航空業界初の女性社長誕生─ということでも話題になった鳥取三津子氏(1964年12月生まれ、59歳)。鳥取氏は、今年4月に日本航空社長に就任して以降の約半年間を振り返って、「緊張感の伴う日々です」と語る。インバウンド(訪日観光客)増による航空事業の成長を実感しながらも、安全・安心な運航管理や、自然災害多発などのリスクにどう対応するかという経営トップとしての緊張感。コロナ禍で打撃を受けた同社は2023年3月期に3年振りの最終利益黒字化を果たし、業績も回復傾向。中期経営計画(2021年度―2025年度)では、2025年度はEBIT(利払い・税引き前利益)で2000億円に上方修正したが、現状の増加が続けば、3000億円に達する見通し。ただ、変化の激しい昨今、コロナ禍で航空の仕事が吹き飛んだ経験を基に、非航空事業を伸ばし、レジリエンス(耐性)のある経営を目指す。旧日本エアシステム(JAS)出身で、CA(客室乗務員)として客室の現場経験を積み、合併・統合の試練も体験してきた鳥取氏の経営のカジ取りは─。
初の女性社長となった背景と理由
女性初の社長誕生─ということだけでなく、鳥取三津子氏はCA(キャビンアテンダント、客室乗務員)出身、さらに旧日本航空が経営統合した旧日本エアシステム(JAS)出身ということでも注目を集めた。
赤坂祐二・前社長(現会長、1962年1月生まれ、東京大学大学院工学系研究科修了)から、「次を頼む」と言われた時、どのような心境だったのか?
「『わたしにできますか?』と聞き返しましたね。そんな重要な役割をわたしにできるのでしょうかと問い返しましたし、自分の生涯で一番悩みました」
鳥取氏は福岡県久留米市の出身。第1回東京五輪が開催された1964年(昭和39年)12月生まれ。1985年(昭和60年)長崎市のミッション系・活水女子短期大学英文学科を卒業し、旧東亜国内航空(後に日本エアシステムに社名変更)にCAとして入社。
同年夏には、日航ジャンボ機が御巣鷹山(群馬県)に墜落し、520人の犠牲者を出した飛行機事故が発生。航空業界に衝撃が走った年である。
客室乗務員として、客室業務の現場一筋で来た鳥取氏。
かつて所属した旧日本エアシステムが旧日本航空(当時の社名は日本航空インターナショナル)と経営統合・合併する時(2004年)も、現場の融合に腐心した。
「同じ航空会社なのに結構違いがあるということで、自らそこに飛び込んで仕事をやりました。焦ってはいけないし、大変だなと最初に思いましたけど、無事に何とか(融合を)やってきました」
鳥取氏は両社の歴史や業務の進め方に違いがある事を認識しながら、現場の融合を進めていったと話す。そして、「本当の融合という意味では、数年かかりました」と当時を回顧する。
先述のとおり鳥取氏は旧日本エアシステム出身。
「JASはやはり、国内の航空会社から立ち上がった会社で、日本航空は国際線の会社でした。ですから、全く考え方が違うと。でも、それは仕様がない事なので、そこを何か言っても仕方がないと思いました」
両社の歴史や社風の違いを、「いったん頭に置いて、ではどうしていったらいいのかを考えました」という鳥取氏の処し方。
航空会社にとって、安全を徹底した運航管理と乗客に提供するサービスは中心的業務。旧東亜国内航空に入社して以来約40年間、その現場の第一線で働いてきた鳥取氏はコロナ禍直前の2019年に日本航空の客室安全推進部長、2020年に執行役員客室本部長に就任した。
「一昨年度まで現場にいて、本社に来たのは昨年度からです」と本人が語るように、2023年4月専務執行役員となり、カスタマー・エクスペリエンス本部長、ブランドコミュニケーション担当とサービス部門の総責任者になった。
そして今年(2024)4月に代表取締役社長・グループCEO(最高経営責任者)就任という足取りである。
鳥取氏の強みとは何か
鳥取氏の強みは何と言っても、航空事業の生命線である現場キャリアが長く、現場を知り尽くしていることであろう。
「はい、昨年度はサービスの部署を担当させてもらい、共通点はお客さまなのだと。安全もサービスもその先には、常にお客さまがいらっしゃるということ。そういう意味では、現場を知り、お客さまを知っているところが自分の強みだと思っています」。
航空会社に入り約40年が経ったが、この間一番嬉しかったこととは何か?
