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塩野義製薬・手代木功会長兼社長CEOの医薬品安全保障論 「日本の人々のための医薬品は日本で生産していく!」

財界オンライン 2025年1月29日 18時0分

今、医薬品不足が起きる原因とは?


「わたしどもは少なくとも、日本に研究の本部機能を残していますし、開発中の化合物における自社品比率は、未だに60%以上をキープしています」

 グローバル化は医薬品分野でも進む。研究から開発、販売まで、それぞれの領域でもグローバル化が拡大しているが、医薬品メーカーとして日本国民の健康、命を守ることに貢献することが自分たちの使命として、「自社品比率60%を維持していきたい」と塩野義製薬社長・手代木功氏は語る。

 コロナ禍では自国でワクチンの製造をどう実現するかが大きな問題となったが、医薬品安全保障をどう確保していくかは、日本の医薬品メーカー全体に与えられた課題だ。しかし、パンデミックのように急に感染症が世界規模で広がり、内外でパニックが起きるような事態が発生した場合は、一企業レベルでは対応できない。そこで、平時から危機管理をどう進めていくかーという観点から、国(政府)、研究機関や大学などとの連携も必要となってくる。

 海外で開発されたワクチンや医薬品を輸入すればいいーという考えでは、コロナ禍のようなパンデミック時に、世界中が医薬品の供給不足になった場合には対応できない。その教訓をどう活かすかという命題でもある。

 研究開発ベースを日本に置き、医薬品開発の先進地である米国にも研究開発拠点を持つ塩野義製薬のトップとして、手代木氏は自社品比率を意識した経営を実践。

「このことは、(塩野義製薬が)グローバル企業ではなくて、小さい規模だからできるんだと指摘される方もおられるかもしれませんが、わたしはこの会社のサイズ(規模)が変わったとしても、この国の中に研究と開発の主だったポイントを残すということが大事だと。特に研究領域はそうだし、それから生産のベースは残すという基本的な考え方は変わらないです」

 コロナ禍が一段落した今、その経験から医薬品に対する危機管理という点で、関係者の危機意識も高まってきた。

 今、日本が海外から輸入している医薬品は約5兆7000億円で、輸出額(約1兆1400億円)をはるかに上回る。医薬品輸入額は、原油輸入額(2023年度輸入額約108兆円)に次いで2位の数字。

 輸入超過が即悪いということではないが、日本の医薬品開発力を高めていくためにも、輸出を増やし、世界の人々の健康や命を守ることに貢献していくことも重要。

 特に、今は自国第一主義が横行し、世界秩序が揺らぎつつある。そういう状況下、国はもちろんのこと、企業や個人もどう生き抜いていくかという命題をそれぞれが抱えている。

 医薬品領域で言えば、製品としての抗体医薬などの輸入が増え、それに加えて原材料の輸入も増えるなど、海外依存度が強まっている。

 そうした中、現在顕著になりつつある医薬品不足も加わって、「日本はもっと医薬品の自給率を高めないと」という声が強まっている。

 手代木氏も語る。 「わたしは、国家安全保障の見地から、やはり医薬品を輸入に頼る状況というのは、国の関係が変わったりすれば、それまで通りの輸入ができなくなるという点で危険度が高いと思います」


医薬品供給の安心・安全をどう担保するか?


 原材料価格の高騰は、円安状況とも相まって、日本経済にとってかなり重い負担となっている。

 これは、医薬品の領域でも同じ事が言える。手代木氏が現状について語る。

「塩野義製薬は2023年度、7%の賃上げを実施しました。賃上げは企業の社会的責任と考えています。また、輸入原材料も少しでも安く買う工夫を重ねています。ただ、償還価格の上限を国が決めている薬価制度があり、簡単に値上げはできませんから、原価率が上がると、どうしても収益の面で厳しくなります」

 国内で全ての原料が賄えればいいが、抗体薬の原料を例に取っても、中国など海外からの輸入で賄っているのが現状。輸入原材料の価格が軒並み上がっている中で、最終価格である薬価を日本の物価水準にまで上げられるようにはなっていない。

