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【母の教え】プレコフーズ社長・髙波幸夫さん《一都三県約3万軒の飲食店に生鮮食品を提供》

財界オンライン 2023年3月31日 18時0分

世話好きで、面倒見が良い母

 私は1958年(昭和33年)、父・利夫、母・シズ子のもと、東京・大井町で生まれました。

 母は1934年(昭和9年)、山梨県の石和(現・笛吹市)で生まれました。10人きょうだいの5番目で、両親(髙波さんにとっての祖父母)を含めた12人の大家族でした。

 実家はいわゆる豪農で、広大な土地にブドウや桃、プラム、スイカなどの畑がありました。一時は旅館を経営していたこともあったようで、私も幼い頃、夏休みや冬休みになると何度も遊びに行き、よく養豚場や養鶏場を走り回っていました。

 一方、父は雪深い場所で知られる、新潟県の津南町で生まれました。5人きょうだいの末っ子で、こちらも農家でしたが、恵まれていた母の実家とは違って小さな農家だったため、尋常小学校を卒業後、すぐに東京へ働きに出ました。

 そこで、父は新宿にある鶏肉屋で住み込みの丁稚奉公で働くようになり、鳥のさばき方などの解体技術や商売を学びました。実はこの鶏肉屋さんの社長夫人の妹が、後に結婚することになる母だったのです。

 2人が結婚したのは1955年(昭和30年)。父24歳、母21歳の時でした。この年、両親は大井町で『鳥利商店』を創業し、3年後に長男の私が生まれました。創業時は住居部分を合わせても8坪ほどの店でした。

 その後、品川区・戸越銀座に移転。いわゆる、町の商店街にある鳥肉屋ですから、1階が店舗で2階が住居。2年後に妹が生まれて、いとこ2人を含めた6人が同じ屋根の下、店を切り盛りしながら生活していました。

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 父は朝から晩までずっと働いていました。父を見れば、いつも包丁を握っているか、配達している。夕飯後もまた仕事に戻るような生活でしたから、本当によく働いていました。

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 母は毎日、従業員を含めた家族全員分の食事をつくってくれました。毎日、大きな鍋で大量の料理を用意していましたから、かなり大変だったのではないかと思います。いとこが結婚して我が家を離れた後も、いとこの子供を預かったりしていましたから、母は本当に世話好きで、面倒見が良かったです。

 幼少期から、母からずっと聞かされてきた言葉があります。それは「商いは飽きない。小さな、小さなお客様でも、そのお客様を大切にして、飽きずにコツコツ仕事を続けていくことが大事だよ」ということでした。

 今のような大型スーパーのある時代ではなく、当時は肉は肉屋、魚は魚屋へ買い物に行った時代です。しかも買い物をしながら世間話も楽しむのが当たり前の時代でした。ですから、母は5分、10分とお客様と店頭で話をしていました。

 しかし、例えば、ササミ一本買うだけのお客様に10分も時間を使っていたら、経営効率的には良くないわけです。それでも、母は一人ひとりのお客様を大切にして、コミュニケーションを重ねていくことによって、お客様の信頼を獲得していきました。これは今も私の経営の原点になっています。

 今後も母の教えを大切にし、商いは飽きないという大事な価値観を受け継ぎながら、より長く、愛される企業を作り上げていきたいと思っています。

続きは本誌で

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