「自らの人生を自らの手でつくりあげるということに社会全体が戸惑っているのではないか」─。〝失われた30年〟と言われ、長く停滞が続いてきた日本経済。しかし、日経平均株価は史上最高値を更新、日銀はマイナス金利政策を解除するなど、日本経済は今、大きな転換点にある。そうした中、次代を担う人材をいかに育てていくのか。日本ニュービジネス協議会連合会会長で、東京ニュービジネス協議会(NBC)の第6代会長をつとめた池田氏と、第8代会長をつとめた下村氏の特別対談。
「人はつながる動機を求めている!」MIXI・木村弘毅の事業ポートフォリオ変革論
これからの世の中にはニュービジネスが必要
─ 東京NBCの6代目会長が池田さんで、8代目会長が下村さんです。まずはNBCに関わるようになったきっかけから聞かせてもらえますか。
池田 わたしは以前から、新潟を活性化するには人づくりしかないと。それも、新潟でチャレンジする人づくりをしない限り、優秀な人材が東京に出ていって、帰ってこないということを非常に悔しく思っていました。そこで若者を滞留する仕組みが必要だと考え、高校や専門学校を設立してきました。
実際、いい教育機関があれば、新潟の人たちも東京に行かないで残るということも選択してくれる。もっと言うと、県外からも人が来てくれる、外国からも来てくれるようになりました。
ところが、大学を含め、せっかく新潟で勉強したのに、残念ながら、一生懸命勉強した人たちが満足できるような就職先が地方には少ない。特に最先端のものは存在しないということで、ベンチャーの育成や就職先の確保が必要だと思いまして、その時にNBCと出会いました。
─ 誰からの誘いでした?
池田 第4代会長で、ユニ・チャーム創業者の高原慶一朗さん(故人)です。高原さんに誘われて理事になり、シダックス最高顧問の志太勤さんが第5代会長になった時にわたしは副会長になり、第6代の会長になったということです。
NBCは1985年に誕生した経済団体で、元NEC会長の関本忠弘さんや元アサヒビール会長の樋口廣太郎さん(ともに故人)が、日本にベンチャーを起こす、イノベーションをしていくということを提唱してきました。
38年前から一貫して、事業のイノベーションやベンチャー育成に本気で取り組んできた団体です。ですから、最近、岸田文雄首相がスタートアップやベンチャー支援に本腰を入れると言っていますので、われわれがこれからの世の中にはニュービジネスが必要なんだと言い続けてきたことは、決して間違いではなかったと改めて思います。
東京NBC初の女性会長に就任
─ そうした流れを踏まえて、2014年から20年まで、第8代の会長をつとめたのが下村さんでした。
下村 はい。わたしは九州NBCの会長だった、はせがわ元会長の長谷川裕一さんと知り合ったのがきっかけです。それまで、わたしは美容やエステティックの業界しか知らない人間で、経済団体のことはよく理解していませんでした。
【追悼】安倍晋三・元首相を偲んで はせがわ相談役 長谷川 裕一
ただ、長谷川さんたちの話を聞いているうちに、皆さん、とても楽しそうにお話をされている。NBCは起業家の集まりで、下村さんも立派な起業家なんだから入りなさいよと言われまして、同じ九州人の長谷川会長の応援のために入ろうかと考えたのがきっかけです。
─ 実際、入ってみて、どういう印象を受けましたか。
下村 先日、ハワイに行ってきて、現地で成功している女性の弁護士さんにお会いしてきたんです。数年前にNBCとハワイの女性経営者を集めて、フォーラムを開催したことがありました。当時の写真が飾ってあったんですね。それを見たら、当時参加していた女性経営者の方々は皆、その後、立派に成長していて、どんどん新境地を開拓している人たちばかりでした。しかも、誰一人欠けていないんです。
嬉しかったですね。皆さん、すごく立派な経営者になったなと感慨深く思うと同時に、NBCで勉強している方々ばかりですから、立派になって当たり前だなと思ったことでした。
池田 日本に女傑と言われる経営者の方が何人いると思いますか。今は女性経営者を登用する会社が増えましたが、下村さんのように自ら切り拓いていった女性経営者はごく少数ですよ。だから、東京NBC初の女性会長として、下村さんが就任してくれたというのは、わたしも嬉しかったですね。
─ 女性初の経済団体会長の誕生というのは大きな話題になりました。
池田 そりゃそうですよ。三顧の礼までいかないけど、無理やりお願いしましたから(笑)。
