「次に世界をリードできる産業が何かあるかというと、なかなか思い浮かばないのが現状」─みずほフィナンシャルグループ取締役会議長の小林氏。自身が外資系金融機関や国際機関で、世界から日本を見た視点から感じる課題だ。日本にはよさがあるのに、それを生かしきれていない現状、では今、日本の経営者は何をすべきか、そして国と企業の関係は今後、どう考えるべきなのか─。
ノーベル賞に見る日本の研究投資の課題
─ 政治状況も変わる中、日本の再生という観点で話をお聞きしたいと思います。まず、小林さんの現状認識は?
小林 先日、ノーベル賞の発表がありました。物理学賞、化学賞を受賞したのはAI(人工知能)関連の研究でしたが、この領域では日本人の名前は候補者として挙がってはこないのではないでしょうか。
研究、開発から受賞に至るまでの間には、それなりの時間がかかります。今、候補者が挙がってこないということは過去の研究に対する投資が弱く、10年、20年経った時、ビジネスとして花開く時に出遅れることにつながったのだと思います。これは当然、産業に影響してきます。
日本経済が低迷によって企業が投資をしなかったのか、先見の明の問題なのか、両方あるのかもしれないとは思います。
ダイナミックに変化していく世界に対して、日本人、日本の産業界がリスクを取ってこなかったことの結果が、今の状況を招いているのではないかと思います。
─ 日本の存在感が薄れてきていると。
小林 残念ながら、現状を見る限り薄れているのではないかと思います。世界をリードする企業がなかなか出てきていません。足元ではトヨタ自動車が頑張っていますが、次に世界をリードできる産業が何かあるかというと、なかなか思いつきません。
グローバルな大企業の製品に使われる中核では存在感はありますが、最終製品のブランドとしては、世界で戦える企業はありません。そうなると価格決定力を持てないので、それが弱さにつながっているのだと思います。
日本は「技術立国」で、様々な最先端技術を持っていますが、技術だけでは産業として勝負しきれないということです。
持てる技術をどう使うと社会のニーズにマッチするか、そのソフト面での発想がないと、技術だけでは競争はできないと思うんです。技術立国で技術にフォーカスし過ぎて、その技術をどう使うか、社会とくに海外でのニーズの所在を踏まえてビジネスモデルをつくるという部分が弱いのだろうと思います。
日本社会が便利なことの弊害
─ 日本全体に構想力で弱さがあるということですね。
小林 私は海外に住んでいた時期もありますが、それを踏まえると、やはり日本は特殊な国です。素晴らしいインフラなど、様々なもののクオリティが高く、諸外国と比較すると社会において不便は少ないわけです。ただ、その分、社会の本当のニーズが掴めない面があるのではないかと思います。
例えば米国でライドシェアを手掛ける「ウーバー」があります。日本でも、地方のタクシーが少ない地域ではニーズはあると思いますが、では東京で必要かというと、タクシーはクオリティ、量ともに確保していますから、どうしてもウーバーが必要という状況ではありません。
ところが米国へ行くと、そこそこの都市でもタクシーが汚かったり、運転手が道を知らず、(米国でも)英語も話せないドライバーがいます。社会としてウーバーのニーズがありますから、そこでビジネスが生まれるのです。正直、技術的に優れているわけではないわけですが、社会のニーズにマッチしているので大きなマーケットになります。
日本ではライドシェアのアプリは導入したものの、タクシー会社がベースとなりました。これは1つのいい例で、日本、とくに都市、にはライドシェアに対する逼迫したニーズがないので、そこにビジネスが生まれない。ある意味、日本の社会がよくできていることの弊害ではないかと。
─ 不便を解決しようという時、そこにビジネスが生まれるということですね。
小林 そうです。その問題を解決するために、ではどんな技術を使えばいいのかという発想になるわけですが、日本は技術をつくることに専念し過ぎてしまい、どんどんニッチな方向に向かってしまっているのではないかと思います。その代わり、出来上がったものはきっちり完璧にこなしていきます。
─ インバウンド(訪日外国人観光客)も増えていますが、日本が生活しやすい国だからということもあるようです。日本の良さとは?
