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東急新社長・堀江正博の「イノベーション、新産業が生まれる街づくりを!」

財界オンライン 2024年3月13日 7時0分

「今は局面が大きく変わるところで、リスクがはらむ面もあると思いますが、同時に逆張りという点では、仕込みのチャンスが訪れるかもしれない」─。今は、攻めのタイミングでもあるという認識を示すのは東急社長・堀江正博氏。地政学リスクがあり、外部環境に不透明感も漂う中、国内は脱デフレの仕上げの時を迎え、賃上げ・所得向上の気運も高まる。金融政策でも、マイナス金利解除が近づき、”金利の付く時代”へと正常化のステージを迎えている。こうした時代の転換期には、プラス・マイナスの現象が混在するが、「新たな投資や新事業創出のチャンスも生まれる」という堀江氏の考え。コロナ禍を体験し、生き方・働き方改革も進む。その中にあって、オフィスの役割とは何か。またリモートワークとのハイブリッドの中で生まれる新しいサービスとは何か。仕事のクオリティ(質)を高めるためにも、「クリエイティビティ(創造力)が大事」と強調する堀江氏だ。


今、外部環境が不透明な中で思うこと

 堀江正博氏(1961=昭和36年12月生まれ)が東急社長に就任したのは2023年(令和5年)6月のことで、半年余が経つ。

 コロナ禍は昨年5月、季節性インフルエンザ並みの〝第5類〟の感染症に指定されて一段落。このコロナ禍約4年間をどう総括するか。

「非常に経営のカジ取りが難しかった時期だと思いますし、前任の髙橋社長(和夫氏、現副会長)は相当ご苦労されたんだろうなと。わたしも当然経営陣の一員として横におりましたので、そういう気がしましたね」

 堀江氏はこう語りながら、「やるべきことはやってきたつもり」と次のように述べる。

「(コロナ禍の間)ちょうどその時期は、わたしはリテール(流通・小売り)の担当から不動産の運用担当者となり、途中からホテル分野も管掌することになりました。コロナ禍でしたけども、その中でやるべきことは、やってきたつもりであります。ですから、そうした体験を活かしていきたいと」

 コロナ禍は〝100年に1度〟の感染症・パンデミックとされ、『三密』(密閉・密接・密室)を避けるため、街中から人波がバッタリと途絶えてしまった。

 人々は外出を控え、鉄道は収入が減り、ホテルなどの宿泊関連業は深刻な打撃を受けた。

 今はそれが一転して、旅行や購買活動も活発となり、生活サービス関連にもようやく明るさが出てきた。

「これからはやはり攻めに転じる。転じるというか、もう転じておりますけれども、そういうタイミングだなと」と堀江氏。

 2024年(令和6年)はまさに時代の転換期。目を世界に転じれば、ウクライナ戦争、パレスチナ戦争は当分続き、米軍とイスラム軍事組織『フーシ』との対立など、中東をめぐる紛争の拡大が懸念されている。「外部環境は非常に不透明ですね」と堀江氏も気を引き締める。

 今年11月に行われる米大統領選で誰が選ばれるかでも、世界の政治、経済も左右されそうだ。

 そして日本国内は、〝失われた30年〟から完全脱却すべく、政策も総仕上げの時期を迎えている。

 その政策の1つが〝マイナス金利からの脱却〟。2016年に当時の安倍晋三政権時代に、日本銀行は金融緩和の効果をさらに引き出そうと、マイナス金利政策を導入。植田和男日銀総裁は、その政策から脱却し、金利の付く時代への転換を図ろうとしている。

 堀江氏は、不動産関連のリート(REIT、不動産投資信託)事業も担当してきた。いま、日本の金利上昇観測から、海外勢が日本への不動産投資から引き気味になり、リート市場も多少弱含み。今後、どう推移するのか。

 ただ、金利が付くのは金融の正常化であり、中長期には国債などの債券運用も収益をあげるチャンスとなる。

 転換期には、プラスとマイナスの現象が生まれるものであり、要はその混沌とした状況をいかにくぐり抜けるかである。

「はい、各事業の利益目線も、これまでは金利がほとんどない世界でしたので、その絶対額だけ見ていればよかったのですけれども、利回りといいますかね。ROA(総資産利益率)といいますか、そうした指標などを見て、きちんと金利も払っていかなければいけない」

 堀江氏は、金利をしっかり意識する経営にしなければいけないという認識を示す。


「転換期の今は仕込みのチャンスの時」

 日本経済は、前年比で約3%の物価上昇という現状。日本は1990年後半からのデフレに長い間悩まされ、GDP(国内総生産)は昨年、世界3位の座からドイツに抜かれて、4位に転落。1人当たりGDPも先進7カ国の間では最下位であり、世界31位というポジション。

 モノの価格が下落し続けるデフレから脱却し、経済が成長する物価上昇、つまり適度なインフレ状態になるかどうかの分岐点に日本は今ある。

 賃金引き上げも、このような転換期に行われようとしている。こうした状況下、経営のカジ取りをどう進めるか?

