「僕らは街をつくるだけではなくて、その後の街を育むことを一生懸命やるし、そのノウハウもあります」─。森ビル社長・辻慎吾氏は、街をつくることと育てることはどちらも重要と語る。2023年11月には、約300人の地権者と共に35年かけて開発してきた麻布台ヒルズがオープン。この3月には商業施設などが入る『ガーデンプラザ』も開店し、完全オープンとなる。開発区域面積約8.1ヘクタールで、わが国最大。年間入場者数は約3000万人が見込まれ、早くも東京の新名所になった感。同社はこれまでアークヒルズ、六本木ヒルズ、虎ノ門ヒルズと”街づくり”を手がけてきたが、「街を育てていくこともわれわれの大事な仕事」と辻氏は強調。例えば、開設から20年余が経つ六本木ヒルズを引き合いに、「20年の中で、22年のクリスマスイヴが過去最高の人出なんです。街の鮮度は落ちてきても、人の絆というものが上がっていきます」と辻氏。街と街をつなぎ、人同士の絆を強める中で、東京の都市間競争力を高めていきたいという。日本再生につながる街の育み方とは─。
東京の磁力を生み出す街づくりを!
「これだけ大きな街づくりですからね。東京の磁力を生み出す1つになってほしいし、都市間競争に勝つための1つの大きな力になってほしいという思いもあります。こうした街が誕生するというのは、自分たちがやってきたことを世の中に出すことができるという意味で、ものすごく嬉しいことです」と森ビル社長・辻慎吾氏。
東京・港区の『麻布台ヒルズ』が昨年11月オープンして3か月。高さ330メートルの『森JPタワー』は文字通り天高く聳え立ち、麻布台一帯での存在感が際立つ。
同ヒルズには、内外の企業が入居するオフィス棟や住宅棟、商業施設がある。また、慶應義塾大学が予防医学のための拠点を構え、予防医療センターを開設しているのも話題だ。
森ビルの街づくりは、他の大手ディベロッパーの街づくりがオフィス棟の建築、もしくはオフィス棟と商業施設の建築が主なのに対して、必ず住まいの要素を取り入れているのが特徴。
つまり、『職・住・遊』のコンセプトで街づくりを進めてきたということだが、最近はそれに〝学ぶ〟、〝健康〟、〝憩う〟などの要素が加わる。
麻布台には、都心初のインターナショナル・スクールや、先述の最先端医学による予防医療センターが開設され、緑いっぱいの中央広場(約6000平方メートル)が人々の憩いの場になっており、『グリーン&ウェルネス』を合言葉に、都市機能の進化を図っている。
これまで首都圏では、街づくりが、働く場所と住む場所を分ける形で進められてきた。
東京の中心部(千代田区、中央区、港区、渋谷区、新宿区など)にオフィスをつくり、住むのは郊外で、そこから電車やバスで通勤するという生き方・働き方が続いてきた。
その中で、森ビルは早くから、『職・住・遊』を包摂したコンセプトで、住むのも働くのも同じ地域内でという開発プロジェクトを手がけてきた。
また、住むための快適さ、人らしい生活を送るにはと、『都市に緑を』という考えを取り入れ、緑地を造成するのも特徴。
今回の開発区域面積は約8.1ヘクタール。ここに先述の森JPタワー(かつてこの場所に旧郵政省の本庁舎ビルがあり、この名称となった)、レジデンス(住宅)棟が2つ、そしてガーデンプラザ(A、B、C、D棟)という構成。
ガーデンプラザには住宅、商業施設、その他にギャラリーなどが入居する。森JPタワーの地下部と連結して各種マーケットが運営され、まさに職・住・遊がつながっている。
また、インターナショナル・スクールの『ブリティッシュ・スクール・イン東京』(英国式教育カリキュラム、児童・生徒数約700人)も開設された。この種の学校はこれまで都心部になかったため、東京の国際競争力向上の一環としても注目される。
この麻布台ヒルズ開設の手応えはどうか?
「ものすごく、手応えを感じています。開設の記者説明会の当日は、プレス関係者が約350人も来てくれました。海外のメディアを含めてね、普通は高さ330メートルのタワー建設といった話になりがちなんですが、そうではなくて、わたしたちが進める〝グリーン&ウェルネス〟といった緑の話がメインでしたね」と辻氏は都心での緑地開発が話題になったことを喜ぶ。
四季を感ずる街を!
