「島ごとに独自の魅力を持っている」─。こう強調するのが東京と島嶼部を船で結ぶ東海汽船社長の山﨑潤一氏。コロナ禍でも同社は2隻の新造船を投入。伊豆諸島を含めた東京諸島11島と、江ノ島や木更津、田子の浦など本土側とを結ぶ臨時航路の開拓にも注力している。会社設立133年を迎えてもなお生活・観光航路として自社の使命を再確認する山﨑氏の134年目に向けた思いを直撃した。
【国土交通省】物流にも値上げの波「2024年問題」対応が急務
コロナ禍の旅客船業界
─ コロナ禍で旅客船業界の経営環境は厳しい状況が続いています。まずはコロナ禍の3年を振り返っての感想は。
山﨑 コロナで我々が最も大事だと感じたことは、やはり安全です。お客様のコロナの感染防止を徹底して安全を保たなければならないと。そして、お客様の安全を担保するためには、乗組員の安全、ひいては陸上社員や会社全体が安全に対して徹底して取り組まなければ安全運航はできないということです。
中でも昨年4月に知床遊覧船の事故が起き、お客様の尊い命が失われ、いまだに乗員とお客様の数名が行方不明のままです。このような悲惨な事故は決して起こしてはなりません。その意味でも、旅客船事業者は安全運航を最大かつ最重要の使命としなければならないことを再認識することになりました。
─ 一方でコロナを契機に新たな気づきなどにつながったことはありましたか。
山﨑 社員からこれまでになかったアイデアや発想が生まれてきたことですね。コロナ禍でお客様の数は70%まで落ちてしまいました。この需要はコロナ前の元の水準には戻らないと思います。ですから、今後は少し方向性を変えていかなければなりません。そんな中でも昨年はジェットフォイル就航20周年の節目でもありました。
そこでこの節目を機に新規航路の開拓やお客様の乗船が空いているときには貨物を乗せて運ぶといった新たな発想が社員から出てきたりしました。小さくて急ぐ荷物を運ぶ場合には、ジェットフォイルで運ぶのが最も適しているのではないかと。当初はワクチンなどの医療物資から始まり、その日のうちにすぐに届けなければならない物資を優先して運び始めました。
もちろん、規制などクリアしなければならないハードルもあるのですが、関係各所の意見を聞きながら、できる取り組みからやっていきました。その結果、ある程度の収益もあげることができるようにもなりました。ですから、安全を最優先にしながらも、新しい取り組みに挑戦するといった考え方が社員の間で1つにまとまり、ベクトルが合ってきたような気がします。
─ その厳しい環境下で社員にはどんなメッセージを投げかけていたのですか。
山﨑 当社は今年で創業134年を迎えます。この間、危機はたくさんありましたが、何とかそれらを乗り越えてきました。このことに対しては自信を持って、しっかりと足元を固めて歩んでいこうと。こういったことを社員には常に訴えてきました。
パリの市章に刻まれた言葉に、「たゆたえども沈まず」という言葉があります。時に荒波に翻弄されても、決して沈まない、沈まなければ、また必ず前に進めると。これが私の常に言い続けたことになります。
2隻の新造船の投入
─ 20年には貨客船の3代目「さるびあ丸」と高速ジェットフォイル「セブンアイランド結」を新造投入しましたね。
山﨑 ええ。さるびあ丸は造船技術の高まりもあって既存船よりも揺れが少なく、快適性も増しているということで新造船の建造を決めました。
また、高速ジェットフォイルは国内では25年ぶりの新造船となり、当社では初となりました。これまでは費用面から中古船を調達してきたのですが、新たに建造することを決断しました。やはり高速ジェットフォイルのメリットは機動性です。
特に今後は災害時対応を考えておかなければなりません。小型で高速多頻度輸送が実現可能になりますから、いかにスピーディーにお客様と荷物を運べるかがポイントになってきます。
─ 危機への備えを整える一方で、成長に向けた手も打ってきたということですね。
山﨑 はい。当社の船隊規模は貨物船も含めて12隻となりました。事業の見直しの一環として、かつて30年以上続けてきたレストラン船の事業から徹底することになりました。
もともとは旅客や貨物といった海運業が天候に左右されやすいといった弱点を補完するために始めたのですが、コロナ禍を受けて祖業である離島航路事業に集中したいと考えたのです。ただ、レストラン船のような新たな柱をつくれないか、今はそれを考えているところです。
─ 先ほど新規航路の開拓にも取り組んでいるということでしたが、具体的な航路は。
山﨑 高速ジェットフォイルを使って江ノ島や木更津、田子の浦、焼津、御前崎など普段立ち寄らない港からも東京諸島へ臨時運航しました。お陰様でお客様や就航地の方々の反応は良いです。ただ、接岸する港の深さなどの諸条件があって全ての港で実現することは難しいのですが、いろいろな航路に挑戦していきたいと思っています。
─ やはり船の魅力が再認識されている面もあるのでは?
