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安全保障貿易情報センター顧問・坂本吉弘「将来の国力の源泉となる基礎研究、経済力の裏付けになる技術力、教育力の振興をこそ」

財界オンライン 2023年10月30日 18時0分

「日本はいま一度、新しい『安全保障環境』に即応すべく、国力を全面的に総ざらいするべきだと思います」と坂本氏。坂本氏の言う国力とは『外交』、『情報』、『軍事』、『経済』という4つの合成で、そのうち日本に決定的に欠けているのが情報力と軍事力とする。日本の再生を図る上で、どう行動すべきか?「『競争的共存』を前提に国力を涵養すべき」と坂本氏は訴える。日本が取るべき、独自の選択とは─。


安全保障の維持には「力」が必要

 ─ 今、ロシア・ウクライナ戦争や、中国による「台湾有事」の懸念など、国際情勢の先行きが不透明になっています。坂本さんはこの根本原因はどこにあると見ていますか。

 坂本 まず言えるのはアメリカの力の優位性の相対的低下ではないでしょうか。覇権国・アメリカを中心に構築した第2次世界大戦後の国際秩序に対して、急速に台頭した中国が挑戦しているというのが基本構図でしょう。

 これは歴史の必然ではないでしょうか。ギリシャの昔から覇権国に対して挑戦者が闘いを挑んでいます。

 中国の挑戦に対して、アメリカや西側諸国は「現状を力で変更しようとするのはよくない」と言い、また、「民主主義国家」対「権威主義国家」を対立概念としています。しかし、この対立概念だけでは、グローバルサウスを含めた世界を納得させ得るか疑問が残ります。

 ─ この理由は?

 坂本 民主主義国家は世界で30数カ国程度です。アジア、中東、アフリカなど多くの国々は権威主義と言える国家です。我々は民主主義が優れていると考えますが、自らのイデオロギー、レジームを世界に押し付けるのは無理があるのではないか。反発もあり、「民主主義対権威主義」のテーゼは逆効果だという人もいます。

 ─ こうした状況下で日本が心すべきことは。

 坂本 「平和を守る、安全保障を維持する」ためには、力が必要だということを再認識することではないでしょうか。

 憲法第9条がある限り、日本は平和だと考える向きもあるようですが、世界の現実はそれを許さないところまで来ています。日本人の多くがウクライナの現実や「台湾有事」の危険性を目の当たりにして、安全保障に関する意識が変わってきているのではないでしょうか。

 先年「防衛省の研究には協力しない」と決議をされた日本学術会議も国際情勢の変化や日本の国民意識の変化に目を向けて欲しいですね。とりわけ、今日、半導体を始めとする先端技術の分野では軍民両用のデュアルユース技術が大きな流れです。


中国、アジアとの今後の関係構築は?

 ─ こうした現状は、やはり日本の戦後のあり方が問われているのだと思いますか。

 坂本 ええ。戦後日本の言論空間、思想空間は、戦勝国の対日占領政策の背後にある「虚」の世界像によって影響されてきた。未だ「東京裁判史観」の影が残っています。そのマインドセットから、なかなか抜け出せないところに日本のジレンマがあるように思います。

 ─ 世界は今、第2次世界大戦以来の緊張感に包まれているのではないかと思いますが。

 坂本 そう思います。第2次世界大戦が終わって、すでに80年近くが経っています。その間の力関係の変化によって、新たな緊張感が出ています。その中で、ただ新興勢力の中国だけを批判していても、世界の安定は期し難いでしょう。

 私個人としては権威主義という個人を抑圧するシステムは受け入れ難いのですが。

 ─ 日本はどういう対応が求められますか。

 坂本 やはり一言でいえば「競争的共存」の世界を目指すべきではないですか。最近時の動きを見ると、アメリカもこうした立場に傾いている兆候が見られます。一部には「そんな弱腰では中国にいいようにやられてしまう」という懸念の声があります。しかし、中国も勢力拡大には努めても、熱い戦争を望んでいるとは思えません。「戦わずして勝つ」のが孫子以来の伝統的な戦略でしょう。

