「社会的に困っている課題に対して、やってみようという力。その力が今、試されている」と大和ハウス工業社長の芳井敬一氏。創業は1955年(昭和30年)、わが国で初めてプレハブ住宅を開発。戦後復興期から高度成長期に向かう人々の「マイホームを持ちたい」という夢に応えてきた歴史。創業者・石橋信夫の経営理念は、「社会に求められるものをつくる」。創業から70年近くが経つ今は、『住宅、商業施設、物流施設』を3本柱に、「社会的課題の解決を図る経営に徹していこう」と芳井氏はグループ会社全体に呼びかける。人口減、少子化・高齢化が進む中、街や団地の再生プロジェクトに取り組む。「つくった責任をしっかり果たし、新しい人たちが住みたいという街に変えていく」と芳井氏。コロナ禍も、コロナ禍1年目を除いて、増収増益を達成したのも、商業、物流の両事業が好調だったからだ。「さまざまな事業をバランス良くポートフォリオに組み込んでいく」という芳井氏。創業100周年の2055年度に売上10兆円を目指す道のりをどう描くか─。
異常気象の中で建設現場は今……
環境激変、ことに異常気象や大水害に今夏は世界中が悩まされた。
9月に入って、〝炎熱地獄〟は緩和されてきたが、暑さ対策をどうするかは、全地球的課題だ。
「ええ、わたしたちの仕事でも暑さ対策は大変です。特に内装関係の人たちは深刻で、危険領域に入る時だってあるわけです。現に倒れてしまう人もいます。それで、みんな実態を見てきていますから、ちょっと気分が悪いと言ったら、横になったりして、自主的にやってくれています。とにかく、朝、顔色がいいからと思っても、熱中症は急に体調が変化すると言いますからね、怖いです」と大和ハウス工業社長・芳井敬一氏(1958年=昭和33年11月生まれ)。
その芳井氏は、「夏場を何とか乗り切ったとしても、秋口以降、身体の変化が起こらないかと、すごく心配しています」と緊張感を崩さない。
異常気象・気候変動で水産資源にも変動が見られる。
「本当にそうですね。伊勢エビが北のほうで獲れたり、沖縄近海にいるはずの魚が本州で揚がったり、甲州のワインがどんどん上に上がっていったりとかね」
地球温暖化は18世紀以降の産業革命以来、人類が化石燃料をはじめ、経済活動でエネルギーを消費した結果、生み出されたものという見方がある。だから、環境問題を意識した企業活動、つまりGX(グリーン・トランスフォーメーション)が大事になってくるということ。
一方、人類の産業活動とは関係なく、地球が長い時間の中で寒冷期、温暖期と繰り返してきた周期の1つという見方もある。コトの真偽はともかく、自分たちが今できる事は何か─という見地に立った時、「GXを進めていく」ということである。
「とにかく、いろいろな方がいろいろな軸で言います。例えば、CO2削減はもってのほかという意見もある。どれが答えか分からないけれども、少なくとも国が決めたこと、僕たちが選挙で政党とか、個人を応援して、そこで決まった事ですよね。その決まった事をやるという事が大事だと思うんですね」
大和ハウス工業は、環境エネルギー事業も展開(全売上高の3%を占める)。北九州市の響灘火力発電所の経営に10年以上前から参加しているが、このほど完全子会社化して経営権を取得。
「バイオマス発電に力を入れていきたい」という芳井氏。
もともと石炭火力でスタートした響灘火力発電所だが、当面は、「バイオマスと石炭を50対50の併用で運転していく」方針。
「当時、投資した時は、火力発電がこんなに世間を騒がすことになるとは全く思わなかった。むしろ、石炭の調達は大丈夫かなと思っていたぐらいです。世の中はどんどん変化してく。それで、今後はグリーンエネルギーをやっていくと。風力などの再生エネルギーをやっていくということです」
地球を大事にしているか─。全事業について、この意識で取り組まねばならない時代。ことに、環境・エネルギー関連に関しては、直接的にこの意識が求められる。
「はい、自分たちの責任で全てを、いわゆる再生エネルギーに変えていきたいので、理解してほしいということで100%子会社にしたと。そこが、自分たちの自己責任で変えようというメッセージです」と芳井氏。
「困っている人」たちの課題の解決を!
