グローバルな大学教育を目指し、世界各国から学生が集まって来る国際教養大学(AIU)。秋田の地に大学がスタートして約20年、同大学理事長・学長を務めるモンテ・カセム氏。「教授陣も6割が海外出身。未来の暮らし方、生き方、産業の創出の仕方を作っていき、日本で模範的な地域を作っていきたい」と抱負を語る。スリランカから日本に来て約50年。日本の強さに謙虚さを挙げ、「欠点はすぐ組織人になりたがること」と語る。国際教養大学ではどんな教育を作り上げているのか。
グローバル人材を育てる大学へ
─ 国際教養大学(AIU)はグローバルに学生を教育するということで定評がありますが、改めてどんな経営理念かを聞かせてくれませんか。
カセム 日本にとって大切なことは、日本と世界が共有する様々な課題を、他の国々や人々と協力しながら解決し、未来社会を創造していける人材を輩出することです。そのためには、若者が自ずと育つ「厳しくも楽しい環境」を作ることが必要です。学生が24時間過ごす学修・居住一体型キャンパスにおける「学び」と産官学連携によるプロジェクトなどキャンパス外での「行動」の融合をはかり、失敗も含め実践知、身体知を身につけます。
これを秋田県と海外の留学先を舞台に展開するとともに、学部・大学院の教育・研究力の高度化を図ることで、課題解決力を強化する正のサイクルを生み出したいと思っています。
─ いま1学部1学科ですね。
カセム はい。グローバル・スタディズ領域と、グローバル・コネクティビティ領域とグローバル・ビジネス領域という3つの領域があります。DX、ブロックチェーンやビットコインなども学べるようにしています。
コミュニケーション力、リベラルアーツを土台に、古典的なものではなく、学問と学問の境目みたいなところに、新しいひらめきが出てくるので、最初から専門性より学際性にしましょう、と。
そして23年はオーストラリアの経済力をBRICSの各国それぞれが上回った年なんです。これから多分、世界経済は転換期に入りますが、商機でもあります。本学の学生たちが大人になった時に、グローバルサウスの経済圏がビジネスの対象になると思います。
ですからグローバルサウス各国と研究協力体制を進め、新しいことを生み出すような仕組みを作りたいと思っています。大学周辺で先鞭をつけられたら、と思っています。
─ 非常に面白い構想になりそうですね。
カセム いま学生は日本の各地から来ていて、偏差値はトップクラスです。そういう優秀な頭脳をいかに育てていくかが課題でもあり、やりがいでもあります。
─ ただ、よくこの短期間にこれだけの大学にまでもってこられましたね。まだ創立してから20年ですよね。
カセム ええ。みんなが懸命に大学づくりをしてきた結果だと思います。
─ 学長として、学生たちにはどんな言葉を投げかけていますか。
カセム 先行き不透明な激変の時代でもあるから、きちんと自分の規範を持って、俯瞰的に物事をみて、自分が打ち込める専門性を見つけて社会に出なさいと言っています。
─ カセムさんは就任して2年ですね。大学改革をされてきての感想はいかがですか。
カセム はい。現在6割の教員が海外出身です。その教員と職員の間で、本当にフレンドリーな関係を構築できているのが一番嬉しいです。それを継続しながら改革をしていきたい。大学及びその周辺で、未来の暮らし方、生き方、産業の創出の仕方をつくっていき、日本で模範的な地域を作っていきたいです。
─ この秋田の地域でベンチャーキャピタル的な要素を持つということですか。
カセム はい。この構想を発信したときに、すごくいいスタートアップ企業と、成熟した中堅企業が手を挙げて来てくれたんですね。たとえばMurakumoというデータベースの会社とか、日南というデザインの会社です。自動運転のAI・IoTを生かしたデザインシミュレーションや自動運転のシステム開発等を学生・院生が体験し、交流を通して新しい発想やアイディアを生み出そうとしています。
秋田県の佐竹(敬久)知事も言っているように「秋田は攻めないと勝てない」ということで、攻めた構想を描いています。企業を呼び寄せるための起爆剤がトップクラスの偏差値です。
─ デザインとデータサイエンスが得意分野ですか。
