Infoseek 楽天

岸田首相はなぜ、植田和男氏を日銀新総裁に選んだのか?

財界オンライン 2023年3月2日 18時0分

「金利がつく時代」の幕開けとなるか─。日本銀行の新総裁に、元日銀審議委員で共立女子大学教授の植田和男氏が就任する。アベノミクス、そして「異次元の金融緩和」を進めてきた現総裁の黒田東彦氏の政策は、脱デフレの機運は醸成したものの道半ば。今後は金融、財政、企業、個人への悪影響を抑えながら、「正常化」への道を探る難しいカジ取りが求められることになる。

【あわせて読みたい】【株価はどう動く?】 2023年は「脱デフレ」の年、日本株は年央高となるか?


見方が分かれる「アベノミクス」への評価

「植田新総裁は1998年に日本銀行審議委員になられ、いわゆる金融緩和を推進してこられた1人。異次元の金融緩和で日本経済はデフレから脱却し、株価も一定程度上昇するなどの成果を上げた。しかし、金融緩和を踏まえたアベノミクスも、ここへ来てマイナス局面も出始めた。日銀が5百数十兆円もの国債を抱え、5割以上のシェアを握ることで国債の流動性がなくなり、市場機能が失われてきているということ。株と債券が実に厳しい状況を迎えている。その中での植田新総裁の誕生ということだが、新総裁はカジ取りに慎重にならざるを得ない」と市場の有力筋は語る。

 黒田東彦総裁が就任したのが2013年3月のこと。時の首相・安倍晋三氏がデフレ脱却、そして日本経済再生を図って「アベノミクス」を打ち出した。異次元の金融緩和、財政出動、そして民間経済を主体とした成長戦略という「3本の矢」の戦略である。

 このアベノミクスの評価は今も分かれるが、デフレでない状態へ脱却し、さらに株価水準も引き上げたのは事実。しかし、YCC(イールドカーブコントロール・長短金利操作)で、長期金利も短期金利も2つともコントロールするというのはかなり際どい金融政策である。ここ数年、国債市場は市場性を喪失。最近は売買契約をしたものの、売り手が必要な国債を調達できず、〝フェイル〟(流動性不足)という現象が表れるなど弊害も目立ってきた。

 そこで、ある市場関係者は植田新総裁の日銀のカジ取りについて、次のように語る。

「総裁任期は5年。金融政策に精通している植田さんは当面、金融緩和を持続させながら、出口戦略としての金利引き上げの時期を探ることになる」

 では、その時期はいつか?

 同関係者は「おそらく2年くらいは慎重に金融緩和という建前で政策を運営し、5年間の半ば頃、つまり2年経ったところで正常化へ向かうのではないか」と推し量る。


次期総裁、副総裁は「ワンチーム」で

「岸田文雄首相は、大胆な手を打たれた」と政府筋は語る。米FRB(連邦準備制度理事会)はベン・バーナンキ氏、今のジェローム・パウエル氏を見ても、政策に通じた学者を金融政策のトップに起用。ECB(欧州中央銀行)のマリオ・ドラギ前総裁も学者出身。いわば、欧米では、中央銀行トップは学者出身の流れが定着。「植田総裁の誕生で、ようやく日本も欧米の流れに合わせてきた」という見方もある。

 植田新総裁への期待は高い。ただ、植田氏がかつて日銀審議委員を務めたからといって、何が起きるかわからない時代。全く懸念がないわけではない。

 その意味で、財務省出身(前金融庁長官)の氷見野良三氏、日銀のエースと言われる現理事の内田眞一氏を副総裁に充てたということはチームづくりの安定性からいって歓迎される。

 氷見野氏は英語も堪能な国際派。世界の金融当局とのパイプも太い。また日銀は財務省と日銀出身者が交互に総裁を務めてきたことから、10年に一度、生え抜きが就任するチャンスがあるということでエースを育成。内田氏はそのエースの1人として見られてきた。「植田、氷見野、内田の3氏とも人柄がいい。ワンチームとして結束していけるのではないか」という金融関係者が多い。


