「国内が強くなければ、国際社会で強くなれない」と強調する福川氏。今、米中対立、さらにはウクライナ危機と世界は「分断」と「停滞」の時を迎えている。その中で日本は国際社会にどのように貢献するかが問われている。そのためにも、まずは自らの足元を固める必要があるというのが福川氏の考え。世界の課題解決に向け、日本が打つべき手とは─。
【あわせて読みたい】元通産事務次官・福川伸次氏の危機感「企業経営者が〝驕り〟を払拭し、空気と産業構造を変えなければ日本経済の停滞は続く」
日中関係の将来を危惧していた大平正芳氏
─ 前回、日本社会全体としての改革が必要だという話をしていただきました。国内問題に加えて、外交も重要だと思いますが、どう考えますか。
福川 前回、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を出版した米国の社会学者のエズラ・ヴォーゲル氏のことをお話しましたが、実は彼は日米中の関係改善に向けて努力していたんです。
1990年代半ば、米国のUCバークレー、中国の上海グループ、そして日本の地球産業文化研究所、電通総研で日米中の「トライラテラル・フォーラム」という組織体をつくって議論をしていたんです。
当時は米中の関係もよかったですし、中国もそこまで強くなっていませんでした。WTO(世界貿易機関)に加盟しようとしていた時代です。その時からエズラ・ヴォーゲル氏は「日米中の関係をよくすべきだ。できることならば、3国の経済連携の仕組みをつくりたい」と強く主張していたんです。おそらく亡くなるまで、その考えは変わっていなかったと思います。
─ エズラ・ヴォーゲル氏は中国の研究もかなり深く進めていましたね。中国語も堪能だった。
福川 鄧小平氏とも仲がよかったですね。彼の願望は日米中が世界をリードする存在として協力していく姿だったんです。
─ しかし現実に今は米中が対立していますし、日本の立場も微妙なものがあります。
福川 そうですね。これは大変難しい問題です。
まず日中関係をどう考えるかですが、かつて私が秘書官として仕えた元首相の大平正芳氏はこの問題を心配しておられました。大平首相は1980年6月に亡くなりましたが、前年の79年12月に中国を訪問しました。迎えたのは華国鋒首相であり、副首相だった鄧小平氏でした。
大平首相は72年に田中角栄首相による中国との国交正常化を外務大臣として支えました。78年には福田赳夫首相が「日中平和友好条約」に調印し、79年には大平氏が首相として円借款の供与を決めたという流れがあります。
79年の訪中の際、大平首相は北京の全国政協礼堂で講演し、中国が進めていた「改革と開放」政策を支援するとともに、円借款供与を表明しました。
─ 当時は日中国交正常化も実現し、日中関係が順調に発展していくのではないかと思われていましたね。
福川 ええ。日中には2000年に及ぶ歴史的な親近性、地理的な近接性、経済上の交流関係があることから、当時の関係者は、日中関係が大きく発展すると思っていました。
しかし当時、大平首相は「今の状況のみをもって、日中関係が将来も発展すると思っては間違える。もっと真剣に相互の理解と共通の目的を探究しなければ、日中関係の将来は危ない」という内容の演説をしているのです。
─ 日中が関係改善に燃えている中で、危機感を持って将来を見ていたと。
福川 そうです。大平首相は戦時中、大蔵省から出向して興亜院(対中政策を一元的に管理するために設置された内閣直属機関)の張家口連絡部で勤務していたことがあります。
その時の経験から、真剣に相互理解を図り、お互いに信頼関係を醸成する努力をもっとしないと、必ず将来、日中関係は崩れると懸念していたのです。
日本は国際的枠組みを世界に提案すべき
─ その意味で今後、日本が国際問題で果たすべき役割をどう考えますか。
福川 23年5月には「G7広島サミット」が開催されますが、国際間の信頼醸成、合理的な協力関係をいかに提案していくかが最も問われています。これをどのように提案するかが、このサミットにおいて最も大事だろうと思います。
