エーザイの認知症薬の研究開発は実に40年に及ぶ。この間、画期的な新薬も開発したが、大半は失敗の連続。しかし、「この失敗がなければ、こういう本格的な治療薬には到達できなかったと思います」とCEO・内藤晴夫氏。新薬『レカネマブ』は今年7月、米FDA(食品医薬品局)から正式承認を受ける見通しで、日本でも9月に承認される見込み。画期的な効能を示す治験結果が内藤氏のもとに届けられたのは年初の深夜。時は午前3時で、ベッドの上だったという。「思わず涙がこぼれてきました」と内藤氏。数千億円もの開発費と長い歳月をかけての研究開発。「安堵感ですね。ホッとしました」との述懐に実感がこもる。この新薬の登場は世界的に高齢化が進む中で増え続ける認知症患者にとって朗報であると同時に、エーザイの収益力向上に貢献するのはもちろん、製薬会社のビジネスモデルをも変革する可能性がある。世界の共通課題解決へ、内藤氏は「患者さんとのエンパシー(共感)を大事にする経営に徹していきたい」と語る。
新薬開発の成功の裏に失敗の連続があって…
「失敗の度になぜ失敗したかとレビューしていると、だんだん次はこうやればいいという、次の目標が結構クリアに見えてくる。それで、次は成功するだろうと思うと、また失敗して、また次の目標が出てきて、また成功するという、そういう繰り返しでした」とエーザイCEO(最高経営責任者)の内藤晴夫氏。
認知症患者の中で一番多いアルツハイマー型認知症。脳血管障害や『レビー小体型認知症』などもあるが、アルツハイマー型は脳の神経細胞が死んでいく変性疾患である。
このアルツハイマー病は進行性の脳疾患である。多くは65歳前後で発症し、次第に記憶障害が現われ、人格の変化、精神障害などをきたし、最後は死に至る。今のところ、完治させる薬はなく、軽度のうちに発見し、その進行を遅らせて、家族も含めて安定した日常生活を送ることができるようにしようという対策が各国で進む。このアルツハイマー病研究にエーザイが取り組んで約40年が経つ。
この間、同社は、進行を遅らせる画期的な治療薬『アリセプト』を開発。この新薬の成功でエーザイの認知症薬開発が世界的に評価された。
「アリセプトを米国で発売したのが1997年なんですけれども、その10年位前から認知症薬の研究は始めていたということで、よくそんなに長く続けてこられましたねと言われます」
新薬開発には長い歳月と多大な研究開発費が要求される。
『アリセプト』は成功し、次の世代の新薬開発に同社は取り掛かったわけだが、試練が続いた。
「ええ、アリセプトの後、直ちに次の世代のものをということで、ずっとやってきたんですが、失敗ばかり続けてきたわけです」
失敗して、検証し、次の目標を見つけて新薬を開発。成功もあるが、それは少なく、失敗を何度も繰り返すという道のり。
「ええ、その繰り返しで、『アリセプト』以来、今回は4つ目でした。4つ目の大きなプロジェクトで成功したということになります。この間、3200億円位、研究開発で使っているんです。認知症アルツハイマー病ですね」と内藤氏は語る。
〝失敗の山〟の前で、なぜ挑戦し続けられたのか
多額の研究開発費と数十年にも及ぶ長い歳月を要する新薬開発はリスクの高い事業。そうしたリスクを背負いながら、新薬開発に挑むのはなぜか?
