日本航空(JAL)初の女性社長であり、客室乗務員出身社長。さらには旧JAS(日本エアシステム)出身という異例の抜擢で日本の航空会社のカジ取りを担うことになった鳥取氏。「安全もサービスも、その先には常にお客さまがいる」と語り、その基本軸を守りながらもEBIT(利払い・税引き前利益)で「2030年に3000億円」という志も抱く。自らの歩みをどのように生かして日本航空の本業を伸ばし、非航空事業を育てていくのか。
濃淡・明暗の激しかった半年間
─ 社長就任から半年。現状認識を聞かせてください。
鳥取 この半年はあっという間でした。業績は昨年度が回復期で、今年度は成長の時期に入りました。お客さまの需要も比較的旺盛ですので、業績に関しては、そんなに心配してはいません。
課題としては、我々が中期経営計画で掲げている非航空事業の拡大などがあるのですが、あまり安心していられる状況ではないと。やはり自然災害が非常に多くなっていますし、地政学的なリスクなどもありますので、なかなか安心して日々を過ごせないという半年間でしたね。
─ 緊張の連続ですね。
鳥取 はい。飛行機のオペレーション(運航)というのは、なかなか計画通りにいかないものですが、社長という立場になって、更にそれを実感しています。
─ 社員にはどのようなメッセージを発信していますか。
鳥取 何といっても安全です。5月に国土交通省から厳重注意を受けましたから、そこはしっかりやっていかなければなりません。一方で8月には「移動を通じた関係・つながり」を創造する未来を描いた「JAL FUTURE MAP」という明るい話題を発表できました。ですから、濃淡・明暗が激しい半年間でしたね。
決算はマスタープラン(目標)を達成することができましたので、社員には「ありがとう」と伝えましたが、それと同時に「安全もしっかり守っていきましょう」と。これを抱き合わせて話をすることが多かったです。
─ コロナ禍の底からは脱却し、業績は良くなってきたと。
鳥取 ええ。ただ国内旅客が思うように回復していない点は気がかりです。人口減少もありますからね。台風等で計画通りにいかないところもあります。
─ 国内線と国際線との比率は、どのくらいなのですか。
鳥取 かつて国内線の旅客収入の方が大きかったのですが、今は逆転し、6対4くらいで国際線の方が大きくなっています。
─ インバウンドが非常に多くなっていますね。
鳥取 はい。国際線のインバウンドで好調を維持しているという形です。8月のインバウンドも7カ月連続で前年同月比を上回りました。
本当にインバウンドのお客さまにはたくさん乗っていただいていますが、一方で、日本人によるアウトバウンドのお客さまが、まだコロナ前比の6割ほどしか戻ってきていません。
─ 先ほどの中期経営計画においては、EBITを伸ばす計画です。
鳥取 はい。今年度の目標は1700億円で、中期経営計画の最終年度に当たる2025年度は2000億円を目指しています。それから、これは中期経営計画での記載はありませんが、30年に3000億円を目指します。
コロナ禍を教訓にした構造改革
─ 国際線が収益源ですか。
鳥取 コロナ禍では飛行機が全て止まってしまいました。このときは本当に利益が全然出ませんでした。このときの厳しい経験がありましたので、前任の赤坂祐二社長(現会長)が事業構造改革を始めたのです。
やはりフルサービスキャリア(FSC)だけでは、次のパンデミックのような事態が起こると、再び利益が出なくなってしまう。ですから、FSC以外でも常に安定した利益が出せるような事業をしっかり担保しようと。今はまだFSCが全体の営業収益の約7割で、それ以外の事業が3割です。これを最終的には5対5にもっていきたいなと。
─ FSC以外の非航空事業とは具体的に何ですか。
鳥取 LCC(格安航空会社)やマイル・ライフ・インフラ領域になります。例えば、マイルやグランドハンドリングと呼ばれる空港業務の受託などです。
─ やはりコロナ禍の3年間は厳しいものでしたか。