今、世界は「分断」と「停滞」の中にあります。ロシアのウクライナ侵攻は続きますし、中国の脅威も高まっている。前回、様々な指標から世界における日本の存在感が低下しているというお話をしましたが、G7のメンバーとして、日本がどうやって国際社会の秩序を再建していくかを、真剣に考えないといけません。
─ どういったことを訴えていくべきだと。
福川 1つはビジョンを提示すること、そしてもう1つは世界の「グレートリセット」(世界中のあらゆるシステムを見直すこと)にいかに貢献するかを示すことです。
1963年11月、ジョン・F・ケネディ米大統領がテキサス州ダラスで暗殺されましたが、彼が予定していた「幻の演説」がありました。
予定していたのは「a nation can be no stronger abroad than she is at home.」という内容です。要するに国内が強くならなければ、国際社会で強くなれないということです。
なぜ私がこれをお伝えしたいかというと、日本は国力を強くしなければ、国際社会に対して発言権を持ち、貢献することができないからです。1960年代の米国はソ連と核開発などを巡って対立していましたが、その際にケネディは国民に奮起を促す意味で、この演説を行おうとしたのです。
─ 今の日本に最もあてはまるメッセージですね。
福川 そう思います。危機に立つ世界にあって、そのガバナンスの改革に日本が貢献しようと思うならば、国内が強くなければ駄目だということです。ここは岸田文雄首相に頑張っていただきたいところです。
そして今、世界にはCPTPP(環太平洋パートナーシップ協定)、IPEF(インド太平洋経済枠組み)、RCEP(地域的な包括的経済連携)など様々な枠組みがあります。これらをどうするかという問題がありますが、日本としては国際的な共通の価値観になるような枠組みを、もっと積極的に推進していくことが大事だと思います。
中国との「対話」をどう考える?
─ その意味で、日本が中国とどう向き合っていくかは重要な課題になりますね。今は尖閣諸島問題、台湾有事の可能性など、当時とは状況が変わっています。新しい課題を抱えながらも、対話のパイプを途切れさせてはいけないと。
福川 これは一番の課題です。先程お話した大平首相が懸念されていたように、中国との関係をどう発展させていくか、真剣に考えなければなりません。
おっしゃるように、日中間には尖閣諸島を巡る東シナ海、南シナ海、台湾有事など政治的、地政学的に様々な問題があります。そして同盟を組む米国との関係が重要です。同時に、可能な範囲で中国との交流を深めていく必要があると思います。
経済、文化、教育、あるいは農業といった問題について、もっと対話をしていく、協力関係を拡大していくことが必須だと思うんです。例えば中国がCPTPPに加入申請をしていますが、日本はその申請に消極的です。この枠組みには台湾も加入申請をしており、非常に複雑です。米国の判断も注視する必要があるでしょう。
ただ、私は結果的に加入してもしなくても、日本と中国が対話をすることが大事ではないかと思うんです。それによって考え方の共通点を見出していくプロセスが大事だと考えます。
食糧や環境など、軍事以外の分野では、可能な範囲で対話の窓口を開いておくべきだと思います。全て米国に追随して対話を拒否するというのはいかがなものかと。反対する人もいるとは思いますが、対話の可能性を常に探ることが大事です。
─ 中国は世界経済を抜きに成り立ちませんし、世界経済も中国を抜きに成り立たない。無視はできませんね。
福川 そうです。国際的な面で対話をし、できるだけ共通な枠組みをつくる努力をする。意見の違いがあって合意できないのであれば止むを得ませんが、対話をしないのではなく、理解の糸口を探していくことが重要だと思います。
現在は、米国を中心とした欧米圏と、中国、ロシアグループが対立し、なかなか世界的に合意を形成するのは難しい状況です。それでも対話は途切れさせてはいけません。日本は、国内をしっかり立て直すと同時に、国際的にどう合意を形成していくかを真剣に考えていかなければいけないと思います。
もはや日本には「成長の神話」はない
─ 国内強化でいえば、岸田政権は「新しい資本主義」の他、デジタルの力で、地方の個性を活かしながら社会課題の解決を進める「デジタル田園都市国家構想」を掲げていますね。これについてどう見ますか。