「それはやはり常に株主やステークホルダーから、『(開発を)やってよ』と、そういう励ましをいつも受け取っていたからだと思いますね。アリセプトの時代から、われわれは患者さんとその家族と本当に交流しなければいけないということでやってきた。友の会の方々とか、患者さんのそばに行ってなるべく時間を過ごしたり、一緒におやつを食べたりして、ですね。そういう共有体験をすることをずっとやってきています」
エーザイの社員数は1万1100人強。全売り上げ(7444億円強、2023年3月期、当期純利益は554億円)の7割近くは海外であげており、社員の6割も外国人である。
グローバル化が進む中、各国の経営で共有するものがある。
「患者さんの喜怒哀楽を感じ取って、その中の憂慮をビジネス行動で取り除くということを続けてきています。そういう中で、やはりエーザイには期待しているよと。エーザイにはこれをやってもらいたいという、そういう気持ちを全社員で共有できていると。そういうことがあって、この40年間、折れないで続けてこられたと思います」
内藤氏は、「患者さんとは共感関係にあります」と語り、〝エンパシー〟という言葉を使って、経営の基軸を語る。
エンパシー(Empathy)。日本語に訳すと、共感、感情移入ということ。相手の気持ちの完全な理解ということになろうか。シンパシー(Sympathy、共鳴、同調、同意)とは違う概念だ。
「患者さんと常に同じ将来、未来を見ていると。どういう未来を見ているかというと、やはり認知症は治るのだと」と内藤氏。
「認知症がもうキュアラブル(治癒する)な病気に変わって、認知症の人々が社会の中で安心安全に暮らせると。そういう共通の未来ですね。エーザイのわれわれも同じ未来を見ているので、そこに行こうじゃないかと、こういう力ですね」
認知症を必ず治る病気にしていくという関係者の思いだ。
新薬が日本及び世界に与えるプラス影響とは
エーザイは1941年(昭和16年)の創業。神経系やガン領域に強さを持つ創薬企業だが、認知症薬の開発に注力してきたのも、「社会課題解決に役に立ちたい」というエーザイ関係者の思いがあったからである。
認知症になると、本人はもとより、家族や回りの関係者も介護や支援に当たらざるを得ず、社会での活動に支障をきたす。
日本では65歳以上の認知症患者数は約602万人(2020年時点)で、2025年には約675万に増えるという予測。
そうなると、5.4人に1人が認知症になるという計算(有病率18.5%)。
世界全体での患者数は、約5740万人(2019年時点)で、2050年には1億5280万人に増加すると見られる。
今回の新薬『レカネマブ』は米国の創薬大手、バイオジェンとの共同開発。バイオジェン社は開発資金を半分拠出したが、元々この抗体医薬を開発したのはエーザイで、監督官庁の米FDAに承認申請したのもエーザイである。
つまり、日本発の新薬であり、日本発のイノベーションということ。日本から世界の認知症患者に向けて、新薬が開発されたことは大変意義深い。
もっとも、今後、克服すべき課題はある。『レカネマブ』は、アルツハイマー病が『Aβ』(アミロイドβ)というタンパク質が蓄積されて起きるという見方で研究開発されたもの。
この『Aβ』以外のタンパク質も認知機能の低下に関係があるとの研究結果も出されており、今後さらなる病因解明と創薬の努力は続く。
もっとも、『レカネマブ』の登場は認知症治療を待ち望む人や医療関係者の間で期待する声は多い。
株式市場の反応
この新薬への期待と評価は株式市場の反応にも見られる。1年前の2022年5月頃のエーザイの株価は5000円台で推移。夏から上昇し始め、一旦下げた後、10月頃に7500円台を付けた。
年末にかけ、『レカネマブ』を米FDAが迅速承認するとの見方もあって、9500円台を突破。この後、今年に入って下がり始め、3月頃には7200円台となった。
4月頃から、また株価は上昇し始め、6月2日(金)の終値は9500円。時価総額は2兆8173億円強、PER(株価収益率)は71.73倍(東証平均は約15倍)、PBR(株価純資産倍率)は3.41倍(日本取引所はプライム、スタンダード市場に上場する企業に対し1倍以上を求めている)というエーザイの現在の指標である。
「われわれは日本初のイノベーション企業」
新薬開発はグローバル市場でますます競争が激しくなる。エーザイは、そうしたグローバル競争の中で、自分たちをどう位置付け、どう進路を取ろうとしているのか?
「エーザイの定款は、『日本発のイノベーション企業として』と書いています」と内藤氏。
『エーザイ定款』は明確に企業理念をうたっている。定款は企業理念について、「患者様と生活者の皆様の喜怒哀楽を第一義に考え、そのベネフィット向上に貢献することを企業理念として定める」と記し、「この企業理念のもとヒューマン・ヘルスケア(hhc)企業をめざす」としている。
定款の中で、自らを『日本発のイノベーション企業』と位置付け、「人々の健康憂慮の解消と医療較差の是正という社会善を効率的に実現する」と謳う。
そして、他産業との連携による『hhcエコシステム(最適形態)』を通じて、日常と医療の領域で生活する人々の『生ききるを支える』とする。その結果として、自分たちの売上や利益がもたらされるという同社の考え。
改めて、グローバルな企業活動をして、社員も6割が外国人という構成の中で、エーザイが日本に本社を構えるメリットとは何か?