四季を感ずる街づくり─。同社は約8.1ヘクタールの開発区域に2.4ヘクタールの緑地を用意。中央広場(約6000平方メートル)では池や、草木が人々の目を楽しませる。
樹木の種類は約180種類。地被植物(地表面を覆い、地肌を隠すために植栽する植物)を含めると、約310種類に及ぶ。
「麻布台では果樹園をつくったり、いろいろな緑を入れています。桜もいろいろな種類を入れており、2月から5月位まで咲く。河津桜が一番最初に咲いてね。いろいろな種類の桜があって、広葉樹もいっぱいある。木は育ちますから、今は持ってきたばかりだけど、2年、3年とどんどん大きくなっていきます」
緑を取り入れた街づくりだ。
各ヒルズがつながる!
同社が、港区を中心に大規模都市再開発に取り組んだのは、アークヒルズが最初(竣工は1986年=昭和61年、開発区域面積は5.6ヘクタール)。そして、2003年(平成5年)にオープンの六本木ヒルズ(開発区域面積は約11ヘクタール)、2014年(平成6年)オープンの虎ノ門ヒルズ(同7.5ヘクタール)、今回の麻布台ヒルズ(同8.1ヘクタール)と続いてきた。
今は『六本木五丁目開発プロジェクト』(同約8ヘクタール)に取り組んでいるが、これらのヒルズが今、つながろうとしている。
辻氏は、各ヒルズはそれぞれ独自の開発コンセプトを持ちながらも、各ヒルズがつながることで全体的に調和が取れると次のように語る。
「虎ノ門はグローバルビジネスセンターのつくり方をしています。六本木は文化都心になります。麻布台は住むのを含めて、グリーン&ウェルネスと。だから、それぞれのコンセプトは違います。ただ、各ヒルズがつながり合わさると、全体的なコンセプトを持つことになる。例えば、文化施設を取ってみても、アークヒルズにはサントリーホールがあり、クラシック音楽の世界を代表するものがある。六本木ヒルズには森美術館があり、現代アートでは今や世界有数の存在になっています」。
虎ノ門ヒルズでは、『森タワー』が2014年に竣工したが、住宅棟2棟も手がけ、そして『ステーションタワー』が昨年秋にオープンしている。併せて、すぐ下を通る地下鉄の東京メトロ(日比谷線)は〝虎ノ門ヒルズ駅〟を新設。交通の便がさらに良くなった。
同社が初めて大規模都市再開発に取り組んだアークヒルズの開設から38年が経つ。一連のヒルズ建設での緑(緑地)づくりは12ヘクタールの累積となる。
「都心のこの狭いエリアに12ヘクタールって大きな公園です。それを創り出すというのは、なかなか難しいんだけれども、緑を一生懸命つくって来たら、足してみると12ヘクタールになっていました」
辻氏が続ける。
「何といっても環境にいいということですね。真夏の気温を、六本木交差点と六本木ヒルズで比べても、5度から10度も違う。コンクリートと建物だけの交差点と、緑があるヒルズではそれほど温度差が出てくるんです」
都市管理上も、緑の広場は大事ということである。
「軸をぶらさずに」
辻氏は1960年(昭和35年)9月生まれの63歳。85年(昭和60年)、横浜国立大学大学院工学研究科修了後、森ビルに入社。アークヒルズが完成する1年前のことである。
2011年(平成23年)6月、同社2代目社長・森稔氏の後を受け、50歳の若さで社長に就任。東日本大震災が起きて3か月後のことであった。
入社して36年。この間、バブル崩壊、リーマン・ショック(世界規模での金融危機)、東日本大震災と数々の危機に見舞われる中、多くの街づくりを体験してきた。
トップとして最初の試練は、辻氏が社長に就任して9か月後、前社長の森稔氏が2012年3月に逝去した時。