福川 今、各省庁は「デジタル田園都市」と付けば予算を獲得できるということから、それだけに一生懸命になっています。どちらかといえば5Gの敷設や通信施設の整備など、ハード面の強化を中心に取り組んでいます。
しかし、優れた人材をいかに地方に定着させていくか、地方の技術や文化をどう育てるかといったソフト面に力を入れていかなければ、デジタル田園都市構想は進化していかないと思うのです。
最近、「デジタル・トランスフォーメーション」(DX)や脱炭素に向けた「グリーン・トランスフォーメーション」(GX)が言われますが、私は文化、つまり「カルチャー・トランスフォーメーション」(CX)が必要だと思うんです。
人間の高度な価値は、文化的な発想にあります。美しいもの、文化的な価値の高いものにもっと取り組んでいくことにより、「デジタル田園都市」構想を進化させていかなければいけません。
日本人は、高度経済成長期にはあれだけのことをやったわけですから、潜在力はあると思うんです。そこに向けていかに社会の意識、いわば「空気」を変えていくかということです。1977年に山本七平氏が『「空気」の研究』を発表しましたが、改めて見つめ直す必要があります。
─ 意識を変えて、国力を強くしていかなければいけませんね。
福川 ええ。その意味で環境への取り組み、GXに努力し、世界に貢献することが重要です。
表では、GHG(温室効果ガス)の変化量と実質と名目の経済成長率を対比しています。02年から19年の統計ですが、日本ではGHGがマイナス11.9%ですが、実質GDP(国内総生産)は14.7%しか伸びていません。
21世紀に入ってからは、日本は米国よりはGHGを削減していますが、それ以外の国との比較では決してよくありません。そして成長率を見ると、日本は実質で最低です。GHGを削減しながら成長しなければなりませんが、日本はGHGの減り方も少なければ成長率も低いのが現状です。
─ 現状維持になってしまって変革できていないと。
福川 そうです。革新力(イノベーション力)が低いのです。日本は1970年代に2度の石油危機があり、そこから懸命に省エネや新エネに努力してきました。危機を乗り越えて、80年代の大成長につなげたわけです。
それが今では昔の成果があるからと怠慢になっている。日本は環境では好成績を納めていると思っているけれども、今世紀に入ってからはその成績も上がらず、成長力も弱くなっている。これでいいのでしょうか?
日本人の多くは今までの「成長の神話」が生きていると思っています。省エネや環境問題では、日本人は今もトップレベルにあると自惚れていますが、実際はそうではありません。
─ GXと真剣に取り込まなければ成長はないということですね。
福川 そうです。ですから本当に「空気を変える」ことが大事です。政治も、行政も、企業も意識を変えることが求められているのです。
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日中関係の将来を危惧していた大平正芳氏
─ 前回、日本社会全体としての改革が必要だという話をしていただきました。国内問題に加えて、外交も重要だと思いますが、どう考えますか。
福川 前回、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を出版した米国の社会学者のエズラ・ヴォーゲル氏のことをお話しましたが、実は彼は日米中の関係改善に向けて努力していたんです。
1990年代半ば、米国のUCバークレー、中国の上海グループ、そして日本の地球産業文化研究所、電通総研で日米中の「トライラテラル・フォーラム」という組織体をつくって議論をしていたんです。
当時は米中の関係もよかったですし、中国もそこまで強くなっていませんでした。WTO(世界貿易機関)に加盟しようとしていた時代です。その時からエズラ・ヴォーゲル氏は「日米中の関係をよくすべきだ。できることならば、3国の経済連携の仕組みをつくりたい」と強く主張していたんです。おそらく亡くなるまで、その考えは変わっていなかったと思います。
─ エズラ・ヴォーゲル氏は中国の研究もかなり深く進めていましたね。中国語も堪能だった。