「わたしはやはり日本社会というのは、非常に優れた社会だと思いますね。調和が取れて、それからいい意味でストレスが軽いし、基本的にいろいろな議論はあるけれども、格差が少ない。分断されてもいないということで、日本の社会の有り様というのは、1つのお手本じゃないかと思っています」
内藤氏は、米国は米国なりに独自の社会があるとしながら、「やはり日本で最終的な意思決定や戦略を考えるということは未来志向的だと思います」と語る。
内藤氏が続ける。
「われわれは今、疾患別のエコシステムビジネスモデルというのを、これからのエーザイの企業像で考えていますが、これも日本が一番今進んでいる」
エコシステム。人の命や人権、それに環境、資源・エネルギー問題などを考慮しながら、最適な運営システムを創り上げる〝場〟として、日本はそれこそ最適だという内藤氏の考え。
「エコシステム的な、みんなが同じ目標を持って、そこにパートナーとして参画して、人々にソリューションやメリットを届けようという考え方は、日本だと共鳴者は多いですね。アカデミアの人も共鳴するし、またスタートアップも共鳴するので、日本でそういうエコシステムを造るのが一番やりやすい」
こうやって創った日本初のエコシステムモデルというのは、「やがて米国や中国に広めていくことができると思います」と言う内藤氏である。
還元は、パブリック6割プライベート4割の比率で
では、この『レカネマブ』の薬価算定はどうなるのか?
「社会善を成すということを証明しなければいけないので、今回の薬剤の価値、バリューというものを計算しています」
内藤氏は、エコシステムモデルの考え方を敷衍(ふえん)して語る。
「米国では3万7600ドル、日本では460万円という年間価値を、この薬剤は1人当たりにもたらすという計算を、シミュレーションモデルを使ってやっているんです。われわれはこれからこの薬剤が社会にもたらす価値というのが、いくら位の金額になっているかということを常に問うていきたいと思います。そのトータルバリューの何割をエーザイが取って、何割を社会に戻すかということで、その価格付けを行っているんですね」
健康憂慮の解消と医療較差の是正という社会善を効率的に実現する─という企業理念を薬価設定にどう落とし込むのか?
「米国の場合は、トータルバリューの10年間で計算して、6割をパブリックステークホルダーズ、すなわち患者さん、家族、医療従事者、支払者、政府といったパブリックに還していく。そして4割をプライベートのステークホルダー、すなわちエーザイの株主とエーザイの従業員が商品売上としていただく。それで、2万6500ドルという年間価格を導き出したんです」
日本での薬価算定は?
「日本でも同じようなロジックで、バリューベースで価値をまず460万円と出しましたので、薬価もこういう考え方で、その価値の何割をパブリックに還元して、何割を価格として、エーザイがいただくかというロジックでお話したいなと思っています」
そして、プライベートに割り振った価値の一部は今後のアルツハイマー治療薬の開発や当事者(患者)との共生プロジェクトに投資していく─という社会善の実践である。
薬価算定のあり方も変わりつつある。
途上国への対応は?
この認知症治療薬は発展途上国でもニーズが高い。しかし、薬価の負担能力は、先進国と途上国では違う。どう対応するか。
「ですから、例えば南西アジア途上国でいえば、ソーシャルシステムが未成熟なので、パブリックにもっと割り振らなければいけない」
途上国に行けば行くほど、「われわれの取り分は少なくしていく」と内藤氏は語る。
最先端の科学技術(テクノロジー)を駆使して登場した新薬になればなるほど、薬価も高くなる。そうした新薬の需要は、先進国から始まる。しかし、最近はグローバルサウスと呼ばれる途上国、とりわけ経済力の弱い国々の間からも、そうした新薬に対する需要が高い。
途上国に新薬を引き渡す時、薬の値段は下がるのか?