鳥取 もちろん大変でしたけれども、赤坂が「雇用は守る」と最初に宣言し、社員もまずは安心したと思います。特に私は当時、客室本部の本部長に就いており、まさに現場で仕事がなくなるという最前線の部署にいましたので、非常に辛い思いをしたことを覚えています。
─ どうやって社員たちを励ましてきたのですか。
鳥取 仕事がない中で我々がとった対策は一時帰休ではなく、自学習に努めてもらうことでした。人によってその中身はそれぞれ異なりますが、自宅で自らを高めるための勉強をしてもらったのです。プログラムは会社で作り込みました。皆さん、iPadなどのデバイスは持っていましたので、勉強ができる環境を整えて、月の7~8割は自学習に当ててもらったのです。
─ どういった学習ですか。
鳥取 多岐にわたります。客室本部だけのことではなく、ある意味で、これをせっかくのチャンスだと捉えて他部門の勉強をしたり、オンライン会議システムのZoomを使って、違う部署の人たちと意見交換をしたり、いろいろなことを自分たちで企画して勉強をしていました。
─ このことはポストコロナになって活かされていますか。
鳥取 良かったと思います。普通なら得られない知識を蓄えることができましたからね。
─ 客室本部のトップとしては、社員にはどんなメッセージを送り続けていたのですか。
鳥取 年度によってメッセージは変えていきました。ある年度では「Be a Professional.」と。もともと客室本部ではコロナ以前から、どんな状況に直面しても、プロとしてレジリエンス(困難をしなやかに乗り越え回復する力)を活かして立ち上がるぞと伝えていました。しかも立ち上がるときにはタダでは起きない。何か持って起き上がって次に備えようと。そんなメッセージを出していましたね。
CAのマニュアル整備を担当
─ 困難を生かして次に飛躍したいという思いとも言えますね。さて、鳥取さんはユニークな略歴での社長就任ということで話題に上っています。就職したのは1985年でしたね。
鳥取 はい。私は東亜国内航空(当時)に入社したのですが、まさにその年の夏に日本航空のジャンボ機が御巣鷹山に墜落するという事故が起きました。
─ 東亜国内航空と言えば、旅客需要が急増した1960年代後半に、日本航空と全日本空輸に次ぐ東亜航空と東急グループの日本国内航空の2社が業績不振に陥り、東亜航空は全日空と、日本国内航空は日本航空と合併する計画が持ち上がりましたが決裂。東急と不二サッシが東亜航空の株主となって東亜国内航空が誕生し、88年に日本エアシステム(JAS)となりました。その後、2004年に日本航空と合併するわけですが、客室乗務員(CA)として再編の歴史をどう見ていましたか。
鳥取 JAL・JAS合併のときはCAではなく、安全関連の仕事を担当していました。JALとJASのCAの安全マニュアルをどうやって一緒にするかといった業務です。
同じ航空会社ではありますが、両社で結構な違いがあるなということで、当初から大変な作業だなと思いました。それでも無事に何とかやりきることができました。
─ 融合には、どれくらいの時間がかかりましたか。
鳥取 真の意味での融合には数年かかりましたね。喧嘩になることはありませんでしたが、やはりお互いに長年、自分たちのやり方で仕事をしてきたわけですから、自分たちのやり方がより良い方法だと思っていたわけです。それは当然ですよね。
それでも自分たちの業務を全て融合のテーブルの上に乗せて、お客さまのためにはどうあるべきかという根本のところから一緒に考えながらゼロから創り上げていきました。
そのときに思ったことは、我々JASは国内線の航空会社として立ち上がった会社である一方、日本航空は国際線の会社です。ですから、考え方が全く違うということでした。
しかし、それは仕方のないことですから、それに対して諦めたり、不満を持ったりしても何も始まりません。「そういうものなのですね」と相手のやり方を一旦頭に置いて、どうしていくべきかを考えていきました。
─ 貴重な経験でもありましたね。赤坂会長から社長就任を打診されたときの気持ちとは、どのようなものでしたか。
鳥取 「私にできますか?」と聞き返してしまいましたね(笑)。「そんな重要な役割を私にできるのでしょうか」と問い返した感じです。これについては、生涯で一番悩みました。