山﨑 その通りです。例えばコロナ禍以前の取り組みになりますが、中国人の方は綺麗な海を見ると感動するようで、東京から大島へ行って綺麗な海を見る。その後、富士山に向かって走る富士山航路を実験的に行ったのですが、評判は上々でした。海から見る富士山も特別感があって魅力的なようです。
そういった自然の情景を絡めた臨時航路はいろいろと展開していきたいと考えているんです。例えば、伊豆半島の稲取という河津桜で有名な場所があり、大島も椿が有名ですので、大島の椿と河津の桜を結んだ「海のフラワーライン」という季節航路を運航したんです。
その後、千葉県の館山も菜の花などの花々が盛んだということで、館山も加えて海のフラワーラインを広域に広げていったのです。
東京諸島11島を面で捉えて
─ 各地域の特産物を絡ませた新規航路の開拓ですね。
山﨑 ええ。特産物といえば各島の特産物をいつでも気軽に購入できるECサイト「島ぽち」も立ち上げ、東京から1000キロ離れた小笠原諸島の特産品も購入できます。伊豆諸島と小笠原諸島、11島が一体となり東京諸島として広くPRしていきたいと思います。
─ 諸島同士をつなぐという発想ですね。
山﨑 はい。伊豆諸島と言われますが、実は伊豆大島(大島)、利島、新島、式根島、神津島、三宅島、御蔵島、八丈島、青ヶ島と9島ありまして、そこに小笠原諸島の父島と母島が加わって11島となります。これらを単なる点から線へ、そして線から面へというイメージでPRを全国にやっていこうと。
当社の調査でも世界の首都で東京のように島々を持っている首都は他にありません。さらに都心から僅か1時間45分で大島に行ける。首都に近いという地理的な強みをもっと発信していきたいと思っているんです。まさに東京都の小池百合子知事がおっしゃっている「東京の宝島」という位置付けですね。
─ 宝島と言われるゆえんたるものは何になりますか。
山﨑 島々に独自のいろいろな魅力があるということでしょうね。島は自然の原石です。磨けば磨くほど宝になります。それぞれ個性豊かな島があるので、それを磨いて宝島にしましょうと。今の観光は二極分化しているような気がするのです。
1つは従来型の名所旧跡を回る、歴史的建造物を回る、いわば、デパートに行くような感覚で観光地を回る観光です。もう1つがフラッと立ち寄るような感覚で足を延ばす観光です。その中で島への観光は後者のように、フラッと立ち寄る観光だと思うのです。豊かな自然に身を置き、身も心も元気になって帰ってくるということです。
─ もともと島には健康的なイメージが強いですね。
山﨑 有名な観光地を調べてみると、「健康・観光・信仰」の3要素が共通要素として見て取れます。その点、健康では、島は360度海に囲まれており、ミネラルをふんだんに含んだ風が吹いていますので、自然の治癒力や免疫力を高めるには絶好の場所です。「ヘルシーアイランド」とも言われています。
そして2つ目の観光については、先ほど申し上げたようなフラッと気軽に足を延ばすことができる「自然環境型観光」であるということで、普段着でそのまま気軽に訪れることができる場所になります。さらに3つ目の信仰では島独自の信仰がもともとたくさんあるのです。
─ 例えば大島では、どんな信仰があるのですか。
山﨑 大島の場合では島の中央に位置する三原山を、御神火様と呼んでおり、昔から島民が敬っていました。これも信仰に近いのではないでしょうか。他にも大島の三原山山頂付近には「三原神社」があります。
この神社には謂れがあって、三原山の噴火時に溶岩が溢れたのですが、三原神社の一角だけは溶岩が全く流れ込まずに残ったという神秘的な出来事がありました。今でも神社のすぐ横まで溶岩が迫る様子がそのままの状態で残っており、現在はハイキングコースの名所として、間近で見ることができます。
