首相・岸田文雄が政権再浮揚に向けて、人事と政策の両面で本格的に動き始めた。経済再生をはじめ、山積する課題の処方箋を岸田がどこまで示せるかが最大の焦点である。内閣改造・自民党役員人事にも踏み切り、来年秋の党総裁選を念頭に、なおも今年中の衆院解散・総選挙をうかがう。ただ、改造効果は内閣支持率の「V字回復」にはつながっておらず、「ならば地道に政策の積み重ねで勝負」というリーダー本来の覚悟が求められる局面だ。
【政界】支持率再浮上に向けた環境整備か?処理水や万博でスイッチを入れた岸田首相
変わり始めた雲行き
「物価高から国民生活を守り、賃上げと投資拡大の流れを力強いものにする。必要な予算に裏打ちされた、思い切った内容の経済対策を実行したい」。岸田は9月10日、外遊先のインド・ニューデリーで、内閣改造・自民党役員人事を3日後に実施すると表明した。それに合わせて、補正予算を伴う大型の経済対策の策定に意欲を示した。
それまで岸田は、ガソリン価格高騰対策、電気・ガス代への補助継続など、個別の施策については次々と手を打っていた。ただ、秋に経済全体へのてこ入れをどこまで行うのか、今年度の予備費で賄える範囲におさめるのかは、政府関係者や与野党の関心事だった。岸田は「大至急行わなければならない。新体制(改造内閣)の発足直後からスタートダッシュしたい」と述べ、時期についても強い言葉を重ねた。
内閣改造で人心を一新し、新たな顔ぶれへの期待を高めると同時に、国民にとって最も大事な経済の回復へ陣頭指揮を執る。そうした姿をアピールし、支持率の回復ぶりに応じて年内にも衆院解散に踏み切るタイミングを模索するのが、岸田の基本戦略だ。
「解散は年内か、それが難しければ来秋の自民党総裁選後」という相場観が、今の永田町には増えている。そもそも岸田が6月の早期解散を見送った際、「それなら秋には解散があるだろう」という空気が漂ったが、その後の支持率低迷で「これでは年内は到底無理」の声が大勢となった。
ところが夏の終わりになると、支持率の「下げ止まり」が見られたため、内閣改造や経済対策で政権がさらに挽回すれば「秋や年末の解散もあり得る」と再び雲行きが変わってきた。わずか3カ月ほどの間に、まるでジェットコースターのような変遷である。かろうじてとはいえ、政権運営における岸田の粘り腰の成果とも言えるだろう。
6月の解散騒ぎと同様、9月13日の内閣改造・自民党役員人事にあたっても、岸田は独特の秘密主義で臨んだ。周囲になかなか日程や人事構想を伝えず、長く1人で考え込んでいた。
自民党の各派閥幹部は「何も情報がない」とぼやき、副総裁・麻生太郎や幹事長・茂木敏充でさえ、かなり直前まで詳細を知らされなかった節がある。周囲をやきもきさせることで人事権を誇示し、求心力を保とうとしたのか。はたまた優柔不断な性格のゆえなのか。この「岸田流」に対する評価は分かれるところだ。
人事が好きな岸田
少なくとも、岸田は人事が大好きだ。安倍晋三政権時代の2019年11月にテレビ出演した際、首相になったら何がしたいか、と問われて「人事ですよ」と即答している。9月11日に外遊先のインドから帰国し、自民党本部に足を運んだ岸田の顔には高揚の笑みがあった。
今回、岸田は内閣と党の両方で大型の人事を狙ったが、有力者や派閥の力学の前に妥協を余儀なくされた。重鎮の麻生は留任がもともと既定路線で、「岸田・茂木・麻生」の3派連合の一角である茂木について交代を模索した。首相の座を目指す茂木は岸田に先んじる形で政策の方針を発表するなど自己アピールに余念がなく、岸田の不興を買っていた。
だが、麻生は茂木留任を進言した。茂木自身も記者会見で「いま私は幹事長だ。政権をしっかり支えるのが仕事だ」と述べ、留任させてくれれば次期総裁選では岸田に弓を引かない、という姿勢をにじませた。茂木の反乱を防ぐ意味でも、岸田は麻生・茂木ラインを替えることはできなかった。