大和ハウス工業は戸建て・賃貸住宅・マンションなどの住宅事業、商業施設事業、そして物流施設事業を三本柱としている。1990年代は、住宅事業が会社の成長を牽引したが、今は物流、商業施設事業が伸びているのが特徴だ。
2023年3月期は売上高約4兆9081億円、営業利益約4653億円で売上高営業利益率は9.4%と高収益を挙げる(ちなみに、2022年3月期は売上高約4兆4395億円、営業利益は約3832億円)。
コロナ禍入りしての2021年3月期は売上高約4兆円台をキープしたものの、減収減益となった。しかし、その後、再び増収増益の基調を取り戻している。
今、住宅事業では建築資材の価格高騰や建設現場での人手不足が目下の悩み。特に、注文住宅はモロに建築資材のコストアップの影響を受けている。そこで、当面の間、比較的コストを抑制できる建売り住宅の販売比率を高めようとしている。
環境が激変し、時代が大きく移り変わろうとする中で、芳井氏はどうガバナンスを利かせていくのか。
「社会課題の解決を、ということでは、再生エネルギーへの取り組みもそうですし、また超高齢化社会でのまちづくり、団地再生もそうですね。環境改善を含めて、社会を良くしていくという活動にグループを挙げて取り組んでいきたい」
芳井氏は、同社の歴史をヒモ解きながら、「そういう考えは弊社グループの根底にありますし、そのDNA(遺伝子)を大事にしていきたい」と芳井氏は続け、「要は、困っている人たちにどう働きかけていくかということです」と語る。
空き家が増える街をどう再生するか?
「困っている人たちに、どう働きかけていくか」─。この問題意識は日本の高齢化問題とも重なってくる。
「そうですね。いわゆる僕たちがつくってきた街、そういった街が今、高齢化に悩んでいる。または、悩んでいるだけではなく、困っておられる。これは、政府がよく言っている空き家対策とも重なります。本当に廃墟化した家が残っている」
空き家が増え、その街に人気がなくなるという現象。このことにどう対応していくかという社会課題である。
「そうなった時に、街をつくった責任を踏まえて、しっかり対応していくと。それと共に新しい人たちが住みたいという街に変えていく。大きな社会課題だし、僕たちの責任が問われていると思うんですよ」
日本は、世界に先んじて、『超高齢社会』となり、高齢化が一段と進む。それに伴い全国各地で空き家が増加。街の再生をどう図るか─という社会課題に、芳井氏は真正面から取り組む方針を語る。
人口減少に伴い、少子化・高齢化が進む。65歳以上の高齢者が全人口の7%以上を占める社会を『高齢化社会』と呼ぶが、日本がそうなったのは1970年(昭和45年)で、高度成長の真っ只中であった。
そして、『高齢社会』(高齢者人口が全体の14%以上)になったのは1994年(平成6年)。日本経済が低迷し、〝失われた30年〟に入るトバ口であった。
そして、『超高齢社会』(高齢者人口が全体の21%以上)になったのは、リーマン・ショック前の2007年(平成19年)のこと。現在の高齢者人口の比率は29%と、全人口の3割近い数字にハネ上がっている。
この結果、社会保障費(年金、医療、介護)は膨張し続け、2023年度は約140兆円にのぼる。社会保険料を誰がどう負担するのか。また、社会保障費の4割をまかなう公費(税金)はどうあるべきかという国の財政問題にまでつながってくる。
一方で、少子化も進み、これは大学教育の在り方にまで波及し、すでに大学の統廃合・再編問題を引き起こしている。
こうした環境が激変する中での、〝街の再生〟であり、〝団地の再生〟である。
政府も住宅団地再生に取り組む中で…
政府でも国土交通省が『住宅団地再生』連絡会議を設立(2017年1月)。これは、住宅団地の再生・転換の方策について、先進事例の研究や調査、そして意見交換をしようという趣旨で結成されたもの。
この連絡会議には、民間企業(鉄道、不動産、住宅、建設、金融など)の66団体、地方公共団体などの行政関連の210団体の計276団体が参加している。
大和ハウス工業もオブザーバーとして参加し、自分たちの取り組みを踏まえて、団地再生への提案を行っている。
かつて、大和ハウス工業のグループ会社に、『大和団地』という兄弟会社があった。当時の東証・大証・名証の1部に株式を上場していた会社だが、2001年に大和ハウス工業が吸収合併したという歴史。
旧大和団地は、大和ハウス工業の住宅造成部門が分離独立(1961)して発足、大規模団地の開発や住宅・マンション、都市開発、ゴルフリゾート、土木コンサルティングなどを手がけていた。『ネオポリス』というブランドで宅地開発を進め、中でも大阪府南東部の郊外住宅地、『羽曳野ネオポリス』などは有名で、他にも大阪北部の『阪急北ネオポリス』は全国最大級の団地として知られている。
主に高度成長時代に造成されたこれらの住宅団地では『超高齢社会』を迎え、〝独居老人〟も増加。介護などのニーズにどう応えていくか、また買い物をする時の足の便をどう確保するかといった問題を抱える。
団地再生は今、我が国の重要な社会課題の1つ。先述の『住宅団地再生』連絡会議には、東京大学・高齢社会総合研究機構の教授なども会議運営の責任者として参加している。こうした専門家による団地再生の議論の中で、大和ハウス工業の『ネオポリス』再生も題材として取り扱われている。
再生への手応えはどうか?