 一部の医薬品では、供給不足問題などを考慮して、薬価引き上げが行われる例もあるが、全体から見れば、それはごくわずか。

「国内の生産基盤をどのように維持・発展させていくか。経営として今は非常に難しい局面に立っている状況です」

 手代木氏は医薬メーカーの現状をこう説明し、今後の方向性について、次のように語る。

「わたしどもは、日本の皆さまのための医薬品は、できる限り日本で生産して、品質面などでも安心していただけるような生産体制を整備していきたいと考えています。患者様の安心・安全のために、いつでも生産工程の査察をしていただける環境で生産したいと考えています」

 昨今のジェネリック(後発医薬品)の供給不足問題も、現在の薬価制度下での原材料高騰が一因となっていると言われる。医薬品のサプライチェーンをどう維持していくかという現下の課題である。



医薬品をもっと輸出できる産業に!


 今、世界は自由主義・民主主義対専制主義の対立の時代と言われる。世界中で対立・分断が深まり、自国第一主義が台頭。

 そうした中で、日本の医薬品は世界でどのようなポジションにあるのか?

 これについて手代木氏は、「例えば、アジアの方々とお話をさせていただくと、『やはり日本産は品質面で安心が違うよね』とおっしゃっていただけます。最終製品である医薬品をもっと輸出できるような産業に育てていかなくてはいけないと思います」

 同社は、国内製造を強化すべく、投資を増やしている。その原資となるのは、抗HIV(エイズ)などの治療薬で海外から得られるロイヤリティー収入。それらは約2000億円にのぼり、同社が高い研究開発力を持っている事を表している。

 知的財産の見返りであるロイヤリティー収入は外貨を稼ぐことにもなる。

「はい、外貨を稼いで、日本で納税をして、同時に最終製品を日本で作って、輸出させていただくというビジネスモデルです」と手代木氏。

 日本国民の命と健康を守ると同時に世界の人々にも貢献するというグローバル経営の実践。


医薬品産業は日本に"残すべき領域"


『日本再生』が叫ばれ、今まさに官民一体でそれを成し遂げなければならない時期。国内ではそうした重要な課題を抱えつつ、世界中で対立・分断が深まる中で、世界における日本の立ち位置をどう見据えるかという課題もある。

 海外の売上比率は全体の6割強を占める塩野義製薬。そのトップとして手代木氏は日本の立ち位置をどう見るのか?

 先述のように、海外からは、「日本製は安心できる。品質が良いと言ってもらえる」と手代木氏は語りながら、「日本の農作物もアジアを始め、海外でも高く評価されているではないですか」と日本には潜在力があり、要はその潜在力をいかにして掘り起こすかが大事と強調する。

 1970年代の"ニクソン・ショック"(1971)、80年代の"プラザ合意"(1985)の頃、日本経済が強くなり、通貨面で、「あまりにも円が安すぎる」と米国をはじめ海外から圧力を受けた。

 今は、一転して円安状況が続き、輸入品の価格上昇、原材料価格高騰に苦しむ日本という構図。

「わたしは、今の円安から円高になる時は、日本の産業が強くなり、製品の競争力が生まれてくる転換期になると思います」という認識を示す手代木氏。

 通貨高は、その国の国力の強さの裏返しである。その意味で、円高になるのは健全な事と言えよう。

 日本経済の"次のステージ"を考えた場合、人口減少、少子化・高齢化という流れは続き、人口動態で見れば、日本の競争力は低下する。そうした厳しい現実の中で国力を高めていくには、"残す産業"と"残さない産業"という選択肢も出てくるーといった指摘もある。

 その場合、国家安全保障という切り口で日本のあるべき将来像(ビジョン)を描く時、「医薬品の安全保障を考えなければならない」というのが氏の認識である。


国家安全保障の見地からも…


 それは、一定程度、海外に研究開発拠点、ネットワークを持ちながら、DX (デジタルトランスフォーメーション)の進化を利用して、「基本的に日本で研究開発を進め、日本からモノ(製品)を出す」という氏の決断であり、強い意志である。