「当然インフレになれば、価格戦略が大事になってきます。日本の会社が一番弱いといわれているところですが、ここもやはりしっかり取り組んでいくと」

 原材料費の上昇分をどう製品価格に反映させていくかという経営課題。コロナ禍の間、欧米企業は原材料コストの上昇分を製品価格に転嫁してきたが、日本企業はそれができている所と、そうでない所とに分かれる。

 価格を転嫁できた所は業績向上につながり、従業員の賃上げ原資も産み出せるが、そうでない所は賃上げもままならない状況。この二極化をどう克服するかも、わが国産業界の課題。

 堀江氏は、「しっかりこの問題にも取り組んでいく」としながら、次のように強調する。

「ただ、(原材料価格が上がったからと言って)単純に値上げしたのでは、お客様はついてきません。やはり、われわれが提供するサービスのクオリティを上げていくと。そういうことを取引先とも一緒になってやっていかないといけない」

 まさに、今は時代の転換期。そういう時期の経営のカジ取りについて、堀江氏は「そこはリスクをはらんでいる所もあります。しかし、逆張りという観点では、仕込みのチャンスも訪れると」という認識を示す。


〝つなぐ〟という発想で顧客の利便性を高める

 東急は鉄道事業を起点に、住宅開発・田園都市開発で成長・発展してきた会社。現在の事業構成比は交通(鉄道を含む)が全体の19%、不動産が22%、生活サービスが52%、ホテル・リゾート7%という内わけ。

 売上げ構成で見ると、生活サービス分野が過半を占める。

「百貨店やストアがありますので、生活サービスの構成比率は大きいのですけれども、むしろ僕は利益ベースで見ています。そうすると、生活サービスの割合はぐっと下がります。しかし、鉄道、バス、それから不動産の各事業があって、それにホテル・リゾートがつながる。それらがあることで、沿線のお客様に魅力的なサービスを提供できるということになりますので、われわれにとって、この生活分野というのはやはり、不可欠な分野だと思います」

 交通、不動産と生活サービスは互いに切っても切れない関連性の強い事業と堀江氏は語る。

 東急の祖業は『目黒蒲田電鉄』。東京の城南西部の目黒(目黒区)と蒲田(大田区)をつなぐ目黒―蒲田間の電鉄会社である。

 創立は1922年(大正11年)で、2022年に創立100周年を迎えた。創業者・五島慶太(1882―1959)は鉄道省(現国土交通省)の官僚出身で、民間の電鉄経営に身を投じた。

 戦前、首都・東京が膨れ上がっていく中、五島は鉄道事業、宅地造成に乗り出している。

 沿線の田園調布、洗足といった宅地開発、さらに沿線に学園(大学)を誘致し、若い世代も集う街、文化性の高い街づくりを目指してきた。

 現在、東急目黒線と大井町線が交差する大岡山(目黒区)に東急は戦前、蔵前高等工業(通称)に土地を提供、同校を誘致。同校はその後、東京工業大学として発展。その東京工大は今年、同じ国立の東京医科歯科大学統合し、東京科学大学として新しいスタートを切る。

 慶應義塾大学の日吉キャンパス(横浜市港北区)も同様に土地を提供して誘致。また東京都立大、東京学芸大など沿線に立地する大学や小・中・高の学園も多い。

 こうして東急沿線内の開発が進んだ。言ってみれば、東急コミュニティの構築。それが最近は鉄道に見られるように他社路線とつなぐことでの経済圏拡大である。

〝つなぐ〟という発想─。

「東急線を(国営の)山手線とつなぐという構想が創業者の五島慶太翁にはありました」と語るのは東急会長・野本弘文氏。

 祖業の鉄道とは何か? という本質的な問いかけをした時に、「東急の場合はやはりお客様を目的地まで、より早く、より便利につなげることが最大の利便性だと」(野本氏)ということ。