東日本大震災が起きた1年後で、日本経済全体が〝失われた20年〟のデフレ下で沈滞していた。「経営環境としては結構厳しかった」と辻氏も振り返る。
その頃、同社は森稔氏が心血を注いだ六本木ヒルズ竣工(2003)から8年余を経て、次の虎ノ門ヒルズ建設に取りかかっている最中。森稔氏のヒルズ建設にかける思いを熟知していた辻氏だけに、目標完遂に向けて、自らの肩にかかる責任の重さを感じる日々であった。
経営努力を重ね、厳しい環境を乗り切り、虎ノ門ヒルズ森タワーを完成させたのは2014年。そして虎ノ門ヒルズステーションタワーができたのが2023年10月。住居棟も含めた同地区の開発はつい最近までかかかったということ。
コロナ禍を経て、2024年3月期の業績は、営業収益(売上高)3530億円(前年同期比23%増)、営業利益755億円(同19%増)と、大幅な増収増益の見通し。
この数年間、大型投資が続き、有利子負債は1兆4275億円(21年3月期)から1兆6314億円(23年9月中間期)と増えたが、自己資本も5597億円から6903億円と増加。自己資本比率も24.5%から26.1%と安定的に推移。財務に配慮しながらの投資。
都市開発は実に息の長い仕事─。麻布台ヒルズに至っては約300人の地権者と協議、対話を重ねて、2023年11月、約35年の歳月をかけて完成させている。
同社が手がけてきた都市再開発はいずれも長い歳月を要した。アーク、六本木の両ヒルズは共に約17年の開発期間となった。麻布台に至っては地権者の多さから約35年もの歳月がかかったが、同社の経営理念の1つとして、「決して諦めないこと」を辻氏は挙げる。
土地開発は利害が錯綜するだけに、対話、協議に時間がかかる。粘り強く話し合いを進めていくには、それこそ誠実な対応が重要になる。
森ビルの実質創業者でもあった森稔氏は生前、「いろいろありましたが、森稔はウソを言わなかったと完成後に言われたのが嬉しかった」と筆者に語っていた。要は、中長期にブレずに仕事に取り組む姿勢である。
誠実に対話を重ね、物事を成就していく姿勢は、今日の辻氏の経営に受け継がれている。
「軸をぶらさずに仕事をしていくことが大事」─。20年、30年の中長期で仕事をしていると、いろいろな事が起きるし、変化にも遭遇する。「環境が変わっている時こそ、変わらないものは何だと考えるようにしています」という辻氏である。
人手不足などの課題をどう解決していくか
2020年初め、コロナ禍が起き、パンデミック(世界的大流行)となり、わたしたちの生き方・働き方も変化した。
こうした時代の変化に対応して、辻氏はどう経営のカジ取りを進めようとしているのか?
「虎ノ門のステーションタワーって、6、7年で出来ているんですよ。あれだけの大規模再開発としては、多分一番早い例だと思います。もともとビル街で、麻布台のように土地の高低差があって、住宅が広がっている所とは違うんです。でも、それにしても、やはり早く開発がやれるようになってきている。われわれにも積み重ねてきたノウハウがあるし、国家戦略特区の指定もあったり、国の制度的な後押しもあります。そういった意味で、スピードアップが図れるようになりました」
資材費高騰、人手不足下での建設である。
「経営的にも、財務的にも、あと建築費(の上昇)とか経済全体の動きなどを見て、早くやったほうがいいという判断があって、すごく急いでやりました。だから、(虎ノ門ヒルズステーションタワーと麻布台ヒルズの竣工が)一緒に、同時期になりました。でも一緒になっても、片方をズラさなかったんですよ」
人手不足にどう対応するか?