「はい、それはもう日本から出さなかったら、われわれの会社の存在意義はないし、会社は無くなるだろうという位のコミットメントだと思っています」

 手代木氏はこう自らの思いを示しながら、次のように続ける。 「これが当たっているのか、間違っているのか。これは歴史でしか分かりません。ただ、わたしは自分の会社の人たちが基礎研究と応用研究をして、自社品を出すということをやり続けているからこそ、外から(次の新薬の)候補品を買う時の目利き力が伸びるということもあるのではないかと思っています」

 氏がさらに続ける。

「やはり、自分でやっているからこそ、外からモノを入れる時の目利きの力も養われると。これは信念みたいなものなので、全く違う考え方をしている日本の製薬会社のCEO(最高経営責任者)もたくさんおられますし、それが良いとか悪いとかではありません。わたしは元々、研究開発部門の出身ですし、わが国発の医薬品を世界にお届けするというのがわたしたちの夢でもあります。それが一番大切にしたいところなので、それにこだわった経営を今までもしているつもりです」



世界に届ける新薬を開発してきて思うこと


 手代木氏は1959年(昭和34年)12月生まれの65歳。仙台市生まれ。仙台一高から東京大学理科二類に進み、1982年薬学部卒業後、塩野義製薬に入社。

 当時の中央研究所(大阪市福島区)の企画部に配属され、臨床試験で集めたデータを分析し、国(現厚生労働省)に承認申請書を提出する仕事に携わった。

 最初に担当したのは、遺伝子組み換えを活用した糖尿病用ヒトインスリンの承認申請。朝早くから夜遅くまで仕事に打ち込み、会社に泊まり込む事も多かったが、つらいと思ったことはない。

 新薬が承認され、医療現場で使われるようになると、体調が改善した患者から、「ありがとう」と感謝の手紙などが会社宛に送られてくる事もあり、本当に「嬉しかった」という。仕事のやり甲斐、生き甲斐が感じられる瞬間である。

 20代後半の1987年(昭和62年)夏、米ニューヨーク事務所に赴任。この時の仕事は、自社開発の新薬の元となる化合物の特許を米国の製薬会社に売り渡すというもの。米国の製薬会社が持つ世界的な販売網を活用して世界に自社開発医薬を届けることが目的であった。

 せっかく自社開発した新薬なのだから自分たちで世界販売できればいいのではと思うが、これはこれで経営に効用をもたらす。

 例えば、高脂血症(コレステロール)治療薬『クレストール』の場合、英国の製薬会社に世界での製造・販売権を譲渡。

 これに伴って、年間100億円単位の特許使用料を受け取ることができ、これが同社の研究開発を支える原資となった。

 新薬開発には、多額の研究開発費と、10年単位の年月を要し、さらには20年、30年もの長い時間を要する場合もある。

 新薬開発は、製品化にたどり着ける確率が非常に低い中で、どれだけ効能の高い新薬を創り出せるかという厳しい仕事。

 医薬業界では、年間売上高1000億円以上の新薬をブロックバスター(Blockbuster)と呼ぶ。後に、塩野義製薬が日本での販売権を獲得した『クレストール』は、日本で8番目のブロックバスターとなった(2014年度)。

 多くの試練を伴う仕事に携わった後、手代木氏は2002年に43歳で取締役に就任。常務、専務を経て、2008年(平成20年)48歳で社長に就任、2022年に会長兼社長CEOに就任という足取り。

 今後の新薬開発の戦略づくりに、手代木氏はどう取り組んでいくのか?


「自分たちがやらなくてどうする」と社内を鼓舞


 新薬開発には長い年月と多額の研究開発費を要する。現在、同社が収益源の1つとする抗HIV薬もまた例外ではない。

 しかし、開発に成功する"幸運"はいつも得られるものではない。むしろ得られる"幸運"は少ないと言っていい。

 そこで、手代木氏は同社の志向する研究開発領域を感染症、疼痛、中枢神経の領域と、主に3つの分野に絞り込んだ。

 同社の経営規模は、2024年3月期の実績で言えば、売上高約4351億円、営業利益1533億円。ちなみに国内トップの武田薬品工業は売上高約4兆2637億円、営業利益2140億円である。