創業の原点に立ち返って住宅団地の再生、転換を
同社が造成を手がけた団地は61か所。このうち、8か所で再生が本格的に進み、「手応えを感じている」と芳井氏は次のように続ける。
「今年(2023年)は2か所増やして(再生作業は)10か所でやっているんですが、特にこの8か所に関して言うと、手応えのある所が多くなってきました」。
こうした団地再生が比較的うまく行く所は、行政が熱心に取り組んでいる所が多い。そうした行政や大学の専門家とも連携を進め、「わたしたちの再生のケースも活用しながら、行動していきたい」と芳井氏はその方向性を語る。
創業者・石橋信夫の経営理念を受け継いで
大和ハウス工業は、創業者・石橋信夫(1921―2003)が敗戦から10年経った1955年(昭和30年)に興した会社。
戦争中、石橋は応召し、自らも戦地に赴き、シベリア抑留も体験。帰還後、目にしたのは戦禍で荒れ果てた母国の姿であった。
石橋は、戦後焼け野が原になった日本に丈夫な住宅をつくろうと、1955年(昭和30年)に大和ハウス工業を設立。そして、鋼管構造の住宅技術の開発に取り組む。1959年(昭和34年)、わが国で初めてプレハブ住宅(工業化住宅)を提供。
〝プレファブリケーション〟(prefabrication)─。事前に、建築資材を工場生産することで、建築資材のコストダウンを図り、マイホームを持ちたいという国民のニーズに応えようと、創業者・石橋信夫は〝プレハブ住宅〟を開発。鋼管(鉄パイプ)を住宅資材に採用し、住宅建設に革命をもたらした。
現社長・芳井敬一氏が、社会が困っている課題に対して、「やってみようというDNA(遺伝子)があり、それを大事にしていきたい」と語るのも、そういった歴史的出発点を踏まえてのことである。
芳井氏は、創業の原点を振り返りながら、「自分たちが造った団地に住む人たちが今、困っておられる」と次のように語る。
「特に、自分たちが関わって街をつくってきていますから、その街が泣いていることに関して、解決策づくりに向かってやるべきだと考えています」
その解決策づくりへ向かって、社内での提案はどうか?