「ええ、ホテルにしてもレストランにしても、働く人たち、スタッフがいないんですね。そもそも母数が減っていることもあるんですけど、それをどう確保していくかは世界共通の課題ですね。取り合いになるし、海外の人材も含めて、どうやって入れていくのかと。ロボットや新しいテクノロジーを取り入れていかないと多分厳しいと」
昨今、建築費の高騰に加え、働き方改革で休みも取らなくてはいけなくなり、工期が延びるなどの課題が出てきている。
最近は、賃金上昇で個人所得が増え、製品価格が上がって企業収益が好転し、それが賃金引上げにつながって更なる消費拡大へ─という好循環経済が世の中全般に期待されている。
「はい、モノの値段が上がるというのは悪いことではないんだけれども、(限界を)超えて上がってくると、これはいろいろなものに支障が出るということもあります」と辻氏。
賃金と物価の上昇で、緊張感が要求されるということである。
〝失われた30年〟の中で
20年、30年の中長期視点で開発を重ねてきた、〝失われた30年〟をどう総括するか。
「(デフレ下で)モノの値段がずっと上がらない時が続きましたからね。家賃もずっと横ばいだし、2003年の六本木ヒルズをオープンした時の日経平均株価は7000円台ですよ。8000円を一瞬切っている。オープンの2日前の出来事で、それが一番の安値だった。今の株価は、この20年間で4倍以上になっているわけです。(20年前は)ものすごい円高で、海外からやって来るお客様からすると、ホテルなどは毎月値上げしているようなものでしたからね。あの時のものすごい円高はすごく厳しい環境でしたね」
円高・株安時でのヒルズ建設である。
「その前に、リーマン・ショックがありましたから、本当に厳しかった。テナントさんも皆コスト削減に一斉に走りましたからね。だから安い家賃の所に引っ越すところが多かった。そういう意味ではなかなか厳しい時でしたが、アベノミクスで経済が変わりました」
日本銀行の超金融緩和政策も加わって、一時期、1ドル70円台まで円高が進んだ為替も、1ドル110円~120円と円安方向に転換。
アベノミクス否定論も世の中にはあるが、「それで経済が上向きになってきたという側面はあると思いますね」と辻氏。
金融緩和、財政出動で民間経済の投資などを引き出すインフラ(基盤)を整えるというアベノミクス。今、問われるのは民間の役割であり、出番である。
大事なのは街を育むこと
「街が誕生する瞬間というのは、本当に嬉しいですね。誕生までには長い時間がかかっているし、何百人という地権者の人と一緒にやるわけですからね。その人たちに対しても責任があるし、これだけの大きな街づくりというのは、まさに東京の磁力を生み出します。磁力を生む力の1つになってほしいと、世界の都市間競争に勝つための大きな力になってほしいという思いがありますから」
辻氏は、「自分たちがやってきた事を世の中に出すことができるのは、ものすごく嬉しい。街づくりをしている人間にとっては、たまらない瞬間です」という気持ちを述べながら、「そこからさらに街を育てていくという行為が始まります」と語る。
街を育む─。「六本木ヒルズは昨年で丸20年経ちました。20年の歩みの中で、22年のクリスマスイヴは1日の来街者が過去最高となりました。これはなかなか難しいことなんです」
六本木ヒルズ内に出店する商業施設、ホテル、レストランなど、ヒルズを訪れた人の数が、オープンから20年経った22年のクリスマスイヴに日が史上最高を記録したのである。
六本木ヒルズは進化し続けていると辻氏が続ける。
「売上はまだ伸びていく可能性があるんです。なぜかというと、お客様をちゃんと掴んでいけば、可能性はあります。でも、来場者というのは、六本木ヒルズができた年のクリスマスの日、初めて青白のLEDを点けた時がもう入れない位、人がいたんです。それがこれまでの最高の人出でした」
辻氏はこう振り返りながら、「街の鮮度というのは、オープンの時が一番高い。だって、誰も見たことがないんですからね。だから、鮮度は落ちてくる。でも、絆(きずな)は強くなっていく。鮮度は上げようとするんだけど、最初のオープン時を超えるというのはなかなか難しいことなんです」と語る。
〝鮮度〟と〝人出〟の関係をヒモ解きながら、22年のクリスマスイヴの例を引き合いに、『街を育む』ことの大切さを説く。
東京を世界一の都市に!
世界の都市間競争を勝ち抜く─。
「東京が世界一の都市になりたい。また、その競争にどう勝っていくのかと。そういう都市をつくらなければいけないというのが、森ビルの強い思想だったわけです。その思想をちゃんと継続しているということです」
森稔氏は30年位前から、都市間競争の時代と言い続けてきた。30年前、それに耳を傾ける人は少なかった。最近は、国や東京都など行政のトップが、都市間競争での東京の地位向上に触れる場面が多くなり始めた。
森記念財団都市戦略研究所(所長、竹中平蔵・慶應義塾大学名誉教授)が経済、研究・開発、文化・交流、居住、環境、交通・アクセスの6つの分野・70の指標、さらに金融分野・14の指標を加えて分析した世界の都市総合ランキング。
それによると、2023年のランキング1位はロンドン、2位ニューヨークに次いで、東京は3位。4位はパリ、5位にシンガポールが続く。以下、6位アムステルダム、7位ソウル、8位ドバイ、9位メルボルン、10位ベルリンという順位。
「わたしたちは、地方の再開発のお手伝いも前向きにしているんですが、やはり東京をどうするかというのは、森ビルにとって一番のポイントだと」
辻氏は、東京の再開発は日本再生に大きく貢献するという認識を示しつつ、「軸を絶対にぶれさせずに経営に当たりたい」と語る。
『街をつくり、街を育む』日々がこれからも続く。
東京の磁力を生み出す街づくりを!