「乗務員の時は、本当にお客さまと接することが楽しく、仲間と仕事をすることが本当に楽しかった。それがマネジメントする立場になっていくと、今度はしっかり成長していく後輩の姿を見るのが非常に楽しい。人を育てることはすごく楽しかったのですが、それだけでは済まない立場に途中からなりました。もっと成長してもらい、経営に入ってもらえるような人を、例えば女性からもっと出したいなと。今は、女性だからというような事もないし、男性ももちろん成長してほしいと思っているので、もっともっと挑戦して、いろいろな事をやってほしいなと思っています」と語る鳥取氏である。
緊張感の伴う日々
『安全・安心』運航の徹底を─。航空会社にとっての最大の経営課題は何と言っても、乗客の安全・安心を確保・維持することにある。
その点に関して、日本航空は今年5月、国土交通省から安全運航に関して行政指導を受けたことを肝に銘じていかなければならない。
冒頭、鳥取氏が今年4月の社長就任以降の半年間を総括して、「緊張の日々」と語っているのも、その事とも関連がある。
国土交通省が〝注意〟を促したのは、鳥取氏の社長就任前に起きた事案を含む5件。
まずは、2023年11月、米シアトル・タコマ空港で同社航空機が管制許可を得ずに滑走路を横切ったこと。今年2月には米サンディエゴ空港で他機が着陸態勢に入った時に、日航機が誤って異なる滑走路に侵入、滑走路停止線を超えたために、着陸をやり直す事案が発生。
鳥取氏の社長就任後の4月24日には、米ダラスに滞在中の機長が過度に飲酒したため、常務予定であった航空機に乗務できないという事案もあった。
また福岡空港では、同社機が滑走路手前の停止線を越え(5月10日)、羽田空港では、駐機場を移動中に日航機同士の主翼が接触するという事案も報告されている(5月23日)。
そして、今年1月2日、羽田空港で誤って滑走路に進入していた海上保安庁機と着陸しようとしていた日航機が衝突するという事故が発生。これはCAなどの乗務員の適切な行動もあり、乗客367人全員が無事に飛行機から脱出できたのが幸いであった(海保機では5人死亡)。こうした事案が続く中、安全・安心を徹底すべく、「緊張感」のある日々が続いたということ。
「行政指導も国土交通省から受けましたし、(安全・安心を図るということへの)対応に重きを置いて参りました。安全を守ってくれる社員にとっては重い話ですので、正直、この間は明るい発表ができずにおりました」と、内外への情報発信に慎重にならざるを得なかった状況と鳥取氏は語る。
ただ、乗客や国民に対して、必要不可欠な情報やメッセージは発信しなければならない。
「ええ、結構、濃淡が激しいというか、明暗が激しいメッセージがこの半年間は多かったかなと思っております」と鳥取氏も語る。
インバウンド増を背景に業績は上方修正
航空業界はコロナ禍期間中、大きな打撃を受けた。働き方もリモートワークが広まり、人の交流が途絶え、国境を越える人の移動も激減。日本航空の業績はその間、赤字となり、2022年3月期は売上収益約6827億円で、EBIT(利払い・税引き前利益)は2395億円もの大赤字となった。
それがようやく黒字化するのは2023年3月期から(同期の業績は売上収益約1兆3755億円、EBIT645億円)。そして、24年3月期は売上収益約1兆6518億円、EBIT約1452億円と大幅な増収増益となった。25年3月期も売上収益1兆9300億円、EBIT1700億円と、これも増収増益となる見通しだ。
この決算好転の背景にはインバウンドの増加がある。政府観光局によると、2024年上半期の累計は1777万7200人。これは過去最高を記録したコロナ前の2019年上半期を100万人以上上回る。このまま行くと、今年のインバウンドは3500万人超が見込まれる。
インバウンドによる消費額は、2023年は5兆3000億円強で、今年は7兆円以上にのぼると見られ、日本経済への波及効果も大きい。