─ 引き受けようと自分を納得させたものは何ですか。
鳥取 私は入社以来、一昨年度までずっと現場にいました。昨年度からカスタマー・エクスペリエンス本部で初めて本社で働き始めましたが、それまではずっと現場にいたわけです。
やはり現場を知っているということは非常に強いと思いますし、自分のこれまでのキャリアが安全に寄っていることも多かった。
昨年度はサービスの部署で仕事をしていましたが、それらの共通点はお客さまです。安全もサービスも、その先には常にお客さまがいらっしゃいます。
そういう意味では、現場を知って、お客さまを知っていることが自分の強みだと。ですから、今あるわけではありませんが、現場と経営との見えない壁を更に、なくしていきたいと思っています。
女性が組織にトップに立って
─ 経営と現場の関係は常に経営につきまとう問題です。現場からも提案してもらわないといけないし、現場からの一方的な提案だけでもいけない。仕事を始めて約40年、この仕事をやっていて良かったなと思ったことはどんなことですか。
鳥取 CAとして飛んでいたときと、管理職になって違う仕事を始めたときとでは、考えることは全く違いました。
CAのときは、本当にお客さまと接することが楽しくて、仲間と一緒に仕事をすることが楽しくて仕方がありませんでした。それだけだったのかもしれません(笑)。
しかし、CAを率いる立場になっていくにつれてマネージメントの楽しさや、しっかりと成長していく後輩の姿を見ていくことの楽しさを感じました。客室本部の楽しさは人を育てることが大きいかもしれません。若い人たちには、もっと挑戦して欲しいなと思っています。
─ 女性活用が叫ばれる昨今、どんなエールを送りますか。
鳥取 女性がリーダーになることは、あるべき姿だと思っています。もっとこれが普通になって欲しいなと。そうしなければ、世の中ももちません。子育てなどを経験した人たちが、いろいろな場で、いろいろな提案をすることが、非常に意味があると思うのです。それは当事者でないと分かりません。
今の世にマッチした提案ができるのは女性であることも多いと思います。そういう経験をした人がもっと経営する立場になってもらえればと思っています。
濃淡・明暗の激しかった半年間
─ 社長就任から半年。現状認識を聞かせてください。
鳥取 この半年はあっという間でした。業績は昨年度が回復期で、今年度は成長の時期に入りました。お客さまの需要も比較的旺盛ですので、業績に関しては、そんなに心配してはいません。
課題としては、我々が中期経営計画で掲げている非航空事業の拡大などがあるのですが、あまり安心していられる状況ではないと。やはり自然災害が非常に多くなっていますし、地政学的なリスクなどもありますので、なかなか安心して日々を過ごせないという半年間でしたね。
─ 緊張の連続ですね。
鳥取 はい。飛行機のオペレーション(運航)というのは、なかなか計画通りにいかないものですが、社長という立場になって、更にそれを実感しています。
─ 社員にはどのようなメッセージを発信していますか。
鳥取 何といっても安全です。5月に国土交通省から厳重注意を受けましたから、そこはしっかりやっていかなければなりません。一方で8月には「移動を通じた関係・つながり」を創造する未来を描いた「JAL FUTURE MAP」という明るい話題を発表できました。ですから、濃淡・明暗が激しい半年間でしたね。
決算はマスタープラン(目標)を達成することができましたので、社員には「ありがとう」と伝えましたが、それと同時に「安全もしっかり守っていきましょう」と。これを抱き合わせて話をすることが多かったです。
─ コロナ禍の底からは脱却し、業績は良くなってきたと。
鳥取 ええ。ただ国内旅客が思うように回復していない点は気がかりです。人口減少もありますからね。台風等で計画通りにいかないところもあります。
─ 国内線と国際線との比率は、どのくらいなのですか。
鳥取 かつて国内線の旅客収入の方が大きかったのですが、今は逆転し、6対4くらいで国際線の方が大きくなっています。