カセム はい。それも企業と一緒にやります。地域との信頼に基づき、その地域に行きフィールドワークをやるようなところで、共同研究を行いたいです。
─ 秋田にはいい技術を持っている企業も少なくないと聞いていますが。
カセム たくさんあります。例えば、オーブレーという会社がありまして、この会社は、社長がスノーボードのW杯に出た女性です。次世代のカーボンチップの土台を作っていて、世界で一番大きい人工ダイヤも作っている会社です。このような有能な会社もありますし、地道にやっているロジスティックスのいい会社もある。若い人が色々な発想を持って頑張れば、何か生まれてくるんじゃないかと思っています。
─ 他の大学との提携はどう考えていますか。
カセム 立命館アジア太平洋大学、東北大学、奈良先端科学技術大学院大学と、国内大学のパートナーシップがあります。また、秋田大学と秋田県立大学と秋田公立美術大学の学長が毎月集まって、秋田の未来を考える会をやっています。できれば秋田高専にも加わっていただきたいと思っています。
─ これもまた国内の大学の間でも連携のお手本になりますね。
カセム そうなってほしいと思いますね。でないと三大都市圏以外のところが取り残されますから。
母の勧めでスリランカから日本へ
─ カセムさんはスリランカ出身ですね。日本の横浜国大と東大で学ばれていますが、どうして日本を選んだのですか。
カセム 正直言って、わたしは外に出たくなかったんです(笑)。スリランカは非常に居心地がよかったし、友人もたくさんいたし、出るつもりはなかったけど、母が海外に出ることを勧めたんです。私は一人っ子なので、私が家を出たらどうするのか、留学費用はどうするのか、と母に聞いたんです。
そうしたら、父の退職金で何とかするという返事で、とりあえず世界を若い時に見なさいと。奨学金制度に応募してみなさいということでした。
─ それで合格して、日本に来てどうでしたか。
カセム 半年ほど横浜国大に行きましたが、そこではやりたかったことはできなかったので、東大の院試験を受けて移籍しました。
─ 初来日時の日本と、今の日本の生活レベルに変化はありますか。
カセム 大きく変わったのは、国民の感覚かもしれませんね。私が来た時に、日本の国は豊かでした。ちょうどイギリスのGDPを超えて、西ドイツ(現ドイツ)を超えて、自由世界で米国に次ぐ2位となった頃ですね。しかし国は豊かになっていたけど、国民一人一人はそれほどではないという状況で、我慢強い国民性を感じました。
それが自分も豊か、国も豊か、という認識に変わっていきました。
もう1つは日本の企業の性質が変わったという気がします。
私は三井建設に入社したのですが、最初の半年間は、週3日、課長が半日かけて私を個別指導するんです。こんなに新入社員に時間をかけて、この会社は潰れるんじゃないかと心配していました(笑)。そのぐらい人を大事にしていた時代です。
それが四半期ごとに株主に利益が上がったかということの報告をしなければいけないような構造になっていき、長期的に人を見て育てるという文化が変わって、効率重視型になっていきました。
─ 1980年代から一気に変わりましたね。
カセム 秋田も、当時私が旅をしている時に、砂利道がまだ部分的にありました。それが今どこでもすごく綺麗に舗装しているし整っています。
それは日本列島の改造の一環として、三大都市で稼いだものを地方に分配してきたことを表しているのだと思います。
だけどいま私が感じるのは、その三大都市圏で稼いで日本の地方に分配するということ自体がもうやりづらくなっている経済環境だということです。
海外からみる日本の良さとは
─ 日本人の良さと欠点を1つずつ挙げるとすると、良さはなんでしょうか。
カセム 良さは謙虚さ、欠点は組織人になりたがることですね。自分を控えめにして、組織に従うから、画期的なことができないし、意志決定が遅い。
─ 自分を出さないということですね。
カセム あとは、安全、安心を保証したがるような国づくりをしていますので、弱い人に同情する社会の側面は良いところですね。それは国際的な協力体制をみてもそうだし、国内でもそうですし。
─ これは西洋にはない考え方ですか。
カセム どちらかというと、彼らは強いところを伸ばすという考えです。わたしは弱い方々に共感を持つ社会の方が住みやすい社会だと思います。
