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次のパンデミックにどう備えるか? 塩野義製薬・手代木功の『覚悟』

財界オンライン 2024年2月14日 7時0分

「2024年は、次のアクションにつなげる非常に重要な1年になる」─。塩野義製薬会長兼社長・手代木功氏は今回のコロナ危機の体験を踏まえ、創薬企業としてのパーパス(存在意義)に触れながら、こうした認識を示す。コロナ禍は昨年5月、季節性インフルエンザと同じ『第5類感染症』に移行。世の中全般に漠然と”過ぎ去った感”があるが、本質を衝いた総括が必要という氏の問題意識。同社はワクチン、治療薬開発のため、売上の3分の1を占める研究開発費をここ数年注ぎ込んできた。治療薬『ゾコーバ』が緊急承認され、ワクチン開発も進む。しかし、感染症に対応するには、ワクチン・治療薬だけではなく、予知、予防、診断、治療、重症化抑制と全体的なチェーンを必要とする。また、抗生物質の出発原料は中国にほぼ依存している日本の現状に、”医薬安全保障”の観点から、創薬のサプライチェーン改革も訴える。さらに人口減、少子化・高齢化に伴い、薬価のあるべき姿も変革しなければならないという手代木氏の『覚悟』とは─。


創薬企業としての『使命』と『覚悟』

「ワクチン一つ取っても、すごく行き渡っている所と、行き渡っていない所とあって、やはり医薬品の知的財産の問題なのか、医薬品の供給の問題なのか、あるいは現場の医療体制そのものが問題なのか。そんな変数がまだまだ解決しない内に一応、今回の危機が収まりつつあるように見えてしまうので、次に同じことをやったら人類はある意味学びがないよねと。そういうことなんですけれども、そうならないために今どうするのかというのも、どこまで真剣に考えられているのかなと」

 今回のコロナ危機に際し、新型コロナウイルス感染症の治療薬『ゾコーバ』を開発し、さらに変異型ウイルス向けワクチンの開発を進めている塩野義製薬。同社会長兼社長CEO(最高経営責任者)の手代木(てしろぎ)功(いさお)氏は今回の危機の総括と、それを教訓にした次の危機襲来への備えが大事と強調。

 感染症への対応は、創薬企業それぞれに濃淡がある。感染症対応はとかく短期勝負になる。危機が去れば、集中的に多額の開発投資をしても、見返りが得られず、投資に尻込みする所も出てくる。投資と収益のバランスが得られないということである。

 塩野義製薬は感染症領域も積極的に切りひらいてきた会社。

「それは本当にわたしどもも随分学ばせていただきました。細菌感染症といっても、最初は抗生物質の開発から取り掛かりました。この抗生物質で、もしかすると明日お亡くなりになるかもしれないという命を救ってきたという自負はございます」

 手代木氏は創薬企業の使命と覚悟についてこう述べながら、今後の方向性を次のように語る。

「今回の危機で患者様とか医療機関を見ると、抗ウイルス剤だけ、抗菌薬だけでは、患者様や医療機関を救えない、お役に立ちきれていないというのをとても深く学ばせていただきました。ワクチンに2017年に参入したのは、やはり罹りにくくするという意味での予防、このためにワクチンをやらなければいけない。それから今、わたくしどもは診断薬の開発も今は他社様との協業が多いですけれども、非常に大きなテーマとして、改めて考え直しています」

 100年に1度のパンデミック(世界的大流行)─。今回の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は世界で約7億人の感染者を生み、約700万人の死者を出した。

 この感染症は2020年(令和2年)初めに発生し、アッという間に世界全体に広がり、多くの人の命を奪い、また多大な経済的損失をもたらした。

 手代木氏は、「感染症というバリューチェーンを横串で言うと、『予知、予防、診断、治療、重症化への抑制』という一貫性のある対応に万全を期することが大事だと思います」と訴える。

 そして、「ペイシェント・ジャーニー(患者の病気進行具合)という点からすると、縦串として、患者様が最初に罹られてから治られるまでの間に必要な医薬品をどう供給していくか。全部われわれが供給できるわけじゃないけれども、われわれがやれる所については、足りないよとか、無いよというふうには言われないように努力していきたい」と手代木氏は語る。


「コロナ禍は今、第10波」と専門家は注意を促す

 コロナ危機は峠を越し、WHO(世界保健機関)は2023年5月、『緊急事態宣言』を終了。日本では同時期、新型コロナウイルス感染症を季節性インフルエンザ並みの『5類感染症』に指定し、それから半年以上が経つ。