福川 鄧小平氏とも仲がよかったですね。彼の願望は日米中が世界をリードする存在として協力していく姿だったんです。
─ しかし現実に今は米中が対立していますし、日本の立場も微妙なものがあります。
福川 そうですね。これは大変難しい問題です。
まず日中関係をどう考えるかですが、かつて私が秘書官として仕えた元首相の大平正芳氏はこの問題を心配しておられました。大平首相は1980年6月に亡くなりましたが、前年の79年12月に中国を訪問しました。迎えたのは華国鋒首相であり、副首相だった鄧小平氏でした。
大平首相は72年に田中角栄首相による中国との国交正常化を外務大臣として支えました。78年には福田赳夫首相が「日中平和友好条約」に調印し、79年には大平氏が首相として円借款の供与を決めたという流れがあります。
79年の訪中の際、大平首相は北京の全国政協礼堂で講演し、中国が進めていた「改革と開放」政策を支援するとともに、円借款供与を表明しました。
─ 当時は日中国交正常化も実現し、日中関係が順調に発展していくのではないかと思われていましたね。
福川 ええ。日中には2000年に及ぶ歴史的な親近性、地理的な近接性、経済上の交流関係があることから、当時の関係者は、日中関係が大きく発展すると思っていました。
しかし当時、大平首相は「今の状況のみをもって、日中関係が将来も発展すると思っては間違える。もっと真剣に相互の理解と共通の目的を探究しなければ、日中関係の将来は危ない」という内容の演説をしているのです。
─ 日中が関係改善に燃えている中で、危機感を持って将来を見ていたと。
福川 そうです。大平首相は戦時中、大蔵省から出向して興亜院(対中政策を一元的に管理するために設置された内閣直属機関)の張家口連絡部で勤務していたことがあります。
その時の経験から、真剣に相互理解を図り、お互いに信頼関係を醸成する努力をもっとしないと、必ず将来、日中関係は崩れると懸念していたのです。
日本は国際的枠組みを世界に提案すべき
─ その意味で今後、日本が国際問題で果たすべき役割をどう考えますか。
福川 23年5月には「G7広島サミット」が開催されますが、国際間の信頼醸成、合理的な協力関係をいかに提案していくかが最も問われています。これをどのように提案するかが、このサミットにおいて最も大事だろうと思います。
今、世界は「分断」と「停滞」の中にあります。ロシアのウクライナ侵攻は続きますし、中国の脅威も高まっている。前回、様々な指標から世界における日本の存在感が低下しているというお話をしましたが、G7のメンバーとして、日本がどうやって国際社会の秩序を再建していくかを、真剣に考えないといけません。
─ どういったことを訴えていくべきだと。
福川 1つはビジョンを提示すること、そしてもう1つは世界の「グレートリセット」(世界中のあらゆるシステムを見直すこと)にいかに貢献するかを示すことです。
1963年11月、ジョン・F・ケネディ米大統領がテキサス州ダラスで暗殺されましたが、彼が予定していた「幻の演説」がありました。
予定していたのは「a nation can be no stronger abroad than she is at home.」という内容です。要するに国内が強くならなければ、国際社会で強くなれないということです。
なぜ私がこれをお伝えしたいかというと、日本は国力を強くしなければ、国際社会に対して発言権を持ち、貢献することができないからです。1960年代の米国はソ連と核開発などを巡って対立していましたが、その際にケネディは国民に奮起を促す意味で、この演説を行おうとしたのです。
─ 今の日本に最もあてはまるメッセージですね。
福川 そう思います。危機に立つ世界にあって、そのガバナンスの改革に日本が貢献しようと思うならば、国内が強くなければ駄目だということです。ここは岸田文雄首相に頑張っていただきたいところです。
そして今、世界にはCPTPP(環太平洋パートナーシップ協定)、IPEF(インド太平洋経済枠組み)、RCEP(地域的な包括的経済連携)など様々な枠組みがあります。これらをどうするかという問題がありますが、日本としては国際的な共通の価値観になるような枠組みを、もっと積極的に推進していくことが大事だと思います。
中国との「対話」をどう考える?