─ 日本に来て嬉しかったことはありますか。
カセム 日本国内でたくさん学ばせてもらったものが多くて、その学びが嬉しいです。
日本はどんな地方・地域に行っても、世界一か、日本一かの何かを持っているんですよ。
例えば石川県に行けば、オリエンタルチエンという会社があって、キャタピラのワイヤーみたいなものから、電子カメラの小さな部品を作る会社です。世界で7割ぐらいのシェアを持っています。ものづくりの日本の伝統はすごいです。
山形県の米沢ではベニバナ染めが有名ですが、研究熱心さに感動しました。例えば言葉で色を表す時に、「若い少女の唇の色」とか「雪柳の春になった時の自然の緑」とか、そういう言葉で表している色を復元しようとしている染屋さんがいたんです。
そういうものを聞いて、日本だけでなくアジアまで歩き回って、その地域で色というものをどのように表していたかという研究をしたりしていました。感性がすごいなと思って、そういう発見があるとシンプルに嬉しい。学んだことからの喜びが一番です。
─ 日本では職人肌という言葉があります。ひたすら己の仕事に打ち込むというものですが、そういう伝統がまだ生きていると思いますか。
カセム はい。私の娘が面白い表現をするんですね。日本の職人は、なぜそんなに完璧なのかという話をしていたら、「しゃべりたがらないから」と言うんです。ああそうか、と思いまして。完璧な商品を見せたら、細かい説明はしなくて済む。日本の職人は誰にも文句を言われないような完璧さを求めているんですね。
─ シャイな日本人ならではの強みですかね。学者の娘さんは鋭いですね。それから、日本は少子高齢化ですが、大学も生き残りをかけて競争が激しいですね。人気のない大学はどうしたら良いと考えますか。
カセム 私の独断と偏見の提案ですが、1つは国の補助金分配に傾斜をつける。例えば、旧帝大と国立研究所に渡すお金を少し高く設定してあげるというように、研究成果レベルが高ければもう少し財源をそこに流す。そうすればもっと世界中の研究者が集まってきますし、日本からも世界に羽ばたいていける。
その分、これは反対が出ると思いますが、地方国立大学を大手私立大学と合併させる。合併することで、国庫補助金が今私立大学に10%しかないのを、増やせるメリットがあります。
日本は大学や研究機関に全体的に先行投資が足りていないということが問題なのです。
グローバル人材を育てる大学へ
─ 国際教養大学(AIU)はグローバルに学生を教育するということで定評がありますが、改めてどんな経営理念かを聞かせてくれませんか。
カセム 日本にとって大切なことは、日本と世界が共有する様々な課題を、他の国々や人々と協力しながら解決し、未来社会を創造していける人材を輩出することです。そのためには、若者が自ずと育つ「厳しくも楽しい環境」を作ることが必要です。学生が24時間過ごす学修・居住一体型キャンパスにおける「学び」と産官学連携によるプロジェクトなどキャンパス外での「行動」の融合をはかり、失敗も含め実践知、身体知を身につけます。
これを秋田県と海外の留学先を舞台に展開するとともに、学部・大学院の教育・研究力の高度化を図ることで、課題解決力を強化する正のサイクルを生み出したいと思っています。
─ いま1学部1学科ですね。
カセム はい。グローバル・スタディズ領域と、グローバル・コネクティビティ領域とグローバル・ビジネス領域という3つの領域があります。DX、ブロックチェーンやビットコインなども学べるようにしています。
コミュニケーション力、リベラルアーツを土台に、古典的なものではなく、学問と学問の境目みたいなところに、新しいひらめきが出てくるので、最初から専門性より学際性にしましょう、と。
そして23年はオーストラリアの経済力をBRICSの各国それぞれが上回った年なんです。これから多分、世界経済は転換期に入りますが、商機でもあります。本学の学生たちが大人になった時に、グローバルサウスの経済圏がビジネスの対象になると思います。
ですからグローバルサウス各国と研究協力体制を進め、新しいことを生み出すような仕組みを作りたいと思っています。大学周辺で先鞭をつけられたら、と思っています。
─ 非常に面白い構想になりそうですね。