─ インバウンドが非常に多くなっていますね。
鳥取 はい。国際線のインバウンドで好調を維持しているという形です。8月のインバウンドも7カ月連続で前年同月比を上回りました。
本当にインバウンドのお客さまにはたくさん乗っていただいていますが、一方で、日本人によるアウトバウンドのお客さまが、まだコロナ前比の6割ほどしか戻ってきていません。
─ 先ほどの中期経営計画においては、EBITを伸ばす計画です。
鳥取 はい。今年度の目標は1700億円で、中期経営計画の最終年度に当たる2025年度は2000億円を目指しています。それから、これは中期経営計画での記載はありませんが、30年に3000億円を目指します。
コロナ禍を教訓にした構造改革
─ 国際線が収益源ですか。
鳥取 コロナ禍では飛行機が全て止まってしまいました。このときは本当に利益が全然出ませんでした。このときの厳しい経験がありましたので、前任の赤坂祐二社長(現会長)が事業構造改革を始めたのです。
やはりフルサービスキャリア(FSC)だけでは、次のパンデミックのような事態が起こると、再び利益が出なくなってしまう。ですから、FSC以外でも常に安定した利益が出せるような事業をしっかり担保しようと。今はまだFSCが全体の営業収益の約7割で、それ以外の事業が3割です。これを最終的には5対5にもっていきたいなと。
─ FSC以外の非航空事業とは具体的に何ですか。
鳥取 LCC(格安航空会社)やマイル・ライフ・インフラ領域になります。例えば、マイルやグランドハンドリングと呼ばれる空港業務の受託などです。
─ やはりコロナ禍の3年間は厳しいものでしたか。
鳥取 もちろん大変でしたけれども、赤坂が「雇用は守る」と最初に宣言し、社員もまずは安心したと思います。特に私は当時、客室本部の本部長に就いており、まさに現場で仕事がなくなるという最前線の部署にいましたので、非常に辛い思いをしたことを覚えています。
─ どうやって社員たちを励ましてきたのですか。
鳥取 仕事がない中で我々がとった対策は一時帰休ではなく、自学習に努めてもらうことでした。人によってその中身はそれぞれ異なりますが、自宅で自らを高めるための勉強をしてもらったのです。プログラムは会社で作り込みました。皆さん、iPadなどのデバイスは持っていましたので、勉強ができる環境を整えて、月の7~8割は自学習に当ててもらったのです。
─ どういった学習ですか。
鳥取 多岐にわたります。客室本部だけのことではなく、ある意味で、これをせっかくのチャンスだと捉えて他部門の勉強をしたり、オンライン会議システムのZoomを使って、違う部署の人たちと意見交換をしたり、いろいろなことを自分たちで企画して勉強をしていました。
─ このことはポストコロナになって活かされていますか。
鳥取 良かったと思います。普通なら得られない知識を蓄えることができましたからね。
─ 客室本部のトップとしては、社員にはどんなメッセージを送り続けていたのですか。
鳥取 年度によってメッセージは変えていきました。ある年度では「Be a Professional.」と。もともと客室本部ではコロナ以前から、どんな状況に直面しても、プロとしてレジリエンス(困難をしなやかに乗り越え回復する力)を活かして立ち上がるぞと伝えていました。しかも立ち上がるときにはタダでは起きない。何か持って起き上がって次に備えようと。そんなメッセージを出していましたね。
CAのマニュアル整備を担当
─ 困難を生かして次に飛躍したいという思いとも言えますね。さて、鳥取さんはユニークな略歴での社長就任ということで話題に上っています。就職したのは1985年でしたね。
鳥取 はい。私は東亜国内航空(当時)に入社したのですが、まさにその年の夏に日本航空のジャンボ機が御巣鷹山に墜落するという事故が起きました。