こうした環境好転で、国内・国際線共に旅客および貨物の需要が増加。同社の中長期経営計画(2021年度―2025年度)においても上方修正が進む。
EBITで、2024年度は1700億円、25年度は1850億円以上としていた目標額を2000億円に上方修正。さらに30年度には「3000億円にしたい」という状況。
同社はコロナ禍明けの旅客需要増を見込んで大規模投資に踏み切る。環境変化に対応して、低燃費の機材や、国内線を中心に小型機材も導入する計画である。
国際線で30機、国内線で32機と、計62機を購入。メーカー別では、欧州のエアバス機が31機、米国のボーイング機が31機。同社は購入予定額を明らかにしていないが、カタログ価格では2兆円を超える大型投資になる見込み。
こうした大型投資の動きは、ライバルのANAホールディングスにも見られ、2020年にはボーイング機を計20機発注。2030年度にはボーイング787型機を100機以上に増やす計画だ。
コロナ禍にあって雇用を守り抜く
コロナ禍当時とは打って変わって、旅客・貨物共に需要増が見込まれ、前向きな投資が出てきたが、それとは反対に今、世界情勢は混沌としている。米国大統領選(11月)の行方、ウクライナ戦争、イスラム軍事組織のヒズボラやハマスとの戦闘拡大、米中対立と、世界全体にリスクが高まっているのも事実。
こうした地球規模でのリスクの高まりにどう対応していくかという命題である。
コロナ禍では、航空業界は需要が消失。「飛行機が全く止まってしまって、利益が全然でない状態」に陥ってしまった。
2010年の会社更生法適用時に、全体の約3分の1に相当する約1万3000人の社員をリストラせざるを得なかった同社。今回のパンデミック(世界的規模での感染症拡大)到来でも社員に不安が広まったが、当時の赤坂祐二社長は「雇用を守る」といち早く宣言した。
これは、前回の経営危機以来、雇用だけは大切にしていく─という経営姿勢を示していただけに、コロナ禍の苦境を迎えても雇用維持に努めるという強い意志があったのであろう。
当時、客室本部の責任ある立場にあった鳥取氏も、「まさに仕事がなくなる最前線の部署でしたので、非常に辛かったです」と当時の心境を明かす。
ライバル社が〝一時帰休〟などの措置を講ずる中で、日本航空は一時帰休を選択しなかった。
「わたしたちは一時帰休を選択せず、みんなが仕事をしながらというか、人によって仕事内容は違うのですが、例えば自宅での自学習というプログラムを行ったりしました。もちろん、ⅰPADなどのデバイスとかを持つように環境を整えて、月の7割、8割位は自宅で自学習することもやりました」
その自学習も多岐にわたり、人それぞれで内容も違う。
「ええ、客室本部だけのことではなくて、せっかくのチャンスだと捉えてですね、他部門の勉強をしたりだとか、(オンライン会議システムの)ZOOMで他部署の人と意見交換をしたりしました。もういろいろな事を自分たちで企画しました」
人と人の繋がりの中で仕事を創り出す!
仕事を自分たちで創り出す─。この時の経験がポストコロナの今、活かされていると鳥取氏が語る。
「何もしないで過ごして、3年後にフライトにまた復帰すると言っても、やはりなかなかついて行けないと。そこでしっかりと普段以上の知識を蓄えられた事は、非常に大きかったと思うんです。普段できない事も勉強できたし、客室本部以外の事も知るという事は、その後の相互理解にも繋がりますからね」
鳥取氏は各部門間の相互理解に繋がった事を評価しながら、「ただ、それは非常に大変だったと思います」と次のように語る。
「わたしもコロナの間、週に3日位、自宅で働き、それ以外は出社していたんです。自分でやってみて、これを1週間、2週間続けてやるのはなかなか大変だと思いました」
やはり基本的に人はオフィスで直接人と対話し、人と人の繋がりの中で仕事をするものなのであろう。
コロナ禍当時、客室本部に所属する社員、スタッフは海外を含めて約6000人。当時、彼ら彼女らにはどういったメッセージを伝えたのか?
