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元谷外志雄・アパグループ会長に直撃!「〝圧倒的ナンバーワン〟を目指して、今後も新規出店を続けていく」

財界オンライン 2024年9月3日 18時0分

全国で展開するホテル棟数、タワーホテルの客室数、アプリのダウンロード数……。「アパホテル」を展開するアパグループには「日本一」を冠する数字が数多くある。これも創業者で会長の元谷外志雄氏が「業界のナンバーワンにならなければ人・物・金・情報は集まってこない」という経営信条に基づいた実践の結果だ。コロナ禍という環境を乗り越え、旅行需要が急回復。インバウンドが旺盛になる中で、今後、アパグループは成長戦略をどう描くのか。CEO職を長男に譲った元谷氏に直撃した。


厳しいときこそチャンス

 ─ ホテル業界にとってはコロナ禍という厳しい時代に直面し、今ではインバウンドが旺盛な環境へと変わりましたね。

 元谷 ええ。ただ、私から言わせれば、厳しいときこそありがたいと思いますね。厳しい環境の下でお客様に選ばれなかった会社は市場から撤退することになります。そして、厳しい環境を凌いだ後に環境は好転していく。そのときに生き残った会社が撤退した分の会社の物件などを分け合っていくわけです。

 ですから、厳しい環境の後こそがチャンスです。他社が撤退すればするほど、当社にはいい物件が増えてくるからです。その結果、これまで積み上げてきた信用力が資金力に変わっていくのです。この信用を得るためには税金を払うしかありません。当社はどんどん儲けて、どんどん税金を払って信用を得る。それによって金融機関から資金の調達を増やして圧倒的ナンバーワンへと善循環するのです。

 ─ そのためにも生き残る強さが必要になりますね。

 元谷 そうです。私はかねてから何事もナンバーワンでなければならないという考え方を持っています。やはり業界で一番になることが大事なのです。業界で一番の会社に人も物も資金も情報も集まってくるからです。

 その意味では、当社は「比較1番」から「圧倒的ナンバーワンへ」を目指して今後もホテルの新設を進めています。実際、1棟で2000室を超えるホテルを展開するのは当社にしかできないことだと思います。

 ─ 起業時からナンバーワンを目指していたのですか。

 元谷 そうです。そして、2000室を超えるようなホテルを運営できるのも、累積2000万人を超えるアパホテル会員がいるからです。基礎となるお客様がいてインバウンドなどの観光客が上乗せされるのです。ですから当社のホテルも様々なお客様に利用していただけるように様々な工夫を行っています。

 例えば、大浴場やプールを設けたりしています。日本のビジネスホテルでプールのあるホテルは他にないでしょうね。仮に100室のホテルにプールを作っても採算は合いません。ところが、300~500室と客室規模が大きくなれば需要を喚起する施策としてプールを作り、採算をとることができます。

 ─ 今後もホテルの新規出店は進めていくのですか。

 元谷 もちろんです。8月1日現在で847ホテル・12万室の客室規模を誇っていますが、まだまだ圧倒的ナンバーワンとは言い難い。既に日本一ではあるのですが、それでは少し足りない。圧倒的ナンバーワンを目指して頑張りましょうと。


事業家の父を早くに喪って

 ─ 1971年に起業して53年。小さい頃から起業家になりたいと思っていたのですか。

 元谷 私の父は事業家でした。石川県で元谷木工製作所という桐箱や桐箪笥をつくる会社を経営していたのです。そんな事業家の息子でしたので、父の後ろ姿を見よう見まねで、ここまで来たという感じです。ただ、父は仕事を頑張り過ぎて結核となり、若くして亡くなりました。

 当時の結核は長患いで、父は治療費を捻出するために持っていた資産を順番に切り売りして凌いでいました。そんな父の姿を見ていましたので、幼心に自分はそうなってはいけないと。絶えず余力を持って頑張らないといけないと思っていました。

 ─ お父さんが亡くなったのは何歳のときですか。

 元谷 私が中学2年生でしたので13~14歳でした。6人きょうだいで姉が3人、私は4番目でしたが長男です。日本は家父長制が基本です。父が亡くなったら次に家を守るのは長男になります。ですから、たとえ中学生でも私が家を守らなければならないと思っていましたね。

 ─ それで自ら仕事をして稼いだということですか?

 元谷 そうです。最初に考えたのは自宅の活用方法でした。当時、石川県にあった家の間取りは平屋で奥が長い構造でした。そのため、家の真ん中に中庭を作って日の光を取り込む構造になっていたのです。ただ、私からすると、この中庭がもったいないなと。そこで、このスペースに部屋を作れば、家賃収入を得ることができると考えたのです。

 何の収益も生まないものよりも、そこからどう収益を得られるものに変えていくか。そう考えた結果、家賃収入を得るために、部屋にして貸し出すことを閃いたわけです。たとえ小さい間取りでも家賃次第で借り手はつきます。安くすれば、いくらでも借りたいという人は出てきました。

 ─ 既に商いを自ら実践してきていたのですね。高校卒業後、慶應義塾大学経済学部の通信課程に入学しながら小松信用金庫(現北陸信用金庫)に入庫しました。何を学びましたか。

