先行き不透明感が増す中で、「安心・安全」をどう確保していくか─。生命保険のニーズも、死亡保障から、資産形成、医療・介護関連など、老後のサービス提供まで多様化。そうした保険ニーズの多様化、個別化について、「対応が十分かどうか、自らに問わなければいけない」と日本生命保険社長・清水博氏。人口減、少子化・高齢化の中で、若者の保険加入率が減少、同時に高齢者の増加に伴い、資金が不足する”長寿リスク”などにどう対応していくかという課題。こうした保険業務の制度設計と共に、資金運用をどう図っていくかも重要な課題。折しも、日本銀行の政策金利がどう推移するかに関心が集まる。資産を運用する側にとって、金利上昇は基本的に望ましいが、保有債券価格の下落で含み損も抱える。過渡期の痛みをどう乗り越えていくか。中長期視点で、地球環境・脱炭素から少子化・子育て問題までの「社会課題解決で生保は貢献していく」と清水氏。今後の経営のカジ取りは─。
転換期の今、経営者に求められる2つの要件
さまざまな危機、変動要因がある中で、企業はどう生き抜き、成長を図っていくのか─。
「経営者は若干リスクを取って投資をして、次の成長を探すということですね。そして、1人ひとりの従業員の能力を高めて、働き方を多様化して、能力を最大限に発揮してもらえるような職場環境をつくるかどうか。この2つがとても重要だと考えています」と日本生命保険社長・清水博氏。
〝失われた30年〟といわれ、物価が下落するデフレからの脱却という課題を背負ってきた日本。企業の投資不足もデフレを招いた一大要因とされたが、今は民間投資も活況を帯びてきた。投資を積み重ね、国民の所得を増やし、賃金増で消費も増やす好循環をつくることの重要性。
「ええ、投資という意味での資本の活用はおっしゃる通りだと思います。ただ、現金、財務的資本だけではなくて、非財務的な資本、人的資本の高度化ですね。これも付いていかないと。お金だけ回っても、それを担当する人の力が高まらないといけませんから、財務的資本と非財務的資本、つまりお金と人が両輪としてグルグル回っていくことが必要だと思います」
今春、産業界は多くの企業が本格的な賃上げに踏み切った。
「これまでの流れを変えて、次の成長に向かう第一歩ですので、これが第一歩だけで終わらずに、二の手、三の手が必要ですね」と清水氏は強調。
今はデフレの状況から脱却し、ディスインフレ状況とされるが、次の成長に向けて、何が必要なのか?
「今までは、ニワトリと卵の関係と同じで、投資に関しても、先にリスクを取って投資をするのか、いやいや成長の確信が得られてから投資をするのかと。賃上げも、先にデフレが収まって成長の芽が出てこないと。それが先で賃上げはその後だと。いや、賃上げをすることによって、デフレの芽を潰すんだという考えが交錯していた」
それが今年の春に、賃上げ気運が一気に盛り上がった。
「はい、デフレが完全に払拭されるのを待つ時間的余裕はないという空気。政府からの要請もありましたが、間違いなく、わたしを含めて、企業経営者がここは覚悟というか、判断したのだと思うんです」
清水氏は、「賃上げだけが人的資本を伸ばすことではないですね」と次のように続ける。
「リスキリングという言葉に代表されるように、人的資本の拡大、従業員の能力の再活用を含めて、もしくはさらなる教育を含めて、どう伸ばしていくか。人的資本の成長が問われてくると思います」(後のインタビュー欄参照)。
生命保険業務の基幹は、保険料を顧客から集めて、各種保険サービスを提供するという業務が1つ。そして、その保険業務の基盤を固め、その持続性を高めるための資産運用の2本柱で生保会社の経営は成り立つ。
保険ニーズが多様化する中、人口減、少子化・高齢化が進み、若者の保険離れという現象も散見される。そうした中で、新しい保険サービスの設計とその実行を担うのは、「間違いなく人」という清水氏の認識。
ウクライナ危機で、資源・エネルギー価格は高騰、インフレが進むなど悩ましい状況が続く。