下村 わたしも池田さんに「なぜわたしなんですか?」って聞いたんです。そしたら、初めは女性のリーダーが出てこないと周りが活性化しないとか言っていたんですが、最後には「悪いことがあったらお祓いしてあげるから」って(笑)。
─ 池田さんはもともと宮司さんですからね(笑)。
続きは本誌で
「人はつながる動機を求めている!」MIXI・木村弘毅の事業ポートフォリオ変革論
これからの世の中にはニュービジネスが必要
─ 東京NBCの6代目会長が池田さんで、8代目会長が下村さんです。まずはNBCに関わるようになったきっかけから聞かせてもらえますか。
池田 わたしは以前から、新潟を活性化するには人づくりしかないと。それも、新潟でチャレンジする人づくりをしない限り、優秀な人材が東京に出ていって、帰ってこないということを非常に悔しく思っていました。そこで若者を滞留する仕組みが必要だと考え、高校や専門学校を設立してきました。
実際、いい教育機関があれば、新潟の人たちも東京に行かないで残るということも選択してくれる。もっと言うと、県外からも人が来てくれる、外国からも来てくれるようになりました。
ところが、大学を含め、せっかく新潟で勉強したのに、残念ながら、一生懸命勉強した人たちが満足できるような就職先が地方には少ない。特に最先端のものは存在しないということで、ベンチャーの育成や就職先の確保が必要だと思いまして、その時にNBCと出会いました。
─ 誰からの誘いでした?
池田 第4代会長で、ユニ・チャーム創業者の高原慶一朗さん(故人)です。高原さんに誘われて理事になり、シダックス最高顧問の志太勤さんが第5代会長になった時にわたしは副会長になり、第6代の会長になったということです。
NBCは1985年に誕生した経済団体で、元NEC会長の関本忠弘さんや元アサヒビール会長の樋口廣太郎さん(ともに故人)が、日本にベンチャーを起こす、イノベーションをしていくということを提唱してきました。
38年前から一貫して、事業のイノベーションやベンチャー育成に本気で取り組んできた団体です。ですから、最近、岸田文雄首相がスタートアップやベンチャー支援に本腰を入れると言っていますので、われわれがこれからの世の中にはニュービジネスが必要なんだと言い続けてきたことは、決して間違いではなかったと改めて思います。
東京NBC初の女性会長に就任
─ そうした流れを踏まえて、2014年から20年まで、第8代の会長をつとめたのが下村さんでした。
下村 はい。わたしは九州NBCの会長だった、はせがわ元会長の長谷川裕一さんと知り合ったのがきっかけです。それまで、わたしは美容やエステティックの業界しか知らない人間で、経済団体のことはよく理解していませんでした。
【追悼】安倍晋三・元首相を偲んで はせがわ相談役 長谷川 裕一
ただ、長谷川さんたちの話を聞いているうちに、皆さん、とても楽しそうにお話をされている。NBCは起業家の集まりで、下村さんも立派な起業家なんだから入りなさいよと言われまして、同じ九州人の長谷川会長の応援のために入ろうかと考えたのがきっかけです。
─ 実際、入ってみて、どういう印象を受けましたか。
下村 先日、ハワイに行ってきて、現地で成功している女性の弁護士さんにお会いしてきたんです。数年前にNBCとハワイの女性経営者を集めて、フォーラムを開催したことがありました。当時の写真が飾ってあったんですね。それを見たら、当時参加していた女性経営者の方々は皆、その後、立派に成長していて、どんどん新境地を開拓している人たちばかりでした。しかも、誰一人欠けていないんです。
嬉しかったですね。皆さん、すごく立派な経営者になったなと感慨深く思うと同時に、NBCで勉強している方々ばかりですから、立派になって当たり前だなと思ったことでした。
池田 日本に女傑と言われる経営者の方が何人いると思いますか。今は女性経営者を登用する会社が増えましたが、下村さんのように自ら切り拓いていった女性経営者はごく少数ですよ。だから、東京NBC初の女性会長として、下村さんが就任してくれたというのは、わたしも嬉しかったですね。
─ 女性初の経済団体会長の誕生というのは大きな話題になりました。
池田 そりゃそうですよ。三顧の礼までいかないけど、無理やりお願いしましたから(笑)。
下村 わたしも池田さんに「なぜわたしなんですか?」って聞いたんです。そしたら、初めは女性のリーダーが出てこないと周りが活性化しないとか言っていたんですが、最後には「悪いことがあったらお祓いしてあげるから」って(笑)。
─ 池田さんはもともと宮司さんですからね(笑)。
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