昨年、団地再生について、どうすればいいかと社内で募集したところ、約170件の提案が寄せられたという。
「若い社員からの提案が多いですね。年齢が高い人たちも提案してくれています」と芳井氏も手応えを感じている様子。
団地再生の方向性については、「再生エネルギーの街にするとか、スポーツコミュニティの街にするとか、いろいろな考え方が寄せられていますが、実証します」と芳井氏は語る。
大和ハウスが持つ物流事業での強みとは
2023年3月期の同社の売上高構成は、戸建て(全体の18%)、賃貸(同23%)、マンション(同10%)と住宅関連が約半分を占める。一方、最近、売上が急増しているのが、商業施設と物流施設の2部門。商業、物流の売上構成比は共に22%で、現在の同社の業績を支えている。
「そうですね、相変わらず、物流という軸はこれからも伸びると。いつまで伸びるかは計り知れないくらい、物流はやっていく。特に2024年問題が出てくると、その時に国土交通省さんはじめ、どのように対応していくか。厚生労働省の働き方政策も関係していきますしね。それを見ながら、僕たちが世の中に提供できるものを考えていきます」と芳井氏は語る。
2024年問題─。建設や物流・運輸業界の人手不足、ドライバー不足は実に深刻。こうした社会課題に対応するため、物流施設を手がける業界内の開発競争も熾烈になっている。
インターネット通販(eコマース)の普及や産業界のSCM(サプライ・チェーン・マネジメント)化の進行で、物流業務そのものが高機能化・高能率化を迫られている。
外資系のプロロジス、日本GLPに加え、野村不動産、三菱地所など、国内不動産系も加わって、物流施設の開発競争も激しさを増す。
今、〝物流不動産・御三家〟とされるのがプロロジス、日本GLP、大和ハウス工業の3社。その中で、大和ハウス工業の強みとは何か?
それは創業以来、建設機能を持つ同社が、その歴史的資産に物流・デベロッパー機能を付加しているということ。「われわれは単なるデベロッパー業ではない」と芳井氏が建設業プラスデベロッパー業の両面性を強調するのも、そうした歴史的背景があるからだ。
千葉県流山市に見る『物流で新しい街づくり』
DPL(ディープロジェクト・ロジスティクス)─。大和ハウス工業が開発する物流施設の新ブランド名。
このDPLで注目されるのが、今年4月に千葉県流山市に完成した『DPL流山』である。
同社はこれまで、計365棟の物流施設(総開発延床面積1200万平方メートル強)の物流施設を造成。『DPL流山』は、同社最大の物流拠点(延べ床面積は74万平方㍍)である。首都圏で、都心から車で小1時間の流山に物流施設をつくるに当たって、何を心がけたのか─。
単なる物流施設づくりではなく、「物流施設を中心とした街づくり」(芳井氏)というコンセプトであり、6000人規模の雇用創出という点でも注目されるプロジェクトだ。
また、災害が多発する今、災害時には約1200人が避難できるように、〝地域で身近な施設〟にしていること。災害時、施設に関連する車路に住民の自家用車が避難できるように設計されている。
さらに、被災した地区に支援物資を届ける供給ハブ拠点になっており、地域との共存共栄を図っていることがDPL流山の特徴だ。
物流拠点に、新しい街づくりの要素を加えた動機とは何か?
「流山市が真剣に考えられたことがまず第一ですね。そこにタイミング良く、われわれとか(傘下の建設会社)フジタが入って、街のコンセプトを決めようという時に、本気の行政がいらっしゃったと。それと住民の理解もしっかりしていただき、全てが理想的に運んだということでしょうね」と芳井氏。
「米国にもようやく商業施設部門が出て行っているんです。大きくはないんですが、ロサンゼルスとサンフランシスコの二か所でテストとしてやっています」
商業用不動産の賃貸支援を手がけ、収益性を上げるリーシング。
「そのリーシング力(入居者獲得力)が海外で通用するのか。もっと学ばなければいけないので、今、挑戦中です」と芳井氏は語る。
三本柱の一角、商業施設は、コロナ前と後で事業環境がガラリと変わった。
コロナ禍で伸びた企業もあれば、縮小した企業もある。強弱がついた商業分野で、「再生が図れる可能性もありますし、一方で、スクラップして、業態を変えるというチャンスもある」として、各地にある商業施設の再生、あるいは再耕を考えていきたいと芳井氏は言う。