インフレ抑制のため、欧米の政策金利は5%台に引き上げられたが、日本の短期金利はマイナスのままで円安傾向が続く。
「円安はグローバルに活動している企業会計にはプラスだが、輸入物価上昇という面で国民生活にはマイナス影響が出る」(某経済団体首脳)と、1㌦=140円台後半の現状は悩ましいという声もあがる。
まさにプラス、マイナスの影響が入り交じるのが現状。先行き不透明感がある中で、どう『安心・安全』を確保していくかという今日的命題である。
保険ニーズ多様化の中 社会課題解決に向けて
「生命保険のもともとの事業というのは、安心・安全を提供すること。これまで生保業界としては140年近くにわたって、生命保険商品、サービスを提供してきました。そのことによって、日本は世界に冠たる保険大国になったわけですね」
清水氏は、日本の生保会社が歩んできた歴史をこう総括し、次のような現状認識を示す。
「一方で、子細に見れば、若者の加入率が減っているとか、死亡保障から医療とか所得保障、資産形成といったニーズが多様化していますので、その対応はやってきているつもりですが、それが十分なのかどうかは自らに問わなければいけないと思います」(インタビュー欄参照)。
DX(デジタルトランスフォーメーション)の進化。このことは、生保各社の販売チャネルの多様化を加速。
かつては、生保会社と顧客の接点は営業職員が担っていたが、生保代理店も勧誘業務を担うようになり、〝銀行窓販〟といわれる金融機関の窓口販売、そしてネットを介してのやり取りといったように、販売チャネル、申し込みチャネルも多様化。
新規契約のチャネルを見ると、営業職員が顧客に直接会って保険商品を売るという対面形式が全体の半分を占める。保険代理店経由が約30%、金融機関経由が約15%、残りの約5%が通信販売という構成比率。
そういう状況下、清水氏は、「安心・安全を提供するのが生保の役割」として、今、社会課題の解決に注力。社会課題もまた多様化し、複雑になっており、その解決に貢献していく考え。
「例えば、地球環境、脱炭素、生物多様性、それに加えて、地域社会の活性化、さらに少子化の問題、子育ての問題といろいろあります。こうした社会課題に生保業界として貢献する。それを通じて、安心・安全を提供していく。こういう役割が重要になってきていると思います」
保険業界全体で取り組むべき課題
社会課題解決へ向けてのソリューションの提供─。
清水氏は、今年7月から生保協会の会長を務めている(任期は1年)。清水氏にとっては2度目の会長就任だが、1度目の会長時と比べ、この間の変化をどう捉えているのか?
「今回も顧客本位の運営、さらに推進を協会のテーマの1つに掲げていますが、これは4年前と変わっていません。変わっていないどころか、その後、協会長が変わっても、1年で交代しても、全ての協会長が顧客本位の業務運用の推進を言い続けている。これは変わらないと思います」
では、変わったのは何か?
「自分が前回、4年前に協会長を務めていた時と比べて感じるのは、社会課題の重要性、深刻さが大きくなっているということです。業界として取り組む必要性、そして生命保険会社への期待、役割、責任、これが増えていると感じます」
清水氏がさらに続ける。
「生命保険業界はそれができる業界だと思います。少子化にしろ、脱炭素化にしろ、地域活性化にしろ、生命保険業界ができることはたくさんあります」
では、そうした事業をどう進化させていくのか。
金利上昇局面を迎えて
清水氏が社長に就任したのは、2018年4月。この時、3つのテーマを掲げた。1つは収益力の強化。これは保険の販売量と運用力の強化、リスク管理体制の強化を図ろうというもの。
2つ目が変革の推進。とりわけ、DX強化と新規事業の開拓。そして3つ目がグループの強化である。同社には、大樹生命(旧三井生命)、ニッセイ・ウェルス生命保険、はなさく生命保険など、グループ各社がある。
社長就任から5年数カ月が経ったが、自らをどう総括するか?