「年度によっていろいろメッセージは変えたのですが、基本的には『Be a professional!』(プロフェッショナルたれ!)ですね。プロとして、どんな状況になってもレジリエンス(耐性)を活かして立ち上がるぞと。立ち上がる時には、タダでは起きないと。何か持って起き上がって次に備えようと。そういうメッセージを送り続けました」
自宅学習だけでは危機対応策としては不十分で、他企業への出向も行った。「ええ、他の企業様からオファーをいただきまして、そのオファーに基づいて募集をかけると、行きたいと手を挙げてくれる人もいました。出向は強制ではなくて、自分の意志でみんな行ってもらいました」
情報通信、衛生陶器メーカー、自動車タイヤメーカー、セキュリティ関連と幅広い業種をはじめ、地方自治体などでも出向が行われた。
「みんなとても貴重な体験だったと言ってくれています」と鳥取氏。
「事業構造改革を推進」
同社は赤坂前社長時代から事業構造改革を推し進めている。コロナ禍で航空事業が吹き飛んでしまった経験から、非航空分野を拡充していこうという改革。
「やはりフルサービスキャリアだけでは、何かコロナ禍のような事が起こると、何も利益が出なくなる。それ以外の所でも、常に安定した利益が出せるような部分をしっかり確保しようということで、事業構造改革を始めました」。
フルサービスキャリア、つまり通常の航空事業が全営業収益の約7割を占める。同社が〝非航空〟とする事業領域には、低価格路のLCC(ローコストキャリア)やマイル・ライフ・インフラ事業が含まれる。
2023年度の売上構成を見ると、国際旅客が6233億円(全体の37.7%)、国内旅客が5508億円(同33.3%)で、航空事業と定義される両部門が全体の7割を占め、それに続くマイル・ライフ・インフラ事業が2608億円(同15.8%)、貨物輸送が1333億円(同8.1%)、LCCが673億円(同4.1%)、その他171億円(同1.0%)。
フルサービスキャリア(航空)以外の事業領域を増やすことで、経営の持続性(サステナビリティ)を高めようという構想が、同社が推し進める事業構造改革だ。
その中核にある『JALマイルライフ構想』。『異業種事業者との提携拡大』や『DX(デジタルトランスフォーメーション)の推進』が中心となるが、具体的には、同社が乗客に特典として付与している〝マイル〟の〝貯める〟、〝使う〟を、航空以外の日常生活での利用へと拡大させようというもの。
地方自治体と連携して、その地域を仕事や観光で訪れる人の数を増やす〝関係人口〟増加を図るのもその一つ。近い将来、Maas(モビリティ・アズ・ア・サービス、スマホ一つで自由に移動できる次世代型移動サービス)を駆使しての離島や山間部での輸送インフラ整備にも構想が広がる(マイルライフ構想については更山太一記者のレポートを参照)。
こうした事業構造改革を進めるに当たり、鳥取氏は「基本事業は航空。ここはこれからも磨いていくと。同時に非航空事業も頑張るということです」と語る。
稲盛和夫氏の訓話・哲学を大事にして…
鳥取氏は1985年(昭和60年)4月、旧東亜国内航空にCAとして入社。
東亜国内航空はかつて東京急行電鉄(現東急)が航空事業に参入しようと設立した旧日本国内航空(1964年設立)が淵源。その後、日本エアシステム(JAS)として事業を展開したが、2002年に日本航空との経営統合に踏み切り、2004年に完全統合を果たした。
客室乗務の現場一筋に歩いてきた鳥取氏が両社の融合に腐心したのは前述の通りだが、これまでの航空再編を現場で体験してきた氏が、同社の新しい経営秩序づくりを担うということ。
2010年の経営破綻の折、日本航空再建役としての任に当たったのが稲盛和夫氏(京セラ創業者、2022年逝去、享年90)。「日航が無くなれば日本経済全体にマイナス影響が出る」として、78歳の高齢を押して稲盛氏は心血を注いで日航再建に当たった。
その再建の骨子は、一人ひとりが当事者意識を持って、自分の仕事に日々向き合うことの大切さであった。
稲盛氏は現場を大事にする経営者で、経営と現場の距離を縮め、両者の融合を果たすには、エリート意識を排するという姿勢を貫いた。
稲盛氏が、整備部門出身の大西賢氏を社長に据えたのも、その後、パイロット出身の植木義晴氏(前会長)が社長に就任したのも、そして植木氏の後にやはり整備出身の赤坂祐二氏が社長になったのも、稲盛氏の現場を大事にする経営フィロソフィ(哲学)が受け継がれていると言っていい。
「稲盛さんがおっしゃった、責任感の欠如。これは誰かがやってくれるだろうという気持ちではいけないと。それから一体感の欠如。これは本社と現場の壁や相互理解が不足しているということ。それと採算意識の欠如。この3つの欠如を強く指摘していただきました。今は部門別フィロソフィやアメーバ経営がしっかり根付いてきましたので、力を合わせていきたい」
一人ひとりが当事者意識を持つことに、「努めて参ります」という。現場重視の経営が続く。
初の女性社長となった背景と理由
女性初の社長誕生─ということだけでなく、鳥取三津子氏はCA(キャビンアテンダント、客室乗務員)出身、さらに旧日本航空が経営統合した旧日本エアシステム(JAS)出身ということでも注目を集めた。
赤坂祐二・前社長(現会長、1962年1月生まれ、東京大学大学院工学系研究科修了)から、「次を頼む」と言われた時、どのような心境だったのか?
