「当社は国内回帰に力を入れていきます」――。海外に18工場、国内18工場と、これまで海外生産を増やしてきたアイリスオーヤマ。ここへ来て、会長の大山健太郎氏は「国内回帰」を打ち出し、「米と水」で国内市場掘り起こしに動き始めた。米は、東日本大震災で被害を受けた東北の復興にもつながるとして、福島、宮城県産を中心に東北米を使用。1パック100円強の”パックご飯”が、「電子レンジで1分半ですぐ食べられる」と好評。農業参入10年でさらなる需要の掘り起こしに動く。飲料水は富士山の麓で採取、アイリスオーヤマの国内市場掘り起こし策とは――。
『米と水』の2つは日本国内で調達できる
「アイリスグループにとってみれば、グローバルで言うと、米国には4工場ありますが、これは順調に成長しているし、強化したい。中国は足踏みの状態。(チャイナプラスワンといわれる)その他の国は成長に乗っていると言っても、母数が小さいですからね。当社は国内回帰に力を入れていきます」
コロナ禍は峠を越えたにしても、ウクライナ危機は続き、米中対立、さらには昨今の金融波乱と、先行き、見通し難の状況。その中で、国内回帰を語るのはアイリスオーヤマ会長・大山健太郎氏。
アイリスグループが今、商品開発で注力する代表が米(こめ)と水の2つ。なぜ、今、『米と水』なのか?
「日本が、海外から資源を輸入しなくても、国内でまかなえるのが米と水です。日本にあるものじゃないですか。水にしても、世界一おいしい水です」
コロナ禍は世界の人々の生き方・働き方を変え、ウクライナ危機は小麦などの穀物需要をひっ迫させ、相場も高騰。今後、何か不測の事態や危機的状況が起きた場合、その地域の生活に不可欠なものは何か?
「東日本大震災で一番困ったのは飲み水なんですよ。コンビニにいくらあろうが、一時間で無くなりますからね。そういうことで、われわれは3年前から水事業をスタートした。おかげさまで順調で、供給マニュアルに従って、どんどん増設しています」と大山氏。
2021年、同社は富士山の麓の富士小山工場(静岡県小山町)で飲料水の生産を開始。近く同県裾野市でも飲料水の生産を始める計画。また、電子レンジで〝チンして1分半で食べられる〟と人気が出始めた『パックご飯』の生産強化に乗り出した理由とは――。
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東日本大震災で気づかされた事
アイリスオーヤマの本拠は仙台市。東日本大震災が起きた2年後の2013年に精米子会社・舞台アグリイノベーションを設立して農業分野に進出。大被害を受けた東北地方の振興にも貢献できる事業をということで、米の販売を開始した。
そして、宮城県角田市の角田工場で精米する態勢を整えた。
ブランド『生鮮米』は摂氏15度以下の低温環境で精米、使いやすいようにと、2合、3合の小分けパックにして、脱酸素剤を入れ鮮度を保ち、新米のおいしさを消費者にアピール。
小分けパックにしたのも、既存精米は5キロから10キロ袋で販売されており、そうした既存精米との違いを出そうという差別化戦略であった。
しかし、コトはそう簡単には運ばない。アイリスは、西の拠点として、佐賀県鳥栖市にも工場を構えるなど、全国に商品を配送するネットワークを構築しているが、消費者の購買習慣を変えるのは簡単ではなかった。
試行錯誤が続く中、2015年に『パックご飯』の販売に乗り出した。これが大ヒットとなる。
米の消費は毎年減少し続けている。マクロ的にはそうだが、『パックご飯』の市場は成長。餅や米飯関連の大手、サトウ食品なども好業績をあげるなど、ひと工夫した米飯市場は成長している。その市場規模はコロナ禍で毎年、前年比数%の成長を遂げ、2023年は4%台の伸び率で、約980億円になるという見通しだ。
それにしても、なぜ、今、国内回帰なのか?
「われわれとすれば、3年前まではグローバル、グローバルで、海外の工場を毎年2つ位つくってきたのですが、今はちょっと供給過剰になりつつあるので、ブレーキを踏んでいると。あとは国内の工場の充実。米と水に力を入れて、近い将来は輸出を考えています」
現在、アイリスグループの工場は国内18工場、海外18工場(米国、中国を含む)。同社の取り組みが注目されるのは、米の取引が農家との直取引であるということ。
「こうした農家との直取引は、全体の3割ですが、それを将来は5、6割に持っていきたい」
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環境激変に成長
大山氏は1945年(昭和20年)7月生まれの77歳。大阪府出身。府立布施高校3年時に、プラスチック加工を営む父親がガンを患い、家業(大山ブロー工業所)を受け継いだ。
8人兄弟の長男として、一家と従業員の生計を託され、本人は進学を断念し、19歳で社長を引き受けた。以来58年余。この間、2018年に長男・晃弘氏に社長ポストを譲り、会長に就任したという経緯である。
東北との縁は、当時、農業用や漁業用のプラスチック加工品を製造販売し、東北がその主力市場であったことから始まる。
1972年、仙台工場(現・大河原工場)を竣工。1970年代、2度にわたる石油危機時は20代半ばから30代であった。原料高・製品安の苦境に見舞われるが、ガーデン・園芸用品、ペット用品、収納用品と、新領域でアイデア商品を開発。
1990年代初めのバブル崩壊から、日本は〝失われた30年〟の低迷期に入る。同社は91年にアイリスオーヤマに社名を変更。大手家電・電機メーカーが経営不振に陥る中、それら大手メーカーの技術者をスカウトし、消費者目線に立った生活家電や生活用品を次々と世に送り出してきた。
『ユニクロ』のファーストリテイリングや家具・生活用品のニトリホールディングスと同様、同社は〝失われた30年〟に成長してきた。3社に共通するのは、消費者を惹きつける商品の企画力・開発力である。
予測不可能な事が起こる時代の転換期にあって、「今、ちょっと世の中が暗くなっているので、しっかりとビジョンをもって、明るく楽しく、そして積極的に行動しようと、社員には呼びかけています」と大山氏。
緊張感の漂う中での企業経営のカジ取りである。
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『米と水』の2つは日本国内で調達できる
「アイリスグループにとってみれば、グローバルで言うと、米国には4工場ありますが、これは順調に成長しているし、強化したい。中国は足踏みの状態。(チャイナプラスワンといわれる)その他の国は成長に乗っていると言っても、母数が小さいですからね。当社は国内回帰に力を入れていきます」
コロナ禍は峠を越えたにしても、ウクライナ危機は続き、米中対立、さらには昨今の金融波乱と、先行き、見通し難の状況。その中で、国内回帰を語るのはアイリスオーヤマ会長・大山健太郎氏。
アイリスグループが今、商品開発で注力する代表が米(こめ)と水の2つ。なぜ、今、『米と水』なのか?