「もう大幅に下がります。大幅に下がるし、今そのエコシステムでタイ国では保険会社と銀行が治療のファンディングをする保険を売り出したりしている」
途上国でも、ちゃんと薬を使えるようなエコシステムをつくろうというチャレンジが続く。
創業以来、研究開発に注力して
内藤晴夫氏は1947年(昭和22年)12月生まれの75歳。エーザイ創業者・内藤豊次氏(1889―1978)の孫で、父・祐次氏(1920―2005)の跡を継いで、1988年(昭和63年)、41歳で社長に就任。
創業者・内藤豊次氏は立志伝中の人物。福井県丹生郡の農家の三男坊として生まれた豊次氏は旧制武生中学を中退して、大阪に出た。独学で英語やドイツ語を修め、ドイツ商館や神戸で英国人の経営する薬局(タムソン商会)に勤め、頭角を現した。
その後、薬業界の実力者、田辺五兵衛氏の知遇を得て、薬業界で活躍。戦前の日本は、特に薬業界は外国産の輸入に依存しており、「日本も独自に新薬の研究開発に力を入れなければ」という考えの下、1936年(昭和11年)に桜ヶ岡研究所(合資会社)を設立した。
その2年後には、ビタミン剤『ユベラ』を発売するなど、研究開発を重視する考えは創業以来続いている。
第2代社長の祐次氏は1966年から1988年まで社長を務め、海外展開に力を入れ、グローバル展開の基礎を固めた。
第3代社長(現在、代表執行役CEO)の晴夫氏は1972年、慶大商学部を卒業して、米ノースウエスタン大経営大学院(現ケロッグ校)に留学。MBA(経営修士)を取得。1975年(昭和50年)に入社して1983年取締役に就任。常務、専務、副社長を経て、1988年(昭和63年)社長に就任と言う足取り。
社長就任前の1980年代、父・祐次氏がつくった筑波研究所に責任者として赴任。
当時、同研究所には、後に認知症治療薬の『アリセプト』を生み出す杉本八郎氏ら気鋭の研究者が集まっていた。
「とにかく次の薬をつくらなきゃいけないというので、もう夜通し飲みながら語り合っていましたね。本当に研究所にずっと泊っていましたから」と30代の研究所時代を振り返る。
その頃、同研究所では、脳の関連ともう1つ、胃酸の分泌を抑制する新薬の2つを開発中。この2つのグループが壮絶な開発競争を繰り広げていた。
「彼らは、失敗に絶対にめげないというタイプ。研究のことだけしか考えていなかった」
そうした命懸けで研究をしているスタッフが日々壮絶な争いをしている。
「何を争っているのかというと、リソース、研究資源の奪い合いですね。例えば、毒性をイヌで確認するというチャンネルは当時、エーザイは3本しかなかった。これの奪い合いというわけです。自分のプロジェクトを何としても成功させたいと。また、そういう雰囲気でないと、薬は出てこない。すごい熱意を持った者がいて、それに狂信的なグループがくっついて、とにかく闘争心旺盛に行っているという時しか薬はできないですね」
今回の『レカネマブ』も同じで、失敗にめげず、闘争心旺盛な研究者がいたから、ここまで来られたという内藤氏の思いである。
「患者さんの喜怒哀楽」を共有して、知の創造を!
「患者さんの喜怒哀楽を感じ取ってこそ」という企業理念をつくり上げる元は何だったのか?
