わさみ・まさる
1945年生まれ。青果小売業を経て運輸の世界に入る。70年に24歳で創業。73年丸和運輸機関を設立。1990年代前半に3PL(サードパーティー・ロジスティクス)事業に参入。2014年4月8日東証二部上場。2015年4月10日東証一部指定。
コロナ禍でヒトの移動が激減する中、モノの動きは活況だ。企業の物流業務を担う3PLやeコマース事業者のラストワンマイルの宅配事業を担う丸和運輸機関は2021年3月期業績で増収増益を実現。社長の和佐見勝氏は「日本のeコマースは今後も伸びていく」と強調する。〝巣ごもり消費〟などの新たな消費スタイルに物流業界はどう対応していくか。中小運送事業者や個人事業主を束ねて新たな物流改革に乗り出している。
転機となった海外視察
─ 和佐見さんは1970年にトラック1台で起業し、東証一部上場企業に成長させ、昨年には50周年を迎えました。
和佐見 コロナ危機の真っ只中で、いろいろ考えさせられた2020年でした。昨年は東京オリンピック・パラリンピックと合わせて創業50周年を迎えての企画などを考えていたのですが、コロナ危機に巻き込まれた上に、感染状況や社会情勢などを踏まえ、1年延期としました。したがって、当社としては今年が51周年に当たるのですが、実質50周年にしようと考えています。
この機会に半世紀を振り返ると、一言で言えば「報恩感謝」です。報恩感謝とは恩を知って、恩を感じて、恩に報いて感謝することです。これは両親をはじめ、先祖、兄弟、親戚、恩師、友人、仲間、地域の人々というあらゆる人間関係への感謝の心を指します。こういう方々にお世話いただいたからこそ、当社の今があると思っています。
もともとこの姿勢は物流業界に全くの素人だった私がこの世界に飛び込んだ創業2~3年の頃、常にお客様から教えをいただいてきたことが原点にあります。そして、教えていただいたからこそ、自分も常に学んでいかなければならない。
そこで中小企業大学校に通って、経営の本質を学んできました。定期的に米国や欧州に海外視察へ行って海外の先進的な物流業界の現場を見てくるなど、新しいことに挑戦し、新しい領域を開拓してきた50年ですね。
─ 物流の同業者と米国や欧州など海外の物流の現状を視察したりもしていましたね。
和佐見 はい。最新鋭の海外の物流センターやシステムを学び、お客様の悩みに対する解決策をご提案してきました。お客様の課題解決をすることが生き残るためには必要不可欠で、常に学ばない者は競争には敗北し、学んだ者が勝利すると。これを身をもって感じています。
─ 例えば、海外視察で気づいたことは何ですか。
和佐見 2000年代、創業30周年の頃でしょうか。欧州を視察したときは、既にこの頃からインターネット通販はずいぶん成長していました。その光景を見て、私は「日本でも将来、このようなネットビジネスが進んでくるのだろうな」と思ったことをよく覚えています。
当時、私が視察したのはドイツにあったスポーツ関係のウエアやシューズなどを扱うeコマース関係の物流施設でした。その頃の日本と言えば、折込みチラシやカタログ販売が主流でした。また、ヨーロッパでも今のようにスマートフォンで注文するというスタイルは普及しておらず、パソコンからの注文が中心でした。
その後、米国と欧州への海外視察を1年交代で繰り返していくと、視察に行く度に物流の現場は様変わりしていったのです。もし海外に行かず、日本にずっといたら、この変化を感じ取ることはできませんでしたね。
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大手ドラッグストアが打ち出した「500店舗構想」
─ そもそもどういった海外視察だったのですか。
和佐見 様々な業種の方々が参加する海外視察で、私もそれに申し込んで参加しました。これは非常に参考になりました。例えば、小売業の海外視察に行くと、必ず店舗の視察をするのですが、その小売り店舗の物流センターの視察も申し込んだりして現場を見てきましたね。
こういったことを学び、常にお客様に提案する。我々はお客様の抱えている問題や悩み事を解決するためのソリューションを一つひとつ提案する側に回らなければなりません。お客様の目線、立場を踏まえた中で提案していくことが大切です。
振り返ると、昭和の時代、当社はメーカーの物流を担った時期がありました。しかし、平成に入るとメーカー物流をやめて小売業の物流へと舵を切りました。
昭和中頃の日本は生産国でモノを作って海外に輸出していたのですが、昭和の後半になると、メーカーがどんどん海外進出し、特に人件費の安かった中国などに生産拠点を次々と移転させるようになっていきました。
─ 産業の空洞化ですね。