〝つなぐ〟ことで新しいサービスを開発

「五島翁以来のつなぐという思想が今の東急の基礎作りにつながっている」(同)という考え方。

 最近では、東横線が神奈川県南西部を地盤とする相鉄線とつながり、新幹線・新横浜駅ともつながった(2023年)。それ以前に、東横線は東京メトロ副都心線とつながっているので、埼玉県や栃木県など北関東圏に行く利便性も高まっている。

 こうしてJRや他の私鉄との連携、つまり、他社のルートとつなぐことで、同.社の営業距離数もぐんと伸びた。もともと東急だけの営業距離数は、104.9キロと他の大手私鉄と比べて短い。

 同じ関東地盤の東武鉄道(463.3キロ)、西武ホールディングス(176.6キロ)、京成電鉄(152.3キロ)、小田急電鉄(120.5キロ)などと比べても東急のそれが短いのが分かる。

 他社との連携の中で顧客の利便性向上のために社会インフラ基盤を拡充するという戦略。

 そのような戦略も踏まえて、堀江氏は生活サービスの充実に注力し、「新しいサービスを開発していきたい」と抱負を語る。

「東急沿線が日本の中で最も優れた生活サービスを提供していると思ったら大間違いで、それは他社さんの、小田急さんでもいいし、京王さんや西武さん、あるいは都心で森ビルさんなどが提供されているようなもので、『あれ、これってうちにはないよね』というものは積極的に拾い上げていきたい」

 堀江氏は、そうした新サービスの展開について、「それは僕らが手がけるのか、あるいはその分野で上手な方がいらっしゃって、そういった方々に来てもらう。これはやりようがあります。全て1から10までわれわれでやるというのは、そもそもできないことですしね」と語る。


街に厚みを!

 街に厚みを─。「われわれは沿線の付加価値というか、生活のしやすさ、あるいは楽しさを提供していくと」と堀江氏。

 東急グループは生き方・働き方改革の中で、『楽しさ』、『豊かさ』、『美しさ』の3つをキーワードに掲げて沿線の都市・郊外開発を進めてきた。

 それは、時代の変化に対応して、鉄道・バスなどの交通インフラ事業の着手に始まり、百貨店・ストアなどの流通インフラ、そして2000年前後からのケーブルテレビなどのメディア、さらにインターネット時代に対応しての情報通信インフラの整備へと、新事業の開拓の連続だ。

 堀江氏は、2023年(令和5年)6月に就任して、この生活の『楽しさ』、『豊かさ』、『美しさ』をキーワードに、住みやすい街づくりを進める上で、「日本一、あるいは世界一を目指そう」とグループ内に呼びかける。

 住みやすい街づくりを進める上で、「沿線のお客様にとって、選択肢の幅が広いほうがいい」という考えを堀江氏は示す。

「新しいサービスもそうなんですけれども、トラディショナル(伝統的)のサービスでも、共存共栄です。例えば、スーパーなんですが、われわれは東急ストアということで、真ん中より上のところを提供させてもらっていますけれども、やはりお客様にとっては選択肢の幅が広いほうがいいわけですよね。例えばマルエツさんがやられる、イオンさんやイトーヨーカ堂さんがいらっしゃる。あるいは最近はやりのオーケーさんもおられると。沿線のお客様も毎日毎日、東急ストアでは飽きてしまいますからね。しかし、東急ストアはしっかりして、やはり野菜、魚やお肉は新鮮だよねとかね」

 ともあれ、選択肢の幅の広さは生活の豊かさにつながるという堀江氏の思いである。

 それは、東急ストアにしろ、沿線開発を進めていく上で、真っ先に人が住んでいない所に出店してきたという自負があるということ。

「人が住まないと、スーパーは成り立たないし、スーパーがないと人は住んでくれないという、ニワトリが先か卵が先かの議論になる中で、やはり東急ストアが真っ先に開拓をやらざるを得なかったわけです。でも、人口が張り付いてくれば、東急ストアに加えて、他の流通企業も出店してもらえますからね」という堀江氏である。


クリエイティビティがいついかなる時でも大事

 変化の激しい混沌状況の中を生き抜くには、「やはりクリエイティビティ(創造力)がその事業にあるかどうかだと思います」と堀江氏は語る。

 不動産部門のオフィス事業は、コロナ禍発生直後、『三密(密閉、密接、密室)を防げ』とか、『とにかく人との接触を避けて』といったことで、リモートワークが取り入れられ、オフィス需要が低落。オフィス契約の解約が出て、渋谷などの空室率が上昇したのは事実。