─ 健康・観光・信仰の3要素を兼ね備えていますね。
山﨑 はい。その他に利島という島も三角錐のように特徴的な形をしており、島に着いて港から山の方を見上げると、ずっと続く階段があります。その階段を上り続けていくと、太陽が傾く風景が目に飛び込んでくるのです。
要するに、島自体が日時計のようになるのです。そのように自然を上手く取り入れながら生活していた様子をうかがい知ることができます。
次の134年に向けて
─ 島にはロマンがあると言えますね。山﨑さんが社長に就任したのは09年と厳しい環境下での船出でしたね。
山﨑 そうですね。今年で社長就任から14年目を迎えました。リーマン・ショック後に社長に就いたため、当初は経営基盤の強化が最大課題でした。ですから、就任してからの2年間は財務基盤の強化を図り、様々な対策を講じて3年目に何とか配当することができました。
ところが、今度はコロナ禍で再び危機的な状況に直面しましたが、厳しいときであっても次世代の社員たちが新たな取り組みができるような基盤づくりはしっかりしておかなければなりません。それは意識しました。
そして先ほど申し上げたように、先人たちが熱い気持ちで守り抜いてきた当社の社会的使命もしっかり引き継いでいかなければなりません。東京諸島の観光・生活インフラとして、次の134年に向けてしっかりと漕ぎ出していこうと思っています。
【国土交通省】物流にも値上げの波「2024年問題」対応が急務
コロナ禍の旅客船業界
─ コロナ禍で旅客船業界の経営環境は厳しい状況が続いています。まずはコロナ禍の3年を振り返っての感想は。
山﨑 コロナで我々が最も大事だと感じたことは、やはり安全です。お客様のコロナの感染防止を徹底して安全を保たなければならないと。そして、お客様の安全を担保するためには、乗組員の安全、ひいては陸上社員や会社全体が安全に対して徹底して取り組まなければ安全運航はできないということです。
中でも昨年4月に知床遊覧船の事故が起き、お客様の尊い命が失われ、いまだに乗員とお客様の数名が行方不明のままです。このような悲惨な事故は決して起こしてはなりません。その意味でも、旅客船事業者は安全運航を最大かつ最重要の使命としなければならないことを再認識することになりました。
─ 一方でコロナを契機に新たな気づきなどにつながったことはありましたか。
山﨑 社員からこれまでになかったアイデアや発想が生まれてきたことですね。コロナ禍でお客様の数は70%まで落ちてしまいました。この需要はコロナ前の元の水準には戻らないと思います。ですから、今後は少し方向性を変えていかなければなりません。そんな中でも昨年はジェットフォイル就航20周年の節目でもありました。
そこでこの節目を機に新規航路の開拓やお客様の乗船が空いているときには貨物を乗せて運ぶといった新たな発想が社員から出てきたりしました。小さくて急ぐ荷物を運ぶ場合には、ジェットフォイルで運ぶのが最も適しているのではないかと。当初はワクチンなどの医療物資から始まり、その日のうちにすぐに届けなければならない物資を優先して運び始めました。
もちろん、規制などクリアしなければならないハードルもあるのですが、関係各所の意見を聞きながら、できる取り組みからやっていきました。その結果、ある程度の収益もあげることができるようにもなりました。ですから、安全を最優先にしながらも、新しい取り組みに挑戦するといった考え方が社員の間で1つにまとまり、ベクトルが合ってきたような気がします。
─ その厳しい環境下で社員にはどんなメッセージを投げかけていたのですか。