「『わたしにできますか?』と聞き返しましたね。そんな重要な役割をわたしにできるのでしょうかと問い返しましたし、自分の生涯で一番悩みました」
鳥取氏は福岡県久留米市の出身。第1回東京五輪が開催された1964年(昭和39年)12月生まれ。1985年(昭和60年)長崎市のミッション系・活水女子短期大学英文学科を卒業し、旧東亜国内航空(後に日本エアシステムに社名変更)にCAとして入社。
同年夏には、日航ジャンボ機が御巣鷹山(群馬県)に墜落し、520人の犠牲者を出した飛行機事故が発生。航空業界に衝撃が走った年である。
客室乗務員として、客室業務の現場一筋で来た鳥取氏。
かつて所属した旧日本エアシステムが旧日本航空(当時の社名は日本航空インターナショナル)と経営統合・合併する時(2004年)も、現場の融合に腐心した。
「同じ航空会社なのに結構違いがあるということで、自らそこに飛び込んで仕事をやりました。焦ってはいけないし、大変だなと最初に思いましたけど、無事に何とか(融合を)やってきました」
鳥取氏は両社の歴史や業務の進め方に違いがある事を認識しながら、現場の融合を進めていったと話す。そして、「本当の融合という意味では、数年かかりました」と当時を回顧する。
先述のとおり鳥取氏は旧日本エアシステム出身。
「JASはやはり、国内の航空会社から立ち上がった会社で、日本航空は国際線の会社でした。ですから、全く考え方が違うと。でも、それは仕様がない事なので、そこを何か言っても仕方がないと思いました」
両社の歴史や社風の違いを、「いったん頭に置いて、ではどうしていったらいいのかを考えました」という鳥取氏の処し方。
航空会社にとって、安全を徹底した運航管理と乗客に提供するサービスは中心的業務。旧東亜国内航空に入社して以来約40年間、その現場の第一線で働いてきた鳥取氏はコロナ禍直前の2019年に日本航空の客室安全推進部長、2020年に執行役員客室本部長に就任した。
「一昨年度まで現場にいて、本社に来たのは昨年度からです」と本人が語るように、2023年4月専務執行役員となり、カスタマー・エクスペリエンス本部長、ブランドコミュニケーション担当とサービス部門の総責任者になった。
そして今年(2024)4月に代表取締役社長・グループCEO(最高経営責任者)就任という足取りである。
鳥取氏の強みとは何か
鳥取氏の強みは何と言っても、航空事業の生命線である現場キャリアが長く、現場を知り尽くしていることであろう。
「はい、昨年度はサービスの部署を担当させてもらい、共通点はお客さまなのだと。安全もサービスもその先には、常にお客さまがいらっしゃるということ。そういう意味では、現場を知り、お客さまを知っているところが自分の強みだと思っています」。
航空会社に入り約40年が経ったが、この間一番嬉しかったこととは何か?