 人の往来も活発になり、今、日本は多くのインバウンド(訪日)客で賑わう。2023年のインバウンド客数は年間約2500万人とコロナ前の2019年の約3000万人に近づいている。

 新型コロナ感染症への危機感は薄まりつつあるが、2024年に入り、感染症の専門家は「今、第10波の新たな波を迎えている」と注意を促す。

〝COVID-19〟のウイルスはしぶとく、したたかに生き続けているということ。

 2020年初頭、中国・武漢発とされる同ウイルス。武漢発と言われることに中国は反発。いろいろな意見があるが、次に登場したオミクロン株が南アフリカ発というのは多くの国のコンセンサスが取れているところ。そしてアルファ株、デルタ株とウイルスは〝進化〟している。

「免疫を回避するかたちでウイルスが進化し、それが3、4週間とものすごく短期間に世界を駆け巡ってしまう」と関係者も警戒する。

 今回のコロナ危機では、途中、新型ワクチンの『ⅿRNA』なども開発され、ワクチン接種が世界各地で進んだ。日本でも、塩野義製薬が治療薬『ゾコーバ』を開発。2022年11月、政府の緊急承認制度に基づき、製造販売の承認を取得。同社は2023年3月から販売を開始している。

 同社は売上高の3分の1を研究開発費に注ぎ込んできた。

 そこで、昨年12月、同ウイルスの変異型向けワクチンの最終段階の臨床試験を開始すると発表。23年度内に有効性を確認したうえで、今年の秋から冬にかけての提供を目指す。

 手代木氏は、「今回のパンデミックをどのように人類が咀嚼し、消化したうえで、新しい取り組みに踏み込んでいくのかが問われている」と語る。

「今回のコロナ症のマグニチュードを考えると、100年に1度だったものが、今回地球が小さくなってしまったことで、今度は10年に1度なのかもしれないし、5年に1度になってしまうかもしれない」と語る。

 こうしたパンデミックを、人類はどう受けとめ、どう解決策を見出していくかという課題。



問われる経営哲学

 パンデミックの感染症にどう対応するか─。これは創薬経営者の経営理念、もっと言えば経営哲学そのものに関わる。

 喉元過ぎれば…で下手にいま投資をして、パンデミックが過ぎれば、投資の見返りも得られず、ひどい目に遭うと考えるか、社会の危機に何とか解決策を掘り起こしていこうとするかで企業の進路は違ってくる。

 医療・創薬の領域の経営ももちろん経済性・合理性がないと基本的には成り立たない。その経済性を確保しながらも、人の命・健康に関わる仕事であるだけに、医療・創薬特有の使命感が求められる。

 今までにない薬を創り出す『創薬』ということで言えば、創薬特有の〝制約〟というか〝重石〟も経営にのしかかる。

 例えば医薬品の製造工場建設である。A工場で製品を製造していたが、供給不足になったので、もう一つ、B工場を建てようとする。

 その際、医薬製造に関する法律によると、B工場で製造されるものがA工場と同じ品質であることが証明されない限り、市場に製品は出せない。

「同じプロセスで、この新しい工場でやってみようと、1回やってうまくいった程度では駄目なので、3ロット分はやってくださいということで、3回同じことを繰り返します」

 また、薬が外形上は同じに見えるが、長期間経過した時に、品質が変わらないかどうかは分からないということで、最低6か月位は経時変化を見て、安定性が同じかどうかを見るといったことが必要になる。

 これらのデータを全て取ったうえで、A工場とB工場の製品の質、効能は同じと見きわめられ、初めてB工場の操業が認められて出荷ができる。

「どんなに超特急でやっても、2年、場合によっては3年位どうしてもかかってしまう」と手代木氏は語り、原料の調達問題にしても、「まだ現場の混乱は収まっていませんし、わたくしども非常にじくじたる思いがあります」と胸の内を明かす。

 パンデミックの感染症のように、一定の期間に猛威を振るうような場合、収益を確保できるのかということで、二の足を踏む企業がある中、葛藤がないと言えばウソになる。その辺はどう考え、どう行動しているのか。