「それぞれに手は打てていると思うんですが、この3年余のコロナ禍が会社に与えた影響というか、ダメージというんでしょうか、相当大きいなと感じています。とりわけ、対面を中心とする営業職員チャネルが受けた影響は大きいと思います」と清水氏(インタビュー欄参照)。
2020年2月に始まったコロナ禍。生保会社の利益水準を見る指標に『基礎利益』がある。この基礎利益が、コロナ禍3年目に当たる2022年度(23年3月期)は4794億円と前期(22年3月期)と比べ、43.7%もの大幅減となった。
ちなみに、保険料等収入は6兆3735億円で、前期比18.3%増で、23年3月期は増収減益決算となった。
減益となった主因は、新型コロナウイルス感染症関連で〝みなし入院〟への給付金支払いが急増したこと。
また、この間、米国など海外の金利上昇で保有する外国債券価格が下落。これによる〝含み損〟が大きくなったのも減益要因となった。
一方で、海外の金利上昇は外貨建て保険の販売を伸ばすことになり、これは増収(保険料等収入)につながった。
ちなみに、同決算期の基礎利益で第一生命ホールディングスは3642億円で33.8%減、明治安田生命は4018億円で11.1%減、住友生命は2613億円で22.6%減と、大手生保は軒並み減益となった。
コロナ禍が一段落した今、24年3月期は日本生命と第一生命は共に増益の見通しを掲げる。明治安田は横バイ、住友生命は減益という見通しである。
今後、生保の業績を左右する要因の1つが金利の動向だ。日本銀行の植田和男総裁体制が今年4月にスタートして半年近くが経つ。2013年4月からの大規模金融緩和策も今、〝転換期〟を迎えている。
〝失われた30年〟を招いたデフレからの脱却を目指しての異例の金融緩和で、マイナス金利(2016年2月に導入)や長期金利を操作するYCC(イールド・カーブ・コントロール)政策が導入された(2016年9月)。
植田新総裁は金融緩和の基本的な枠組みは残しつつ、YCCの柔軟化に踏み切った。また、賃金上昇を伴う物価上昇に確信が持てる段階になれば、マイナス金利解除も含めて、「いろいろな選択肢がある」と表明。
今、日本の消費者物価は年率3%台の上昇(前年比)。「円安もあって輸入物価の上昇から始まったが、今は労働ひっ迫などの国内要因で物価が上昇。日銀が目標にしている2%程度に落ち着かないとなると、高齢社会の日本では人々から相当強い不満が出てくる」(元日銀幹部)という声もあがる。
そこで、早目にYCCは撤廃すべきで、マイナス金利政策も「見直すべき」との声が出始めた。
『金利のつく時代』へ
ともあれ、日本も〝金利のつく時代〟に入ろうとしている。
この金利動向について、清水氏はどう考えるのか─。
「金融政策自体は日銀の決定事項ですので、これがいいか悪いかに関してはコメントできませんが、植田総裁になられて、物価上昇が一定程度安定して続いて、経済発展と賃上げが継続的に行われるような経済にしていくと。YCCの柔軟化は行われましたけれども、基本的な金融緩和の枠組みは維持されています」
清水氏は、YCC柔軟化を含む最近の金融政策について語る。
「債券市場がずっと低金利のままですと需給バランスで、なかなか市場が機能していません。そこの市場機能の回復を多分狙ったものだろうということで、これは投資家としては歓迎すべきことだと思っています」
清水氏は、金利のつく環境について、「それは基本的にいいことだと。間違いなくいいことだと思います」と強調する。
金融正常化の兆しを感じ取った日本生命は今年1月、円建ての一時払い終身保険(契約時に保険料を一括で支払う仕組み)の利率を、0.25%から0.60%に引き上げた。
この利率引き上げは2007年以来、16年ぶり。こうした前向き姿勢が好感されてか、今年度の第1四半期(4月―6月)の保険料等収入は前年同期に比べ約5倍に伸びた。