内藤氏は、『知識創造企業』など、経営戦略論で有名な野中郁次郎氏(一橋大名誉教授)との出会いを挙げる。
「野中郁次郎さんの知の創造、Knowledge CreationというSECI(セキ)モデルというのがあります。このSECIモデルに出会って、啓発されました。これは患者さんが持っている本当の気持ちですね。これは野中理論によれば、『暗黙知』ということになって、表現されない。ですから、言葉でも表さないし、文字にもなっていないので、一緒にいたり、時間を共に過ごすことによってしか伝わらない。そういう非常にレベルの高いKnowledge、知なんですね」
SECIモデルは、知識変換モードを4つのフェーズ(共同化=Socialization、表出化=Externalization、連結化=Combination、内面化=Internalization)に分ける。それをスパイラル(循環)させ、組織として戦略的に知の創造を行うという考え。
例えば、共同化は経験を共有することで、精神的暗黙知や身体的暗黙知を創造するというもの。経験を何らかの形で共有しないと、他人の思考プロセスに入り込むのは難しい。
こうした知のスパイラルの実践は、「患者さんと喜怒哀楽を共にする」というエーザイの定款の実行とも重なる。
今後、大事なのはいかにソリューション(解決策)を社会に提供していけるかどうかだ。「認知症の後は睡眠のエコシステムの提供ですね」と内藤氏。
『知の創造』への努力が続く。
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新薬開発の成功の裏に失敗の連続があって…
「失敗の度になぜ失敗したかとレビューしていると、だんだん次はこうやればいいという、次の目標が結構クリアに見えてくる。それで、次は成功するだろうと思うと、また失敗して、また次の目標が出てきて、また成功するという、そういう繰り返しでした」とエーザイCEO(最高経営責任者)の内藤晴夫氏。
認知症患者の中で一番多いアルツハイマー型認知症。脳血管障害や『レビー小体型認知症』などもあるが、アルツハイマー型は脳の神経細胞が死んでいく変性疾患である。
このアルツハイマー病は進行性の脳疾患である。多くは65歳前後で発症し、次第に記憶障害が現われ、人格の変化、精神障害などをきたし、最後は死に至る。今のところ、完治させる薬はなく、軽度のうちに発見し、その進行を遅らせて、家族も含めて安定した日常生活を送ることができるようにしようという対策が各国で進む。このアルツハイマー病研究にエーザイが取り組んで約40年が経つ。
この間、同社は、進行を遅らせる画期的な治療薬『アリセプト』を開発。この新薬の成功でエーザイの認知症薬開発が世界的に評価された。
「アリセプトを米国で発売したのが1997年なんですけれども、その10年位前から認知症薬の研究は始めていたということで、よくそんなに長く続けてこられましたねと言われます」
新薬開発には長い歳月と多大な研究開発費が要求される。
『アリセプト』は成功し、次の世代の新薬開発に同社は取り掛かったわけだが、試練が続いた。
「ええ、アリセプトの後、直ちに次の世代のものをということで、ずっとやってきたんですが、失敗ばかり続けてきたわけです」
失敗して、検証し、次の目標を見つけて新薬を開発。成功もあるが、それは少なく、失敗を何度も繰り返すという道のり。
「ええ、その繰り返しで、『アリセプト』以来、今回は4つ目でした。4つ目の大きなプロジェクトで成功したということになります。この間、3200億円位、研究開発で使っているんです。認知症アルツハイマー病ですね」と内藤氏は語る。
〝失敗の山〟の前で、なぜ挑戦し続けられたのか
多額の研究開発費と数十年にも及ぶ長い歳月を要する新薬開発はリスクの高い事業。そうしたリスクを背負いながら、新薬開発に挑むのはなぜか?
「それはやはり常に株主やステークホルダーから、『(開発を)やってよ』と、そういう励ましをいつも受け取っていたからだと思いますね。アリセプトの時代から、われわれは患者さんとその家族と本当に交流しなければいけないということでやってきた。友の会の方々とか、患者さんのそばに行ってなるべく時間を過ごしたり、一緒におやつを食べたりして、ですね。そういう共有体験をすることをずっとやってきています」
エーザイの社員数は1万1100人強。全売り上げ(7444億円強、2023年3月期、当期純利益は554億円)の7割近くは海外であげており、社員の6割も外国人である。
グローバル化が進む中、各国の経営で共有するものがある。