「会社の中では、そんな古い、薬価もほとんどゼロみたいな儲かりもしないものに対して投資をするのかという意見がないわけではないです。でも、やっぱり感染症対策で汗をかくことによって、お医者様とか患者様からわれわれの会社も応援いただけるのかなということなんです。大赤字だったら、株主様に怒られますけれども、ほとんど儲けがなくても赤字じゃないというのであれば、そこは(創薬企業としての)義務を果たすんでしょうということで、われわれはそこにかなり踏み込んで手を打たせていただいているつもりです」

 患者や医療機関と創薬企業との関係はどうあるべきか─。


『原料調達の中国依存』をどう解決していくか

「やっぱり最終的には患者様が一番症状を訴えられて大変なわけですし、患者様に向かっておられるお医者様一人ひとりが一番大変です。われわれは直接的に患者様に向かうこともできませんし、お医者様がやっていただいている事を助ける事しかできません。ですので、最終的に主人公は患者様であり、お医者様なんですが、そこにどれだけわれわれがお役に立てるのかということを、やれる範囲でやってみようと思っております」

 手代木氏は3者の連携を推し進めたいとする。

 今回のパンデミックでは、薬剤不足、また原料調達をどう進めるか─という課題も浮き彫りになった。

 例えば、咳止め薬の『メジコン』、鎮痛剤『カロナール』(アセトアミノフェン)といった製品への需要が一気に高まり、一時、供給不足に陥った。それには、原料調達がスムーズにいかなかったという背景がある。

『メジコン』は古い薬だが、今でも使われ、コロナ危機のピーク時には需要が一気に高まった。

 この『メジコン』なり『カロナール』の原料は、ほぼ輸入に頼っているのが現状。最初の出発原料はいくつかの化学物質からつくられているが、世界全体がこの出発原料を中国に依存しているという現実がある。

「中国で製造しておられる方々は、本当に一生懸命です。モノをつくっておられる方の思いというのは、われわれも中国のベンチャーさんたちとたくさんお話させていただいていますけれども、すごく一生懸命いいものをつくろうと頑張っておられます」

 手代木氏は中国の原料製造関係者の努力をこう評価しつつ、課題について次のように述べる。

「キャパシティ(製造能力)の問題もあるし、マクロで見ると、やはりカントリーリスクみたいなものがゼロとはさすがに言い切れないと。そういう中で、では日本国内でもう一度ゼロからつくり直すことはできるのだろうかということを、少なくとも考えなければいけないと」

 塩野義製薬と明治が共に手掛ける某抗生物質の出発原料のほとんどが中国製ということで、3年前の話題になった。

 出発原料の中国依存─。これは日本だけの問題ではなく、全世界の創薬企業に共通する課題。いわば、医薬品原料の安全保障問題である。

 何か問題が起きた時に、日本国内で抗生物質をつくることができなくなるということだ。

 現に3年前、ある中国の出発原料の工場で事故があり、出発原料が調達できなくなるという事態が発生した。この事故で、日本のジェネリック(後発薬)大手が、「一切、抗生物質をつくれない」と悲鳴を上げたのである。

 この抗生物質は、ガン手術などの後に、感染予防として患者に投与するものだったが、抗生物質不足で手術ができなくなり、日本中が大混乱になった。

 まさに医療安全保障に関わる〝事件〟である。


万一の時を考えて医薬品原料を国産化

 こうした〝いざという時〟への備えをどう構築していくか?

「そうした事を考えて、わたしどもと明治さんが一緒に、じゃあ今すぐインドでつくれるのかと、ヨーロッパやアメリカでつくれるのかと調べましたが、つくれないんです。発酵タンクがないんです」

 となると、原料も一定程度は日本でつくれる体制を普段から整えておかないといけない。

「ええ、日本で必要な抗生物質をまかなうほどの全量の原料を日本国内でつくる必要はないけれども、海外の工場の事故で原料が足りなくなりましたという時などにどう備えていくかですね。年間の必要量の3分の1位はやはり国内でつくれる能力が必要ではないかと思います」

 こうした手代木氏たちの提言で、国(政府)も動き出した。これも安全保障策の一環である。

 現在、塩野義製薬と明治は、費用の半分を政府から補助を受け、残りを自分たちの資金を出して、それぞれ抗生物質の原料をつくる工場を建設中。

「発酵から始め、本当に抗生物質をゼロから国内でつくるんだと。これはもう国からもご支援いただいてやり始めています」

 抗生物質以外の原料調達の現状はどうか?


医薬品の安全保障を!