山﨑 当社は今年で創業134年を迎えます。この間、危機はたくさんありましたが、何とかそれらを乗り越えてきました。このことに対しては自信を持って、しっかりと足元を固めて歩んでいこうと。こういったことを社員には常に訴えてきました。
パリの市章に刻まれた言葉に、「たゆたえども沈まず」という言葉があります。時に荒波に翻弄されても、決して沈まない、沈まなければ、また必ず前に進めると。これが私の常に言い続けたことになります。
2隻の新造船の投入
─ 20年には貨客船の3代目「さるびあ丸」と高速ジェットフォイル「セブンアイランド結」を新造投入しましたね。
山﨑 ええ。さるびあ丸は造船技術の高まりもあって既存船よりも揺れが少なく、快適性も増しているということで新造船の建造を決めました。
また、高速ジェットフォイルは国内では25年ぶりの新造船となり、当社では初となりました。これまでは費用面から中古船を調達してきたのですが、新たに建造することを決断しました。やはり高速ジェットフォイルのメリットは機動性です。
特に今後は災害時対応を考えておかなければなりません。小型で高速多頻度輸送が実現可能になりますから、いかにスピーディーにお客様と荷物を運べるかがポイントになってきます。
─ 危機への備えを整える一方で、成長に向けた手も打ってきたということですね。
山﨑 はい。当社の船隊規模は貨物船も含めて12隻となりました。事業の見直しの一環として、かつて30年以上続けてきたレストラン船の事業から徹底することになりました。
もともとは旅客や貨物といった海運業が天候に左右されやすいといった弱点を補完するために始めたのですが、コロナ禍を受けて祖業である離島航路事業に集中したいと考えたのです。ただ、レストラン船のような新たな柱をつくれないか、今はそれを考えているところです。
─ 先ほど新規航路の開拓にも取り組んでいるということでしたが、具体的な航路は。
山﨑 高速ジェットフォイルを使って江ノ島や木更津、田子の浦、焼津、御前崎など普段立ち寄らない港からも東京諸島へ臨時運航しました。お陰様でお客様や就航地の方々の反応は良いです。ただ、接岸する港の深さなどの諸条件があって全ての港で実現することは難しいのですが、いろいろな航路に挑戦していきたいと思っています。
─ やはり船の魅力が再認識されている面もあるのでは?
山﨑 その通りです。例えばコロナ禍以前の取り組みになりますが、中国人の方は綺麗な海を見ると感動するようで、東京から大島へ行って綺麗な海を見る。その後、富士山に向かって走る富士山航路を実験的に行ったのですが、評判は上々でした。海から見る富士山も特別感があって魅力的なようです。
そういった自然の情景を絡めた臨時航路はいろいろと展開していきたいと考えているんです。例えば、伊豆半島の稲取という河津桜で有名な場所があり、大島も椿が有名ですので、大島の椿と河津の桜を結んだ「海のフラワーライン」という季節航路を運航したんです。
その後、千葉県の館山も菜の花などの花々が盛んだということで、館山も加えて海のフラワーラインを広域に広げていったのです。
東京諸島11島を面で捉えて
─ 各地域の特産物を絡ませた新規航路の開拓ですね。
山﨑 ええ。特産物といえば各島の特産物をいつでも気軽に購入できるECサイト「島ぽち」も立ち上げ、東京から1000キロ離れた小笠原諸島の特産品も購入できます。伊豆諸島と小笠原諸島、11島が一体となり東京諸島として広くPRしていきたいと思います。
─ 諸島同士をつなぐという発想ですね。
山﨑 はい。伊豆諸島と言われますが、実は伊豆大島(大島)、利島、新島、式根島、神津島、三宅島、御蔵島、八丈島、青ヶ島と9島ありまして、そこに小笠原諸島の父島と母島が加わって11島となります。これらを単なる点から線へ、そして線から面へというイメージでPRを全国にやっていこうと。