金利上昇機運を背景に、貯蓄性のある保険商品の利率引き上げを図る動きが相次ぐ。
住友生命は今年10月から、個人年金保険の一部について、『予定利率』(契約者に約束する利回り)を0.65%から0.80%に引き上げる。契約者にとっては、将来受け取る年金が増えることになる。
こうした利率引き上げは、結局、生保事業者の保険料等収入も増やすこととなり、生保会社間の契約者獲得競争が一段と活発になりそうだ。
ちなみに昨年度(23年3月期決算)での保険料等収入で日生は第一生命に抜かれた。今年度は巻き返しを期すとしている。
労働力人口減の中で
生保各社は今、大きな変化に直面する。1つ目は、保険加入者である働く世代が減少していること。15歳以上の働く人、つまり労働力人口(就業者と完全失業者を含む)は約6860万人で、前年比8万人減と、減り続けている(労働力調査)。
労働力人口の減少という基本構造変化の中で、その変化に対応した新しい保険商品・サービスをどう開発していくのか。併せて、顧客にそれをどう届け、提案していくのかというチャネル(経路)構築という課題。
同社は、契約者と対話する営業職員約5万人を抱える。DX(デジタルトランスフォーメ―ション)と絡めて、この営業職員の生産性をどう引き上げていくかは重要な課題。
デジタル時代に「対面」をどう捉えるか
「販売ルートは多様化していますが、営業職員ルートも代理店も金融機関窓販も全部対面なんですね。対面の中の姿は変わってきましたが、新規契約となると、9割以上を対面が占める。これは20年、30年、それ以上前から変わっていないと思います」
保険ニーズが多様化し、新しい保険商品を開発すればするほど、「より説明を要する商品になっている」と清水氏は語る。
「ガンなどの三大疾病の場合、どういう状況になった時に保険金が出るのか、医療に関しても、どういう時に出ないのか。お客様の細かいニーズに沿おうと思えば思うほど、説明を要する商品になってきている」
課題は、コロナ禍で進んだリモートワークのように、対面で顧客に会う機会が減ったこと。また、コロナ禍で営業職員の研修が減り、今後、「教育の量と質、この2つをどう向上させていくかが課題です」と清水氏。
最近、営業職員の不正問題も散見される。対面販売、ことに営業職員の対面ルートは大宗を占めるだけに、この〝教育の量と質〟の向上は欠かせない。
試練を迎える生保
今後、保険金を受け取る高齢者は増えていく。ことに、この高齢者層は金利が高い時代に保険に加入しており、満期や死亡時には高額の保険金支払いが発生する。加入者と受給者のバランスをどう取っていくかも課題となる。
また、若い世代の〝保険離れ〟にどう対応していくか。
この問題は、岸田文雄・現政権が掲げる〝分厚い中間層〟をつくる政策とも関連してくる。
かつての高度成長時代は、国民の多くは、「自分は中間層」と受け止め、懸命に働いた。しかし、〝失われた30年〟の間、正規、非正規社員の格差が生じ、平均所得中央値は、かつての年収5百万円から3百数十万円台に下落している。
この30年間デフレ状況が続き、賃金も上がらず、若い世代の間には、生命保険に保険料を投じる余裕のない層が少なからずいると思われる。これが若い層の保険離れの一因になっているとすれば、やはりマクロ経済の成長をどう図り、実行していくかにかかってくる。新しいステージへ向けての経営者の覚悟が問われるユエンだ。
日本生命に寄せられる『期待』と『課題』
「日々の仕事に携わっていますと、課題だとか問題だとか、まだまだできていない事とか、とにかく悩みと言いますか、そういうことばかりに目が向きがちですけれども、営業職員とか、お客様や他社の経営者の方々とかと話をすると、自分たちが感じている以上に日本生命に期待というか、期待する声が大きいことを正直、驚きをもって感じるんです」
期待される半面、緊張感が要求される時代。では、取引先企業との対話、エンゲージメントをどう進めるのか?