同社の中興の祖とされる樋口武男氏(1938年=昭和13年生まれ)は2001年に社長に就任、会長兼CEOを経て、2020年最高顧問に就任。
その樋口氏は創業者・石橋信夫の思想を受け継ぎながら、〝熱湯経営〟や、先の先を読む〝複眼経営〟で、フジタ買収などのM&A(買収・合併)や米国進出のきっかけをつくった。
そして、2017年(平成29年)11月、社長に就任した芳井氏はコロナ禍初年度を(2021年3月期)を除き、増収増益の経営を実現。
社長就任から6年近くが経つ。コロナ禍というマイナス環境の中で、物流、商業、そして海外部門など伸ばすべき所を伸ばし、見直すべき所は見直すという芳井氏の経営である。
その観点から、同社は今春、ホテル、ゴルフ場などのリゾート部門(旧大和リゾート)の売却に踏み切った。
コロナ禍にあって、「しんどかった。ホテル経営も大きな影響を受けたし」と芳井氏は語り、「ただ、(売却した)相手方はわたしたちのリゾートを最大評価してくださったし、上昇気流に乗る可能性は高いので、頑張ってほしい」とエールを送る。
環境激変は続く。創業以来の「社会課題を解決する」という基本軸に立って、新しい経営構造を追求する芳井氏である。
異常気象の中で建設現場は今……
環境激変、ことに異常気象や大水害に今夏は世界中が悩まされた。
9月に入って、〝炎熱地獄〟は緩和されてきたが、暑さ対策をどうするかは、全地球的課題だ。
「ええ、わたしたちの仕事でも暑さ対策は大変です。特に内装関係の人たちは深刻で、危険領域に入る時だってあるわけです。現に倒れてしまう人もいます。それで、みんな実態を見てきていますから、ちょっと気分が悪いと言ったら、横になったりして、自主的にやってくれています。とにかく、朝、顔色がいいからと思っても、熱中症は急に体調が変化すると言いますからね、怖いです」と大和ハウス工業社長・芳井敬一氏(1958年=昭和33年11月生まれ)。
その芳井氏は、「夏場を何とか乗り切ったとしても、秋口以降、身体の変化が起こらないかと、すごく心配しています」と緊張感を崩さない。
異常気象・気候変動で水産資源にも変動が見られる。
「本当にそうですね。伊勢エビが北のほうで獲れたり、沖縄近海にいるはずの魚が本州で揚がったり、甲州のワインがどんどん上に上がっていったりとかね」
地球温暖化は18世紀以降の産業革命以来、人類が化石燃料をはじめ、経済活動でエネルギーを消費した結果、生み出されたものという見方がある。だから、環境問題を意識した企業活動、つまりGX(グリーン・トランスフォーメーション)が大事になってくるということ。
一方、人類の産業活動とは関係なく、地球が長い時間の中で寒冷期、温暖期と繰り返してきた周期の1つという見方もある。コトの真偽はともかく、自分たちが今できる事は何か─という見地に立った時、「GXを進めていく」ということである。
「とにかく、いろいろな方がいろいろな軸で言います。例えば、CO2削減はもってのほかという意見もある。どれが答えか分からないけれども、少なくとも国が決めたこと、僕たちが選挙で政党とか、個人を応援して、そこで決まった事ですよね。その決まった事をやるという事が大事だと思うんですね」
大和ハウス工業は、環境エネルギー事業も展開(全売上高の3%を占める)。北九州市の響灘火力発電所の経営に10年以上前から参加しているが、このほど完全子会社化して経営権を取得。
「バイオマス発電に力を入れていきたい」という芳井氏。
もともと石炭火力でスタートした響灘火力発電所だが、当面は、「バイオマスと石炭を50対50の併用で運転していく」方針。
「当時、投資した時は、火力発電がこんなに世間を騒がすことになるとは全く思わなかった。むしろ、石炭の調達は大丈夫かなと思っていたぐらいです。世の中はどんどん変化してく。それで、今後はグリーンエネルギーをやっていくと。風力などの再生エネルギーをやっていくということです」
地球を大事にしているか─。全事業について、この意識で取り組まねばならない時代。ことに、環境・エネルギー関連に関しては、直接的にこの意識が求められる。
「はい、自分たちの責任で全てを、いわゆる再生エネルギーに変えていきたいので、理解してほしいということで100%子会社にしたと。そこが、自分たちの自己責任で変えようというメッセージです」と芳井氏。
「困っている人」たちの課題の解決を!