微妙な状況の日本経済

 黒田異次元緩和がそもそもスタートしたのは、デフレに沈んだ日本を再生することにあった。物価目標年率2%ということがなかなか実現できず、異次元緩和はついに10年に及ぶ。この間、コロナ禍、ウクライナ危機が起こり、資源エネルギー、食糧を中心に大幅に値上がりし、世界にインフレの波が押し寄せる。

 日本もすでに4%以上の物価上昇である。だからといって、金利をただちに引き上げるとすれば、インフレと同時に国内経済は大打撃を受ける。

 今の4%の物価上昇は原材料上昇によるコストプッシュインフレであり、日本経済の生産性が上がったゆえの上昇ではない。つまりは日本の生産性を上げるという命題は今も重く日本経済にのしかかる。

 岸田政権は「新しい資本主義」を標榜し、特に賃上げによる国民所得の向上を図り、併せて消費拡大、そして経済成長という道筋を描く。

 産業界もこれに呼応し、賃上げに動く企業が大企業を中心に出ており、また原材料上昇に伴う製品価格引き上げの動きも出始めた。

 しかし一方で、企業数で日本企業の99%、労働者数で7割を占める中小企業は賃上げや製品価格引き上げに動くに動けない状況も続く。結局はアベノミクスの積み残しである「第3の矢」(成長戦略)をいかに推進していくかにかかる。その意味で植田日銀総裁の金融政策だけでは立ちいかないという日本の現実である。


岸田首相の「決断」

 岸田首相はなぜ、植田氏を日銀総裁に選んだのか?

 ここへ来て岸田政権は政権幹部の失言問題などで支持率が低下していた中、日銀総裁人事で新機軸を打ち出した。そしてアベノミクスの存続を強く主張する安倍派の関係者と、それを支持する民間人が陰に陽に岸田政権に〝圧力〟をかけてきていた。金融政策と財政出動で、成長戦略まで達することができなかったアベノミクスには否定的な見方も一部にある中、成長への弾みをつけたいという思いが安倍派にはある。そういう流れの中で岸田政権側も、「アベノミクスの成果の上に新しい戦略を打ち出すというスタンス」(市場筋)。

 自民党内にあって弱小派閥の岸田派を率いる首相にとって、しがらみがある中で、いかに自分らしい決断、戦略性を打ち出すかは政治家・岸田氏にとって大きなテーマといえよう。

 ある政界関係者は語る。「今年1月4日の伊勢神宮参拝の際、岸田首相は『天真爛漫』としたためた。これはおそらく自分の思いを伸び伸びと、そして決断を持って政策を実行していくという気持ちの表れではないか」という見方。政治家としてやるべきことをやるという首相の思いである。

 安倍元首相の政策の流れを考慮しつつ、自分の持ち味を打ち出したいという心境。その中で植田新総裁が誕生する。


メディアの「大誤報」

 2月6日(月)の日本経済新聞朝刊には「日銀総裁を雨宮氏に打診 政府、与党と最終調整」という見出しが躍った。しかしこのことは、「完全なる大誤報」(市場筋)になった。

 一連の日銀総裁報道は新聞社の政治部主導で行われてきた。

 10年前の黒田総裁誕生の時は産経新聞がスクープ。日経始め他社は完全に面目を潰した。黒田氏を日銀総裁に抜擢したのは、故・安倍晋三元首相。安倍氏と近いと言われる産経新聞の政治部関係者が感触を得てスクープにまで持っていったという見方がもっぱらである。

 このことが他の新聞社にとってトラウマとなって、特に各社の政治部関係者は政界指導者の動向や発言に神経を尖らせていた。

 その中で、「おそらく雨宮氏に政界筋から打診があったという情報を掴んでの第一報になったのだろう」と推測する金融関係者もいる。果たして雨宮氏が官邸筋から打診があったのかどうか。日経紙は「雨宮氏は就任辞退」と書き続けているが、打診があったかどうかは雨宮氏も明言はしないであろうから、真相はヤブの中である。

 いずれにせよ、今回の日銀総裁選びが政治マターとして動いていたということ。それだけに、学者出身の植田氏の日銀総裁就任は内外で驚きを持って受けとめられた。

 しかし、新総裁の職責は実に重い。2月10日(金)の夕刻、「日銀新総裁に植田和男氏を起用へ」という報道が流れた際、為替は円高方向にブレた。一時、1ドル=129円台と値上がりした。しかし、駆けつけた記者団に植田氏が「当面は金融緩和を持続する」と語った途端、131円という円安方向になった。新総裁の発言一つで短時間に為替が揺れ動くのが、今の日本が置かれた状況である。

