『油断!』が再び……
小説『油断!』が出版されたのは1975年(昭和50年)のこと。
当時、経済規模が世界2位の日本は、石油を中東にほぼ依存。第1次石油ショックで石油価格が高騰し、日本経済が大混乱した直後であった。
著者は堺屋太一さん(1935―2019)である。堺屋太一はペンネームで本名は池口小太郎。元通産省(現経産省)出身の官僚で、資源・エネルギーのほとんどを海外に依存する日本の〝脆さ〟を世の中全体に啓発する著作。当時、大変なベストセラーとなり、テレビでドラマ化もされた。
第1次石油ショック(1973)、第2次石油ショック(1979)と、中東産油国の石油資源を使った〝権利主張〟は世界を揺さぶった。
日本は敗戦(1945)から30年足らずで、この石油危機に見舞われ、中東産油国に油を乞う〝油乞い外交〟を強いられた。
第1次石油ショックの後の日本は物価が30%も上昇し、狂乱物価となった。賃上げも行われたが、超インフレの弊害、ヒズミは随所に現れ、まさに混乱。
その鎮静化へ向け、当時の財界のご意見番とされた桜田武氏(日経連=日本経営者団体連盟会長)らが労使双方に冷静と忍耐を呼びかけた。無資源国・日本にとって、必死の狂乱物価乗り切りだった。
50年前と比べて緊張感が…
堺屋さんは、石油ショックが起こる前から、日本の政治・経済構造の脆さを十二分に認識しておられ、〝ショックに揺るがない日本〟にする必要があるとして、『油断!』を書かれた。
出来上がったのが、ちょうど石油ショックと重なる1973年(昭和48年)。日本中を不安に陥れてはということで、実際に刊行されたのは日本が少し落ち着きを取り戻した1975年であった。
この『油断!』は、当時、終戦から経済一本やりで経済大国となった日本の文字通り、油断、慢心を衝いた著作。
ここで日本は省資源・省エネルギーへ、官民挙げて新しい産業構造へと作り替えていく。それから間もなく、重厚長大産業(資源多消費型)から軽薄短小(資源を消費しないサービス産業や知識集約産業)への産業転換を進めよう─といった考え方が広まっていく。
その意味で、堺屋さんの『油断!』は当時の日本人の意識を転換させることに大いに貢献した。
50年後の今、また日本の『油断!』体質が露呈する。エネルギー面もそうだが、食料自給率の低さから来る『油断!』である。
今は、食糧危機だ!
「コストプッシュインフレに対応して、賃上げ、子育てに加え、医療・介護問題をどうするかが今、大変な議論になっているけれども、肝腎の食糧問題をどうするかがスッポリ抜け落ちている」
某経済人は日本の食糧事情が危機にあることにこう触れて、「食糧の確保をどう図るか」をもっと真剣に考えるべきと訴える。
日本の食糧自給率は38%と先進国の中で最低の水準。ちなみに、カナダは266%、豪州は200%で、米国が132%、フランスも125%と非常に高い。
80年近く前、共に敗戦国となったドイツは86%あり、英国65%、イタリア60%、スイス51%と欧米各国も日本より高い。
いざ、危機が起きたときに、肝腎の食糧をどう確保するのかという根本的な課題である。
食糧は「同盟国から、金を払って買えばいい」という声もあるが、食糧を運ぶ船が航行の妨害を受けたらひとたまりもない。
そのことはウクライナが黒海から小麦を輸出しようとしても、ロシア艦隊がそれを妨害、阻止しようとする動きを見れば明らかである。
件の某経済人は、「米の自給率は98%と高い。いざという時に備えて、米の利用をもっと考えておくとか、国民の意識改革も含めて、食の安全を図るときです」と〝警告〟する。
在宅勤務の長所と短所
コロナ禍3年で、生き方・働き方も変わり、在宅勤務・リモート勤務もほぼ定着してきた。
しかし、その在宅勤務もメリットと共にデメリットもある。いかに、そのデメリットを少なくしていくかという努力も必要だ。
あるIT企業の50代経営者は、「オフィスへの出社を勧めています」と、その理由について次のように語る。
「WEB(ウェブ)で会議をしていて、何かもどかしさを感じます。対面で議論していると、問題の微妙な点もすかさず、相手の表情を見ながら、話をすることができます。画面ではその微妙な所を見逃してしまいがちです」