大和ハウス工業は戸建て・賃貸住宅・マンションなどの住宅事業、商業施設事業、そして物流施設事業を三本柱としている。1990年代は、住宅事業が会社の成長を牽引したが、今は物流、商業施設事業が伸びているのが特徴だ。
2023年3月期は売上高約4兆9081億円、営業利益約4653億円で売上高営業利益率は9.4%と高収益を挙げる(ちなみに、2022年3月期は売上高約4兆4395億円、営業利益は約3832億円)。
コロナ禍入りしての2021年3月期は売上高約4兆円台をキープしたものの、減収減益となった。しかし、その後、再び増収増益の基調を取り戻している。
今、住宅事業では建築資材の価格高騰や建設現場での人手不足が目下の悩み。特に、注文住宅はモロに建築資材のコストアップの影響を受けている。そこで、当面の間、比較的コストを抑制できる建売り住宅の販売比率を高めようとしている。
環境が激変し、時代が大きく移り変わろうとする中で、芳井氏はどうガバナンスを利かせていくのか。
「社会課題の解決を、ということでは、再生エネルギーへの取り組みもそうですし、また超高齢化社会でのまちづくり、団地再生もそうですね。環境改善を含めて、社会を良くしていくという活動にグループを挙げて取り組んでいきたい」
芳井氏は、同社の歴史をヒモ解きながら、「そういう考えは弊社グループの根底にありますし、そのDNA(遺伝子)を大事にしていきたい」と芳井氏は続け、「要は、困っている人たちにどう働きかけていくかということです」と語る。
空き家が増える街をどう再生するか?
「困っている人たちに、どう働きかけていくか」─。この問題意識は日本の高齢化問題とも重なってくる。
「そうですね。いわゆる僕たちがつくってきた街、そういった街が今、高齢化に悩んでいる。または、悩んでいるだけではなく、困っておられる。これは、政府がよく言っている空き家対策とも重なります。本当に廃墟化した家が残っている」
空き家が増え、その街に人気がなくなるという現象。このことにどう対応していくかという社会課題である。
「そうなった時に、街をつくった責任を踏まえて、しっかり対応していくと。それと共に新しい人たちが住みたいという街に変えていく。大きな社会課題だし、僕たちの責任が問われていると思うんですよ」
日本は、世界に先んじて、『超高齢社会』となり、高齢化が一段と進む。それに伴い全国各地で空き家が増加。街の再生をどう図るか─という社会課題に、芳井氏は真正面から取り組む方針を語る。
人口減少に伴い、少子化・高齢化が進む。65歳以上の高齢者が全人口の7%以上を占める社会を『高齢化社会』と呼ぶが、日本がそうなったのは1970年(昭和45年)で、高度成長の真っ只中であった。
そして、『高齢社会』(高齢者人口が全体の14%以上)になったのは1994年(平成6年)。日本経済が低迷し、〝失われた30年〟に入るトバ口であった。
そして、『超高齢社会』(高齢者人口が全体の21%以上)になったのは、リーマン・ショック前の2007年(平成19年)のこと。現在の高齢者人口の比率は29%と、全人口の3割近い数字にハネ上がっている。
この結果、社会保障費(年金、医療、介護)は膨張し続け、2023年度は約140兆円にのぼる。社会保険料を誰がどう負担するのか。また、社会保障費の4割をまかなう公費(税金)はどうあるべきかという国の財政問題にまでつながってくる。
一方で、少子化も進み、これは大学教育の在り方にまで波及し、すでに大学の統廃合・再編問題を引き起こしている。
こうした環境が激変する中での、〝街の再生〟であり、〝団地の再生〟である。
政府も住宅団地再生に取り組む中で…
政府でも国土交通省が『住宅団地再生』連絡会議を設立(2017年1月)。これは、住宅団地の再生・転換の方策について、先進事例の研究や調査、そして意見交換をしようという趣旨で結成されたもの。
この連絡会議には、民間企業(鉄道、不動産、住宅、建設、金融など)の66団体、地方公共団体などの行政関連の210団体の計276団体が参加している。
大和ハウス工業もオブザーバーとして参加し、自分たちの取り組みを踏まえて、団地再生への提案を行っている。
かつて、大和ハウス工業のグループ会社に、『大和団地』という兄弟会社があった。当時の東証・大証・名証の1部に株式を上場していた会社だが、2001年に大和ハウス工業が吸収合併したという歴史。
旧大和団地は、大和ハウス工業の住宅造成部門が分離独立(1961)して発足、大規模団地の開発や住宅・マンション、都市開発、ゴルフリゾート、土木コンサルティングなどを手がけていた。『ネオポリス』というブランドで宅地開発を進め、中でも大阪府南東部の郊外住宅地、『羽曳野ネオポリス』などは有名で、他にも大阪北部の『阪急北ネオポリス』は全国最大級の団地として知られている。
主に高度成長時代に造成されたこれらの住宅団地では『超高齢社会』を迎え、〝独居老人〟も増加。介護などのニーズにどう応えていくか、また買い物をする時の足の便をどう確保するかといった問題を抱える。
団地再生は今、我が国の重要な社会課題の1つ。先述の『住宅団地再生』連絡会議には、東京大学・高齢社会総合研究機構の教授なども会議運営の責任者として参加している。こうした専門家による団地再生の議論の中で、大和ハウス工業の『ネオポリス』再生も題材として取り扱われている。
再生への手応えはどうか?