 なかなかデフレ的気分から脱出できない日本。一方で国債を含む借金はGDP(国内総生産)の2.6倍に膨れ上がり、金利が上がれば借金の負担が重くなり、日本の成長を阻害する。関係筋によれば金利が1%上がれば、金融機関を中心とする民間の国債の損失分は35兆円に及ぶという試算もある。

 いつの時点で「金利がつく時代」へ向けて植田氏は決断するのか、その動向に内外の関心が集まる。


下手すれば景気後退、日銀はどう対応するか「金利がつく時代」を歓迎する企業、身構える企業

「金利がつく時代」が近づく中、企業の反応も様々。メーカーなどは借入金の利息負担などが増えてマイナス影響だが、銀行は停滞していた融資の復活が期待される他、メガバンクなどは海外強化、経費削減で筋肉質になったことで、さらなる成長が予想される。ただ、地銀などは今第3四半期までで6割が減益。内外債券の含み損の影響もメガ以上に大きく、苦しい状況。

 4月発足の新体制の最大の課題は、弊害が深刻化している「異次元緩和」を、市場や経済の混乱を抑えながら修正し、「出口」戦略に道筋を付けられるかどうかだ。

 植田氏はかねてマスコミへの寄稿などで「予想を超えて長期化した異例の金融緩和枠組みについて、どこかで真剣な検討が必要だろう」と指摘しており、異次元緩和の功罪の検証にも踏み込むと見られる。

 ただ、この10年間、企業も家計も国も「金利のない世界」に浸ってきただけに、「金利がつく時代」への転換はあらゆる経済主体に大きなインパクトを及ぼす。金融政策の手綱捌きを誤れば、財政への影響や経済危機をも引き起こしかねないだけに緊張の日々を強いられそうだ。

 植田氏は90年代後半から2000年代前半の金融政策立案に深くかかわり、日銀と親密な関係を持つ一方、ゼロ金利解除に反対した経験を持ち〝硬骨漢〟とも評される。

 その意味で、アベノミクスに強いこだわりを持つ安倍派を中心とする国会議員や関係者、異次元緩和から、いわゆる「伝統的な」金融政策への回帰を求める日銀OB、どちらも口出しがしづらい人選となった。

 当初の下馬評では、前述の雨宮氏の他、元副総裁で大和総研理事長を務める中曽宏氏、同じく元副総裁でGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)経営委員長を務める山口廣秀氏らの名が挙がっていた。

 政府内では当初、国債の大量購入や、短期のマイナス金利と長期金利の超低水準への誘導を組み合わせた「YCC」(長短金利操作)など複雑化した状況を解きほぐすには、これまでの政策を企画・立案してきた雨宮氏が適任なのではという見方もあったが、異次元緩和の検証と政策修正が求められる次期体制のトップには選ばれなかった。

 また雨宮氏は、現総裁の黒田氏「直系」という見られ方をしており、その起用に対しては、歴代生え抜き総裁を含む日銀有力OBが猛烈に抵抗していたことも、人事に影響した可能性はある。

 一方で、例えば中曽氏や山口氏を据えれば、安倍派から「アベノミクスを否定するのか」と猛反発の声が上がっていたことは必至で、政権運営が不安定化する懸念すらあった。

 財務省幹部は「そんな困難な状況下で、ある種、必然的に植田氏に白羽の矢が立った」と解説するが、経歴を見ればそれもうなずける。

 1976―80年の米マサチューセッツ工科大学(MIT)留学時代には世界的な金融政策研究の権威とされ、後にFRB(米連邦準備制度理事会)副議長を務めたスタンレー・フィッシャー氏の指導を受けた。

 フィッシャー門下には、前述の元FRB議長・ベン・バーナンキ氏や欧州中央銀行(ECB)の前総裁・マリオ・ドラギ氏も名を連ねる。

 さらに、植田氏は東京教育大学附属駒場高校(現・筑波大学附属駒場高校)の出身で、現総裁の黒田氏や、コロンビア大学国際・公共政策大学院教授の伊藤隆敏氏は先輩に当たる。植田人脈は国内外の学界、中央銀行界にも及ぶ。