何事も極端に走るのではなく。良いところは採用し、不都合なところは少なくしていく。あるいはオフィスへの出社とリモートワークの共存ということで、融合スタイルでもいいし、その企業風土に合ったワークスタイルでいいのではないか。
そうしたバランス感覚も求められるが、生きること、働くことの本質はいつの時代も変わらない。
混沌とした状況下だからこそ、生き方・働き方を含めて、「本質」が問われるのだと思う。
環境問題に貢献
環境を良くすることに、どう貢献していくか─。
祖業の産業から出発し、ケミカル、医療機器、加工食品、防災と、人の命・健康から、産業インフラ関連まで場広く手がけるエア・ウォーター。
「今、環境問題に力を入れています」と会長・豊田喜久夫さんは語る。
豊田さんの話を聞いていて、面白いと思ったのは、北海道での畜産事業に関する話。
牛のフン(糞)を活用して、バイオマス発電を行い、「メタンを作って、水素に変えて、最終的にはそれを燃料源にロケットを飛ばそう」という事業。
畜産業で大量に出てくるフンを有効に活かすというプロジェクトで、大いに関心の持たれる事業だ。
「北海道の畜産農家から、牛の消化液を集め、精製して、それを電力に変えたりすると、大体北海道で必要とされるLNG(液化天然ガス)半分ぐらいはまかなえる」という試算もある。
こうした試みは、北海道だけでなく、同じく畜産が活発な南九州あたりでも歓迎されるもの。
脱CO2(二酸化炭素)へ向けて、いろいろなチャレンジが起きている。今は、個人の能力、引いては日本の潜在力を掘り起こすときである。
どんな人が伸びていますか? という問いに、豊田さんも「常に前向き、自分の頭で考える人ですね」と答え、次のように語る。
「自分を磨くということに尽きますね。自分の好きな所で、好きな仕事をする。会社側も、自分を磨く場を提供していく」
人を育てることも大事だが、人は自ら育つという側面もある。
『育てる』と『自ら育つ』の両面が必要である。
小説『油断!』が出版されたのは1975年(昭和50年)のこと。
当時、経済規模が世界2位の日本は、石油を中東にほぼ依存。第1次石油ショックで石油価格が高騰し、日本経済が大混乱した直後であった。
著者は堺屋太一さん(1935―2019)である。堺屋太一はペンネームで本名は池口小太郎。元通産省(現経産省)出身の官僚で、資源・エネルギーのほとんどを海外に依存する日本の〝脆さ〟を世の中全体に啓発する著作。当時、大変なベストセラーとなり、テレビでドラマ化もされた。
第1次石油ショック(1973)、第2次石油ショック(1979)と、中東産油国の石油資源を使った〝権利主張〟は世界を揺さぶった。
日本は敗戦(1945)から30年足らずで、この石油危機に見舞われ、中東産油国に油を乞う〝油乞い外交〟を強いられた。
第1次石油ショックの後の日本は物価が30%も上昇し、狂乱物価となった。賃上げも行われたが、超インフレの弊害、ヒズミは随所に現れ、まさに混乱。
その鎮静化へ向け、当時の財界のご意見番とされた桜田武氏(日経連=日本経営者団体連盟会長)らが労使双方に冷静と忍耐を呼びかけた。無資源国・日本にとって、必死の狂乱物価乗り切りだった。
50年前と比べて緊張感が…
堺屋さんは、石油ショックが起こる前から、日本の政治・経済構造の脆さを十二分に認識しておられ、〝ショックに揺るがない日本〟にする必要があるとして、『油断!』を書かれた。
出来上がったのが、ちょうど石油ショックと重なる1973年(昭和48年)。日本中を不安に陥れてはということで、実際に刊行されたのは日本が少し落ち着きを取り戻した1975年であった。
この『油断!』は、当時、終戦から経済一本やりで経済大国となった日本の文字通り、油断、慢心を衝いた著作。
ここで日本は省資源・省エネルギーへ、官民挙げて新しい産業構造へと作り替えていく。それから間もなく、重厚長大産業(資源多消費型)から軽薄短小(資源を消費しないサービス産業や知識集約産業)への産業転換を進めよう─といった考え方が広まっていく。
その意味で、堺屋さんの『油断!』は当時の日本人の意識を転換させることに大いに貢献した。
50年後の今、また日本の『油断!』体質が露呈する。エネルギー面もそうだが、食料自給率の低さから来る『油断!』である。
今は、食糧危機だ!
