非常に真面目な性格で曲がったことは大嫌い
─ 3月10日にセブン&アイ・ホールディングス名誉会長で、イトーヨーカ堂創業者の伊藤雅俊さんが亡くなりました。鈴木さんにとって伊藤さんはどんな人でしたか。
鈴木 一言で言えば、伊藤さんは真面目な人でした。非常に真面目な性格で、わたしと一緒で曲がったことは大嫌い(笑)。
歳をとってから多少は一緒にゴルフをしたこともあったけど、積極的に運動をするというよりは、よく読書をしていましたね。談笑したり、皆と話し合ったりすることは好きだけど、あまりお酒を飲むタイプでもないし、いろいろなことを考えるのが好きな人でした。
【訃報】イトーヨーカ堂創業者の伊藤雅俊氏が死去
─ そうですよね。日本チェーンストア協会の会長をつとめたこともありましたが、伊藤さんはどちらかと言うと、目立った行動や発言をされる方ではありませんでしたね。
鈴木 ええ。何と言うか、自分がリーダーになって業界を引っ張っていくというような人ではなかったですね。
─ 鈴木さんは1997年から経団連副会長になりましたけど、普通なら伊藤さんがなると思いますよね。
鈴木 あの時は、会長の豊田章一郎さん(トヨタ自動車元会長)がわざわざ会社にやってきて、伊藤さんに鈴木を出してくれということを頼みに来たんです。伊藤さんは人から頼まれると「NO」と言えない人でしたから、「伊藤さんがいいならやりましょう」ということになったのです。
─ そういうところは自由にやらせてくれたんですね。
鈴木 そうです。基本的に伊藤さんは自由にやらせてくれました。それはコンビニエンスストアを始める時もそうです。
─ 米サウスランド社(現7-Eleven,Inc.)とライセンス契約を締結し、ヨークセブン(現セブン-イレブン・ジャパン)を設立したのが1973年(昭和48年)11月でした。あの時はどんな気持ちで伊藤さんを説得したんですか。
鈴木 あの頃はアメリカの流通業を皆が研究していて、わたしもコンビニというものに興味を持っていました。はっきりとは覚えていませんが、確か、同じ頃にダイエーの中内㓛さんもコンビニに関心を持っていたように思います。
─ ダイエーがダイエーローソン(現ローソン)を設立したのが1975年4月ですから、セブンの方が1年半ほど早いんですね。
鈴木 ええ。うちの方が早かったと思います。それで当社でもコンビニをやろうということになって、言い出しっぺのわたしが伊藤さんに話をしに行ったんです。
伊藤さんはいろいろ斬新なことをするという人ではなく、物事を慎重に判断される方です。ですから、当初は伊藤さんもあまり賛成ではなかったように思うけれども、わたしは面白いと思ったらすぐにやってみようという性格だから、伊藤さんにやりましょうと。
セブンのそごう・西武売却で池袋・家電量販店戦争が勃発
─ 面白いですね。互いの性格が違っても、結果的に会社として、いいバランスをとっていたということですよね。
鈴木 今にして思えば、わたしも40歳ぐらいでしたから、若気の至りだったのかもしれません。でも、日本でコンビニは絶対に成功すると思いましたし、やってうまくいかなければ責任を取ればいいと考えて、何度も言い続けたように思います。
─ 責任を取るというのは会社を辞める覚悟があったということですか。
鈴木 それくらいの覚悟は持たないと、責任なんて軽く言えないですよね。要するに、わたしはいいと思ったものには挑戦しようと。それでうまくいかなかったら自分の責任。それは今も昔も変わりません。
─ 伊藤さんも結局は、一度決めたら前へ進むという鈴木さんの気迫を伊藤さんも汲み取ったわけですよね。
鈴木 ええ。だから、言われたことはないけれども、内心では危なっかしい男だなと思っていたと思いますよ(笑)。
─ 伊藤さんとは8歳違いですよね。この年齢的な差がちょうど良かったんですか。
鈴木 それもあるかもしれません。あとは、わたしがトーハン(書籍取次の大手)という全然違う世界から流通の世界に飛び込んできたわけですよ。全くの素人の意見だったから、話を聞いてくれたのかもしれない。
─ もともと流通の世界にいた人ではそういう発想にならないし、伊藤さんも反発していたかもしれませんね。
鈴木 それも含めて若気の至りですよ。伊藤さんはわたしを信用して、自由にやらせてくれました。この場を借りて、改めて、伊藤さんに感謝を申し上げたいと思います。
