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田代祐子・アコーディア・ゴルフ会長「日本社会に風穴を開けるカギは女性」

財界オンライン 2023年6月15日 11時30分

ゴルフ場運営最大手のアコーディア・ゴルフ会長の田代祐子氏はもともと専業主婦だった。米国人と結婚して渡米。子育てに追われる中で米国の大学に通い会計士となった。日系自動車関連企業の米国進出などをサポートした後、帰国してGEに入社。「GEは言語や文化が違う人々に同じ方向を向かせるには数字の目標を示すのが最適という考え方を持っていた」など、米国企業の経営の考え方を学んだ。そんな田代氏が訴える日本社会における女性の今後の可能性とは?

【ゴルフ場運営最大手】田代祐子・アコーディア・ゴルフ会長「ゴルフ人口はまだまだ増やせる!」

ゴルフの可能性

 ─ 田代さんはゴルファーを増やすために女性や若者を取り込む施策を講じていますが、どういう言葉で呼び掛けているのですか。

 田代 「誰もが楽しめるゴルフ場に」というものです。このために必要なのは、まずは、コストパフォーマンスが良いということです。いつも良好なコンディションのコースを提供し、セルフサービスの分、プレー料金も安い。どなたでも1日中楽しんでいただけるようなゴルフ場の運営ですね。

 そもそもゴルフは特殊なスポーツだと思うのです。1つは完全に自己責任であるということ。もう1つはレベルがどんなに違う人とでも楽しめるということです。ゴルフの腕前に関係なく、「一緒にゴルフをしましょう」と言えばゴルフは成立します。

 そういう意味では、人のネットワークを作る、人のネットワークを広げていくというのには最適なスポーツだと思います。

 ─ そんな田代さんはユニークな経歴をお持ちです。渡米したのは何歳でしたか。

 田代 19歳です。高校を卒業した後に米国人と結婚して夫がオハイオ州トレド市の出身だったので、そちらに住んでいました。子どもが3人生まれて、育児と家事をしながら「私は一生ここで米国人たちに囲まれて専業主婦をやっていくのかな」と。別にその当時は、それに不満はありませんでした。

 そんなときに、たまたま日本人のご夫婦が近所に引っ越してきたのです。目的は、ご主人が大学で博士号を取得するということでした。暫くたって、奥さんから「自分も大学に行きたいのだけど、子どもが小さいから、お互いに預けあって大学に行こうよ」と誘われたのです。

 ─ お互いに子どもを預け合う中で大学に行こうと。

 田代 ええ。お互いに子どもを預け合って、違う時間帯に大学に通うことになりました。そして大学に入学したのですが、行ってみたら、とにかく勉強が楽しかったのです。コンピュータープログラマーになろうと思って、最初はその学科を選びました。

 そこから就職を考えて就職先を探し始めたのですが、米国人しかいない中で外国人の私が仕事を見つけるのは大変だろうと思いながらも、何か資格があれば、どこかに雇ってもらえるのではないかと。仕事につながる資格をいろいろ検討し、会計士を志そうと決めました。



子育てをしながら大学に通う

 ─ その大学には何年間通ったのですか。

 田代 6年になります。最初は1週間に3~4時間勉強し、1つずつ単位を取っていきました。大学には保育所もありましたので、子育てと勉強の両立もうまくできました。

 ─ その後、大手会計事務所のKPMGに入りましたね。

 田代 大学を卒業して、まさか自分がKPMGに入るとは思ってもいませんでした。大学には会計学専攻生の集まるクラブがあり、そこではリクルーティングなどのイベントがあります。ある時、イベントで、KPMGのパートナーと会ったのです。そして彼から「日本語ができるのならKPMGに来ないか」と誘っていただきました。

 本当に驚きました。当時、私は日本人であるとか、日本語ができるということが、米国社会の中では何の価値もないと思っていたからです。そんなとき、突然、日本人であることに価値が出てきたわけです。

 ─ KPMGに入所してから、どこで働いたのですか。

 田代 ケンタッキー州でした。その理由は1985年にトヨタ自動車がケンタッキー州に進出すると発表したからです。トヨタの発表を受け、サプライヤーも何十社とケンタッキー州に工場を作ろうと動き出しました。そこでKPMGのケンタッキー州のパートナーが日本語のできる人材を探していたのです。

 このチャンスを逃したくない─。そう考えた私は家族を説得し、引っ越しました。夫の家族はトレドに住んでいましたから、夫の理解がなければできなかったと思います。ただ、夫は私に何を言っても無駄だと諦めていましたけどね(笑)。一番抵抗したのは子どもたちでした。

 ─ 仕事は忙しかった?

 田代 ええ。ホンダは80年にオハイオ州に進出済みでしたが、トヨタの進出を皮切りに、一斉に日本の自動車メーカーが米国に進出してきました。そこの仕事に携われましたので、素晴らしいキャリアを積むことができました。お客様がどんどん増えて責任も増えました。

 製造業のお客様が多かったので、例えば技術一筋の工場長が会社から「米国工場を作れ」と言われるわけです。銀行や商社の方ではないので英語ができない。そういった方が米国で工場を立ち上げるわけですから、そこを私たちがお手伝いすると。

 地方自治体と交渉して工場用の土地を購入し、工場で働く米国人を雇って生産ラインを動かすわけです。技術者の方が2人くらいの仮事務所から始めて、最終的には500人規模の工場をつくる、そういったサポートを15年間やりました。