 売上高営業利益率は、塩野義製薬が32.9%に対し、武田薬品は5%強という数字。"山椒は小粒でもピリリと辛い"という喩えがあるが、塩野義製薬は、自分たちの得意技を絞り込み、この数字をはじき出している。

 ただ、この得意技も常に成果を上げ続けられるほど医薬の世界は甘くない。感染症に強い医薬メーカーという印象が同社にはあるが、感染症関連事業には独特の"困難"が付きまとうからだ。

「抗がん剤のように、誰がやっても成功したら、ものすごく収益が上がるというのとは違って、感染症向けの医薬品は(感染症が)流行らなかったら、誰も使ってくれない。このビジネスモデルの中で、どう戦っていくかということなんです」

 パンデミックは100年に1度起きると言われてきた。それがグローバル化、地球環境の激変で10年に1度、あるいは5年に1度に起きる時代になったとも言われる。

 起きる頻度が上がったとしても、起きなければ患者も発生せず、治療薬は倉庫の中で眠ったまま。"不都合な真実"である。

 事実、同社の株主の中から、「感染症領域から手を引くべきだ」という声があがったこともある。売れたり、売れなかったりと不安定な企業体では困るーという株主がいるのも事実。

「でも、わたしどもが感染症治療薬の開発を止めてしまったら、本当に(日本)社会が困ると思います」と手代木氏が続ける。

「(研究開発大国の)アメリカも含めて、資源を集めて、やれるだけのことをやらせていただいた上で、われわれが頑張るところは頑張りますが、お助けいただくところも率直にお話をさせていただきながら、アメリカ政府、日本政府とやっていければいいかなと思っています」



危機管理の達成には国の支援も不可欠!


 コロナ禍の教訓をどう総括し、どう活かしていくか?

「ノド元過ぎれば…」という言葉が象徴するように、コロナ禍の惨状、苦労は過去のものとなり、すっかり忘れ去られた感もある現在の日本。

 コロナ禍で最初に治療薬を日本に提供したのは米ファイザーとNSDの2社。塩野義製薬の国産治療薬『ゾコーバ』は3番手となった。

「遅かった」と塩野義関係者もいろいろな所から言われたが、日頃からの危機感も含めて、感染症対応の要諦について手代木氏がワクチンを例に語る。

「日本人が今1億2000万人いてパンデミックが起こったら、ワクチンを2回打つとして、2億5000万本位のワクチンを日本国内で作るキャパシティ(能力)を持っておく必要があると、当時、皆さんは思っておられたと思います。そうした事態に対応するには、少なくとも日頃から工場を動かしておかないと、いざという時に役に立ちません」

 手代木氏がさらに続ける。

「もっと言えば、そこでモノ(製品)を作る人も突然来てすぐできるわけではありませんから、通常状態でモノを作る体制を日頃から持っておくということと同義なのです。でも、1回作ったワクチンを、じゃあ国で買ってくれるのかといったら、そんなものは知らないとなる。企業が自分で作ったんだから、廃棄するなら廃棄したらいいじゃないかとなる」

 市場主義では企業は収益をあげなければ生きていけない。

 パンデミックのようにいつ襲来するか分からないもののために備えておこうとすると、製品在庫の山となり、企業は収益どころか損失を被ることになる。

 市場主義オンリーでは日本全体の危機管理は成り立たない。

 2009年、2010年のインフルエンザの大流行を経験した時、某製薬メーカーが工場に一大投資をして、次の大流行に備えて、その後も毎年数十億円の費用をかけたが、売れずに残った製品を廃棄し続けるという事態が起きた。

 当該製薬メーカーからは、「2度と感染症領域はやらない」という声も聞かれる。

 国民の健康、ひいては命を守るために、パンデミックという危機への対応をどうしていくかー。

 国と製薬企業を中心とした民間との連携なくして、この危機管理対策は成り立たない。

「毎年やり続けなくてはいけないというコンセンサスが必要です。この対策は国家安全保障の見地からすると、むしろ防衛費だと思います」と手代木氏。

 人口減、少子化・高齢化の波の中で、国力をいかに上げていくか。それは国民の命と健康を守るーという一番根幹にある安全保障策を早急に構築していくことから始まる。

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