当社の調査でも世界の首都で東京のように島々を持っている首都は他にありません。さらに都心から僅か1時間45分で大島に行ける。首都に近いという地理的な強みをもっと発信していきたいと思っているんです。まさに東京都の小池百合子知事がおっしゃっている「東京の宝島」という位置付けですね。
─ 宝島と言われるゆえんたるものは何になりますか。
山﨑 島々に独自のいろいろな魅力があるということでしょうね。島は自然の原石です。磨けば磨くほど宝になります。それぞれ個性豊かな島があるので、それを磨いて宝島にしましょうと。今の観光は二極分化しているような気がするのです。
1つは従来型の名所旧跡を回る、歴史的建造物を回る、いわば、デパートに行くような感覚で観光地を回る観光です。もう1つがフラッと立ち寄るような感覚で足を延ばす観光です。その中で島への観光は後者のように、フラッと立ち寄る観光だと思うのです。豊かな自然に身を置き、身も心も元気になって帰ってくるということです。
─ もともと島には健康的なイメージが強いですね。
山﨑 有名な観光地を調べてみると、「健康・観光・信仰」の3要素が共通要素として見て取れます。その点、健康では、島は360度海に囲まれており、ミネラルをふんだんに含んだ風が吹いていますので、自然の治癒力や免疫力を高めるには絶好の場所です。「ヘルシーアイランド」とも言われています。
そして2つ目の観光については、先ほど申し上げたようなフラッと気軽に足を延ばすことができる「自然環境型観光」であるということで、普段着でそのまま気軽に訪れることができる場所になります。さらに3つ目の信仰では島独自の信仰がもともとたくさんあるのです。
─ 例えば大島では、どんな信仰があるのですか。
山﨑 大島の場合では島の中央に位置する三原山を、御神火様と呼んでおり、昔から島民が敬っていました。これも信仰に近いのではないでしょうか。他にも大島の三原山山頂付近には「三原神社」があります。
この神社には謂れがあって、三原山の噴火時に溶岩が溢れたのですが、三原神社の一角だけは溶岩が全く流れ込まずに残ったという神秘的な出来事がありました。今でも神社のすぐ横まで溶岩が迫る様子がそのままの状態で残っており、現在はハイキングコースの名所として、間近で見ることができます。
─ 健康・観光・信仰の3要素を兼ね備えていますね。
山﨑 はい。その他に利島という島も三角錐のように特徴的な形をしており、島に着いて港から山の方を見上げると、ずっと続く階段があります。その階段を上り続けていくと、太陽が傾く風景が目に飛び込んでくるのです。
要するに、島自体が日時計のようになるのです。そのように自然を上手く取り入れながら生活していた様子をうかがい知ることができます。
次の134年に向けて
─ 島にはロマンがあると言えますね。山﨑さんが社長に就任したのは09年と厳しい環境下での船出でしたね。
山﨑 そうですね。今年で社長就任から14年目を迎えました。リーマン・ショック後に社長に就いたため、当初は経営基盤の強化が最大課題でした。ですから、就任してからの2年間は財務基盤の強化を図り、様々な対策を講じて3年目に何とか配当することができました。
ところが、今度はコロナ禍で再び危機的な状況に直面しましたが、厳しいときであっても次世代の社員たちが新たな取り組みができるような基盤づくりはしっかりしておかなければなりません。それは意識しました。
そして先ほど申し上げたように、先人たちが熱い気持ちで守り抜いてきた当社の社会的使命もしっかり引き継いでいかなければなりません。東京諸島の観光・生活インフラとして、次の134年に向けてしっかりと漕ぎ出していこうと思っています。