創業の原点に立ち返って住宅団地の再生、転換を
同社が造成を手がけた団地は61か所。このうち、8か所で再生が本格的に進み、「手応えを感じている」と芳井氏は次のように続ける。
「今年(2023年)は2か所増やして(再生作業は)10か所でやっているんですが、特にこの8か所に関して言うと、手応えのある所が多くなってきました」。
こうした団地再生が比較的うまく行く所は、行政が熱心に取り組んでいる所が多い。そうした行政や大学の専門家とも連携を進め、「わたしたちの再生のケースも活用しながら、行動していきたい」と芳井氏はその方向性を語る。
創業者・石橋信夫の経営理念を受け継いで
大和ハウス工業は、創業者・石橋信夫(1921―2003)が敗戦から10年経った1955年(昭和30年)に興した会社。
戦争中、石橋は応召し、自らも戦地に赴き、シベリア抑留も体験。帰還後、目にしたのは戦禍で荒れ果てた母国の姿であった。
石橋は、戦後焼け野が原になった日本に丈夫な住宅をつくろうと、1955年(昭和30年)に大和ハウス工業を設立。そして、鋼管構造の住宅技術の開発に取り組む。1959年(昭和34年)、わが国で初めてプレハブ住宅(工業化住宅)を提供。
〝プレファブリケーション〟(prefabrication)─。事前に、建築資材を工場生産することで、建築資材のコストダウンを図り、マイホームを持ちたいという国民のニーズに応えようと、創業者・石橋信夫は〝プレハブ住宅〟を開発。鋼管(鉄パイプ)を住宅資材に採用し、住宅建設に革命をもたらした。
現社長・芳井敬一氏が、社会が困っている課題に対して、「やってみようというDNA(遺伝子)があり、それを大事にしていきたい」と語るのも、そういった歴史的出発点を踏まえてのことである。
芳井氏は、創業の原点を振り返りながら、「自分たちが造った団地に住む人たちが今、困っておられる」と次のように語る。
「特に、自分たちが関わって街をつくってきていますから、その街が泣いていることに関して、解決策づくりに向かってやるべきだと考えています」
その解決策づくりへ向かって、社内での提案はどうか?
昨年、団地再生について、どうすればいいかと社内で募集したところ、約170件の提案が寄せられたという。
「若い社員からの提案が多いですね。年齢が高い人たちも提案してくれています」と芳井氏も手応えを感じている様子。
団地再生の方向性については、「再生エネルギーの街にするとか、スポーツコミュニティの街にするとか、いろいろな考え方が寄せられていますが、実証します」と芳井氏は語る。
大和ハウスが持つ物流事業での強みとは
2023年3月期の同社の売上高構成は、戸建て(全体の18%)、賃貸(同23%)、マンション(同10%)と住宅関連が約半分を占める。一方、最近、売上が急増しているのが、商業施設と物流施設の2部門。商業、物流の売上構成比は共に22%で、現在の同社の業績を支えている。
「そうですね、相変わらず、物流という軸はこれからも伸びると。いつまで伸びるかは計り知れないくらい、物流はやっていく。特に2024年問題が出てくると、その時に国土交通省さんはじめ、どのように対応していくか。厚生労働省の働き方政策も関係していきますしね。それを見ながら、僕たちが世の中に提供できるものを考えていきます」と芳井氏は語る。
2024年問題─。建設や物流・運輸業界の人手不足、ドライバー不足は実に深刻。こうした社会課題に対応するため、物流施設を手がける業界内の開発競争も熾烈になっている。
インターネット通販(eコマース)の普及や産業界のSCM(サプライ・チェーン・マネジメント)化の進行で、物流業務そのものが高機能化・高能率化を迫られている。
外資系のプロロジス、日本GLPに加え、野村不動産、三菱地所など、国内不動産系も加わって、物流施設の開発競争も激しさを増す。
今、〝物流不動産・御三家〟とされるのがプロロジス、日本GLP、大和ハウス工業の3社。その中で、大和ハウス工業の強みとは何か?