「乗務員の時は、本当にお客さまと接することが楽しく、仲間と仕事をすることが本当に楽しかった。それがマネジメントする立場になっていくと、今度はしっかり成長していく後輩の姿を見るのが非常に楽しい。人を育てることはすごく楽しかったのですが、それだけでは済まない立場に途中からなりました。もっと成長してもらい、経営に入ってもらえるような人を、例えば女性からもっと出したいなと。今は、女性だからというような事もないし、男性ももちろん成長してほしいと思っているので、もっともっと挑戦して、いろいろな事をやってほしいなと思っています」と語る鳥取氏である。
緊張感の伴う日々
『安全・安心』運航の徹底を─。航空会社にとっての最大の経営課題は何と言っても、乗客の安全・安心を確保・維持することにある。
その点に関して、日本航空は今年5月、国土交通省から安全運航に関して行政指導を受けたことを肝に銘じていかなければならない。
冒頭、鳥取氏が今年4月の社長就任以降の半年間を総括して、「緊張の日々」と語っているのも、その事とも関連がある。
国土交通省が〝注意〟を促したのは、鳥取氏の社長就任前に起きた事案を含む5件。
まずは、2023年11月、米シアトル・タコマ空港で同社航空機が管制許可を得ずに滑走路を横切ったこと。今年2月には米サンディエゴ空港で他機が着陸態勢に入った時に、日航機が誤って異なる滑走路に侵入、滑走路停止線を超えたために、着陸をやり直す事案が発生。
鳥取氏の社長就任後の4月24日には、米ダラスに滞在中の機長が過度に飲酒したため、常務予定であった航空機に乗務できないという事案もあった。
また福岡空港では、同社機が滑走路手前の停止線を越え(5月10日)、羽田空港では、駐機場を移動中に日航機同士の主翼が接触するという事案も報告されている(5月23日)。
そして、今年1月2日、羽田空港で誤って滑走路に進入していた海上保安庁機と着陸しようとしていた日航機が衝突するという事故が発生。これはCAなどの乗務員の適切な行動もあり、乗客367人全員が無事に飛行機から脱出できたのが幸いであった(海保機では5人死亡)。こうした事案が続く中、安全・安心を徹底すべく、「緊張感」のある日々が続いたということ。
「行政指導も国土交通省から受けましたし、(安全・安心を図るということへの)対応に重きを置いて参りました。安全を守ってくれる社員にとっては重い話ですので、正直、この間は明るい発表ができずにおりました」と、内外への情報発信に慎重にならざるを得なかった状況と鳥取氏は語る。
ただ、乗客や国民に対して、必要不可欠な情報やメッセージは発信しなければならない。
「ええ、結構、濃淡が激しいというか、明暗が激しいメッセージがこの半年間は多かったかなと思っております」と鳥取氏も語る。
インバウンド増を背景に業績は上方修正
航空業界はコロナ禍期間中、大きな打撃を受けた。働き方もリモートワークが広まり、人の交流が途絶え、国境を越える人の移動も激減。日本航空の業績はその間、赤字となり、2022年3月期は売上収益約6827億円で、EBIT(利払い・税引き前利益)は2395億円もの大赤字となった。
それがようやく黒字化するのは2023年3月期から(同期の業績は売上収益約1兆3755億円、EBIT645億円)。そして、24年3月期は売上収益約1兆6518億円、EBIT約1452億円と大幅な増収増益となった。25年3月期も売上収益1兆9300億円、EBIT1700億円と、これも増収増益となる見通しだ。
この決算好転の背景にはインバウンドの増加がある。政府観光局によると、2024年上半期の累計は1777万7200人。これは過去最高を記録したコロナ前の2019年上半期を100万人以上上回る。このまま行くと、今年のインバウンドは3500万人超が見込まれる。
インバウンドによる消費額は、2023年は5兆3000億円強で、今年は7兆円以上にのぼると見られ、日本経済への波及効果も大きい。