「コストプッシュインフレに対応して、賃上げ、子育てに加え、医療・介護問題をどうするかが今、大変な議論になっているけれども、肝腎の食糧問題をどうするかがスッポリ抜け落ちている」
某経済人は日本の食糧事情が危機にあることにこう触れて、「食糧の確保をどう図るか」をもっと真剣に考えるべきと訴える。
日本の食糧自給率は38%と先進国の中で最低の水準。ちなみに、カナダは266%、豪州は200%で、米国が132%、フランスも125%と非常に高い。
80年近く前、共に敗戦国となったドイツは86%あり、英国65%、イタリア60%、スイス51%と欧米各国も日本より高い。
いざ、危機が起きたときに、肝腎の食糧をどう確保するのかという根本的な課題である。
食糧は「同盟国から、金を払って買えばいい」という声もあるが、食糧を運ぶ船が航行の妨害を受けたらひとたまりもない。
そのことはウクライナが黒海から小麦を輸出しようとしても、ロシア艦隊がそれを妨害、阻止しようとする動きを見れば明らかである。
件の某経済人は、「米の自給率は98%と高い。いざという時に備えて、米の利用をもっと考えておくとか、国民の意識改革も含めて、食の安全を図るときです」と〝警告〟する。
在宅勤務の長所と短所
コロナ禍3年で、生き方・働き方も変わり、在宅勤務・リモート勤務もほぼ定着してきた。
しかし、その在宅勤務もメリットと共にデメリットもある。いかに、そのデメリットを少なくしていくかという努力も必要だ。
あるIT企業の50代経営者は、「オフィスへの出社を勧めています」と、その理由について次のように語る。
「WEB(ウェブ)で会議をしていて、何かもどかしさを感じます。対面で議論していると、問題の微妙な点もすかさず、相手の表情を見ながら、話をすることができます。画面ではその微妙な所を見逃してしまいがちです」
何事も極端に走るのではなく。良いところは採用し、不都合なところは少なくしていく。あるいはオフィスへの出社とリモートワークの共存ということで、融合スタイルでもいいし、その企業風土に合ったワークスタイルでいいのではないか。
そうしたバランス感覚も求められるが、生きること、働くことの本質はいつの時代も変わらない。
混沌とした状況下だからこそ、生き方・働き方を含めて、「本質」が問われるのだと思う。
環境問題に貢献
環境を良くすることに、どう貢献していくか─。
祖業の産業から出発し、ケミカル、医療機器、加工食品、防災と、人の命・健康から、産業インフラ関連まで場広く手がけるエア・ウォーター。
「今、環境問題に力を入れています」と会長・豊田喜久夫さんは語る。
豊田さんの話を聞いていて、面白いと思ったのは、北海道での畜産事業に関する話。
牛のフン(糞)を活用して、バイオマス発電を行い、「メタンを作って、水素に変えて、最終的にはそれを燃料源にロケットを飛ばそう」という事業。
畜産業で大量に出てくるフンを有効に活かすというプロジェクトで、大いに関心の持たれる事業だ。
「北海道の畜産農家から、牛の消化液を集め、精製して、それを電力に変えたりすると、大体北海道で必要とされるLNG(液化天然ガス)半分ぐらいはまかなえる」という試算もある。
こうした試みは、北海道だけでなく、同じく畜産が活発な南九州あたりでも歓迎されるもの。
脱CO2(二酸化炭素)へ向けて、いろいろなチャレンジが起きている。今は、個人の能力、引いては日本の潜在力を掘り起こすときである。
どんな人が伸びていますか? という問いに、豊田さんも「常に前向き、自分の頭で考える人ですね」と答え、次のように語る。
「自分を磨くということに尽きますね。自分の好きな所で、好きな仕事をする。会社側も、自分を磨く場を提供していく」
人を育てることも大事だが、人は自ら育つという側面もある。
『育てる』と『自ら育つ』の両面が必要である。