「とりわけ、二酸化炭素をたくさん排出している企業との対話ですね。例えば、どのような脱炭素の目標を置いておられるか。そこに向かって、どのような工程を作っておられるか。そのために具体的にされていることは何か。それを実際に1年、2年、3年経って、できていましたか、できていませんかと。こういった形で繰り返すことによって、二酸化炭素排出は多い企業に対して、一種のプレッシャーですね。プレッシャーを与えながら必要な支援に応じていく。脱炭素に向けて、よりドライブをかけていく。これが機関投資家の役割だと思います」
例えばトランジションファイナンス枠の設定─。脱炭素に向けた取引先企業を資金面から支援するもの。
「実際に口だけではなくて、金も出して支援する。このことによって、脱炭素をよりドライブさせていこうと。そして、脱炭素への取り組みを推進するための世界のルールづくりにどう関わっていくかが課題です」
NZ・AOA(ネット・ゼロ・アセットオーナー・アライアンス)─。二酸化炭素排出のネット・ゼロを目指す機関投資家の集まり。数社あるコアメンバーの中に日本生命も参加している。
「残念ながら、われわれもまだ最先端の情報が十分に取れていない。せっかくトランジションファイナンス枠を設けても、それにふさわしい技術とか、もっと勉強しなければいけないと事業部門に言っています。難しいけれど、教えてもらうことを含めて、最新情報を取る努力をもっと続けようと」
新しい保険ニーズ開拓、そして課題解決を背負っての試行錯誤が続く。
転換期の今、経営者に求められる2つの要件
さまざまな危機、変動要因がある中で、企業はどう生き抜き、成長を図っていくのか─。
「経営者は若干リスクを取って投資をして、次の成長を探すということですね。そして、1人ひとりの従業員の能力を高めて、働き方を多様化して、能力を最大限に発揮してもらえるような職場環境をつくるかどうか。この2つがとても重要だと考えています」と日本生命保険社長・清水博氏。
〝失われた30年〟といわれ、物価が下落するデフレからの脱却という課題を背負ってきた日本。企業の投資不足もデフレを招いた一大要因とされたが、今は民間投資も活況を帯びてきた。投資を積み重ね、国民の所得を増やし、賃金増で消費も増やす好循環をつくることの重要性。
「ええ、投資という意味での資本の活用はおっしゃる通りだと思います。ただ、現金、財務的資本だけではなくて、非財務的な資本、人的資本の高度化ですね。これも付いていかないと。お金だけ回っても、それを担当する人の力が高まらないといけませんから、財務的資本と非財務的資本、つまりお金と人が両輪としてグルグル回っていくことが必要だと思います」
今春、産業界は多くの企業が本格的な賃上げに踏み切った。
「これまでの流れを変えて、次の成長に向かう第一歩ですので、これが第一歩だけで終わらずに、二の手、三の手が必要ですね」と清水氏は強調。
今はデフレの状況から脱却し、ディスインフレ状況とされるが、次の成長に向けて、何が必要なのか?
「今までは、ニワトリと卵の関係と同じで、投資に関しても、先にリスクを取って投資をするのか、いやいや成長の確信が得られてから投資をするのかと。賃上げも、先にデフレが収まって成長の芽が出てこないと。それが先で賃上げはその後だと。いや、賃上げをすることによって、デフレの芽を潰すんだという考えが交錯していた」
それが今年の春に、賃上げ気運が一気に盛り上がった。
「はい、デフレが完全に払拭されるのを待つ時間的余裕はないという空気。政府からの要請もありましたが、間違いなく、わたしを含めて、企業経営者がここは覚悟というか、判断したのだと思うんです」
清水氏は、「賃上げだけが人的資本を伸ばすことではないですね」と次のように続ける。
「リスキリングという言葉に代表されるように、人的資本の拡大、従業員の能力の再活用を含めて、もしくはさらなる教育を含めて、どう伸ばしていくか。人的資本の成長が問われてくると思います」(後のインタビュー欄参照)。
生命保険業務の基幹は、保険料を顧客から集めて、各種保険サービスを提供するという業務が1つ。そして、その保険業務の基盤を固め、その持続性を高めるための資産運用の2本柱で生保会社の経営は成り立つ。