─ 東亜国内航空と言えば、旅客需要が急増した1960年代後半に、日本航空と全日本空輸に次ぐ東亜航空と東急グループの日本国内航空の2社が業績不振に陥り、東亜航空は全日空と、日本国内航空は日本航空と合併する計画が持ち上がりましたが決裂。東急と不二サッシが東亜航空の株主となって東亜国内航空が誕生し、88年に日本エアシステム(JAS)となりました。その後、2004年に日本航空と合併するわけですが、客室乗務員(CA)として再編の歴史をどう見ていましたか。
鳥取 JAL・JAS合併のときはCAではなく、安全関連の仕事を担当していました。JALとJASのCAの安全マニュアルをどうやって一緒にするかといった業務です。
同じ航空会社ではありますが、両社で結構な違いがあるなということで、当初から大変な作業だなと思いました。それでも無事に何とかやりきることができました。
─ 融合には、どれくらいの時間がかかりましたか。
鳥取 真の意味での融合には数年かかりましたね。喧嘩になることはありませんでしたが、やはりお互いに長年、自分たちのやり方で仕事をしてきたわけですから、自分たちのやり方がより良い方法だと思っていたわけです。それは当然ですよね。
それでも自分たちの業務を全て融合のテーブルの上に乗せて、お客さまのためにはどうあるべきかという根本のところから一緒に考えながらゼロから創り上げていきました。
そのときに思ったことは、我々JASは国内線の航空会社として立ち上がった会社である一方、日本航空は国際線の会社です。ですから、考え方が全く違うということでした。
しかし、それは仕方のないことですから、それに対して諦めたり、不満を持ったりしても何も始まりません。「そういうものなのですね」と相手のやり方を一旦頭に置いて、どうしていくべきかを考えていきました。
─ 貴重な経験でもありましたね。赤坂会長から社長就任を打診されたときの気持ちとは、どのようなものでしたか。
鳥取 「私にできますか?」と聞き返してしまいましたね(笑)。「そんな重要な役割を私にできるのでしょうか」と問い返した感じです。これについては、生涯で一番悩みました。
─ 引き受けようと自分を納得させたものは何ですか。
鳥取 私は入社以来、一昨年度までずっと現場にいました。昨年度からカスタマー・エクスペリエンス本部で初めて本社で働き始めましたが、それまではずっと現場にいたわけです。
やはり現場を知っているということは非常に強いと思いますし、自分のこれまでのキャリアが安全に寄っていることも多かった。
昨年度はサービスの部署で仕事をしていましたが、それらの共通点はお客さまです。安全もサービスも、その先には常にお客さまがいらっしゃいます。
そういう意味では、現場を知って、お客さまを知っていることが自分の強みだと。ですから、今あるわけではありませんが、現場と経営との見えない壁を更に、なくしていきたいと思っています。
女性が組織にトップに立って
─ 経営と現場の関係は常に経営につきまとう問題です。現場からも提案してもらわないといけないし、現場からの一方的な提案だけでもいけない。仕事を始めて約40年、この仕事をやっていて良かったなと思ったことはどんなことですか。
鳥取 CAとして飛んでいたときと、管理職になって違う仕事を始めたときとでは、考えることは全く違いました。
CAのときは、本当にお客さまと接することが楽しくて、仲間と一緒に仕事をすることが楽しくて仕方がありませんでした。それだけだったのかもしれません(笑)。
しかし、CAを率いる立場になっていくにつれてマネージメントの楽しさや、しっかりと成長していく後輩の姿を見ていくことの楽しさを感じました。客室本部の楽しさは人を育てることが大きいかもしれません。若い人たちには、もっと挑戦して欲しいなと思っています。
─ 女性活用が叫ばれる昨今、どんなエールを送りますか。
鳥取 女性がリーダーになることは、あるべき姿だと思っています。もっとこれが普通になって欲しいなと。そうしなければ、世の中ももちません。子育てなどを経験した人たちが、いろいろな場で、いろいろな提案をすることが、非常に意味があると思うのです。それは当事者でないと分かりません。
今の世にマッチした提案ができるのは女性であることも多いと思います。そういう経験をした人がもっと経営する立場になってもらえればと思っています。