一方、岸田がしばらく前から温めていた案が、党組織運動本部長を務めていた小渕優子の抜擢である。6月に死去した「参院のドン」である青木幹雄に代わって小渕の後ろ盾となった元首相の森喜朗が、岸田や森と親交のある総務会長・遠藤利明らに「小渕を重用してほしい」としきりにプッシュした。岸田は次第にその気になり、小渕も久しぶりの表舞台に意欲を示した。
だが、14年に政治資金を巡る問題で経済産業相を辞任した小渕は、当時の「説明不足」批判をまだ引きずっていた。閣僚にすれば、週2回の定例記者会見などで集中的に狙われる恐れがある。やむなく岸田は党のポストを検討し、会見の機会が少ない選挙対策委員長に登用することにした。
前首相・菅義偉に近いとされながら、実務能力の高さで岸田が信頼を寄せるようになった森山裕は、選対委員長から総務会長へとスライドさせて残した。その結果、岸田の相談相手である遠藤が党四役から身を引く形となった。
衆院小選挙区の「10増10減」による候補者調整は、小渕の前任である森山がすでに処理し、日本維新の会に押される自民大阪府連の立て直しは茂木の直轄事項だ。東京の選挙協力を巡る自民、公明両党のあつれきは、岸田自身が公明代表・山口那津男と協議したことで一応の決着をみている。
このため小渕は、いきなり懸案に直面することなく、10月22日投開票の衆参2補選や衆院解散に向けた準備に専念することができる。まだ49歳と若い女性議員である小渕に対して、岸田は「選挙の顔の一人として活躍を期待している」と激励した。
苦心の人事パズル
しかし、小渕の起用は同時にリスクでもある。茂木と小渕は派閥が同じで、第3派閥の茂木派が党四役のうち2つを獲得するのは、各派閥のバランスからして異例の事態だ。
そもそも党側での選挙指揮は歴代幹事長が担っていたが、07年、当時の首相・福田康夫が、岸田の大先輩である古賀誠を処遇するために選対委員長ポストを創設した経緯がある。このため、幹事長と選対委員長は役割がやや重複する。
もちろん岸田には、ライバルの小渕を同じ四役に据えて茂木をけん制する狙いもある。だが、両者とも派閥内の勢力を掌握できていない中で、ポスト岸田をうかがう茂木と、党重鎮が「将来の首相に」と期待を寄せる小渕のぎくしゃくした関係が、今後の党運営にどのような影を落とすのかは見通せない。
それ以上に危ういのが、小渕の政治資金問題への批判が再燃しかねないことだ。13日の四役就任会見で、その問題を早速問われた小渕は動揺を隠せなかった。「誠意を持ってご説明してきたが、もし十分に伝わっていない部分があるのであれば、私の不徳の致すところだ」。声は震え、目に涙を浮かべる姿に、党内からは「あれでやっていけるのか」と不安の声が漏れた。
事前に岸田やベテラン議員らは「もう9年も経つ。みそぎは済んだだろう」と楽観視していたが、世評がどう転がるかは今後の展開次第である。政権発足当初の21年秋、岸田から幹事長に起用されながら、やはり過去の政治資金問題を蒸し返されて辞任に追い込まれた甘利明の「二の舞」にならないという保証もない。
岸田は最大派閥・安倍派の処遇にも苦心した。安倍晋三亡き後の後継会長が定まらず、むしろ派閥幹部たちによる「船頭多くして船、山に登る」の状態が続く。同派後見役の森喜朗の意向を受け、元総務会長・塩谷立を座長とする15人もの常任幹事会を設け、集団指導体制を取らざるを得なくなっている。
このため、15人の中でも有力な「安倍派5人衆」をバランス良く政権に取り込み続ける必要があった。だが、一歩間違えれば、お家騒動の火の粉が岸田にも及びかねない。