和佐見 はい。そこで私が感じたのは「このままいくと生産国だった日本は、消費国になっていくのではないか」ということでした。私自身が小売業界の出身で、その業界のことは熟知していましたので、小売業へ市場の絞り込みをしようと考えました。つまり、成長するマーケットはどこか。その中でどんなお客様が成長していくのか。これを見分けていったのです。
─ そして1990年代前半、丸和運輸機関は大手ドラッグストアチェーンのマツモトキヨシの物流業務を受託。これが飛躍のきっかけになりました。
和佐見 はい。これも海外視察がきっかけでした。米国ではスーパーマーケットが拡大した後にコンビニエンスストアが広がっていました。では、その次に何が来るのか、当時の私もなかなか見定めることはできませんでした。そんな中、フランスのドラッグストアを視察すると、店舗では薬はもちろん、食品まで売っていたのです。
配送だけでなく、企業の物流センターの運営も請け負う3PLで先行し、成長を続けている
これを見て「これが日本に来たら面白い」と直感しました。当時の日本ではドラッグストアで食品を売るという発想はありません。もしかしたら、日本の薬局・薬店でもこのような光景が広がるかもしれない。そんなイメージを頭に抱きました。すると、マツモトキヨシ様が「500店舗構想」を打ち出したのです。それで営業に行きました。
─ 日本ではインターネットが登場したときですね。
和佐見 はい。当時、500店舗を目指すドラッグストアはありませんでした。マツモトキヨシ様の店舗も約170店舗。そこで我々が提案したのが、「在庫ゼロ」「納品100%」「ノー検品」という3つの高サービスでした。その頃、このようなことを考える業者はいなかったと思います。結果としてマツモトキヨシ様の物流業務を任せていただきました。
─ この高いハードルをどのように実現したのですか。
和佐見 この頃、米国では物流センターを管理する「ウエアハウスマネジメント」というシステムが販売されていました。その販売会社の協力を得て、従来までの問屋の下で配送をするという構造を変えたのです。その結果、ローコスト・オペーレーションを実現しました。
ここでのポイントは配送時間を変えたことです。通常、店舗への商品配送は朝8時半から夕方の6時頃までに済ませます。ところが、当社の提案した仕組みは夜間配送でした。マツモトキヨシ様の店舗が開店する前に納品を完了させる。深夜の配送になりますから、トラックの回転数も良くなります。
実はこの夜間配送はダスキン様の物流改革でも当社が提案しており、うまく軌道に乗っていました。そして、この夜間配送は海外のスーパーマーケットでは当たり前で、夜中に店舗での品出しをしていたのです。これがとても参考になりました。
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大手eコマース事業者のラストワンマイルを受託
─ その経験を糧に、大手のeコマース事業者の物流業務も手掛けることになりました。
和佐見 2000年頃から同社の存在感が高まっていて、私も世界各地にある同社の物流センターを見学して回りました。その中で特に驚いたのが、朝一番で注文すると、2時間後には商品が配達されるという仕組みです。
そのとき海外で私が参加していた研修会でも午前9時前に注文をすると、研修を行っている最中に商品がデリバリーされてきました。僅か2時間で配達されたのですから、研修内では「すごい」と、皆で拍手したほどです。
─ 日本ではそういった仕組みができていませんでした。
和佐見 そうです。しかも、大手eコマース事業者のサービスでは、どの品物が現在どこにあって、どのくらいの所要時間でお届けしますといった情報も提供していました。つまり、あらゆる荷物に関する情報を追跡できるようになっていたのです。日本にもeコマース事業者はありましたが、ここまでの精度ではありませんでした。
一方で、海外と同じように日本でもeコマースが広がれば、大手の宅配業者の配送が難しくなるのではないだろうかという予測もありました。というのも、宅配便は配達以外に集荷の業務もありましたから、ドライバーもどちらを優先すべきか判らない。それだけドライバーの負担が重くなると見ていたのです。
それでもeコマースの荷物はどんどん増える。大手宅配業者の取扱個数が2%程度の伸びだったのに対し、eコマースの取扱個数は20%を超える伸びでした。
急激に増えた荷物に対し、現場のドライバーの負担が増えたことで労働組合からも「荷物の取扱い個数を制限してほしい」という声があがり、結果として大手の宅配業者はラストワンマイルの当日配送から撤退せざるを得なくなりました。
─ その大手eコマース事業者の配達を任されるようになった決め手は何だったのですか。
