大学を卒業後、大手証券会社に就職して高校教師に転職。この3月まで10年間、神奈川県の高校で教師をしていました。
証券会社時代を振り返ると、良い勉強をさせていただきました。東日本大震災などがあり、日経平均株価が8000円を前後していたように記憶しています。新規開拓をして取引をしてくださったお客様はどんどん損をして、謝る日々でした。
もともと地元が好きで転勤したくない、高校生の頃から将来高校の先生もいいと思っていましたので、神奈川県の教員採用試験を受けたところ、合格したので、すぐに会社を辞めました。
私が教員になるとすぐに当時の野党だった自民党が与党に返り咲き、アベノミクスが始まりました。今日まで株価は最高値をつけるほど上昇。自分の同期入社で会社に生き残った人たちは教員になった自分の給与の倍以上。正直、私は辞めたことを悔やんだ時期もありました。
ただ、教員の世界は証券会社と180度違う世界です。定年近い大ベテランの先生が職員室のシュレッダーのごみや、ごみ箱の袋を替えたりしても自然な光景。証券会社では若手社員がやることで、若手がそれをできないことは、中堅社員の教育不足でもあるという文化でした。
大ベテランの先生にその話をすると、「森井さん、教員は22歳でも教諭で、60歳でも教諭だから同じ先生で対等なんだよ」と。証券会社では先輩や上司に「おい、森井」と言われていましたが、教員になってから管理職も含め、同僚に呼び捨てで呼ばれたことは一度もなく、私も呼んだことはありませんでした。高校教師はやりがいもありましたし、何より面白かったです。
私の勤務校は海の目の前で、ロケーションは絶好。生徒も元気でした。私は生徒との距離感が割と近かったせいか、3年生が卒業していく度に、なんだか自分だけ留年したような寂しい気持ちになりました。そして、生徒が将来の目標に向かって努力している姿を見ているうちに、自分も新しいチャレンジをしたくなってしまったのです。それが市議選の出馬でした。
3月末で教員を退職し、4月に教え子たちにSNSで出馬を伝えたところ、応援してくれる人がたくさん集まってくれました。大多数は政治にほぼ関心がないのですが、私が選挙に出ることを面白いと思ってくれたのだと思います。ポスターを貼ることを手伝ってくれたり、ビラ配りを一緒にしてくれたり、ハガキの宛名を書いてくれたりと、無所属で地盤もない私が当選できたのは、彼らのおかげです。
藤沢市は湘南人気でファミリー世帯を中心に転入超過が続き、全国的に人口減が加速する中、人口が現在も増えています。そのため、小学校の教室が足りない、保育所の整備が追いついていないなどの課題があります。
藤沢市に限ったことではないですが、学校の先生や保育士の確保に苦労しています。私にできることは、現場経験を生かし、市の教育環境を充実させていくことだと思っています。
教員をやっていて「これって本当に生徒のためになるのかな」「どうしてこんなことのために時間を割かなければいけないのか」と思うことがよくありました。ルールが実情に合っていない、現場の声がなかなか反映されないということは、今の教育現場の課題であると思います。
私を当選に導いてくれた多くの教え子のためにも、若い人たちの声を聞きながら、教育に限らず、藤沢をより良い街へと発展させることに、これから注力していきます。
証券会社時代を振り返ると、良い勉強をさせていただきました。東日本大震災などがあり、日経平均株価が8000円を前後していたように記憶しています。新規開拓をして取引をしてくださったお客様はどんどん損をして、謝る日々でした。
もともと地元が好きで転勤したくない、高校生の頃から将来高校の先生もいいと思っていましたので、神奈川県の教員採用試験を受けたところ、合格したので、すぐに会社を辞めました。
私が教員になるとすぐに当時の野党だった自民党が与党に返り咲き、アベノミクスが始まりました。今日まで株価は最高値をつけるほど上昇。自分の同期入社で会社に生き残った人たちは教員になった自分の給与の倍以上。正直、私は辞めたことを悔やんだ時期もありました。
ただ、教員の世界は証券会社と180度違う世界です。定年近い大ベテランの先生が職員室のシュレッダーのごみや、ごみ箱の袋を替えたりしても自然な光景。証券会社では若手社員がやることで、若手がそれをできないことは、中堅社員の教育不足でもあるという文化でした。
大ベテランの先生にその話をすると、「森井さん、教員は22歳でも教諭で、60歳でも教諭だから同じ先生で対等なんだよ」と。証券会社では先輩や上司に「おい、森井」と言われていましたが、教員になってから管理職も含め、同僚に呼び捨てで呼ばれたことは一度もなく、私も呼んだことはありませんでした。高校教師はやりがいもありましたし、何より面白かったです。
私の勤務校は海の目の前で、ロケーションは絶好。生徒も元気でした。私は生徒との距離感が割と近かったせいか、3年生が卒業していく度に、なんだか自分だけ留年したような寂しい気持ちになりました。そして、生徒が将来の目標に向かって努力している姿を見ているうちに、自分も新しいチャレンジをしたくなってしまったのです。それが市議選の出馬でした。
3月末で教員を退職し、4月に教え子たちにSNSで出馬を伝えたところ、応援してくれる人がたくさん集まってくれました。大多数は政治にほぼ関心がないのですが、私が選挙に出ることを面白いと思ってくれたのだと思います。ポスターを貼ることを手伝ってくれたり、ビラ配りを一緒にしてくれたり、ハガキの宛名を書いてくれたりと、無所属で地盤もない私が当選できたのは、彼らのおかげです。
藤沢市は湘南人気でファミリー世帯を中心に転入超過が続き、全国的に人口減が加速する中、人口が現在も増えています。そのため、小学校の教室が足りない、保育所の整備が追いついていないなどの課題があります。
藤沢市に限ったことではないですが、学校の先生や保育士の確保に苦労しています。私にできることは、現場経験を生かし、市の教育環境を充実させていくことだと思っています。
教員をやっていて「これって本当に生徒のためになるのかな」「どうしてこんなことのために時間を割かなければいけないのか」と思うことがよくありました。ルールが実情に合っていない、現場の声がなかなか反映されないということは、今の教育現場の課題であると思います。
私を当選に導いてくれた多くの教え子のためにも、若い人たちの声を聞きながら、教育に限らず、藤沢をより良い街へと発展させることに、これから注力していきます。