政権当初から岸田を支えるお気に入りの官房長官・松野博一と、政調会長の萩生田光一を入れ替える案も浮上したが、萩生田もまた、旧統一教会問題を引きずったまま閣僚の任にあてることは難しく、経済産業相の西村康稔も含めて留任となった。
デジタル相の河野太郎と経済安全保障担当相の高市早苗も留任させた。後ろ盾の安倍を失った高市はともかく、河野については閣内にとどめて次期総裁選に向けた動きを封じるためだ。
ただでさえ河野はマイナンバーカード問題で矢面に立たされており、周辺は留任を「貧乏くじ」と嘆く。ただし、マイナンバーを無難に乗り越え、新たな担当分野である「デジタル行財政改革」で得意の大ナタを振るえれば、河野が再浮上する局面が巡ってくるかもしれない。
内閣では閣僚19人中13人が交代し、うち初入閣が11人という大規模な改造になった。女性閣僚は外相に起用した岸田派の上川陽子ら5人で、過去最多タイである。ただ、各派に配慮して「入閣待機組」を多く選び、さらに知名度の高い閣僚・党幹部が軒並み留任したため、やや新味を欠いた。
改造直後の報道各社の世論調査で、内閣支持率はおおむね横ばいとなり、改造に期待された「ご祝儀相場」は乏しかった。
政策の3本柱
引き続き岸田は、国民の信頼回復を期さなければならない立場に置かれた。そうなれば、政権本来の任務である政策の遂行こそが、遠回りのようで最大の近道である。
岸田は改造後の会見で、今後強化したい政策の3本柱を掲げた。第一が「経済」だ。第二に「社会」。これは社会保障や少子化、女性活躍、デジタルも含む大きな概念のようだ。第三は「外交・安全保障」である。
奇をてらわず、極めてオーソドックスな柱立てだが、それがむしろ「原点に立ち返る」という岸田の決意を示すかのようだった。会見では個別の諸課題に加えて担当閣僚の名前を一人ひとり挙げて、閣僚たちにも自覚を促しているように見えた。
まずは10月中にとりまとめる経済対策の充実が、政権再浮揚に向けたかぎとなる。また、旧統一教会に対する解散命令請求のタイミングや、11月末に完了が迫るマイナンバーの「総点検」、子ども予算「倍増」に向けた年末の財源協議なども焦点だ。
それらの出来と情勢の流れを見ながら、岸田は勝負の時を沈思黙考するのだろう。(敬称略)
【政界】支持率再浮上に向けた環境整備か?処理水や万博でスイッチを入れた岸田首相
変わり始めた雲行き
「物価高から国民生活を守り、賃上げと投資拡大の流れを力強いものにする。必要な予算に裏打ちされた、思い切った内容の経済対策を実行したい」。岸田は9月10日、外遊先のインド・ニューデリーで、内閣改造・自民党役員人事を3日後に実施すると表明した。それに合わせて、補正予算を伴う大型の経済対策の策定に意欲を示した。
それまで岸田は、ガソリン価格高騰対策、電気・ガス代への補助継続など、個別の施策については次々と手を打っていた。ただ、秋に経済全体へのてこ入れをどこまで行うのか、今年度の予備費で賄える範囲におさめるのかは、政府関係者や与野党の関心事だった。岸田は「大至急行わなければならない。新体制(改造内閣)の発足直後からスタートダッシュしたい」と述べ、時期についても強い言葉を重ねた。
内閣改造で人心を一新し、新たな顔ぶれへの期待を高めると同時に、国民にとって最も大事な経済の回復へ陣頭指揮を執る。そうした姿をアピールし、支持率の回復ぶりに応じて年内にも衆院解散に踏み切るタイミングを模索するのが、岸田の基本戦略だ。
「解散は年内か、それが難しければ来秋の自民党総裁選後」という相場観が、今の永田町には増えている。そもそも岸田が6月の早期解散を見送った際、「それなら秋には解散があるだろう」という空気が漂ったが、その後の支持率低迷で「これでは年内は到底無理」の声が大勢となった。