保険ニーズが多様化する中、人口減、少子化・高齢化が進み、若者の保険離れという現象も散見される。そうした中で、新しい保険サービスの設計とその実行を担うのは、「間違いなく人」という清水氏の認識。
ウクライナ危機で、資源・エネルギー価格は高騰、インフレが進むなど悩ましい状況が続く。
インフレ抑制のため、欧米の政策金利は5%台に引き上げられたが、日本の短期金利はマイナスのままで円安傾向が続く。
「円安はグローバルに活動している企業会計にはプラスだが、輸入物価上昇という面で国民生活にはマイナス影響が出る」(某経済団体首脳)と、1㌦=140円台後半の現状は悩ましいという声もあがる。
まさにプラス、マイナスの影響が入り交じるのが現状。先行き不透明感がある中で、どう『安心・安全』を確保していくかという今日的命題である。
保険ニーズ多様化の中 社会課題解決に向けて
「生命保険のもともとの事業というのは、安心・安全を提供すること。これまで生保業界としては140年近くにわたって、生命保険商品、サービスを提供してきました。そのことによって、日本は世界に冠たる保険大国になったわけですね」
清水氏は、日本の生保会社が歩んできた歴史をこう総括し、次のような現状認識を示す。
「一方で、子細に見れば、若者の加入率が減っているとか、死亡保障から医療とか所得保障、資産形成といったニーズが多様化していますので、その対応はやってきているつもりですが、それが十分なのかどうかは自らに問わなければいけないと思います」(インタビュー欄参照)。
DX(デジタルトランスフォーメーション)の進化。このことは、生保各社の販売チャネルの多様化を加速。
かつては、生保会社と顧客の接点は営業職員が担っていたが、生保代理店も勧誘業務を担うようになり、〝銀行窓販〟といわれる金融機関の窓口販売、そしてネットを介してのやり取りといったように、販売チャネル、申し込みチャネルも多様化。
新規契約のチャネルを見ると、営業職員が顧客に直接会って保険商品を売るという対面形式が全体の半分を占める。保険代理店経由が約30%、金融機関経由が約15%、残りの約5%が通信販売という構成比率。
そういう状況下、清水氏は、「安心・安全を提供するのが生保の役割」として、今、社会課題の解決に注力。社会課題もまた多様化し、複雑になっており、その解決に貢献していく考え。
「例えば、地球環境、脱炭素、生物多様性、それに加えて、地域社会の活性化、さらに少子化の問題、子育ての問題といろいろあります。こうした社会課題に生保業界として貢献する。それを通じて、安心・安全を提供していく。こういう役割が重要になってきていると思います」
保険業界全体で取り組むべき課題
社会課題解決へ向けてのソリューションの提供─。
清水氏は、今年7月から生保協会の会長を務めている(任期は1年)。清水氏にとっては2度目の会長就任だが、1度目の会長時と比べ、この間の変化をどう捉えているのか?
「今回も顧客本位の運営、さらに推進を協会のテーマの1つに掲げていますが、これは4年前と変わっていません。変わっていないどころか、その後、協会長が変わっても、1年で交代しても、全ての協会長が顧客本位の業務運用の推進を言い続けている。これは変わらないと思います」
では、変わったのは何か?
「自分が前回、4年前に協会長を務めていた時と比べて感じるのは、社会課題の重要性、深刻さが大きくなっているということです。業界として取り組む必要性、そして生命保険会社への期待、役割、責任、これが増えていると感じます」
清水氏がさらに続ける。
「生命保険業界はそれができる業界だと思います。少子化にしろ、脱炭素化にしろ、地域活性化にしろ、生命保険業界ができることはたくさんあります」
では、そうした事業をどう進化させていくのか。
金利上昇局面を迎えて
清水氏が社長に就任したのは、2018年4月。この時、3つのテーマを掲げた。1つは収益力の強化。これは保険の販売量と運用力の強化、リスク管理体制の強化を図ろうというもの。
2つ目が変革の推進。とりわけ、DX強化と新規事業の開拓。そして3つ目がグループの強化である。同社には、大樹生命(旧三井生命)、ニッセイ・ウェルス生命保険、はなさく生命保険など、グループ各社がある。
社長就任から5年数カ月が経ったが、自らをどう総括するか?