 また、中国は常に超長期の視点に立って「力の均衡」を考えています。それに対してアメリカは力があるから、やや即断即決の対応になりがちです。中国と対峙しつつも、アジアの一国として、アメリカのアジア戦略とは自ずから異なるところがあってもいいのではないか。その点でアメリカを飲み込んだ「自由で開かれたインド太平洋」というコンセプトは、この地域に根を下ろす国々のベースとして大事にする必要があります。

 と同時に、中国と対決するだけでなく、これからの世界の成長センターであるインドやアジア諸国と利害を共有しながら共に発展するという道を模索するべきではないでしょうか。

 ─ アジアの国々は、中国との経済関係を重視していますから、彼らの意思を見定めていくことも必要ですね。

 坂本 ええ。アジアの国々は中国と対決しようとは思っていません。安全保障はアメリカに依存する、経済は中国市場に期待するという現実を踏まえています。従って、インドのような立場にならざるを得ないのではないかと思います。

 その限りにおいて、日本もアジアの中堅国家として、アジアから孤立しないように注意深く振る舞う必要があります。

 一方、安全保障面では、中国の合理的ではない行動を批判することも大切です。中国は南シナ海に「九段線」を引き、自分の領海だと主張していますが、この主張は国際仲裁裁判所が否定しましたが、中国は受け入れていません。

 また、直近では東京電力福島第1原子力発電所の処理水を、科学的根拠のない「核汚染水」だとして、日本の水産物の輸入を規制しています。中国特有の「心理戦」でしょうか。

 しかし同時に、中国の力を無視できません。日本を含むアジアの国々は中国と利害を争いつつ、しかも安定した関係を維持するという難しい選択を迫られています。しかし、外交はいつでも「右手で握手しながら、左手で殴り合う」のが常道でしょう。


「グローバルサウス」が台頭した今…

 ─ 中国は長期構想で世界の覇権を目指していますね。これと対峙しながらも友好も模索していくと。

 坂本 ええ。中国は毛沢東が中華人民共和国を建国して100年にあたる2049年に、世界の経済・軍事・政治のリーダーの地位をアメリカに比肩することを目指しているようです。「100年マラソン」を走っていると言われています。隣国として、この国とは長い目で見て、やはり「競争しながら共存する」という道しかないのではないかと。

 日本はインドを含むアジアと力を共有し、安全保障、経済、技術、気候変動などあらゆる課題について、しっかり対話をして共通点を見出していくことが大事ではないでしょうか。

 ─ 今はかつてのように先進国が世界をリードするというよりは「グローバルサウス」と呼ばれる新興国の存在感も無視できなくなっています。

 坂本 その通りです。新興国の力の向上とともに西側の戦後国際秩序のコンセプトに対して必ずしも従順ではありません。これには理解を示す必要があります。そしてグローバルサウスの国々は、西側諸国、中国のどちらからより有利な恩恵を受けられるか、どちらが自らの体制に理解があるのかなど、比較衡量していると思います。

 近年、アメリカは「民主主義」とか「人権」とか、イデオロギー的側面を強調するあまり、友を失う傾向がありました。その間隙を突いて中国は「一帯一路」のコンセプトなど、表向き経済の論理で多くの国を友好国にし始めています。過日、長く対立関係にあったイランとサウジアラビアを中国の仲介で和解させたのは、注目すべき外交現象と言えましょう。

 米中2国間関係についても、軍事的に機微な半導体、AI(人工知能)といった技術についてアメリカは厳格な対中規制をかけていますが、それ以外の、例えばアップルやテスラなどは中国市場でどんどん事業を展開しています。サプライチェーンの安全性についても、当初の「デカップリング」から近時「デリスキング」にと変化しつつあります。

 ─ 日本も今後、難しいカジ取りが求められますね。

 坂本 その通りです。安全保障を考えずに経済に全力を投入できた幸せな時代は終わりました。「資本に国境はない」とうそぶいた新自由主義時代も終わり、世界中で国家観を持った「産業政策」が導入されています。