ところが夏の終わりになると、支持率の「下げ止まり」が見られたため、内閣改造や経済対策で政権がさらに挽回すれば「秋や年末の解散もあり得る」と再び雲行きが変わってきた。わずか3カ月ほどの間に、まるでジェットコースターのような変遷である。かろうじてとはいえ、政権運営における岸田の粘り腰の成果とも言えるだろう。
6月の解散騒ぎと同様、9月13日の内閣改造・自民党役員人事にあたっても、岸田は独特の秘密主義で臨んだ。周囲になかなか日程や人事構想を伝えず、長く1人で考え込んでいた。
自民党の各派閥幹部は「何も情報がない」とぼやき、副総裁・麻生太郎や幹事長・茂木敏充でさえ、かなり直前まで詳細を知らされなかった節がある。周囲をやきもきさせることで人事権を誇示し、求心力を保とうとしたのか。はたまた優柔不断な性格のゆえなのか。この「岸田流」に対する評価は分かれるところだ。
人事が好きな岸田
少なくとも、岸田は人事が大好きだ。安倍晋三政権時代の2019年11月にテレビ出演した際、首相になったら何がしたいか、と問われて「人事ですよ」と即答している。9月11日に外遊先のインドから帰国し、自民党本部に足を運んだ岸田の顔には高揚の笑みがあった。
今回、岸田は内閣と党の両方で大型の人事を狙ったが、有力者や派閥の力学の前に妥協を余儀なくされた。重鎮の麻生は留任がもともと既定路線で、「岸田・茂木・麻生」の3派連合の一角である茂木について交代を模索した。首相の座を目指す茂木は岸田に先んじる形で政策の方針を発表するなど自己アピールに余念がなく、岸田の不興を買っていた。
だが、麻生は茂木留任を進言した。茂木自身も記者会見で「いま私は幹事長だ。政権をしっかり支えるのが仕事だ」と述べ、留任させてくれれば次期総裁選では岸田に弓を引かない、という姿勢をにじませた。茂木の反乱を防ぐ意味でも、岸田は麻生・茂木ラインを替えることはできなかった。
一方、岸田がしばらく前から温めていた案が、党組織運動本部長を務めていた小渕優子の抜擢である。6月に死去した「参院のドン」である青木幹雄に代わって小渕の後ろ盾となった元首相の森喜朗が、岸田や森と親交のある総務会長・遠藤利明らに「小渕を重用してほしい」としきりにプッシュした。岸田は次第にその気になり、小渕も久しぶりの表舞台に意欲を示した。
だが、14年に政治資金を巡る問題で経済産業相を辞任した小渕は、当時の「説明不足」批判をまだ引きずっていた。閣僚にすれば、週2回の定例記者会見などで集中的に狙われる恐れがある。やむなく岸田は党のポストを検討し、会見の機会が少ない選挙対策委員長に登用することにした。
前首相・菅義偉に近いとされながら、実務能力の高さで岸田が信頼を寄せるようになった森山裕は、選対委員長から総務会長へとスライドさせて残した。その結果、岸田の相談相手である遠藤が党四役から身を引く形となった。
衆院小選挙区の「10増10減」による候補者調整は、小渕の前任である森山がすでに処理し、日本維新の会に押される自民大阪府連の立て直しは茂木の直轄事項だ。東京の選挙協力を巡る自民、公明両党のあつれきは、岸田自身が公明代表・山口那津男と協議したことで一応の決着をみている。
このため小渕は、いきなり懸案に直面することなく、10月22日投開票の衆参2補選や衆院解散に向けた準備に専念することができる。まだ49歳と若い女性議員である小渕に対して、岸田は「選挙の顔の一人として活躍を期待している」と激励した。
苦心の人事パズル
しかし、小渕の起用は同時にリスクでもある。茂木と小渕は派閥が同じで、第3派閥の茂木派が党四役のうち2つを獲得するのは、各派閥のバランスからして異例の事態だ。
そもそも党側での選挙指揮は歴代幹事長が担っていたが、07年、当時の首相・福田康夫が、岸田の大先輩である古賀誠を処遇するために選対委員長ポストを創設した経緯がある。このため、幹事長と選対委員長は役割がやや重複する。