「それぞれに手は打てていると思うんですが、この3年余のコロナ禍が会社に与えた影響というか、ダメージというんでしょうか、相当大きいなと感じています。とりわけ、対面を中心とする営業職員チャネルが受けた影響は大きいと思います」と清水氏(インタビュー欄参照)。
2020年2月に始まったコロナ禍。生保会社の利益水準を見る指標に『基礎利益』がある。この基礎利益が、コロナ禍3年目に当たる2022年度(23年3月期)は4794億円と前期(22年3月期)と比べ、43.7%もの大幅減となった。
ちなみに、保険料等収入は6兆3735億円で、前期比18.3%増で、23年3月期は増収減益決算となった。
減益となった主因は、新型コロナウイルス感染症関連で〝みなし入院〟への給付金支払いが急増したこと。
また、この間、米国など海外の金利上昇で保有する外国債券価格が下落。これによる〝含み損〟が大きくなったのも減益要因となった。
一方で、海外の金利上昇は外貨建て保険の販売を伸ばすことになり、これは増収(保険料等収入)につながった。
ちなみに、同決算期の基礎利益で第一生命ホールディングスは3642億円で33.8%減、明治安田生命は4018億円で11.1%減、住友生命は2613億円で22.6%減と、大手生保は軒並み減益となった。
コロナ禍が一段落した今、24年3月期は日本生命と第一生命は共に増益の見通しを掲げる。明治安田は横バイ、住友生命は減益という見通しである。
今後、生保の業績を左右する要因の1つが金利の動向だ。日本銀行の植田和男総裁体制が今年4月にスタートして半年近くが経つ。2013年4月からの大規模金融緩和策も今、〝転換期〟を迎えている。
〝失われた30年〟を招いたデフレからの脱却を目指しての異例の金融緩和で、マイナス金利(2016年2月に導入)や長期金利を操作するYCC(イールド・カーブ・コントロール)政策が導入された(2016年9月)。
植田新総裁は金融緩和の基本的な枠組みは残しつつ、YCCの柔軟化に踏み切った。また、賃金上昇を伴う物価上昇に確信が持てる段階になれば、マイナス金利解除も含めて、「いろいろな選択肢がある」と表明。
今、日本の消費者物価は年率3%台の上昇(前年比)。「円安もあって輸入物価の上昇から始まったが、今は労働ひっ迫などの国内要因で物価が上昇。日銀が目標にしている2%程度に落ち着かないとなると、高齢社会の日本では人々から相当強い不満が出てくる」(元日銀幹部)という声もあがる。
そこで、早目にYCCは撤廃すべきで、マイナス金利政策も「見直すべき」との声が出始めた。
『金利のつく時代』へ
ともあれ、日本も〝金利のつく時代〟に入ろうとしている。
この金利動向について、清水氏はどう考えるのか─。
「金融政策自体は日銀の決定事項ですので、これがいいか悪いかに関してはコメントできませんが、植田総裁になられて、物価上昇が一定程度安定して続いて、経済発展と賃上げが継続的に行われるような経済にしていくと。YCCの柔軟化は行われましたけれども、基本的な金融緩和の枠組みは維持されています」
清水氏は、YCC柔軟化を含む最近の金融政策について語る。
「債券市場がずっと低金利のままですと需給バランスで、なかなか市場が機能していません。そこの市場機能の回復を多分狙ったものだろうということで、これは投資家としては歓迎すべきことだと思っています」
清水氏は、金利のつく環境について、「それは基本的にいいことだと。間違いなくいいことだと思います」と強調する。
金融正常化の兆しを感じ取った日本生命は今年1月、円建ての一時払い終身保険(契約時に保険料を一括で支払う仕組み)の利率を、0.25%から0.60%に引き上げた。
この利率引き上げは2007年以来、16年ぶり。こうした前向き姿勢が好感されてか、今年度の第1四半期(4月―6月)の保険料等収入は前年同期に比べ約5倍に伸びた。
金利上昇機運を背景に、貯蓄性のある保険商品の利率引き上げを図る動きが相次ぐ。
住友生命は今年10月から、個人年金保険の一部について、『予定利率』(契約者に約束する利回り)を0.65%から0.80%に引き上げる。契約者にとっては、将来受け取る年金が増えることになる。
こうした利率引き上げは、結局、生保事業者の保険料等収入も増やすこととなり、生保会社間の契約者獲得競争が一段と活発になりそうだ。
ちなみに昨年度(23年3月期決算)での保険料等収入で日生は第一生命に抜かれた。今年度は巻き返しを期すとしている。
労働力人口減の中で
生保各社は今、大きな変化に直面する。1つ目は、保険加入者である働く世代が減少していること。15歳以上の働く人、つまり労働力人口(就業者と完全失業者を含む)は約6860万人で、前年比8万人減と、減り続けている(労働力調査)。