「日本が、海外から資源を輸入しなくても、国内でまかなえるのが米と水です。日本にあるものじゃないですか。水にしても、世界一おいしい水です」
コロナ禍は世界の人々の生き方・働き方を変え、ウクライナ危機は小麦などの穀物需要をひっ迫させ、相場も高騰。今後、何か不測の事態や危機的状況が起きた場合、その地域の生活に不可欠なものは何か?
「東日本大震災で一番困ったのは飲み水なんですよ。コンビニにいくらあろうが、一時間で無くなりますからね。そういうことで、われわれは3年前から水事業をスタートした。おかげさまで順調で、供給マニュアルに従って、どんどん増設しています」と大山氏。
2021年、同社は富士山の麓の富士小山工場(静岡県小山町)で飲料水の生産を開始。近く同県裾野市でも飲料水の生産を始める計画。また、電子レンジで〝チンして1分半で食べられる〟と人気が出始めた『パックご飯』の生産強化に乗り出した理由とは――。
トーエル 中田みち会長CEO「ガス、水、電気、通信をまとめて提供できるライフライン事業者として成長を!」
東日本大震災で気づかされた事
アイリスオーヤマの本拠は仙台市。東日本大震災が起きた2年後の2013年に精米子会社・舞台アグリイノベーションを設立して農業分野に進出。大被害を受けた東北地方の振興にも貢献できる事業をということで、米の販売を開始した。
そして、宮城県角田市の角田工場で精米する態勢を整えた。
ブランド『生鮮米』は摂氏15度以下の低温環境で精米、使いやすいようにと、2合、3合の小分けパックにして、脱酸素剤を入れ鮮度を保ち、新米のおいしさを消費者にアピール。
小分けパックにしたのも、既存精米は5キロから10キロ袋で販売されており、そうした既存精米との違いを出そうという差別化戦略であった。
しかし、コトはそう簡単には運ばない。アイリスは、西の拠点として、佐賀県鳥栖市にも工場を構えるなど、全国に商品を配送するネットワークを構築しているが、消費者の購買習慣を変えるのは簡単ではなかった。
試行錯誤が続く中、2015年に『パックご飯』の販売に乗り出した。これが大ヒットとなる。
米の消費は毎年減少し続けている。マクロ的にはそうだが、『パックご飯』の市場は成長。餅や米飯関連の大手、サトウ食品なども好業績をあげるなど、ひと工夫した米飯市場は成長している。その市場規模はコロナ禍で毎年、前年比数%の成長を遂げ、2023年は4%台の伸び率で、約980億円になるという見通しだ。
それにしても、なぜ、今、国内回帰なのか?
「われわれとすれば、3年前まではグローバル、グローバルで、海外の工場を毎年2つ位つくってきたのですが、今はちょっと供給過剰になりつつあるので、ブレーキを踏んでいると。あとは国内の工場の充実。米と水に力を入れて、近い将来は輸出を考えています」
現在、アイリスグループの工場は国内18工場、海外18工場(米国、中国を含む)。同社の取り組みが注目されるのは、米の取引が農家との直取引であるということ。
「こうした農家との直取引は、全体の3割ですが、それを将来は5、6割に持っていきたい」
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大山氏は1945年(昭和20年)7月生まれの77歳。大阪府出身。府立布施高校3年時に、プラスチック加工を営む父親がガンを患い、家業(大山ブロー工業所)を受け継いだ。
8人兄弟の長男として、一家と従業員の生計を託され、本人は進学を断念し、19歳で社長を引き受けた。以来58年余。この間、2018年に長男・晃弘氏に社長ポストを譲り、会長に就任したという経緯である。
東北との縁は、当時、農業用や漁業用のプラスチック加工品を製造販売し、東北がその主力市場であったことから始まる。
1972年、仙台工場(現・大河原工場)を竣工。1970年代、2度にわたる石油危機時は20代半ばから30代であった。原料高・製品安の苦境に見舞われるが、ガーデン・園芸用品、ペット用品、収納用品と、新領域でアイデア商品を開発。
1990年代初めのバブル崩壊から、日本は〝失われた30年〟の低迷期に入る。同社は91年にアイリスオーヤマに社名を変更。大手家電・電機メーカーが経営不振に陥る中、それら大手メーカーの技術者をスカウトし、消費者目線に立った生活家電や生活用品を次々と世に送り出してきた。
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予測不可能な事が起こる時代の転換期にあって、「今、ちょっと世の中が暗くなっているので、しっかりとビジョンをもって、明るく楽しく、そして積極的に行動しようと、社員には呼びかけています」と大山氏。
緊張感の漂う中での企業経営のカジ取りである。
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