 元谷 日本は資本主義の社会です。金融機関に勤めることで資金が世の中でどのように動くのかを知ることができました。どうしたら手元に得た資金を回していけるか。それを直接知る機会となりました。それと同時に、事業を行っていくためには信用力が必要だということも学びました。

 では、どうやって信用力を得るか。それは税金を払うことです。ビジネスでしっかり収益を上げて税金もしっかり払う。その結果、信用がついて、その信用がお金を生む。金融機関も儲かっている会社なら融資しようとなりますからね。まさに善循環をさせてきたわけです。

 ─ 9年後に退社して注文住宅の会社「信金開発」(現アパ)を設立し、住宅のみならず、マンション事業も始めましたね。

 元谷 宅地の有効利用を考えると、地面のままでは駐車場にしかなりません。また、そこに一戸建ての家を建てても、その1軒からしか家賃収入は得られない。そうであるならば、家の高さをもう少し上に伸ばせば賃貸マンションになると。

 賃貸マンションは、その場所に関わる法律などに応じて上に伸ばすことができますね。2階、5階、8階と上に伸びていけば、それだけ家賃収入も増えるわけです。ここに着目しました。

 ─ 常に工夫の連続ですね。注文住宅からマンション、そしてホテルへと事業を広げていくわけですが、東京への進出はどんなきっかけからですか。

 元谷 もともと「いつかは東京に出たい」とは思っていました。ただ突然、ゼロから何の力もなく東京に行くわけにもいきません。まずは地元で一定の余裕をつくってから、その資金力を生かして東京に進出しました。



ビジネス客を基盤にする理由

 ─ 1984年にホテル事業に進出したときの日本はバブル期。5年余り後にはバブル崩壊を迎えることになります。

 元谷 そういう厳しいときがチャンスなんです。経済環境が厳しいから様々な企業は自分たちの持っている資産を売りたいと考える。私はそれらを安く買ってきた。売りたい人がたくさんいれば、それだけ売り値は下がります。ですから、当社のホテルは全て自社物件になります。

 そして、2010年頃には当社は比較1番になりました。その後も順次、新棟を建て続けてきましたし、今ではインバウンドの需要も旺盛です。ただ、先ほど申し上げたように、当社のお客様の基盤はビジネス客です。なぜなら、ビジネスのお客様は年中利用してくれるからです。ですから、インバウンドの比率も30%台に過ぎません。

 ─ 料金設定が大事です。

 元谷 ええ。ビジネスマンの予算も上・中・下がありますね。当社は中の上ぐらいを狙っています。そういった顧客層に合わせた物件を作っているのです。宿泊料金も需要と供給に合わせて変動するようにしています。安いときには1泊1万円以下です。

 ─ そのビジネスマンもコロナ禍ではバタッと消えました。その時期はどう凌ぎましたか。

 元谷 やはり大きかったのは、コロナの無症状者と軽症者の受け入れを行ったことですね。2020年4月2日に政府の要人から電話があり、そこで「感染者が増えて病院の病室が埋まってしまった。重篤な患者を受け入れるためにも、無症状や軽症の患者を受け入れてもらえませんか」という相談を受けました。

 私はその要請を受け、その場で即断即決しました。なぜなら、日本で最も大きなホテルチェーンを展開するオーナーである私が手を挙げなければ、どこも手を挙げることはないと思ったからです。その代わり、当社が提供するのは1棟貸しだと。最初は1万室ほど提供しました。

 ─ オーナー経営者としての決断だったと言えますね。

 元谷 そうですね。オーナー経営者ですから他人に相談する必要がありません。まさに即断です。その代わり責任は全て私が持ちます。私はアパグループの全株オーナーです。他人株主の意見を聞いたりする必要もありません。私一人が全株を持ち、経営判断を下すことができるのですから何の問題もありません。


「逆回り」の海外展開へ

 ─ オーナー経営ならではの強みを発揮しているわけですね。さて、元谷さんは22年4月に長男の一志氏にCEO職を譲りました。今後の役割とは。

 元谷 それぞれの役割分担を決めました。妻(元谷芙美子・アパホテル社長)は広告塔、長男は業務全般、次男の拓(アパグループ代表取締役専務)はマーケティングを担当し、それぞれの分野で息子たちにも責任を持たせるようにしました。大規模な投資や発注は引き続き私が見ています。

 ─ 今は金利のつく時代になりました。この流れはどのように影響してきますか。

 元谷 当社は段々借金の返済が進んできています。創業当初は借り入れを行ってきましたが、今や〝自己増殖〟ができるようになりつつあります。建物の償却が大きくなり、節税しながら資金を手元に残すことができるのです。

 ─ 自己資金が増える。

 元谷 そうです。ですから、カナダ・カルガリーのホテルも同国で稼いだ資金で買収することができました。借り入れもしていませんし、日本からのお金も当てていません。自己増殖していくのです。

 当社は今後も海外展開を進めていきますが、まずはカナダや米国で展開し、いずれ欧州へと進出し、ぐるっと地球を回ってくることになります。多くのホテル会社は韓国をはじめとしてアジアに進出しますが、当社は逆回りです。

 直近のアパグループ業績では23年11月連結決算は売上高1912億円、経常利益553億円と過去最高を記録。創業以来、一度も赤字を出すこともなく、52期連続の黒字を達成しています。仮にコロナのようなパンデミックが起こっても赤字にはならない。その経営の強靭さをアパグループは持っているのです。

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