米で抑止することでした。日本はそのための防衛力整備を進めていましたが、ソ連軍が増強されることに伴って、防衛力も防衛費も増やさざるを得ないことになり、どこまでこれが続くのかという問題が起こりました。
そこで、日本の防衛に必要最小限の防衛力とそれに見合う予算の枠を設定すべきという歯止め論が出てきました。1976年にできた「防衛費の国内総生産(GDP)比1%枠(当時は国民総生産=GNP比)」と「基盤的防衛力構想」がそれです。
─ 当時の三木武夫内閣が閣議決定したんですね。
森本 ええ。1%枠はその後、1987年には撤廃されましたが、実際にはその後も、ほとんど1%を超えることはありませんでした(もっともバブル期に日本のGDPが減ったために、防衛費の比率が1%をごく僅かに超えたことはあります)。
また、防衛力構想も、脅威を対象とするより、日本の必要最小限度の防衛力の基準を作るという観点から基盤的防衛力を整備するということになり、その後、これは「動的防衛力構想」、「統合機動防衛力構想」と名称は変わってきましたが、実態はほとんど変わりませんでした。
今回の国家安全保障戦略、国家防衛戦略は、この縛りを除去するという今までにない予算編成のルールがひかれ、その中で周辺国の能力と脅威に対応するために何をどの程度装備すべきか? という発想で防衛力が作られました。また、防衛費は1%枠で縛るのではなく、2%を目標に増やしていくという発想になりました。国家として当然のことが当然のように実現したということです。
しかし、こんなことは今までなかったことでした。浜田靖一防衛大臣のリーダーシップが見事だったと思います。それだけではなく、財務当局も、国家の防衛にとって真に必要なことをやろう、という柔軟な対応を示したこともこれを可能にしました。これがなかったら、今回の国家安全保障戦略と国家防衛戦略はできていないのです。
戦後、やっと国として当然の対応をとる勇気と決断を示したのであり、多くの関係者、政治家、官僚、これを後押しした専門家や世論の支持に敬意を表したい。ついでながら、この点から考えると、〝必要最小限度の防衛力〟という表現は、現実になじまないので撤廃することが望ましいと思います。
いずれにしても、われわれは文書ができると、すでにその中身が実現しているように錯覚しますが、いまだにそれは画餅であり、何も実現していないのです。今後は、これらの戦略指針を実現する方が重要な課題ですが、それは、戦略方針を策定することより、はるかに困難な仕事であることは明白です。
再考 日本の安全保障戦略(2回目・中国問題) 元防衛大臣・森本敏
国家と国民の安全を守るには
─ そうした中で、産業界の果たすべき役割とは何だと考えますか。
森本 戦略指針全体を通して、特に、サプライチェーン(供給網)の維持・確保、研究開発の重要性、及び、人材の育成や隊員の処遇改善に重点を置いた内容になっていたことは極めて適切です。
若い人材が欧米に基礎科学を研究するため、留学をするに際して、国が全面援助する制度を採用してほしいと思いますし、彼らが日本の技術を高め、それが国家の安全保障にとって極めて貴重な基盤となるのです。
また、以上の施策を実行する際、防衛産業の協力は不可欠です。産業界も体質の改善を図り、求められる情報を率直に提供できるよう、経済安全保障や防衛装備・生産のための経営組織を再構築する努力が必要です。政府の援助に期待するだけでなく、産業の体質を改善する努力を進めるべきです。
─ 防衛費総額は5年で43兆円と、岸田政権は現状の約1.5倍に防衛費を増額しました。改めて、このことの意義をどう考えていますか。
森本 このような抜本的な施策を進めるため、今後5年間で43兆円の防衛予算を組むことにいろいろな意見が出ていますが、国家と国民の安全を守るには金がかかるものです。
今回の戦略指針にかかる予算措置について、浜田防衛相のリーダーシップと財務省の柔軟かつ、前向きな対応には感心しました。金よりも社会の安定や人の命の方が大切です。増税は誰でも嫌ですが、しかし、国の安全と国民の生命を守るには痛みを伴うのです。
われわれにはそれを受け止める覚悟が必要なのです。(了)
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