小林 ええ。世界で日本の産業の存在感が薄れている一方、日本という国の存在感は高まっていると思います。外国人の友人に話を聞くと、例えばアメリカ人でも「資本主義疲れ」をしている部分があります。
ところが日本に来てみると、「何でもかんでもお金」ではなく、それなりにみんな心地よく生活できている。例えば全てのものに神が宿るという「八百万の神々」の考え方がありますから宗教で相手を傷つけたりもしません。この心地よさを、世界中でよしとしていて、日本がある意味で理想的な社会であり国だと思われている。これは日本の魅力だと思います。
とてもニュートラルで居心地がよく、自然もリスペクトしている。世界からもユニークと見られている一方、経済が発展していますから、全てにおいてパーフェクトと言ってもいい。この心地よさの一方で、先程お話したように新しいものがなかなか生まれてこない。ですから日本として、どちらに軸足を置くのかが問われます。
中国の台頭、そして中東の戦火
─ 小林さんはかつて、世界銀行グループ多数国間投資保証機関(MIGA)長官を務めるなど、様々な国と接点があったと思いますが、中国の動向をどう見ていますか。
小林 中国は今、米国、日本に次いで、世界銀行への第三位の出資者です。一方、世銀からの支援を受けるかどうかは自主申告で、申告しない限りは支援を受けられます。中国は第3位の出資国でありながら、まだ世銀の支援を受けることができる国なんです。悪い言い方をすれば、いいところ取りという状況です。
私がMIGAにいる12〜13年前、スリランカ政府とミーティングしたのですが「今、どんな民間投資を期待していますか?」と聞いたところ、彼らは「中国がつくってくれるから何もいらない」と言っていました。アフリカの国々も同じことを言っている状況だったのです。
しかし今、中国の途上国への融資を巡って、多額の債務を返済できない場合、港湾施設など重要なインフラの権益の譲渡を迫る「債務の罠」が言われています。中国の融資で建設されたスリランカの巨大港の運営権は中国のものになりました。
─ この事態を、他の途上国も見ているわけですね。ところで今、世界が混沌としていますが、イスラエルとハマスの戦いも終わりが見えない状況が続いています。
小林 イスラエルとパレスチナの関係に関しては、私がMIGAにいる時から気になっていました。私自身、ヨルダン川西岸を訪問しましたが、イスラエルはパレスチナ人の居住地で一方的に住人を追い出し入植地にしたり、貴重な水を自国側に引いたりしていました。
他にも、パレスチナでの輸出入には、イスラエル領内を通過する必要がありますが、パレスチナの車はイスラエル領内を通行できません。そのため荷物を全て積み替えさせるといったことなど実例をいくつも目にしました。
もちろん、ハマスが最初に人質を取り、攻撃をしたことは許されることではありません。ただ、私が訪問したヨルダン川西岸はもちろん、ガザ地区はさらにひどい状況で、そこに住む人々には出口がない事態になっていました。
─ 米国は経済の中枢をユダヤ人が占めていることもあり、イスラエルにモノを言える状況にはありませんね。
小林 そうですね。ですが、イギリスがイスラエルをつくる前には、ユダヤ人とパレスチナ人は、ある程度共存していたようです。その意味でも、イギリスの責任も大きいと感じます。
また、今後の戦火の拡大については、イランがどこまで我慢できるかにかかっていると思いますが、もしイランが行動を起こすことになると中東の戦禍がさらに広がると危惧します。
国と企業の関係はどうあるべきか?