経営の在り方を学んだGE時代

 ─ その後、帰国してゼネラル・エレクトリック(GE)に入りましたね。

 田代 ええ。米国でKPMGのパートナーにまでなることができました。お陰様で米国ではそれなりのキャリアを積んだわけですが、私のキャリアの中で足りなかったことがあります。それは日本で働いたことがなかったということです。

 それと、会計士といったコンサルタント業ではなく、事業の中に入りたかったという思いもありました。

 帰国したときにGEに雇われました。当時のGEは絶好調で、CEOはジャック・ウェルチさんでした。

 そんな中、2000年にGEは男性中心で多様性に欠けると「ウォール・ストリート・ジャーナル」に指摘されました。

 それを見たジャックが、社内で見直しが必要だと考え、すぐに世界中の組織に女性管理職比率の目標を示した上で女性管理職の育成に動き出しました。そのときの調査によると、世界中のGEの中でも女性のマネージャーの数で日本が圧倒的な差で最下位だったのです。

 ─ そこで田代さんに白羽の矢が立ったのですね。

 田代 そうですね。もともと私は日本に帰ってから仕事を探そうと思っていたのですが、知り合いのヘッドハンターから「GEが日本で誰かを探しているよ」と声をかけられたことがきっかけでGEに入りました。

 ─ GEでは、どんな仕事を担当したのですか。

 田代 アジア・ソーシング・リーダーという購買関係の仕事を担当しました。それと並行して女性の管理職の育成にも取り組み、「GE Womens Network」という組織を立ち上げました。この組織は全世界にあり、米国の場合は女性のエグゼクティブを育てることが目的だったのですが、日本では女性管理職を増やすことが目標でした。

 ─ GEでどんなことを学びましたか。

 田代 3年間在籍しましたが、リーダーシップや経営の考え方について多くのことを学びました。特に印象深かったのは米国クロトンビルにあるGEの研修所で、幹部候補生の育成に特化した研修を受けさせてもらったことです。1カ月間、世界中のGEから選ばれた50人ほどの幹部候補生と昼夜リーダーシップ研修を受けました。

 GEはもともとリーダーシップ研修には非常に力を入れていて、世界中の人材をクロトンビルに集めて研修を行っていました。研修中には必ずジャック・ウェルチさんやジェフ・イメルトさん(2001年から17年までCEOを務める)がこの研修施設に訪れていました。

 ─ 直接トップが来て指導を行っているのですね。

 田代 はい。経営手法という意味では非常に特殊な会社だと思います。GEは全世界約110カ国の拠点で、皆に同じ方向を向かせるためには数字の目標を示すしかないという考え方を持って研修していました。世界で一律の数字を掲げるのです。

 そうすると、日本はもともと利益率が低いことが炙り出されます。そのときにお客様との関係などを言い訳にすることは一切許されません。彼らが言ったのは、言葉には様々なニュアンスがあるから、言語にすると皆が同じ考え方をもっていなかったりする場合がある。

 しかし、売り上げ5%アップと言えば、これはきちんと測れる。だからこそ目標を明確にするという意味では、もの凄くシンプルな目標を挙げるのです。そうすれば誰でも理解できますし、全世界の三十数万人の従業員が目標を理解できますからね。「ああ、そうなのか」と思うことはたくさんありました。



日本の社会を変えるために

 ─ 日本は「失われた30年」と言われ、賃上げや投資が絞られました。一方で米国は前向きな企業が多いと言われます。この違いは何だと考えますか。

 田代 日本企業の場合、個人のスキルや業務が全て個人に属しているところに課題があるのではないでしょうか。米国企業の場合はマニュアルがきっちり整えられており、誰が仕事を担当しても、その仕事をこなせる仕組みになっているのです。

 日本企業では、なかなか担当者を入れ替えることができず、その人がずっと同じ仕事をしている。そして年功序列で給料が上っていく。日本は皆が痛みを伴わない、皆が快適な社会を保っていくことに、今まで心血を注いできた社会ではないでしょうか。ですからとても居心地が良いのです。

 ─ そこは米国で仕事をしていた経験から感じますか。

 田代 ええ。帰国して私が感じたことは本当に日本で年を取るということが居心地の良いことであるということです。清潔だし、安全だし、揉め事もないし、デフレですからね(笑)。高齢者にとっては良いことばかりではないでしょうか。しかし、高齢者にとって良い社会は、将来どうなるのでしょうか。

 最近は、元気なベンチャー企業も出てきていますし、日本社会も変わっていくと思います。その反面、既存の企業も意識改革を行う必要があります。企業の経営者が自分の会社の文化や価値観をいかに変えていくか。

 そこで私は男性とは違う特性を持っている女性が企業の価値観に風穴を開けるカギになると思っているのです。だからこそ女性がとても必要になってくる。男性だけでは気がつかないことを女性は気づくことができます。

 当社の事業であるゴルフ場の運営においても、男性には見えない改善点が女性には見えたりします。私は様々な女性たちのメンターを務めているのですが、「自分がおかしいと思ったことは声を上げる。それが会社のためになります」と言っています。女性たちが自信をもって声を上げられるようになるためには、同じような環境にいる女性たちのコミュニティを作ることも必要です。

 私は女性活躍を女性のために訴えているのではありません。日本企業が競争力を持ち、もっと良い社会となるために、女性たちには自分の可能性を信じてもっと踏み出して欲しい。男性たちにも女性たちを活用して会社の風土を変え、競争力のある会社にして欲しいと思っているのです。

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