こうした環境好転で、国内・国際線共に旅客および貨物の需要が増加。同社の中長期経営計画(2021年度―2025年度)においても上方修正が進む。
EBITで、2024年度は1700億円、25年度は1850億円以上としていた目標額を2000億円に上方修正。さらに30年度には「3000億円にしたい」という状況。
同社はコロナ禍明けの旅客需要増を見込んで大規模投資に踏み切る。環境変化に対応して、低燃費の機材や、国内線を中心に小型機材も導入する計画である。
国際線で30機、国内線で32機と、計62機を購入。メーカー別では、欧州のエアバス機が31機、米国のボーイング機が31機。同社は購入予定額を明らかにしていないが、カタログ価格では2兆円を超える大型投資になる見込み。
こうした大型投資の動きは、ライバルのANAホールディングスにも見られ、2020年にはボーイング機を計20機発注。2030年度にはボーイング787型機を100機以上に増やす計画だ。
コロナ禍にあって雇用を守り抜く
コロナ禍当時とは打って変わって、旅客・貨物共に需要増が見込まれ、前向きな投資が出てきたが、それとは反対に今、世界情勢は混沌としている。米国大統領選(11月)の行方、ウクライナ戦争、イスラム軍事組織のヒズボラやハマスとの戦闘拡大、米中対立と、世界全体にリスクが高まっているのも事実。
こうした地球規模でのリスクの高まりにどう対応していくかという命題である。
コロナ禍では、航空業界は需要が消失。「飛行機が全く止まってしまって、利益が全然でない状態」に陥ってしまった。
2010年の会社更生法適用時に、全体の約3分の1に相当する約1万3000人の社員をリストラせざるを得なかった同社。今回のパンデミック(世界的規模での感染症拡大)到来でも社員に不安が広まったが、当時の赤坂祐二社長は「雇用を守る」といち早く宣言した。
これは、前回の経営危機以来、雇用だけは大切にしていく─という経営姿勢を示していただけに、コロナ禍の苦境を迎えても雇用維持に努めるという強い意志があったのであろう。
当時、客室本部の責任ある立場にあった鳥取氏も、「まさに仕事がなくなる最前線の部署でしたので、非常に辛かったです」と当時の心境を明かす。
ライバル社が〝一時帰休〟などの措置を講ずる中で、日本航空は一時帰休を選択しなかった。
「わたしたちは一時帰休を選択せず、みんなが仕事をしながらというか、人によって仕事内容は違うのですが、例えば自宅での自学習というプログラムを行ったりしました。もちろん、ⅰPADなどのデバイスとかを持つように環境を整えて、月の7割、8割位は自宅で自学習することもやりました」
その自学習も多岐にわたり、人それぞれで内容も違う。
「ええ、客室本部だけのことではなくて、せっかくのチャンスだと捉えてですね、他部門の勉強をしたりだとか、(オンライン会議システムの)ZOOMで他部署の人と意見交換をしたりしました。もういろいろな事を自分たちで企画しました」
人と人の繋がりの中で仕事を創り出す!
仕事を自分たちで創り出す─。この時の経験がポストコロナの今、活かされていると鳥取氏が語る。
「何もしないで過ごして、3年後にフライトにまた復帰すると言っても、やはりなかなかついて行けないと。そこでしっかりと普段以上の知識を蓄えられた事は、非常に大きかったと思うんです。普段できない事も勉強できたし、客室本部以外の事も知るという事は、その後の相互理解にも繋がりますからね」
鳥取氏は各部門間の相互理解に繋がった事を評価しながら、「ただ、それは非常に大変だったと思います」と次のように語る。
「わたしもコロナの間、週に3日位、自宅で働き、それ以外は出社していたんです。自分でやってみて、これを1週間、2週間続けてやるのはなかなか大変だと思いました」
やはり基本的に人はオフィスで直接人と対話し、人と人の繋がりの中で仕事をするものなのであろう。
コロナ禍当時、客室本部に所属する社員、スタッフは海外を含めて約6000人。当時、彼ら彼女らにはどういったメッセージを伝えたのか?