「これだけ大きな街づくりですからね。東京の磁力を生み出す1つになってほしいし、都市間競争に勝つための1つの大きな力になってほしいという思いもあります。こうした街が誕生するというのは、自分たちがやってきたことを世の中に出すことができるという意味で、ものすごく嬉しいことです」と森ビル社長・辻慎吾氏。
東京・港区の『麻布台ヒルズ』が昨年11月オープンして3か月。高さ330メートルの『森JPタワー』は文字通り天高く聳え立ち、麻布台一帯での存在感が際立つ。
同ヒルズには、内外の企業が入居するオフィス棟や住宅棟、商業施設がある。また、慶應義塾大学が予防医学のための拠点を構え、予防医療センターを開設しているのも話題だ。
森ビルの街づくりは、他の大手ディベロッパーの街づくりがオフィス棟の建築、もしくはオフィス棟と商業施設の建築が主なのに対して、必ず住まいの要素を取り入れているのが特徴。
つまり、『職・住・遊』のコンセプトで街づくりを進めてきたということだが、最近はそれに〝学ぶ〟、〝健康〟、〝憩う〟などの要素が加わる。
麻布台には、都心初のインターナショナル・スクールや、先述の最先端医学による予防医療センターが開設され、緑いっぱいの中央広場(約6000平方メートル)が人々の憩いの場になっており、『グリーン&ウェルネス』を合言葉に、都市機能の進化を図っている。
これまで首都圏では、街づくりが、働く場所と住む場所を分ける形で進められてきた。
東京の中心部(千代田区、中央区、港区、渋谷区、新宿区など)にオフィスをつくり、住むのは郊外で、そこから電車やバスで通勤するという生き方・働き方が続いてきた。
その中で、森ビルは早くから、『職・住・遊』を包摂したコンセプトで、住むのも働くのも同じ地域内でという開発プロジェクトを手がけてきた。
また、住むための快適さ、人らしい生活を送るにはと、『都市に緑を』という考えを取り入れ、緑地を造成するのも特徴。
今回の開発区域面積は約8.1ヘクタール。ここに先述の森JPタワー(かつてこの場所に旧郵政省の本庁舎ビルがあり、この名称となった)、レジデンス(住宅)棟が2つ、そしてガーデンプラザ(A、B、C、D棟)という構成。
ガーデンプラザには住宅、商業施設、その他にギャラリーなどが入居する。森JPタワーの地下部と連結して各種マーケットが運営され、まさに職・住・遊がつながっている。
また、インターナショナル・スクールの『ブリティッシュ・スクール・イン東京』(英国式教育カリキュラム、児童・生徒数約700人)も開設された。この種の学校はこれまで都心部になかったため、東京の国際競争力向上の一環としても注目される。
この麻布台ヒルズ開設の手応えはどうか?
「ものすごく、手応えを感じています。開設の記者説明会の当日は、プレス関係者が約350人も来てくれました。海外のメディアを含めてね、普通は高さ330メートルのタワー建設といった話になりがちなんですが、そうではなくて、わたしたちが進める〝グリーン&ウェルネス〟といった緑の話がメインでしたね」と辻氏は都心での緑地開発が話題になったことを喜ぶ。
四季を感ずる街を!
四季を感ずる街づくり─。同社は約8.1ヘクタールの開発区域に2.4ヘクタールの緑地を用意。中央広場(約6000平方メートル)では池や、草木が人々の目を楽しませる。
樹木の種類は約180種類。地被植物(地表面を覆い、地肌を隠すために植栽する植物)を含めると、約310種類に及ぶ。
「麻布台では果樹園をつくったり、いろいろな緑を入れています。桜もいろいろな種類を入れており、2月から5月位まで咲く。河津桜が一番最初に咲いてね。いろいろな種類の桜があって、広葉樹もいっぱいある。木は育ちますから、今は持ってきたばかりだけど、2年、3年とどんどん大きくなっていきます」
緑を取り入れた街づくりだ。
各ヒルズがつながる!