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─ 3月10日にセブン&アイ・ホールディングス名誉会長で、イトーヨーカ堂創業者の伊藤雅俊さんが亡くなりました。鈴木さんにとって伊藤さんはどんな人でしたか。
鈴木 一言で言えば、伊藤さんは真面目な人でした。非常に真面目な性格で、わたしと一緒で曲がったことは大嫌い(笑)。
歳をとってから多少は一緒にゴルフをしたこともあったけど、積極的に運動をするというよりは、よく読書をしていましたね。談笑したり、皆と話し合ったりすることは好きだけど、あまりお酒を飲むタイプでもないし、いろいろなことを考えるのが好きな人でした。
【訃報】イトーヨーカ堂創業者の伊藤雅俊氏が死去
─ そうですよね。日本チェーンストア協会の会長をつとめたこともありましたが、伊藤さんはどちらかと言うと、目立った行動や発言をされる方ではありませんでしたね。
鈴木 ええ。何と言うか、自分がリーダーになって業界を引っ張っていくというような人ではなかったですね。
─ 鈴木さんは1997年から経団連副会長になりましたけど、普通なら伊藤さんがなると思いますよね。
鈴木 あの時は、会長の豊田章一郎さん(トヨタ自動車元会長)がわざわざ会社にやってきて、伊藤さんに鈴木を出してくれということを頼みに来たんです。伊藤さんは人から頼まれると「NO」と言えない人でしたから、「伊藤さんがいいならやりましょう」ということになったのです。
─ そういうところは自由にやらせてくれたんですね。
鈴木 そうです。基本的に伊藤さんは自由にやらせてくれました。それはコンビニエンスストアを始める時もそうです。
─ 米サウスランド社(現7-Eleven,Inc.)とライセンス契約を締結し、ヨークセブン(現セブン-イレブン・ジャパン)を設立したのが1973年(昭和48年)11月でした。あの時はどんな気持ちで伊藤さんを説得したんですか。
鈴木 あの頃はアメリカの流通業を皆が研究していて、わたしもコンビニというものに興味を持っていました。はっきりとは覚えていませんが、確か、同じ頃にダイエーの中内㓛さんもコンビニに関心を持っていたように思います。
─ ダイエーがダイエーローソン(現ローソン)を設立したのが1975年4月ですから、セブンの方が1年半ほど早いんですね。
鈴木 ええ。うちの方が早かったと思います。それで当社でもコンビニをやろうということになって、言い出しっぺのわたしが伊藤さんに話をしに行ったんです。
伊藤さんはいろいろ斬新なことをするという人ではなく、物事を慎重に判断される方です。ですから、当初は伊藤さんもあまり賛成ではなかったように思うけれども、わたしは面白いと思ったらすぐにやってみようという性格だから、伊藤さんにやりましょうと。
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─ 面白いですね。互いの性格が違っても、結果的に会社として、いいバランスをとっていたということですよね。
鈴木 今にして思えば、わたしも40歳ぐらいでしたから、若気の至りだったのかもしれません。でも、日本でコンビニは絶対に成功すると思いましたし、やってうまくいかなければ責任を取ればいいと考えて、何度も言い続けたように思います。
─ 責任を取るというのは会社を辞める覚悟があったということですか。
鈴木 それくらいの覚悟は持たないと、責任なんて軽く言えないですよね。要するに、わたしはいいと思ったものには挑戦しようと。それでうまくいかなかったら自分の責任。それは今も昔も変わりません。
─ 伊藤さんも結局は、一度決めたら前へ進むという鈴木さんの気迫を伊藤さんも汲み取ったわけですよね。
鈴木 ええ。だから、言われたことはないけれども、内心では危なっかしい男だなと思っていたと思いますよ(笑)。
─ 伊藤さんとは8歳違いですよね。この年齢的な差がちょうど良かったんですか。
鈴木 それもあるかもしれません。あとは、わたしがトーハン(書籍取次の大手)という全然違う世界から流通の世界に飛び込んできたわけですよ。全くの素人の意見だったから、話を聞いてくれたのかもしれない。
─ もともと流通の世界にいた人ではそういう発想にならないし、伊藤さんも反発していたかもしれませんね。
鈴木 それも含めて若気の至りですよ。伊藤さんはわたしを信用して、自由にやらせてくれました。この場を借りて、改めて、伊藤さんに感謝を申し上げたいと思います。
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