「患者さんの喜怒哀楽を感じ取って、その中の憂慮をビジネス行動で取り除くということを続けてきています。そういう中で、やはりエーザイには期待しているよと。エーザイにはこれをやってもらいたいという、そういう気持ちを全社員で共有できていると。そういうことがあって、この40年間、折れないで続けてこられたと思います」
内藤氏は、「患者さんとは共感関係にあります」と語り、〝エンパシー〟という言葉を使って、経営の基軸を語る。
エンパシー(Empathy)。日本語に訳すと、共感、感情移入ということ。相手の気持ちの完全な理解ということになろうか。シンパシー(Sympathy、共鳴、同調、同意)とは違う概念だ。
「患者さんと常に同じ将来、未来を見ていると。どういう未来を見ているかというと、やはり認知症は治るのだと」と内藤氏。
「認知症がもうキュアラブル(治癒する)な病気に変わって、認知症の人々が社会の中で安心安全に暮らせると。そういう共通の未来ですね。エーザイのわれわれも同じ未来を見ているので、そこに行こうじゃないかと、こういう力ですね」
認知症を必ず治る病気にしていくという関係者の思いだ。
新薬が日本及び世界に与えるプラス影響とは
エーザイは1941年(昭和16年)の創業。神経系やガン領域に強さを持つ創薬企業だが、認知症薬の開発に注力してきたのも、「社会課題解決に役に立ちたい」というエーザイ関係者の思いがあったからである。
認知症になると、本人はもとより、家族や回りの関係者も介護や支援に当たらざるを得ず、社会での活動に支障をきたす。
日本では65歳以上の認知症患者数は約602万人(2020年時点)で、2025年には約675万に増えるという予測。
そうなると、5.4人に1人が認知症になるという計算(有病率18.5%)。
世界全体での患者数は、約5740万人(2019年時点)で、2050年には1億5280万人に増加すると見られる。
今回の新薬『レカネマブ』は米国の創薬大手、バイオジェンとの共同開発。バイオジェン社は開発資金を半分拠出したが、元々この抗体医薬を開発したのはエーザイで、監督官庁の米FDAに承認申請したのもエーザイである。
つまり、日本発の新薬であり、日本発のイノベーションということ。日本から世界の認知症患者に向けて、新薬が開発されたことは大変意義深い。
もっとも、今後、克服すべき課題はある。『レカネマブ』は、アルツハイマー病が『Aβ』(アミロイドβ)というタンパク質が蓄積されて起きるという見方で研究開発されたもの。
この『Aβ』以外のタンパク質も認知機能の低下に関係があるとの研究結果も出されており、今後さらなる病因解明と創薬の努力は続く。
もっとも、『レカネマブ』の登場は認知症治療を待ち望む人や医療関係者の間で期待する声は多い。
株式市場の反応
この新薬への期待と評価は株式市場の反応にも見られる。1年前の2022年5月頃のエーザイの株価は5000円台で推移。夏から上昇し始め、一旦下げた後、10月頃に7500円台を付けた。
年末にかけ、『レカネマブ』を米FDAが迅速承認するとの見方もあって、9500円台を突破。この後、今年に入って下がり始め、3月頃には7200円台となった。
4月頃から、また株価は上昇し始め、6月2日(金)の終値は9500円。時価総額は2兆8173億円強、PER(株価収益率)は71.73倍(東証平均は約15倍)、PBR(株価純資産倍率)は3.41倍(日本取引所はプライム、スタンダード市場に上場する企業に対し1倍以上を求めている)というエーザイの現在の指標である。
「われわれは日本初のイノベーション企業」
新薬開発はグローバル市場でますます競争が激しくなる。エーザイは、そうしたグローバル競争の中で、自分たちをどう位置付け、どう進路を取ろうとしているのか?
「エーザイの定款は、『日本発のイノベーション企業として』と書いています」と内藤氏。
『エーザイ定款』は明確に企業理念をうたっている。定款は企業理念について、「患者様と生活者の皆様の喜怒哀楽を第一義に考え、そのベネフィット向上に貢献することを企業理念として定める」と記し、「この企業理念のもとヒューマン・ヘルスケア(hhc)企業をめざす」としている。
定款の中で、自らを『日本発のイノベーション企業』と位置付け、「人々の健康憂慮の解消と医療較差の是正という社会善を効率的に実現する」と謳う。
そして、他産業との連携による『hhcエコシステム(最適形態)』を通じて、日常と医療の領域で生活する人々の『生ききるを支える』とする。その結果として、自分たちの売上や利益がもたらされるという同社の考え。
改めて、グローバルな企業活動をして、社員も6割が外国人という構成の中で、エーザイが日本に本社を構えるメリットとは何か?