同社が、港区を中心に大規模都市再開発に取り組んだのは、アークヒルズが最初(竣工は1986年=昭和61年、開発区域面積は5.6ヘクタール)。そして、2003年(平成5年)にオープンの六本木ヒルズ(開発区域面積は約11ヘクタール)、2014年(平成6年)オープンの虎ノ門ヒルズ(同7.5ヘクタール)、今回の麻布台ヒルズ(同8.1ヘクタール)と続いてきた。
今は『六本木五丁目開発プロジェクト』(同約8ヘクタール)に取り組んでいるが、これらのヒルズが今、つながろうとしている。
辻氏は、各ヒルズはそれぞれ独自の開発コンセプトを持ちながらも、各ヒルズがつながることで全体的に調和が取れると次のように語る。
「虎ノ門はグローバルビジネスセンターのつくり方をしています。六本木は文化都心になります。麻布台は住むのを含めて、グリーン&ウェルネスと。だから、それぞれのコンセプトは違います。ただ、各ヒルズがつながり合わさると、全体的なコンセプトを持つことになる。例えば、文化施設を取ってみても、アークヒルズにはサントリーホールがあり、クラシック音楽の世界を代表するものがある。六本木ヒルズには森美術館があり、現代アートでは今や世界有数の存在になっています」。
虎ノ門ヒルズでは、『森タワー』が2014年に竣工したが、住宅棟2棟も手がけ、そして『ステーションタワー』が昨年秋にオープンしている。併せて、すぐ下を通る地下鉄の東京メトロ(日比谷線)は〝虎ノ門ヒルズ駅〟を新設。交通の便がさらに良くなった。
同社が初めて大規模都市再開発に取り組んだアークヒルズの開設から38年が経つ。一連のヒルズ建設での緑(緑地)づくりは12ヘクタールの累積となる。
「都心のこの狭いエリアに12ヘクタールって大きな公園です。それを創り出すというのは、なかなか難しいんだけれども、緑を一生懸命つくって来たら、足してみると12ヘクタールになっていました」
辻氏が続ける。
「何といっても環境にいいということですね。真夏の気温を、六本木交差点と六本木ヒルズで比べても、5度から10度も違う。コンクリートと建物だけの交差点と、緑があるヒルズではそれほど温度差が出てくるんです」
都市管理上も、緑の広場は大事ということである。
「軸をぶらさずに」
辻氏は1960年(昭和35年)9月生まれの63歳。85年(昭和60年)、横浜国立大学大学院工学研究科修了後、森ビルに入社。アークヒルズが完成する1年前のことである。
2011年(平成23年)6月、同社2代目社長・森稔氏の後を受け、50歳の若さで社長に就任。東日本大震災が起きて3か月後のことであった。
入社して36年。この間、バブル崩壊、リーマン・ショック(世界規模での金融危機)、東日本大震災と数々の危機に見舞われる中、多くの街づくりを体験してきた。
トップとして最初の試練は、辻氏が社長に就任して9か月後、前社長の森稔氏が2012年3月に逝去した時。
東日本大震災が起きた1年後で、日本経済全体が〝失われた20年〟のデフレ下で沈滞していた。「経営環境としては結構厳しかった」と辻氏も振り返る。
その頃、同社は森稔氏が心血を注いだ六本木ヒルズ竣工(2003)から8年余を経て、次の虎ノ門ヒルズ建設に取りかかっている最中。森稔氏のヒルズ建設にかける思いを熟知していた辻氏だけに、目標完遂に向けて、自らの肩にかかる責任の重さを感じる日々であった。
経営努力を重ね、厳しい環境を乗り切り、虎ノ門ヒルズ森タワーを完成させたのは2014年。そして虎ノ門ヒルズステーションタワーができたのが2023年10月。住居棟も含めた同地区の開発はつい最近までかかかったということ。
コロナ禍を経て、2024年3月期の業績は、営業収益(売上高)3530億円(前年同期比23%増)、営業利益755億円(同19%増)と、大幅な増収増益の見通し。
この数年間、大型投資が続き、有利子負債は1兆4275億円(21年3月期)から1兆6314億円(23年9月中間期)と増えたが、自己資本も5597億円から6903億円と増加。自己資本比率も24.5%から26.1%と安定的に推移。財務に配慮しながらの投資。