─ その意味で、日本が中国とどう向き合っていくかは重要な課題になりますね。今は尖閣諸島問題、台湾有事の可能性など、当時とは状況が変わっています。新しい課題を抱えながらも、対話のパイプを途切れさせてはいけないと。
福川 これは一番の課題です。先程お話した大平首相が懸念されていたように、中国との関係をどう発展させていくか、真剣に考えなければなりません。
おっしゃるように、日中間には尖閣諸島を巡る東シナ海、南シナ海、台湾有事など政治的、地政学的に様々な問題があります。そして同盟を組む米国との関係が重要です。同時に、可能な範囲で中国との交流を深めていく必要があると思います。
経済、文化、教育、あるいは農業といった問題について、もっと対話をしていく、協力関係を拡大していくことが必須だと思うんです。例えば中国がCPTPPに加入申請をしていますが、日本はその申請に消極的です。この枠組みには台湾も加入申請をしており、非常に複雑です。米国の判断も注視する必要があるでしょう。
ただ、私は結果的に加入してもしなくても、日本と中国が対話をすることが大事ではないかと思うんです。それによって考え方の共通点を見出していくプロセスが大事だと考えます。
食糧や環境など、軍事以外の分野では、可能な範囲で対話の窓口を開いておくべきだと思います。全て米国に追随して対話を拒否するというのはいかがなものかと。反対する人もいるとは思いますが、対話の可能性を常に探ることが大事です。
─ 中国は世界経済を抜きに成り立ちませんし、世界経済も中国を抜きに成り立たない。無視はできませんね。
福川 そうです。国際的な面で対話をし、できるだけ共通な枠組みをつくる努力をする。意見の違いがあって合意できないのであれば止むを得ませんが、対話をしないのではなく、理解の糸口を探していくことが重要だと思います。
現在は、米国を中心とした欧米圏と、中国、ロシアグループが対立し、なかなか世界的に合意を形成するのは難しい状況です。それでも対話は途切れさせてはいけません。日本は、国内をしっかり立て直すと同時に、国際的にどう合意を形成していくかを真剣に考えていかなければいけないと思います。
もはや日本には「成長の神話」はない
─ 国内強化でいえば、岸田政権は「新しい資本主義」の他、デジタルの力で、地方の個性を活かしながら社会課題の解決を進める「デジタル田園都市国家構想」を掲げていますね。これについてどう見ますか。
福川 今、各省庁は「デジタル田園都市」と付けば予算を獲得できるということから、それだけに一生懸命になっています。どちらかといえば5Gの敷設や通信施設の整備など、ハード面の強化を中心に取り組んでいます。
しかし、優れた人材をいかに地方に定着させていくか、地方の技術や文化をどう育てるかといったソフト面に力を入れていかなければ、デジタル田園都市構想は進化していかないと思うのです。
最近、「デジタル・トランスフォーメーション」(DX)や脱炭素に向けた「グリーン・トランスフォーメーション」(GX)が言われますが、私は文化、つまり「カルチャー・トランスフォーメーション」(CX)が必要だと思うんです。
人間の高度な価値は、文化的な発想にあります。美しいもの、文化的な価値の高いものにもっと取り組んでいくことにより、「デジタル田園都市」構想を進化させていかなければいけません。
日本人は、高度経済成長期にはあれだけのことをやったわけですから、潜在力はあると思うんです。そこに向けていかに社会の意識、いわば「空気」を変えていくかということです。1977年に山本七平氏が『「空気」の研究』を発表しましたが、改めて見つめ直す必要があります。
─ 意識を変えて、国力を強くしていかなければいけませんね。
福川 ええ。その意味で環境への取り組み、GXに努力し、世界に貢献することが重要です。
表では、GHG(温室効果ガス)の変化量と実質と名目の経済成長率を対比しています。02年から19年の統計ですが、日本ではGHGがマイナス11.9%ですが、実質GDP(国内総生産)は14.7%しか伸びていません。
21世紀に入ってからは、日本は米国よりはGHGを削減していますが、それ以外の国との比較では決してよくありません。そして成長率を見ると、日本は実質で最低です。GHGを削減しながら成長しなければなりませんが、日本はGHGの減り方も少なければ成長率も低いのが現状です。
─ 現状維持になってしまって変革できていないと。
福川 そうです。革新力(イノベーション力)が低いのです。日本は1970年代に2度の石油危機があり、そこから懸命に省エネや新エネに努力してきました。危機を乗り越えて、80年代の大成長につなげたわけです。
それが今では昔の成果があるからと怠慢になっている。日本は環境では好成績を納めていると思っているけれども、今世紀に入ってからはその成績も上がらず、成長力も弱くなっている。これでいいのでしょうか?
日本人の多くは今までの「成長の神話」が生きていると思っています。省エネや環境問題では、日本人は今もトップレベルにあると自惚れていますが、実際はそうではありません。
─ GXと真剣に取り込まなければ成長はないということですね。
福川 そうです。ですから本当に「空気を変える」ことが大事です。政治も、行政も、企業も意識を変えることが求められているのです。