「わたしはやはり日本社会というのは、非常に優れた社会だと思いますね。調和が取れて、それからいい意味でストレスが軽いし、基本的にいろいろな議論はあるけれども、格差が少ない。分断されてもいないということで、日本の社会の有り様というのは、1つのお手本じゃないかと思っています」
内藤氏は、米国は米国なりに独自の社会があるとしながら、「やはり日本で最終的な意思決定や戦略を考えるということは未来志向的だと思います」と語る。
内藤氏が続ける。
「われわれは今、疾患別のエコシステムビジネスモデルというのを、これからのエーザイの企業像で考えていますが、これも日本が一番今進んでいる」
エコシステム。人の命や人権、それに環境、資源・エネルギー問題などを考慮しながら、最適な運営システムを創り上げる〝場〟として、日本はそれこそ最適だという内藤氏の考え。
「エコシステム的な、みんなが同じ目標を持って、そこにパートナーとして参画して、人々にソリューションやメリットを届けようという考え方は、日本だと共鳴者は多いですね。アカデミアの人も共鳴するし、またスタートアップも共鳴するので、日本でそういうエコシステムを造るのが一番やりやすい」
こうやって創った日本初のエコシステムモデルというのは、「やがて米国や中国に広めていくことができると思います」と言う内藤氏である。
還元は、パブリック6割プライベート4割の比率で
では、この『レカネマブ』の薬価算定はどうなるのか?
「社会善を成すということを証明しなければいけないので、今回の薬剤の価値、バリューというものを計算しています」
内藤氏は、エコシステムモデルの考え方を敷衍(ふえん)して語る。
「米国では3万7600ドル、日本では460万円という年間価値を、この薬剤は1人当たりにもたらすという計算を、シミュレーションモデルを使ってやっているんです。われわれはこれからこの薬剤が社会にもたらす価値というのが、いくら位の金額になっているかということを常に問うていきたいと思います。そのトータルバリューの何割をエーザイが取って、何割を社会に戻すかということで、その価格付けを行っているんですね」
健康憂慮の解消と医療較差の是正という社会善を効率的に実現する─という企業理念を薬価設定にどう落とし込むのか?
「米国の場合は、トータルバリューの10年間で計算して、6割をパブリックステークホルダーズ、すなわち患者さん、家族、医療従事者、支払者、政府といったパブリックに還していく。そして4割をプライベートのステークホルダー、すなわちエーザイの株主とエーザイの従業員が商品売上としていただく。それで、2万6500ドルという年間価格を導き出したんです」
日本での薬価算定は?
「日本でも同じようなロジックで、バリューベースで価値をまず460万円と出しましたので、薬価もこういう考え方で、その価値の何割をパブリックに還元して、何割を価格として、エーザイがいただくかというロジックでお話したいなと思っています」
そして、プライベートに割り振った価値の一部は今後のアルツハイマー治療薬の開発や当事者(患者)との共生プロジェクトに投資していく─という社会善の実践である。
薬価算定のあり方も変わりつつある。
途上国への対応は?
この認知症治療薬は発展途上国でもニーズが高い。しかし、薬価の負担能力は、先進国と途上国では違う。どう対応するか。
「ですから、例えば南西アジア途上国でいえば、ソーシャルシステムが未成熟なので、パブリックにもっと割り振らなければいけない」
途上国に行けば行くほど、「われわれの取り分は少なくしていく」と内藤氏は語る。
最先端の科学技術(テクノロジー)を駆使して登場した新薬になればなるほど、薬価も高くなる。そうした新薬の需要は、先進国から始まる。しかし、最近はグローバルサウスと呼ばれる途上国、とりわけ経済力の弱い国々の間からも、そうした新薬に対する需要が高い。
途上国に新薬を引き渡す時、薬の値段は下がるのか?