都市開発は実に息の長い仕事─。麻布台ヒルズに至っては約300人の地権者と協議、対話を重ねて、2023年11月、約35年の歳月をかけて完成させている。
同社が手がけてきた都市再開発はいずれも長い歳月を要した。アーク、六本木の両ヒルズは共に約17年の開発期間となった。麻布台に至っては地権者の多さから約35年もの歳月がかかったが、同社の経営理念の1つとして、「決して諦めないこと」を辻氏は挙げる。
土地開発は利害が錯綜するだけに、対話、協議に時間がかかる。粘り強く話し合いを進めていくには、それこそ誠実な対応が重要になる。
森ビルの実質創業者でもあった森稔氏は生前、「いろいろありましたが、森稔はウソを言わなかったと完成後に言われたのが嬉しかった」と筆者に語っていた。要は、中長期にブレずに仕事に取り組む姿勢である。
誠実に対話を重ね、物事を成就していく姿勢は、今日の辻氏の経営に受け継がれている。
「軸をぶらさずに仕事をしていくことが大事」─。20年、30年の中長期で仕事をしていると、いろいろな事が起きるし、変化にも遭遇する。「環境が変わっている時こそ、変わらないものは何だと考えるようにしています」という辻氏である。
人手不足などの課題をどう解決していくか
2020年初め、コロナ禍が起き、パンデミック(世界的大流行)となり、わたしたちの生き方・働き方も変化した。
こうした時代の変化に対応して、辻氏はどう経営のカジ取りを進めようとしているのか?
「虎ノ門のステーションタワーって、6、7年で出来ているんですよ。あれだけの大規模再開発としては、多分一番早い例だと思います。もともとビル街で、麻布台のように土地の高低差があって、住宅が広がっている所とは違うんです。でも、それにしても、やはり早く開発がやれるようになってきている。われわれにも積み重ねてきたノウハウがあるし、国家戦略特区の指定もあったり、国の制度的な後押しもあります。そういった意味で、スピードアップが図れるようになりました」
資材費高騰、人手不足下での建設である。
「経営的にも、財務的にも、あと建築費(の上昇)とか経済全体の動きなどを見て、早くやったほうがいいという判断があって、すごく急いでやりました。だから、(虎ノ門ヒルズステーションタワーと麻布台ヒルズの竣工が)一緒に、同時期になりました。でも一緒になっても、片方をズラさなかったんですよ」
人手不足にどう対応するか?
「ええ、ホテルにしてもレストランにしても、働く人たち、スタッフがいないんですね。そもそも母数が減っていることもあるんですけど、それをどう確保していくかは世界共通の課題ですね。取り合いになるし、海外の人材も含めて、どうやって入れていくのかと。ロボットや新しいテクノロジーを取り入れていかないと多分厳しいと」
昨今、建築費の高騰に加え、働き方改革で休みも取らなくてはいけなくなり、工期が延びるなどの課題が出てきている。
最近は、賃金上昇で個人所得が増え、製品価格が上がって企業収益が好転し、それが賃金引上げにつながって更なる消費拡大へ─という好循環経済が世の中全般に期待されている。
「はい、モノの値段が上がるというのは悪いことではないんだけれども、(限界を)超えて上がってくると、これはいろいろなものに支障が出るということもあります」と辻氏。
賃金と物価の上昇で、緊張感が要求されるということである。
〝失われた30年〟の中で
20年、30年の中長期視点で開発を重ねてきた、〝失われた30年〟をどう総括するか。
「(デフレ下で)モノの値段がずっと上がらない時が続きましたからね。家賃もずっと横ばいだし、2003年の六本木ヒルズをオープンした時の日経平均株価は7000円台ですよ。8000円を一瞬切っている。オープンの2日前の出来事で、それが一番の安値だった。今の株価は、この20年間で4倍以上になっているわけです。(20年前は)ものすごい円高で、海外からやって来るお客様からすると、ホテルなどは毎月値上げしているようなものでしたからね。あの時のものすごい円高はすごく厳しい環境でしたね」
円高・株安時でのヒルズ建設である。
