経営者としての素地、ゼロからの起業、好調な事業の売却と転機は3回ありました。
【ずいひつ】SmartHR・芹澤雅人社長が語る「誰もがその人らしく働ける社会の実現を目指して」
1回目は学生時代。高校生のときに母が脳梗塞で倒れ、半身不随となり、翌年には父のガンが発覚し、数年後に他界してしまったのです。大学進学は叶わず、短大に入ることになりました。「神様はいない」。当時はそう思ったものです。
しかし、短大生活を送る中で、ふと感じたことがあります。それは「五体満足でいるだけで素晴らしいことなんだ」ということ。そう考えると、苦しいときでもチャンスがあると捉えられるようになりました。
2回目は2007年、24歳での起業です。母を養うために地元の山口県に戻り、人材派遣会社に入社しました。それなりの成績を収めたのですが、自営業をしていた父への憧れもあり、人材派遣業での起業を決断。
ところが翌年にリーマン・ショックが発生。「派遣切り」が話題となりましたが、当社の業績も売上高が6割減とダメージを受けました。このときの反省を生かし、派遣社員から正社員の採用にシフトチェンジ。さらに求人広告と求人サイトを手掛けました。中でも優秀な人材が集まってくれたこともあり、求人広告が好調に推移しました。
ただ、経営者として未熟だった私には2つの事業をうまくマネジメントすることはできませんでした。そこで好調だった求人広告の事業を売却することを決断したのです。これが3回目です。祖業は派遣業ですし、私を育ててくれた地元・山口への恩返しという思いもありました。
求人サイトといっても、大手のサイトでは中小企業の掲載率が低く、大手企業に埋もれてしまっています。しかし、地方の中小企業にも魅力的な企業はたくさんある。地元に残って働きたい人もたくさんいます。そういった課題を解決しようと始めたのが地域密着型求人サイト「じょぶるJAPAN」です。
掲載する写真の枚数など情報量に制限がある中、じょぶるJAPANは無制限。求職者の知りたい情報を確実に届けることができます。お陰で昨年10月には美祢市と地域雇用促進の包括連携協定を締結しました。
人材サービスで地域の発展にも貢献する─。人も地域も成長するチャンスをつくっていきたいと思っています。
【ずいひつ】SmartHR・芹澤雅人社長が語る「誰もがその人らしく働ける社会の実現を目指して」
1回目は学生時代。高校生のときに母が脳梗塞で倒れ、半身不随となり、翌年には父のガンが発覚し、数年後に他界してしまったのです。大学進学は叶わず、短大に入ることになりました。「神様はいない」。当時はそう思ったものです。
しかし、短大生活を送る中で、ふと感じたことがあります。それは「五体満足でいるだけで素晴らしいことなんだ」ということ。そう考えると、苦しいときでもチャンスがあると捉えられるようになりました。
2回目は2007年、24歳での起業です。母を養うために地元の山口県に戻り、人材派遣会社に入社しました。それなりの成績を収めたのですが、自営業をしていた父への憧れもあり、人材派遣業での起業を決断。
ところが翌年にリーマン・ショックが発生。「派遣切り」が話題となりましたが、当社の業績も売上高が6割減とダメージを受けました。このときの反省を生かし、派遣社員から正社員の採用にシフトチェンジ。さらに求人広告と求人サイトを手掛けました。中でも優秀な人材が集まってくれたこともあり、求人広告が好調に推移しました。
ただ、経営者として未熟だった私には2つの事業をうまくマネジメントすることはできませんでした。そこで好調だった求人広告の事業を売却することを決断したのです。これが3回目です。祖業は派遣業ですし、私を育ててくれた地元・山口への恩返しという思いもありました。
求人サイトといっても、大手のサイトでは中小企業の掲載率が低く、大手企業に埋もれてしまっています。しかし、地方の中小企業にも魅力的な企業はたくさんある。地元に残って働きたい人もたくさんいます。そういった課題を解決しようと始めたのが地域密着型求人サイト「じょぶるJAPAN」です。
掲載する写真の枚数など情報量に制限がある中、じょぶるJAPANは無制限。求職者の知りたい情報を確実に届けることができます。お陰で昨年10月には美祢市と地域雇用促進の包括連携協定を締結しました。
人材サービスで地域の発展にも貢献する─。人も地域も成長するチャンスをつくっていきたいと思っています。