和佐見 運送事業者のネットワーク「AZ―COM丸和・支援ネットワーク」(通称:アズコムネット)と個人事業主の独立開業型モデルのMQA(桃太郎クイックエース)というシステムです。中小運送事業者や個人事業主を束ねた組織が強みとしてありました。
そういった背景から当社に宅配業務の要請が来たのです。ただ、要請の難易度は高いものでした。例えば、そのeコマース事業者が首都圏に配送センターを短期間で50箇所以上作るという計画を打ち出したとき、配送センターや人員の確保を当社が短期間で準備しました。ここで感じたのはスピード感でした。これが違いました。
─ 日本ではeコマースが普及し、コロナ禍の巣ごもり需要で更に拡大を続けていますね。
和佐見 eコマースはこれからも成長していくでしょう。現在の日本のEC化率6・7%(2019年)。中国は約44%(20年)、米国は約14%(20年)。誰が見ても世界のEC化率は今後20%を超えていくと見込まれていますので、日本もまだまだ伸びていくと思います。ですから、この流れを念頭に置いてラストワンマイルの配送体制を整えていこうと思っています。
加えて、同社の大都市圏にある物流センターを結ぶ幹線輸送の仕事も当社が担っていますし、物流センター内での受注から梱包、在庫管理、発送、受け渡し、代金回収までのフルフィルメント業務の仕事もあります。優良なお客様と取引をしていることで、我々にとってのチャンスにもつながっていくのです。
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1945年生まれ。青果小売業を経て運輸の世界に入る。70年に24歳で創業。73年丸和運輸機関を設立。1990年代前半に3PL(サードパーティー・ロジスティクス)事業に参入。2014年4月8日東証二部上場。2015年4月10日東証一部指定。
コロナ禍でヒトの移動が激減する中、モノの動きは活況だ。企業の物流業務を担う3PLやeコマース事業者のラストワンマイルの宅配事業を担う丸和運輸機関は2021年3月期業績で増収増益を実現。社長の和佐見勝氏は「日本のeコマースは今後も伸びていく」と強調する。〝巣ごもり消費〟などの新たな消費スタイルに物流業界はどう対応していくか。中小運送事業者や個人事業主を束ねて新たな物流改革に乗り出している。
転機となった海外視察
─ 和佐見さんは1970年にトラック1台で起業し、東証一部上場企業に成長させ、昨年には50周年を迎えました。
和佐見 コロナ危機の真っ只中で、いろいろ考えさせられた2020年でした。昨年は東京オリンピック・パラリンピックと合わせて創業50周年を迎えての企画などを考えていたのですが、コロナ危機に巻き込まれた上に、感染状況や社会情勢などを踏まえ、1年延期としました。したがって、当社としては今年が51周年に当たるのですが、実質50周年にしようと考えています。
この機会に半世紀を振り返ると、一言で言えば「報恩感謝」です。報恩感謝とは恩を知って、恩を感じて、恩に報いて感謝することです。これは両親をはじめ、先祖、兄弟、親戚、恩師、友人、仲間、地域の人々というあらゆる人間関係への感謝の心を指します。こういう方々にお世話いただいたからこそ、当社の今があると思っています。
もともとこの姿勢は物流業界に全くの素人だった私がこの世界に飛び込んだ創業2~3年の頃、常にお客様から教えをいただいてきたことが原点にあります。そして、教えていただいたからこそ、自分も常に学んでいかなければならない。
そこで中小企業大学校に通って、経営の本質を学んできました。定期的に米国や欧州に海外視察へ行って海外の先進的な物流業界の現場を見てくるなど、新しいことに挑戦し、新しい領域を開拓してきた50年ですね。
─ 物流の同業者と米国や欧州など海外の物流の現状を視察したりもしていましたね。
和佐見 はい。最新鋭の海外の物流センターやシステムを学び、お客様の悩みに対する解決策をご提案してきました。お客様の課題解決をすることが生き残るためには必要不可欠で、常に学ばない者は競争には敗北し、学んだ者が勝利すると。これを身をもって感じています。
─ 例えば、海外視察で気づいたことは何ですか。
和佐見 2000年代、創業30周年の頃でしょうか。欧州を視察したときは、既にこの頃からインターネット通販はずいぶん成長していました。その光景を見て、私は「日本でも将来、このようなネットビジネスが進んでくるのだろうな」と思ったことをよく覚えています。
当時、私が視察したのはドイツにあったスポーツ関係のウエアやシューズなどを扱うeコマース関係の物流施設でした。その頃の日本と言えば、折込みチラシやカタログ販売が主流でした。また、ヨーロッパでも今のようにスマートフォンで注文するというスタイルは普及しておらず、パソコンからの注文が中心でした。