労働力人口の減少という基本構造変化の中で、その変化に対応した新しい保険商品・サービスをどう開発していくのか。併せて、顧客にそれをどう届け、提案していくのかというチャネル(経路)構築という課題。
同社は、契約者と対話する営業職員約5万人を抱える。DX(デジタルトランスフォーメ―ション)と絡めて、この営業職員の生産性をどう引き上げていくかは重要な課題。
デジタル時代に「対面」をどう捉えるか
「販売ルートは多様化していますが、営業職員ルートも代理店も金融機関窓販も全部対面なんですね。対面の中の姿は変わってきましたが、新規契約となると、9割以上を対面が占める。これは20年、30年、それ以上前から変わっていないと思います」
保険ニーズが多様化し、新しい保険商品を開発すればするほど、「より説明を要する商品になっている」と清水氏は語る。
「ガンなどの三大疾病の場合、どういう状況になった時に保険金が出るのか、医療に関しても、どういう時に出ないのか。お客様の細かいニーズに沿おうと思えば思うほど、説明を要する商品になってきている」
課題は、コロナ禍で進んだリモートワークのように、対面で顧客に会う機会が減ったこと。また、コロナ禍で営業職員の研修が減り、今後、「教育の量と質、この2つをどう向上させていくかが課題です」と清水氏。
最近、営業職員の不正問題も散見される。対面販売、ことに営業職員の対面ルートは大宗を占めるだけに、この〝教育の量と質〟の向上は欠かせない。
試練を迎える生保
今後、保険金を受け取る高齢者は増えていく。ことに、この高齢者層は金利が高い時代に保険に加入しており、満期や死亡時には高額の保険金支払いが発生する。加入者と受給者のバランスをどう取っていくかも課題となる。
また、若い世代の〝保険離れ〟にどう対応していくか。
この問題は、岸田文雄・現政権が掲げる〝分厚い中間層〟をつくる政策とも関連してくる。
かつての高度成長時代は、国民の多くは、「自分は中間層」と受け止め、懸命に働いた。しかし、〝失われた30年〟の間、正規、非正規社員の格差が生じ、平均所得中央値は、かつての年収5百万円から3百数十万円台に下落している。
この30年間デフレ状況が続き、賃金も上がらず、若い世代の間には、生命保険に保険料を投じる余裕のない層が少なからずいると思われる。これが若い層の保険離れの一因になっているとすれば、やはりマクロ経済の成長をどう図り、実行していくかにかかってくる。新しいステージへ向けての経営者の覚悟が問われるユエンだ。
日本生命に寄せられる『期待』と『課題』
「日々の仕事に携わっていますと、課題だとか問題だとか、まだまだできていない事とか、とにかく悩みと言いますか、そういうことばかりに目が向きがちですけれども、営業職員とか、お客様や他社の経営者の方々とかと話をすると、自分たちが感じている以上に日本生命に期待というか、期待する声が大きいことを正直、驚きをもって感じるんです」
期待される半面、緊張感が要求される時代。では、取引先企業との対話、エンゲージメントをどう進めるのか?
「とりわけ、二酸化炭素をたくさん排出している企業との対話ですね。例えば、どのような脱炭素の目標を置いておられるか。そこに向かって、どのような工程を作っておられるか。そのために具体的にされていることは何か。それを実際に1年、2年、3年経って、できていましたか、できていませんかと。こういった形で繰り返すことによって、二酸化炭素排出は多い企業に対して、一種のプレッシャーですね。プレッシャーを与えながら必要な支援に応じていく。脱炭素に向けて、よりドライブをかけていく。これが機関投資家の役割だと思います」
例えばトランジションファイナンス枠の設定─。脱炭素に向けた取引先企業を資金面から支援するもの。
「実際に口だけではなくて、金も出して支援する。このことによって、脱炭素をよりドライブさせていこうと。そして、脱炭素への取り組みを推進するための世界のルールづくりにどう関わっていくかが課題です」
NZ・AOA(ネット・ゼロ・アセットオーナー・アライアンス)─。二酸化炭素排出のネット・ゼロを目指す機関投資家の集まり。数社あるコアメンバーの中に日本生命も参加している。
「残念ながら、われわれもまだ最先端の情報が十分に取れていない。せっかくトランジションファイナンス枠を設けても、それにふさわしい技術とか、もっと勉強しなければいけないと事業部門に言っています。難しいけれど、教えてもらうことを含めて、最新情報を取る努力をもっと続けようと」
新しい保険ニーズ開拓、そして課題解決を背負っての試行錯誤が続く。