カセム いま学生は日本の各地から来ていて、偏差値はトップクラスです。そういう優秀な頭脳をいかに育てていくかが課題でもあり、やりがいでもあります。
─ ただ、よくこの短期間にこれだけの大学にまでもってこられましたね。まだ創立してから20年ですよね。
カセム ええ。みんなが懸命に大学づくりをしてきた結果だと思います。
─ 学長として、学生たちにはどんな言葉を投げかけていますか。
カセム 先行き不透明な激変の時代でもあるから、きちんと自分の規範を持って、俯瞰的に物事をみて、自分が打ち込める専門性を見つけて社会に出なさいと言っています。
─ カセムさんは就任して2年ですね。大学改革をされてきての感想はいかがですか。
カセム はい。現在6割の教員が海外出身です。その教員と職員の間で、本当にフレンドリーな関係を構築できているのが一番嬉しいです。それを継続しながら改革をしていきたい。大学及びその周辺で、未来の暮らし方、生き方、産業の創出の仕方をつくっていき、日本で模範的な地域を作っていきたいです。
─ この秋田の地域でベンチャーキャピタル的な要素を持つということですか。
カセム はい。この構想を発信したときに、すごくいいスタートアップ企業と、成熟した中堅企業が手を挙げて来てくれたんですね。たとえばMurakumoというデータベースの会社とか、日南というデザインの会社です。自動運転のAI・IoTを生かしたデザインシミュレーションや自動運転のシステム開発等を学生・院生が体験し、交流を通して新しい発想やアイディアを生み出そうとしています。
秋田県の佐竹(敬久)知事も言っているように「秋田は攻めないと勝てない」ということで、攻めた構想を描いています。企業を呼び寄せるための起爆剤がトップクラスの偏差値です。
─ デザインとデータサイエンスが得意分野ですか。
カセム はい。それも企業と一緒にやります。地域との信頼に基づき、その地域に行きフィールドワークをやるようなところで、共同研究を行いたいです。
─ 秋田にはいい技術を持っている企業も少なくないと聞いていますが。
カセム たくさんあります。例えば、オーブレーという会社がありまして、この会社は、社長がスノーボードのW杯に出た女性です。次世代のカーボンチップの土台を作っていて、世界で一番大きい人工ダイヤも作っている会社です。このような有能な会社もありますし、地道にやっているロジスティックスのいい会社もある。若い人が色々な発想を持って頑張れば、何か生まれてくるんじゃないかと思っています。
─ 他の大学との提携はどう考えていますか。
カセム 立命館アジア太平洋大学、東北大学、奈良先端科学技術大学院大学と、国内大学のパートナーシップがあります。また、秋田大学と秋田県立大学と秋田公立美術大学の学長が毎月集まって、秋田の未来を考える会をやっています。できれば秋田高専にも加わっていただきたいと思っています。
─ これもまた国内の大学の間でも連携のお手本になりますね。
カセム そうなってほしいと思いますね。でないと三大都市圏以外のところが取り残されますから。
母の勧めでスリランカから日本へ
─ カセムさんはスリランカ出身ですね。日本の横浜国大と東大で学ばれていますが、どうして日本を選んだのですか。
カセム 正直言って、わたしは外に出たくなかったんです(笑)。スリランカは非常に居心地がよかったし、友人もたくさんいたし、出るつもりはなかったけど、母が海外に出ることを勧めたんです。私は一人っ子なので、私が家を出たらどうするのか、留学費用はどうするのか、と母に聞いたんです。
そうしたら、父の退職金で何とかするという返事で、とりあえず世界を若い時に見なさいと。奨学金制度に応募してみなさいということでした。
─ それで合格して、日本に来てどうでしたか。
カセム 半年ほど横浜国大に行きましたが、そこではやりたかったことはできなかったので、東大の院試験を受けて移籍しました。
─ 初来日時の日本と、今の日本の生活レベルに変化はありますか。
カセム 大きく変わったのは、国民の感覚かもしれませんね。私が来た時に、日本の国は豊かでした。ちょうどイギリスのGDPを超えて、西ドイツ(現ドイツ)を超えて、自由世界で米国に次ぐ2位となった頃ですね。しかし国は豊かになっていたけど、国民一人一人はそれほどではないという状況で、我慢強い国民性を感じました。