─ こうした時代にあって、国と企業、個人の関係はどうなっていくと見ていますか。
小林 特にエネルギー問題は、2050年の脱炭素に向けて、企業はCO2の排出削減を進めています。その中では石炭はよく「けしからん」と言われる存在です。例えば銀行などは、石炭産業への融資、出資をやめるよう環境団体などから強いプレッシャーを受けます。
一方、金融機関を始めとした日本企業は、日本の国の政策があって、そこが事業の柱になるわけです。日本政府自体が石炭から完全に脱却すると言っていないのに、一企業が例えば石炭への融資を完全に止められるのか?という問題があります。石炭はいい例ですが、国と企業がどこまで対立できるかというのが、グローバルで事業を展開する日本企業にとって非常に深刻な問題になると思います。
グローバルに事業をしている企業は、日本企業でありながら事業展開している当該国の規制や法律、その企業に投資している投資家から異なるスタンダードを求められています。そこにどう折り合いをつけていくかは難しい問題です。規制業種ならば尚更だと思います。
─ 特に今、環境問題からはその課題を強く感じますね。
小林 ええ。私の持論なのですが、多くの規制は何かがあって、それに対応するためにつくられてきたものです。しかし、年数が経つと、世の中の環境や考え方は変わっていきます。でも、多くの場合規制自体はそのまま残り続けるわけです。
日本には明治時代から続く規制もあります。日本社会が大きく変わることができない要因の1つは、やはり古いものを捨てられない、スクラップ・アンド・ビルドができないことにあるのではないかと。その捨てられない理由が、なぜその規制ができたのかという背景を、今の当事者が忘れてしまっているからではないかと思います。
私自身、政府の会議のメンバーを務めることもありますが、今の事態に対して、どういう規制を導入すべきかという議論が中心です。そうではなく、本来市場や社会はどのようにあるべきか、それに対して企業を誘導するための規制とインセンティブを考えなければいけません。全て規制で片付けようとすると、どこかで矛盾が生まれます。規制で問題を抑え込むという考え方を変えていかなければ、雁字搦めになるばかりだと思います。
─ この課題をどう突破していくか。今の時代にあって経済人の役割をどう考えますか。
小林 経済人は、これから社会がどう変わり、何が求められるか、その中で自分達は何を提供できるかという目線で物事を考えていかなくてはなりません。
経済人は過去や、今利益を上げている事業に縛られるのではなく、社会がどう変わり、そこにどんなニーズがあるのか、自分の会社がそこでどういう役割を果たせるのかを追求していく必要があります。
将来のことを考えるためには、若い人の声がなければいけません。これからの社会を担っていく人達が何を求めて、どういうことが事業として成立し、拡大し得るかという声をもっと経営に反映できるようにしていかないと、企業は変わっていきませんし、グローバル競争で勝つことはできません。
─ 改めて、経済人には使命感が求められますね。
小林 そう思います。もう1つ、若い人達もどんどん海外に行って、日本とは違う社会を経験しダイナミックに物事を考えられるようになって欲しいです。
また、私が申し上げるのも僭越ですが、経営者は、自分が生きている間に社会に対しどう貢献するかを、1人ひとりが考えていかなければなりません。
今の企業のトップの多くは、自分が経営にかかわっている間に株価を上げたい、不祥事が起きないようにしたい等が優先しているように見えますが、肚を括って、自分が踏み台になっても、今やるべきことをやるんだという覚悟を持っていただきたいと思います。
ノーベル賞に見る日本の研究投資の課題
─ 政治状況も変わる中、日本の再生という観点で話をお聞きしたいと思います。まず、小林さんの現状認識は?
小林 先日、ノーベル賞の発表がありました。物理学賞、化学賞を受賞したのはAI(人工知能)関連の研究でしたが、この領域では日本人の名前は候補者として挙がってはこないのではないでしょうか。
研究、開発から受賞に至るまでの間には、それなりの時間がかかります。今、候補者が挙がってこないということは過去の研究に対する投資が弱く、10年、20年経った時、ビジネスとして花開く時に出遅れることにつながったのだと思います。これは当然、産業に影響してきます。
日本経済が低迷によって企業が投資をしなかったのか、先見の明の問題なのか、両方あるのかもしれないとは思います。
ダイナミックに変化していく世界に対して、日本人、日本の産業界がリスクを取ってこなかったことの結果が、今の状況を招いているのではないかと思います。
─ 日本の存在感が薄れてきていると。
小林 残念ながら、現状を見る限り薄れているのではないかと思います。世界をリードする企業がなかなか出てきていません。足元ではトヨタ自動車が頑張っていますが、次に世界をリードできる産業が何かあるかというと、なかなか思いつきません。
グローバルな大企業の製品に使われる中核では存在感はありますが、最終製品のブランドとしては、世界で戦える企業はありません。そうなると価格決定力を持てないので、それが弱さにつながっているのだと思います。
日本は「技術立国」で、様々な最先端技術を持っていますが、技術だけでは産業として勝負しきれないということです。
持てる技術をどう使うと社会のニーズにマッチするか、そのソフト面での発想がないと、技術だけでは競争はできないと思うんです。技術立国で技術にフォーカスし過ぎて、その技術をどう使うか、社会とくに海外でのニーズの所在を踏まえてビジネスモデルをつくるという部分が弱いのだろうと思います。