「諸外国では超一流の学者が中央銀行の総裁に就任することが一般的になっている中で、日本で戦後初めての事例となった。植田さんが実績を残すことが、日本にとって世界標準に近づく大きな一歩になる」(政府筋)

 激変を起こさないよう、足元では金融緩和を継続しつつ、中長期の弊害を見据えて「出口戦略」を設計していくことが、植田氏に期待されていること。

 日銀審議委員時代(98―05年)には総裁の速水優氏の下、「ゼロ金利政策」や「量的緩和政策」の導入において理論的支柱となった。

 一方で、2000年8月の金融政策決定会合では、速水氏が提案したゼロ金利解除を「時期尚早」と判断し、リフレ派の審議委員だった故・中原伸之氏とともに反対票を投じた。霞ヶ関や永田町で「バランス感覚に優れる」と評価されているのはそのためだろう。

 まさに、「どこからも文句のつけにくい総裁候補」である上、近年、日銀出身者と財務省出身者が「たすき掛け」で務めた慣例が崩れることで、首相には「岸田カラー」を演出できるメリットもあった。

 新生日銀は、植田氏、氷見野氏、内田氏の「トロイカ体制」となる。日銀内では「ベストミックス」(日銀幹部)と歓迎する声も出ているが、取り巻く環境が厳しいことには変わりない。

 昨秋の急激な円安や、国債市場の機能不全に象徴されるように長く続け過ぎた異次元緩和の弊害が噴出している。しかも、インフレと利上げで海外経済は景気後退入りが予想されており、植田氏自身が記者団の取材に対して「非常に難しい経済情勢」と認めるほどだ。

「植田さんは日銀審議委員時代、当時としては思い切った金融緩和の推進者だったため、現在の日銀の政策との親和性はある。ただ、マイナス金利、YCC、国債やETF(上場投資信託)を大量に購入するといった『異次元』の政策は長続きするものではないという認識は持たれていると思う。すぐに激烈に動くということはないと思うが、政策変更に向けた準備は始めるのではないか」(市場の有力筋)

 市場の実勢に見合わない水準に長期金利を強引に押し下げる現行の政策は「事実上の財政ファイナンス」とも批判されている。長期金利、短期金利を同時にコントロールしようというYCCはいずれ撤廃せざるを得ないだろう。

 その際、最大の課題となるのは企業経営や国の財政への悪影響をいかに抑えるかだ。政策修正の仕方を誤り長期金利が大きく跳ね上がれば、1000兆円もの国債発行残高を抱える国の資金繰りが一層厳しくなる。金融市場の環境激変で、企業の資金調達が困難になったりする事態も懸念される。家計にとっては住宅ローン金利の跳ね上がりも心配の種だろう。

 実際、産業界では「金利のつかない世界」を前提に、大規模なユニコーン投資を仕掛けてきたソフトバンクグループへの影響も大きい。携帯電話事業への参入で設備投資を膨らませてきた楽天などの経営への影響も必至。財務体質がぜい弱な企業は時に覚悟が求められる。

 また、新型コロナウイルス禍に伴う支援策として実質無利子・無担保の「ゼロゼロ融資」を受けた中小企業の返済は今後、本格化する。そんな状況下で金利が急上昇すれば、経営危機が一気に表面化しかねない。

 国の財政運営が厳しくなれば、景気が悪化しても十分な経済対策を打てなくなる。深刻な不況に陥る恐れもある。この未曽有の難局に植田氏はどう対峙するのか。4月27、28日に開かれる初陣の金融政策決定会合での議論と、その後の初の総裁記者会見が注目される。

 現総裁の黒田氏は異次元の政策を繰り出してきた代償として、「市場との対話」が不足していたのではないかという指摘をされることが多かった。政策を先読みされると海外筋の攻撃を受けるという背景もあったが、それでも丁寧な対話を求める声は強かった。植田氏にはこうした声を受けて、どう発信するかが問われる。

 金融政策だけでなく、財政を担う政府、そして成長を担う民間企業の意識変革、決断も求められる。緊張感と覚悟の「5年間」である。

この記事の関連ニュース