 国力は「DIME」、すなわち外交(Diplomacy)、情報(Intelligence)、軍事(Military)、経済(Economy)という4つの力が総合されたものと言われます。そのうち、わが国が相対的に弱いのが情報力、軍事力です。とりわけ、近時インテリジェンスの世界で急速に存在感を増している「サイバーインテリジェンス」のあり方を制度面、技術面から抜本的に再設計して強力にする必要が指摘されています。

 経済力は相対的には強いと思いますが、近時、国際競争力は低位になりつつあります。経済力の裏付けとなる技術力の強化、その技術力を支えるのは「STEM(Science,Technology,Engineering,Mathematics)」に代表される教育の力です。日本の唯一の資源である人的資源を生かすために、小学校から大学に至るまでの教育にいま一度注力して欲しいですね。


「未来への投資」の必要性

 ─ 日本の教育は江戸期や明治まではしっかりしていたと言われますが。

 坂本 その通りです。戦前の昭和期も、旧制高校など公教育を通じて、国家有為の人材を育てました。日本は階級社会ではありませんから、貧しくとも一生懸命学び、かつ働けば、人生の展望が開けてくる素晴らしい環境です。その意味で「公教育」の強化が喫緊の課題だと。

 これは日本だけでなく、アメリカにも言えることのようです。『アメリカはかつて超大国であった』という本によれば、「新自由主義」の台頭によって国家の役割を後退させ、資本の論理が支配しましたが、それが研究開発や教育など「未来への投資」をおろそかにしてしまったと述べています。

 ─ アメリカですら、「人」を育てる力が弱くなったと。

 坂本 そうです。1990年代初めまで、国の競争力の強化のためにアメリカの官民のパートナーシップがしっかり機能していました。ところが、アメリカ1強時代になって「国家」の概念が後退した。

 冷戦終結まではソ連という競争相手があり、アメリカには節度があり、将来に向けた投資も行っていた。ところが冷戦後、資本の論理で製造業の価値を軽視し、製造業を中国などの低賃金国にアウトソーシングしてしまった。

 ─ アメリカでの新自由主義の端緒は、レーガン大統領の登場だったと言われます。

 坂本 人間社会には常に「正と反」、「動と反動」のようなものが働いています。第2次大戦の遠因となった世界恐慌と大量失業を克服するため、ケインズが「完全雇用」を基調とする政策を主導しましたが、これがいつの間にか労働組合の力を強大にしてしまった。

 そこでレーガン大統領やサッチャー首相が、労働組合の力を減殺し、資本の論理に立った「新自由主義」と言われる政策にカジを切りました。「資本の逆襲」とも言われます。

 しかし反面、「国家観の欠如」が顕著で「規制緩和、民営化、小さな政府」を標榜して「市場」が万能のように位置づけました。

 その結果、社会に格差が生じ、市場は規律を欠いて独占の弊害が生まれ、果ては「金権政治」につながった。その様子はスティグリッツの『プログレッシブ・キャピタリズム』に如実に描かれています。

 公教育の充実・強化やイノベーションの基となる基礎研究を充実することなど、国が役割を果たすべきだと、スティグリッツは提言しています。

 ─ これは日本にも同じことが言えますね。

 坂本 そうです。新自由主義が日本にもたらした数ある弊害の中で最大のものが、労働市場に「正規」、「非正規」をつくったことだと思います。社会に「階級」のようなものをつくりました。

 日本の戦後復興を果たした原動力は現場の労働力です。将来の雇用に保証があったからこそ、現場の人達が会社に貢献しようとし、創意工夫で改良を積み重ねました。これが日本産業の強みでした。「労使の協調」、「官民の協調」など「新自由主義」が破壊した、この伝統的な価値観を産業世界に取り戻すことが望まれます。「新しい資本主義」を唱えるなら、そこに鋭く切り込んで欲しいですね。

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