「もう大幅に下がります。大幅に下がるし、今そのエコシステムでタイ国では保険会社と銀行が治療のファンディングをする保険を売り出したりしている」
途上国でも、ちゃんと薬を使えるようなエコシステムをつくろうというチャレンジが続く。
創業以来、研究開発に注力して
内藤晴夫氏は1947年(昭和22年)12月生まれの75歳。エーザイ創業者・内藤豊次氏(1889―1978)の孫で、父・祐次氏(1920―2005)の跡を継いで、1988年(昭和63年)、41歳で社長に就任。
創業者・内藤豊次氏は立志伝中の人物。福井県丹生郡の農家の三男坊として生まれた豊次氏は旧制武生中学を中退して、大阪に出た。独学で英語やドイツ語を修め、ドイツ商館や神戸で英国人の経営する薬局(タムソン商会)に勤め、頭角を現した。
その後、薬業界の実力者、田辺五兵衛氏の知遇を得て、薬業界で活躍。戦前の日本は、特に薬業界は外国産の輸入に依存しており、「日本も独自に新薬の研究開発に力を入れなければ」という考えの下、1936年(昭和11年)に桜ヶ岡研究所(合資会社)を設立した。
その2年後には、ビタミン剤『ユベラ』を発売するなど、研究開発を重視する考えは創業以来続いている。
第2代社長の祐次氏は1966年から1988年まで社長を務め、海外展開に力を入れ、グローバル展開の基礎を固めた。
第3代社長(現在、代表執行役CEO)の晴夫氏は1972年、慶大商学部を卒業して、米ノースウエスタン大経営大学院(現ケロッグ校)に留学。MBA(経営修士)を取得。1975年(昭和50年)に入社して1983年取締役に就任。常務、専務、副社長を経て、1988年(昭和63年)社長に就任と言う足取り。
社長就任前の1980年代、父・祐次氏がつくった筑波研究所に責任者として赴任。
当時、同研究所には、後に認知症治療薬の『アリセプト』を生み出す杉本八郎氏ら気鋭の研究者が集まっていた。
「とにかく次の薬をつくらなきゃいけないというので、もう夜通し飲みながら語り合っていましたね。本当に研究所にずっと泊っていましたから」と30代の研究所時代を振り返る。
その頃、同研究所では、脳の関連ともう1つ、胃酸の分泌を抑制する新薬の2つを開発中。この2つのグループが壮絶な開発競争を繰り広げていた。
「彼らは、失敗に絶対にめげないというタイプ。研究のことだけしか考えていなかった」
そうした命懸けで研究をしているスタッフが日々壮絶な争いをしている。
「何を争っているのかというと、リソース、研究資源の奪い合いですね。例えば、毒性をイヌで確認するというチャンネルは当時、エーザイは3本しかなかった。これの奪い合いというわけです。自分のプロジェクトを何としても成功させたいと。また、そういう雰囲気でないと、薬は出てこない。すごい熱意を持った者がいて、それに狂信的なグループがくっついて、とにかく闘争心旺盛に行っているという時しか薬はできないですね」
今回の『レカネマブ』も同じで、失敗にめげず、闘争心旺盛な研究者がいたから、ここまで来られたという内藤氏の思いである。
「患者さんの喜怒哀楽」を共有して、知の創造を!
「患者さんの喜怒哀楽を感じ取ってこそ」という企業理念をつくり上げる元は何だったのか?
内藤氏は、『知識創造企業』など、経営戦略論で有名な野中郁次郎氏(一橋大名誉教授)との出会いを挙げる。
「野中郁次郎さんの知の創造、Knowledge CreationというSECI(セキ)モデルというのがあります。このSECIモデルに出会って、啓発されました。これは患者さんが持っている本当の気持ちですね。これは野中理論によれば、『暗黙知』ということになって、表現されない。ですから、言葉でも表さないし、文字にもなっていないので、一緒にいたり、時間を共に過ごすことによってしか伝わらない。そういう非常にレベルの高いKnowledge、知なんですね」
SECIモデルは、知識変換モードを4つのフェーズ(共同化=Socialization、表出化=Externalization、連結化=Combination、内面化=Internalization)に分ける。それをスパイラル(循環)させ、組織として戦略的に知の創造を行うという考え。
例えば、共同化は経験を共有することで、精神的暗黙知や身体的暗黙知を創造するというもの。経験を何らかの形で共有しないと、他人の思考プロセスに入り込むのは難しい。
こうした知のスパイラルの実践は、「患者さんと喜怒哀楽を共にする」というエーザイの定款の実行とも重なる。
今後、大事なのはいかにソリューション(解決策)を社会に提供していけるかどうかだ。「認知症の後は睡眠のエコシステムの提供ですね」と内藤氏。
『知の創造』への努力が続く。
三井住友銀行頭取・福留朗裕の「現場主義」経営 「用心しながらも楽観を忘れない」