それは創業以来、建設機能を持つ同社が、その歴史的資産に物流・デベロッパー機能を付加しているということ。「われわれは単なるデベロッパー業ではない」と芳井氏が建設業プラスデベロッパー業の両面性を強調するのも、そうした歴史的背景があるからだ。
千葉県流山市に見る『物流で新しい街づくり』
DPL(ディープロジェクト・ロジスティクス)─。大和ハウス工業が開発する物流施設の新ブランド名。
このDPLで注目されるのが、今年4月に千葉県流山市に完成した『DPL流山』である。
同社はこれまで、計365棟の物流施設(総開発延床面積1200万平方メートル強)の物流施設を造成。『DPL流山』は、同社最大の物流拠点(延べ床面積は74万平方㍍)である。首都圏で、都心から車で小1時間の流山に物流施設をつくるに当たって、何を心がけたのか─。
単なる物流施設づくりではなく、「物流施設を中心とした街づくり」(芳井氏)というコンセプトであり、6000人規模の雇用創出という点でも注目されるプロジェクトだ。
また、災害が多発する今、災害時には約1200人が避難できるように、〝地域で身近な施設〟にしていること。災害時、施設に関連する車路に住民の自家用車が避難できるように設計されている。
さらに、被災した地区に支援物資を届ける供給ハブ拠点になっており、地域との共存共栄を図っていることがDPL流山の特徴だ。
物流拠点に、新しい街づくりの要素を加えた動機とは何か?
「流山市が真剣に考えられたことがまず第一ですね。そこにタイミング良く、われわれとか(傘下の建設会社)フジタが入って、街のコンセプトを決めようという時に、本気の行政がいらっしゃったと。それと住民の理解もしっかりしていただき、全てが理想的に運んだということでしょうね」と芳井氏。
「米国にもようやく商業施設部門が出て行っているんです。大きくはないんですが、ロサンゼルスとサンフランシスコの二か所でテストとしてやっています」
商業用不動産の賃貸支援を手がけ、収益性を上げるリーシング。
「そのリーシング力(入居者獲得力)が海外で通用するのか。もっと学ばなければいけないので、今、挑戦中です」と芳井氏は語る。
三本柱の一角、商業施設は、コロナ前と後で事業環境がガラリと変わった。
コロナ禍で伸びた企業もあれば、縮小した企業もある。強弱がついた商業分野で、「再生が図れる可能性もありますし、一方で、スクラップして、業態を変えるというチャンスもある」として、各地にある商業施設の再生、あるいは再耕を考えていきたいと芳井氏は言う。
同社の中興の祖とされる樋口武男氏(1938年=昭和13年生まれ)は2001年に社長に就任、会長兼CEOを経て、2020年最高顧問に就任。
その樋口氏は創業者・石橋信夫の思想を受け継ぎながら、〝熱湯経営〟や、先の先を読む〝複眼経営〟で、フジタ買収などのM&A(買収・合併)や米国進出のきっかけをつくった。
そして、2017年(平成29年)11月、社長に就任した芳井氏はコロナ禍初年度を(2021年3月期)を除き、増収増益の経営を実現。
社長就任から6年近くが経つ。コロナ禍というマイナス環境の中で、物流、商業、そして海外部門など伸ばすべき所を伸ばし、見直すべき所は見直すという芳井氏の経営である。
その観点から、同社は今春、ホテル、ゴルフ場などのリゾート部門(旧大和リゾート)の売却に踏み切った。
コロナ禍にあって、「しんどかった。ホテル経営も大きな影響を受けたし」と芳井氏は語り、「ただ、(売却した)相手方はわたしたちのリゾートを最大評価してくださったし、上昇気流に乗る可能性は高いので、頑張ってほしい」とエールを送る。
環境激変は続く。創業以来の「社会課題を解決する」という基本軸に立って、新しい経営構造を追求する芳井氏である。