「年度によっていろいろメッセージは変えたのですが、基本的には『Be a professional!』(プロフェッショナルたれ!)ですね。プロとして、どんな状況になってもレジリエンス(耐性)を活かして立ち上がるぞと。立ち上がる時には、タダでは起きないと。何か持って起き上がって次に備えようと。そういうメッセージを送り続けました」
自宅学習だけでは危機対応策としては不十分で、他企業への出向も行った。「ええ、他の企業様からオファーをいただきまして、そのオファーに基づいて募集をかけると、行きたいと手を挙げてくれる人もいました。出向は強制ではなくて、自分の意志でみんな行ってもらいました」
情報通信、衛生陶器メーカー、自動車タイヤメーカー、セキュリティ関連と幅広い業種をはじめ、地方自治体などでも出向が行われた。
「みんなとても貴重な体験だったと言ってくれています」と鳥取氏。
「事業構造改革を推進」
同社は赤坂前社長時代から事業構造改革を推し進めている。コロナ禍で航空事業が吹き飛んでしまった経験から、非航空分野を拡充していこうという改革。
「やはりフルサービスキャリアだけでは、何かコロナ禍のような事が起こると、何も利益が出なくなる。それ以外の所でも、常に安定した利益が出せるような部分をしっかり確保しようということで、事業構造改革を始めました」。
フルサービスキャリア、つまり通常の航空事業が全営業収益の約7割を占める。同社が〝非航空〟とする事業領域には、低価格路のLCC(ローコストキャリア)やマイル・ライフ・インフラ事業が含まれる。
2023年度の売上構成を見ると、国際旅客が6233億円(全体の37.7%)、国内旅客が5508億円(同33.3%)で、航空事業と定義される両部門が全体の7割を占め、それに続くマイル・ライフ・インフラ事業が2608億円(同15.8%)、貨物輸送が1333億円(同8.1%)、LCCが673億円(同4.1%)、その他171億円(同1.0%)。
フルサービスキャリア(航空)以外の事業領域を増やすことで、経営の持続性(サステナビリティ)を高めようという構想が、同社が推し進める事業構造改革だ。
その中核にある『JALマイルライフ構想』。『異業種事業者との提携拡大』や『DX(デジタルトランスフォーメーション)の推進』が中心となるが、具体的には、同社が乗客に特典として付与している〝マイル〟の〝貯める〟、〝使う〟を、航空以外の日常生活での利用へと拡大させようというもの。
地方自治体と連携して、その地域を仕事や観光で訪れる人の数を増やす〝関係人口〟増加を図るのもその一つ。近い将来、Maas(モビリティ・アズ・ア・サービス、スマホ一つで自由に移動できる次世代型移動サービス)を駆使しての離島や山間部での輸送インフラ整備にも構想が広がる(マイルライフ構想については更山太一記者のレポートを参照)。
こうした事業構造改革を進めるに当たり、鳥取氏は「基本事業は航空。ここはこれからも磨いていくと。同時に非航空事業も頑張るということです」と語る。
稲盛和夫氏の訓話・哲学を大事にして…
鳥取氏は1985年(昭和60年)4月、旧東亜国内航空にCAとして入社。
東亜国内航空はかつて東京急行電鉄(現東急)が航空事業に参入しようと設立した旧日本国内航空(1964年設立)が淵源。その後、日本エアシステム(JAS)として事業を展開したが、2002年に日本航空との経営統合に踏み切り、2004年に完全統合を果たした。
客室乗務の現場一筋に歩いてきた鳥取氏が両社の融合に腐心したのは前述の通りだが、これまでの航空再編を現場で体験してきた氏が、同社の新しい経営秩序づくりを担うということ。
2010年の経営破綻の折、日本航空再建役としての任に当たったのが稲盛和夫氏(京セラ創業者、2022年逝去、享年90)。「日航が無くなれば日本経済全体にマイナス影響が出る」として、78歳の高齢を押して稲盛氏は心血を注いで日航再建に当たった。
その再建の骨子は、一人ひとりが当事者意識を持って、自分の仕事に日々向き合うことの大切さであった。
稲盛氏は現場を大事にする経営者で、経営と現場の距離を縮め、両者の融合を果たすには、エリート意識を排するという姿勢を貫いた。
稲盛氏が、整備部門出身の大西賢氏を社長に据えたのも、その後、パイロット出身の植木義晴氏(前会長)が社長に就任したのも、そして植木氏の後にやはり整備出身の赤坂祐二氏が社長になったのも、稲盛氏の現場を大事にする経営フィロソフィ(哲学)が受け継がれていると言っていい。
「稲盛さんがおっしゃった、責任感の欠如。これは誰かがやってくれるだろうという気持ちではいけないと。それから一体感の欠如。これは本社と現場の壁や相互理解が不足しているということ。それと採算意識の欠如。この3つの欠如を強く指摘していただきました。今は部門別フィロソフィやアメーバ経営がしっかり根付いてきましたので、力を合わせていきたい」
一人ひとりが当事者意識を持つことに、「努めて参ります」という。現場重視の経営が続く。