 しかし、コロナ禍が季節性インフルエンザ並みの第5類に指定された昨年5月以降は、オフィス需要は急回復した。

 渋谷に本拠を構えるインターネットグループのGMOインターネットグループ代表取締役、熊谷正寿氏は「原則出社」の方針を率先して打ち出した。

「ZOOM越しでも会議や対話はできますが、やはりリアルに対面したほうが、相手の表情や気持ちも汲み取れて、真剣なものになります」と熊谷氏は語る。

「はい、クリエイティビティが求められる産業というのは、リアルのミーティングをして、ディスカッションをして新しい発見があるのだと思います。たまに異業種の人とも交流したりしてね。そういう事が大事だと思います」と堀江氏。

 堀江氏が続ける。

「ある大学の先生がおっしゃっていましたけれども、リモートでやれる仕事はいずれロボットだとか、そういったものに置き換わっていくと。これは働き方の選択肢の問題だと思いますが、ディスカッションする日は会社に出る。ちょっとレポートをまとめる時とか、プレゼン資料をまとめないといけない時などは集中してやると。その時は、逆にオフィスにいないほうがいいかもしれない。上司に呼ばれたりしますからね(笑)」


多様な働き方に伴う新事業の創出

 今は多様な生き方・働き方を追求する時代と言っていい。コロナ禍でも、その事を実証したのが、東急グループが提供した『NewWork(ニューワーク)』という事業。これはシェアオフィス事業で、「社内公募による社員の提案で始めたもので、今ようやく黒字化してきました」と言う。

 ニューワークは法人を対象にした会員制で、全国に約130店舗の直営店を構える。対象にしている顧客は、「言い方は自慢気になりますけれど、レベルが非常に高くて、モラルもあってという人たちです」と堀江氏。

 提携店も含めると、全国に約500店舗が広がっている。面白いことに、コロナ前は都心の店舗に人気が集まっていた。

 例えば、営業職の人が、先方と会うアポイント時間までの間で利用する。

「皆さん、営業で回られる時に、時間調整はこれまでカフェでやっておられた。それがニューワークだと、本社との連絡、対話や会議もできるわけです」

 地方からの出張客もよく利用していたという。それがコロナ禍になると、そうした時間調整のニーズが減り、都心店舗の利用客は減った。コロナ禍に入り増えたのが郊外店舗であった。

「最初は皆さん、リモートワークで家で仕事をしておられたのですが、Teams(チームス)とかで対話していて、子どもの鳴き声が聞こえるとか、愛犬がワンワン吠えて聞きづらいということでね。郊外のニューワーク店の利用が増えたんです」

 郊外店の収益は、渋谷などの沿線のオフィスなどと比べると、利益貢献度は大きくはないが、「これもやはりお客様に選択肢を提供できるということで注力していきたい」という。

 ともあれ、いろいろな事にチャレンジしながら、「イノベーションにつながり、新しい事業が生まれる街づくりを目指したい」と堀江氏は語る。


人の可能性を掘り起こす

 堀江氏は1961年(昭和36年)12月生まれの62歳。福岡県出身。1984年(昭和59年)慶應義塾大法学部を経て、東京急行電鉄(現東急)に入社。

 当時、東急グループの総帥、五島昇氏が成長戦略の中で、『向こう傷は男の勲章』という言葉で社員の士気を鼓舞していた。それを見て、「自分もいろいろな仕事に挑戦したい」というのが東急入社の動機。

「あまり向こう傷が多くても、実は困りますけどね」と笑いながら、堀江氏が語る。

「ひとつは、街づくりをやりたかったし、しかも東急は鉄道、バスという足を持ったデベロッパーと当時は言われていましたからね。そういう道を拓く仕事をやりたかったし、東急は何よりコングロマリットを形成するグループであって、クリエィティブな街づくり、街の運営に関するソリューションをつくるところに魅力を感じました」

 今は、生成AI(人工知能)など、最先端科学の導入で、生き方・働き方改革が求められる時代の転換期。

「新しいテクノロジーは仕事の効率化に資するものだと思います。でも、最終的には、判断というのは人がやらなければいけないと思うんです」と人中心の経営を志向する堀江氏。

 イノベーションにつながり、新しい産業を生む街づくりに向けて、「人」の可能性掘り起こしの時である。

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