日本社会が便利なことの弊害
─ 日本全体に構想力で弱さがあるということですね。
小林 私は海外に住んでいた時期もありますが、それを踏まえると、やはり日本は特殊な国です。素晴らしいインフラなど、様々なもののクオリティが高く、諸外国と比較すると社会において不便は少ないわけです。ただ、その分、社会の本当のニーズが掴めない面があるのではないかと思います。
例えば米国でライドシェアを手掛ける「ウーバー」があります。日本でも、地方のタクシーが少ない地域ではニーズはあると思いますが、では東京で必要かというと、タクシーはクオリティ、量ともに確保していますから、どうしてもウーバーが必要という状況ではありません。
ところが米国へ行くと、そこそこの都市でもタクシーが汚かったり、運転手が道を知らず、(米国でも)英語も話せないドライバーがいます。社会としてウーバーのニーズがありますから、そこでビジネスが生まれるのです。正直、技術的に優れているわけではないわけですが、社会のニーズにマッチしているので大きなマーケットになります。
日本ではライドシェアのアプリは導入したものの、タクシー会社がベースとなりました。これは1つのいい例で、日本、とくに都市、にはライドシェアに対する逼迫したニーズがないので、そこにビジネスが生まれない。ある意味、日本の社会がよくできていることの弊害ではないかと。
─ 不便を解決しようという時、そこにビジネスが生まれるということですね。
小林 そうです。その問題を解決するために、ではどんな技術を使えばいいのかという発想になるわけですが、日本は技術をつくることに専念し過ぎてしまい、どんどんニッチな方向に向かってしまっているのではないかと思います。その代わり、出来上がったものはきっちり完璧にこなしていきます。
─ インバウンド(訪日外国人観光客)も増えていますが、日本が生活しやすい国だからということもあるようです。日本の良さとは?
小林 ええ。世界で日本の産業の存在感が薄れている一方、日本という国の存在感は高まっていると思います。外国人の友人に話を聞くと、例えばアメリカ人でも「資本主義疲れ」をしている部分があります。
ところが日本に来てみると、「何でもかんでもお金」ではなく、それなりにみんな心地よく生活できている。例えば全てのものに神が宿るという「八百万の神々」の考え方がありますから宗教で相手を傷つけたりもしません。この心地よさを、世界中でよしとしていて、日本がある意味で理想的な社会であり国だと思われている。これは日本の魅力だと思います。
とてもニュートラルで居心地がよく、自然もリスペクトしている。世界からもユニークと見られている一方、経済が発展していますから、全てにおいてパーフェクトと言ってもいい。この心地よさの一方で、先程お話したように新しいものがなかなか生まれてこない。ですから日本として、どちらに軸足を置くのかが問われます。
中国の台頭、そして中東の戦火
─ 小林さんはかつて、世界銀行グループ多数国間投資保証機関(MIGA)長官を務めるなど、様々な国と接点があったと思いますが、中国の動向をどう見ていますか。
小林 中国は今、米国、日本に次いで、世界銀行への第三位の出資者です。一方、世銀からの支援を受けるかどうかは自主申告で、申告しない限りは支援を受けられます。中国は第3位の出資国でありながら、まだ世銀の支援を受けることができる国なんです。悪い言い方をすれば、いいところ取りという状況です。
私がMIGAにいる12〜13年前、スリランカ政府とミーティングしたのですが「今、どんな民間投資を期待していますか?」と聞いたところ、彼らは「中国がつくってくれるから何もいらない」と言っていました。アフリカの国々も同じことを言っている状況だったのです。
しかし今、中国の途上国への融資を巡って、多額の債務を返済できない場合、港湾施設など重要なインフラの権益の譲渡を迫る「債務の罠」が言われています。中国の融資で建設されたスリランカの巨大港の運営権は中国のものになりました。
─ この事態を、他の途上国も見ているわけですね。ところで今、世界が混沌としていますが、イスラエルとハマスの戦いも終わりが見えない状況が続いています。
小林 イスラエルとパレスチナの関係に関しては、私がMIGAにいる時から気になっていました。私自身、ヨルダン川西岸を訪問しましたが、イスラエルはパレスチナ人の居住地で一方的に住人を追い出し入植地にしたり、貴重な水を自国側に引いたりしていました。
他にも、パレスチナでの輸出入には、イスラエル領内を通過する必要がありますが、パレスチナの車はイスラエル領内を通行できません。そのため荷物を全て積み替えさせるといったことなど実例をいくつも目にしました。
もちろん、ハマスが最初に人質を取り、攻撃をしたことは許されることではありません。ただ、私が訪問したヨルダン川西岸はもちろん、ガザ地区はさらにひどい状況で、そこに住む人々には出口がない事態になっていました。
─ 米国は経済の中枢をユダヤ人が占めていることもあり、イスラエルにモノを言える状況にはありませんね。
小林 そうですね。ですが、イギリスがイスラエルをつくる前には、ユダヤ人とパレスチナ人は、ある程度共存していたようです。その意味でも、イギリスの責任も大きいと感じます。
また、今後の戦火の拡大については、イランがどこまで我慢できるかにかかっていると思いますが、もしイランが行動を起こすことになると中東の戦禍がさらに広がると危惧します。
国と企業の関係はどうあるべきか?