 咳止め薬の原料、去痰剤の原料、鎮痛剤の原料なども、〝お寒い現状〟であることが分かった。これらの原料もほとんどが中国依存である。

「中間体レベルでは、インドから輸入というのもあります。でも、それもヒモ解いてみると、インドの中間体の出発原料は中国なんですね。なので、同じグループ(輪)に入っていて、全体としてサプライチェーンは相当脆弱なんです」

 こうやって見ると〝医薬品の安全保障〟はかなり脆弱なことが分かる。糖尿病の薬、高血圧の薬、さらには希少疾病の薬など、さまざまな薬で同じ問題を抱えているということ。

 手代木氏は、「少なくとも、わたしどもの会社の製品で、患者様の命に関わって、他に代替品がないというのは何だろうと。それを今、うちの会社で洗い始めています」と語る。

 こうした仕事は一度にはできない。全てを国内でつくれるかどうかの調査を進めて、「できれば、全部国内でつくれるという道筋だけはつけておこう」という手代木氏の思い。

 氏がこうしてまで〝医薬品の安全保障〟に動くのはなぜか?

「もちろん、国民の安心安全が第一と思うからです」と氏は大前提を語り、次のように続ける。

「大変失礼ですけれども、車の納品が半年遅れましたでは、どなたも亡くなりませんけど、医薬品の納品が半年遅れたら、場合によっては人が亡くなってしまう。それは半導体が無くなったことによって、皆さんは本当に困りますが、ものによっては半年1年待ってよと言ったら、半年1年は待てるかもしれない。医薬品は無理なんです」


将来を見据えたロードマップづくりを!

 これまで当たり前と思われてきた考え方や制度・システムにも課題や矛盾が生じ、「根本から見直す時」という声も強まってきた。

 薬価問題もその一つ。日本全体で、また産業界全体で原材料価格上昇を受けて、製品の価格修正、つまり値上げが進行中。この〝失われた30年〟のデフレの下、モノの価格は下がり続け、日本経済が〝ゼロ成長〟を続けてきた。

 今、ようやくそれに終止符が打たれ、原材料価格上昇に見合う製品値上げが浸透しつつある。働く人の賃上げもその流れの中で行われるようになった。旧来の生き方・やり方の見直しである。

 その流れから薬価だけが切り離されている。もっと言えば、「国民皆保険制度の下では、薬の値段は下がることがあっても、絶対に上がらないんです」(手代木氏)という歴史的な流れだ。

 国民皆保険制度が確立されたのは1961年(昭和36年)。高度成長期のトバ口で、全ての国民が医療機関を自由に選べ、〝安い医療費で高度な医療〟を受けられるといった目的を持って、制度はスタートした。

 こうした本来の主旨は生かすべきと支持されているが、社会保障費(年金、医療、介護などの費用)が年々膨れ上がり、医療費の拡大を抑制しなければという声も高まる昨今だ。

 特に保険料で、現役世代の負担が重くなっているのをどう解決するかという課題。

 人口減、少子化・高齢化の中で、国民の総医療費を上げられない現状で、医療現場の人件費増をカバーするため、〝薬価引き下げ〟で対応してきたという歴史的な経緯もある。

 現行の医療制度の中では、薬価は一度決まってしまうと、下がることはあっても、上げられることはまずない。保険の『負担と給付』の問題と併せ、こうした薬価設定のあるべき姿を巡る議論が必要な時だ。

 60余年前、国民皆保険制度がスタートした時とは違って、日本の国力は相対的に低下。1人当たりGDP(国内総生産)では世界31位にまで下落し、このまま社会保障費をずっと延ばせるかというと、それはかなり困難。

 どう課題解決していくか?

「やはり今、ベネフィット(恩恵)を受けている人たちが、それを変えてほしくないというレベルで判断すると、若い方々の未来を全部摘んでしまう。そうなると、どういう負担でどういう給付をするのかということを考え直さないといけない。これは国民全体で考える最重要な政治議論の1つだと思うんです」

 その意味で、手代木氏は、日本の中長期の姿を示す、政府のロードマップ作りが必要と語る。

「ロードマップがあると安心するというのは、皆さんの人生における計画がありますからね。5年後、あるいは10年後にこんなことが来るよねと示されれば、それに対して準備をしていく。ゴールとしては、やはりこの国をわたしたちの子どもや孫に胸を張れるいい国にしたいと」

 コロナ危機は多くの教訓をわたしたちに与えてくれた。企業経営者として、将来を見据え、「覚悟と責任を持って取り組む時」という手代木氏である。

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