「その前に、リーマン・ショックがありましたから、本当に厳しかった。テナントさんも皆コスト削減に一斉に走りましたからね。だから安い家賃の所に引っ越すところが多かった。そういう意味ではなかなか厳しい時でしたが、アベノミクスで経済が変わりました」
日本銀行の超金融緩和政策も加わって、一時期、1ドル70円台まで円高が進んだ為替も、1ドル110円~120円と円安方向に転換。
アベノミクス否定論も世の中にはあるが、「それで経済が上向きになってきたという側面はあると思いますね」と辻氏。
金融緩和、財政出動で民間経済の投資などを引き出すインフラ(基盤)を整えるというアベノミクス。今、問われるのは民間の役割であり、出番である。
大事なのは街を育むこと
「街が誕生する瞬間というのは、本当に嬉しいですね。誕生までには長い時間がかかっているし、何百人という地権者の人と一緒にやるわけですからね。その人たちに対しても責任があるし、これだけの大きな街づくりというのは、まさに東京の磁力を生み出します。磁力を生む力の1つになってほしいと、世界の都市間競争に勝つための大きな力になってほしいという思いがありますから」
辻氏は、「自分たちがやってきた事を世の中に出すことができるのは、ものすごく嬉しい。街づくりをしている人間にとっては、たまらない瞬間です」という気持ちを述べながら、「そこからさらに街を育てていくという行為が始まります」と語る。
街を育む─。「六本木ヒルズは昨年で丸20年経ちました。20年の歩みの中で、22年のクリスマスイヴは1日の来街者が過去最高となりました。これはなかなか難しいことなんです」
六本木ヒルズ内に出店する商業施設、ホテル、レストランなど、ヒルズを訪れた人の数が、オープンから20年経った22年のクリスマスイヴに日が史上最高を記録したのである。
六本木ヒルズは進化し続けていると辻氏が続ける。
「売上はまだ伸びていく可能性があるんです。なぜかというと、お客様をちゃんと掴んでいけば、可能性はあります。でも、来場者というのは、六本木ヒルズができた年のクリスマスの日、初めて青白のLEDを点けた時がもう入れない位、人がいたんです。それがこれまでの最高の人出でした」
辻氏はこう振り返りながら、「街の鮮度というのは、オープンの時が一番高い。だって、誰も見たことがないんですからね。だから、鮮度は落ちてくる。でも、絆(きずな)は強くなっていく。鮮度は上げようとするんだけど、最初のオープン時を超えるというのはなかなか難しいことなんです」と語る。
〝鮮度〟と〝人出〟の関係をヒモ解きながら、22年のクリスマスイヴの例を引き合いに、『街を育む』ことの大切さを説く。
東京を世界一の都市に!
世界の都市間競争を勝ち抜く─。
「東京が世界一の都市になりたい。また、その競争にどう勝っていくのかと。そういう都市をつくらなければいけないというのが、森ビルの強い思想だったわけです。その思想をちゃんと継続しているということです」
森稔氏は30年位前から、都市間競争の時代と言い続けてきた。30年前、それに耳を傾ける人は少なかった。最近は、国や東京都など行政のトップが、都市間競争での東京の地位向上に触れる場面が多くなり始めた。
森記念財団都市戦略研究所(所長、竹中平蔵・慶應義塾大学名誉教授)が経済、研究・開発、文化・交流、居住、環境、交通・アクセスの6つの分野・70の指標、さらに金融分野・14の指標を加えて分析した世界の都市総合ランキング。
それによると、2023年のランキング1位はロンドン、2位ニューヨークに次いで、東京は3位。4位はパリ、5位にシンガポールが続く。以下、6位アムステルダム、7位ソウル、8位ドバイ、9位メルボルン、10位ベルリンという順位。
「わたしたちは、地方の再開発のお手伝いも前向きにしているんですが、やはり東京をどうするかというのは、森ビルにとって一番のポイントだと」
辻氏は、東京の再開発は日本再生に大きく貢献するという認識を示しつつ、「軸を絶対にぶれさせずに経営に当たりたい」と語る。
『街をつくり、街を育む』日々がこれからも続く。