─ こうした時代にあって、国と企業、個人の関係はどうなっていくと見ていますか。
小林 特にエネルギー問題は、2050年の脱炭素に向けて、企業はCO2の排出削減を進めています。その中では石炭はよく「けしからん」と言われる存在です。例えば銀行などは、石炭産業への融資、出資をやめるよう環境団体などから強いプレッシャーを受けます。
一方、金融機関を始めとした日本企業は、日本の国の政策があって、そこが事業の柱になるわけです。日本政府自体が石炭から完全に脱却すると言っていないのに、一企業が例えば石炭への融資を完全に止められるのか?という問題があります。石炭はいい例ですが、国と企業がどこまで対立できるかというのが、グローバルで事業を展開する日本企業にとって非常に深刻な問題になると思います。
グローバルに事業をしている企業は、日本企業でありながら事業展開している当該国の規制や法律、その企業に投資している投資家から異なるスタンダードを求められています。そこにどう折り合いをつけていくかは難しい問題です。規制業種ならば尚更だと思います。
─ 特に今、環境問題からはその課題を強く感じますね。
小林 ええ。私の持論なのですが、多くの規制は何かがあって、それに対応するためにつくられてきたものです。しかし、年数が経つと、世の中の環境や考え方は変わっていきます。でも、多くの場合規制自体はそのまま残り続けるわけです。
日本には明治時代から続く規制もあります。日本社会が大きく変わることができない要因の1つは、やはり古いものを捨てられない、スクラップ・アンド・ビルドができないことにあるのではないかと。その捨てられない理由が、なぜその規制ができたのかという背景を、今の当事者が忘れてしまっているからではないかと思います。
私自身、政府の会議のメンバーを務めることもありますが、今の事態に対して、どういう規制を導入すべきかという議論が中心です。そうではなく、本来市場や社会はどのようにあるべきか、それに対して企業を誘導するための規制とインセンティブを考えなければいけません。全て規制で片付けようとすると、どこかで矛盾が生まれます。規制で問題を抑え込むという考え方を変えていかなければ、雁字搦めになるばかりだと思います。
─ この課題をどう突破していくか。今の時代にあって経済人の役割をどう考えますか。
小林 経済人は、これから社会がどう変わり、何が求められるか、その中で自分達は何を提供できるかという目線で物事を考えていかなくてはなりません。
経済人は過去や、今利益を上げている事業に縛られるのではなく、社会がどう変わり、そこにどんなニーズがあるのか、自分の会社がそこでどういう役割を果たせるのかを追求していく必要があります。
将来のことを考えるためには、若い人の声がなければいけません。これからの社会を担っていく人達が何を求めて、どういうことが事業として成立し、拡大し得るかという声をもっと経営に反映できるようにしていかないと、企業は変わっていきませんし、グローバル競争で勝つことはできません。
─ 改めて、経済人には使命感が求められますね。
小林 そう思います。もう1つ、若い人達もどんどん海外に行って、日本とは違う社会を経験しダイナミックに物事を考えられるようになって欲しいです。
また、私が申し上げるのも僭越ですが、経営者は、自分が生きている間に社会に対しどう貢献するかを、1人ひとりが考えていかなければなりません。
今の企業のトップの多くは、自分が経営にかかわっている間に株価を上げたい、不祥事が起きないようにしたい等が優先しているように見えますが、肚を括って、自分が踏み台になっても、今やるべきことをやるんだという覚悟を持っていただきたいと思います。