それが自分も豊か、国も豊か、という認識に変わっていきました。
もう1つは日本の企業の性質が変わったという気がします。
私は三井建設に入社したのですが、最初の半年間は、週3日、課長が半日かけて私を個別指導するんです。こんなに新入社員に時間をかけて、この会社は潰れるんじゃないかと心配していました(笑)。そのぐらい人を大事にしていた時代です。
それが四半期ごとに株主に利益が上がったかということの報告をしなければいけないような構造になっていき、長期的に人を見て育てるという文化が変わって、効率重視型になっていきました。
─ 1980年代から一気に変わりましたね。
カセム 秋田も、当時私が旅をしている時に、砂利道がまだ部分的にありました。それが今どこでもすごく綺麗に舗装しているし整っています。
それは日本列島の改造の一環として、三大都市で稼いだものを地方に分配してきたことを表しているのだと思います。
だけどいま私が感じるのは、その三大都市圏で稼いで日本の地方に分配するということ自体がもうやりづらくなっている経済環境だということです。
海外からみる日本の良さとは
─ 日本人の良さと欠点を1つずつ挙げるとすると、良さはなんでしょうか。
カセム 良さは謙虚さ、欠点は組織人になりたがることですね。自分を控えめにして、組織に従うから、画期的なことができないし、意志決定が遅い。
─ 自分を出さないということですね。
カセム あとは、安全、安心を保証したがるような国づくりをしていますので、弱い人に同情する社会の側面は良いところですね。それは国際的な協力体制をみてもそうだし、国内でもそうですし。
─ これは西洋にはない考え方ですか。
カセム どちらかというと、彼らは強いところを伸ばすという考えです。わたしは弱い方々に共感を持つ社会の方が住みやすい社会だと思います。
─ 日本に来て嬉しかったことはありますか。
カセム 日本国内でたくさん学ばせてもらったものが多くて、その学びが嬉しいです。
日本はどんな地方・地域に行っても、世界一か、日本一かの何かを持っているんですよ。
例えば石川県に行けば、オリエンタルチエンという会社があって、キャタピラのワイヤーみたいなものから、電子カメラの小さな部品を作る会社です。世界で7割ぐらいのシェアを持っています。ものづくりの日本の伝統はすごいです。
山形県の米沢ではベニバナ染めが有名ですが、研究熱心さに感動しました。例えば言葉で色を表す時に、「若い少女の唇の色」とか「雪柳の春になった時の自然の緑」とか、そういう言葉で表している色を復元しようとしている染屋さんがいたんです。
そういうものを聞いて、日本だけでなくアジアまで歩き回って、その地域で色というものをどのように表していたかという研究をしたりしていました。感性がすごいなと思って、そういう発見があるとシンプルに嬉しい。学んだことからの喜びが一番です。
─ 日本では職人肌という言葉があります。ひたすら己の仕事に打ち込むというものですが、そういう伝統がまだ生きていると思いますか。
カセム はい。私の娘が面白い表現をするんですね。日本の職人は、なぜそんなに完璧なのかという話をしていたら、「しゃべりたがらないから」と言うんです。ああそうか、と思いまして。完璧な商品を見せたら、細かい説明はしなくて済む。日本の職人は誰にも文句を言われないような完璧さを求めているんですね。
─ シャイな日本人ならではの強みですかね。学者の娘さんは鋭いですね。それから、日本は少子高齢化ですが、大学も生き残りをかけて競争が激しいですね。人気のない大学はどうしたら良いと考えますか。
カセム 私の独断と偏見の提案ですが、1つは国の補助金分配に傾斜をつける。例えば、旧帝大と国立研究所に渡すお金を少し高く設定してあげるというように、研究成果レベルが高ければもう少し財源をそこに流す。そうすればもっと世界中の研究者が集まってきますし、日本からも世界に羽ばたいていける。
その分、これは反対が出ると思いますが、地方国立大学を大手私立大学と合併させる。合併することで、国庫補助金が今私立大学に10%しかないのを、増やせるメリットがあります。
日本は大学や研究機関に全体的に先行投資が足りていないということが問題なのです。