もちろん岸田には、ライバルの小渕を同じ四役に据えて茂木をけん制する狙いもある。だが、両者とも派閥内の勢力を掌握できていない中で、ポスト岸田をうかがう茂木と、党重鎮が「将来の首相に」と期待を寄せる小渕のぎくしゃくした関係が、今後の党運営にどのような影を落とすのかは見通せない。
それ以上に危ういのが、小渕の政治資金問題への批判が再燃しかねないことだ。13日の四役就任会見で、その問題を早速問われた小渕は動揺を隠せなかった。「誠意を持ってご説明してきたが、もし十分に伝わっていない部分があるのであれば、私の不徳の致すところだ」。声は震え、目に涙を浮かべる姿に、党内からは「あれでやっていけるのか」と不安の声が漏れた。
事前に岸田やベテラン議員らは「もう9年も経つ。みそぎは済んだだろう」と楽観視していたが、世評がどう転がるかは今後の展開次第である。政権発足当初の21年秋、岸田から幹事長に起用されながら、やはり過去の政治資金問題を蒸し返されて辞任に追い込まれた甘利明の「二の舞」にならないという保証もない。
岸田は最大派閥・安倍派の処遇にも苦心した。安倍晋三亡き後の後継会長が定まらず、むしろ派閥幹部たちによる「船頭多くして船、山に登る」の状態が続く。同派後見役の森喜朗の意向を受け、元総務会長・塩谷立を座長とする15人もの常任幹事会を設け、集団指導体制を取らざるを得なくなっている。
このため、15人の中でも有力な「安倍派5人衆」をバランス良く政権に取り込み続ける必要があった。だが、一歩間違えれば、お家騒動の火の粉が岸田にも及びかねない。
政権当初から岸田を支えるお気に入りの官房長官・松野博一と、政調会長の萩生田光一を入れ替える案も浮上したが、萩生田もまた、旧統一教会問題を引きずったまま閣僚の任にあてることは難しく、経済産業相の西村康稔も含めて留任となった。
デジタル相の河野太郎と経済安全保障担当相の高市早苗も留任させた。後ろ盾の安倍を失った高市はともかく、河野については閣内にとどめて次期総裁選に向けた動きを封じるためだ。
ただでさえ河野はマイナンバーカード問題で矢面に立たされており、周辺は留任を「貧乏くじ」と嘆く。ただし、マイナンバーを無難に乗り越え、新たな担当分野である「デジタル行財政改革」で得意の大ナタを振るえれば、河野が再浮上する局面が巡ってくるかもしれない。
内閣では閣僚19人中13人が交代し、うち初入閣が11人という大規模な改造になった。女性閣僚は外相に起用した岸田派の上川陽子ら5人で、過去最多タイである。ただ、各派に配慮して「入閣待機組」を多く選び、さらに知名度の高い閣僚・党幹部が軒並み留任したため、やや新味を欠いた。
改造直後の報道各社の世論調査で、内閣支持率はおおむね横ばいとなり、改造に期待された「ご祝儀相場」は乏しかった。
政策の3本柱
引き続き岸田は、国民の信頼回復を期さなければならない立場に置かれた。そうなれば、政権本来の任務である政策の遂行こそが、遠回りのようで最大の近道である。
岸田は改造後の会見で、今後強化したい政策の3本柱を掲げた。第一が「経済」だ。第二に「社会」。これは社会保障や少子化、女性活躍、デジタルも含む大きな概念のようだ。第三は「外交・安全保障」である。
奇をてらわず、極めてオーソドックスな柱立てだが、それがむしろ「原点に立ち返る」という岸田の決意を示すかのようだった。会見では個別の諸課題に加えて担当閣僚の名前を一人ひとり挙げて、閣僚たちにも自覚を促しているように見えた。
まずは10月中にとりまとめる経済対策の充実が、政権再浮揚に向けたかぎとなる。また、旧統一教会に対する解散命令請求のタイミングや、11月末に完了が迫るマイナンバーの「総点検」、子ども予算「倍増」に向けた年末の財源協議なども焦点だ。
それらの出来と情勢の流れを見ながら、岸田は勝負の時を沈思黙考するのだろう。(敬称略)