その後、米国と欧州への海外視察を1年交代で繰り返していくと、視察に行く度に物流の現場は様変わりしていったのです。もし海外に行かず、日本にずっといたら、この変化を感じ取ることはできませんでしたね。
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大手ドラッグストアが打ち出した「500店舗構想」
─ そもそもどういった海外視察だったのですか。
和佐見 様々な業種の方々が参加する海外視察で、私もそれに申し込んで参加しました。これは非常に参考になりました。例えば、小売業の海外視察に行くと、必ず店舗の視察をするのですが、その小売り店舗の物流センターの視察も申し込んだりして現場を見てきましたね。
こういったことを学び、常にお客様に提案する。我々はお客様の抱えている問題や悩み事を解決するためのソリューションを一つひとつ提案する側に回らなければなりません。お客様の目線、立場を踏まえた中で提案していくことが大切です。
振り返ると、昭和の時代、当社はメーカーの物流を担った時期がありました。しかし、平成に入るとメーカー物流をやめて小売業の物流へと舵を切りました。
昭和中頃の日本は生産国でモノを作って海外に輸出していたのですが、昭和の後半になると、メーカーがどんどん海外進出し、特に人件費の安かった中国などに生産拠点を次々と移転させるようになっていきました。
─ 産業の空洞化ですね。
和佐見 はい。そこで私が感じたのは「このままいくと生産国だった日本は、消費国になっていくのではないか」ということでした。私自身が小売業界の出身で、その業界のことは熟知していましたので、小売業へ市場の絞り込みをしようと考えました。つまり、成長するマーケットはどこか。その中でどんなお客様が成長していくのか。これを見分けていったのです。
─ そして1990年代前半、丸和運輸機関は大手ドラッグストアチェーンのマツモトキヨシの物流業務を受託。これが飛躍のきっかけになりました。
和佐見 はい。これも海外視察がきっかけでした。米国ではスーパーマーケットが拡大した後にコンビニエンスストアが広がっていました。では、その次に何が来るのか、当時の私もなかなか見定めることはできませんでした。そんな中、フランスのドラッグストアを視察すると、店舗では薬はもちろん、食品まで売っていたのです。
配送だけでなく、企業の物流センターの運営も請け負う3PLで先行し、成長を続けている
これを見て「これが日本に来たら面白い」と直感しました。当時の日本ではドラッグストアで食品を売るという発想はありません。もしかしたら、日本の薬局・薬店でもこのような光景が広がるかもしれない。そんなイメージを頭に抱きました。すると、マツモトキヨシ様が「500店舗構想」を打ち出したのです。それで営業に行きました。
─ 日本ではインターネットが登場したときですね。
和佐見 はい。当時、500店舗を目指すドラッグストアはありませんでした。マツモトキヨシ様の店舗も約170店舗。そこで我々が提案したのが、「在庫ゼロ」「納品100%」「ノー検品」という3つの高サービスでした。その頃、このようなことを考える業者はいなかったと思います。結果としてマツモトキヨシ様の物流業務を任せていただきました。
─ この高いハードルをどのように実現したのですか。
和佐見 この頃、米国では物流センターを管理する「ウエアハウスマネジメント」というシステムが販売されていました。その販売会社の協力を得て、従来までの問屋の下で配送をするという構造を変えたのです。その結果、ローコスト・オペーレーションを実現しました。
ここでのポイントは配送時間を変えたことです。通常、店舗への商品配送は朝8時半から夕方の6時頃までに済ませます。ところが、当社の提案した仕組みは夜間配送でした。マツモトキヨシ様の店舗が開店する前に納品を完了させる。深夜の配送になりますから、トラックの回転数も良くなります。
実はこの夜間配送はダスキン様の物流改革でも当社が提案しており、うまく軌道に乗っていました。そして、この夜間配送は海外のスーパーマーケットでは当たり前で、夜中に店舗での品出しをしていたのです。これがとても参考になりました。
【編集部おすすめの関連記事】家電量販最大手・ヤマダがリサイクルなど、資源循環への取り組みを加速
大手eコマース事業者のラストワンマイルを受託
─ その経験を糧に、大手のeコマース事業者の物流業務も手掛けることになりました。
和佐見 2000年頃から同社の存在感が高まっていて、私も世界各地にある同社の物流センターを見学して回りました。その中で特に驚いたのが、朝一番で注文すると、2時間後には商品が配達されるという仕組みです。
そのとき海外で私が参加していた研修会でも午前9時前に注文をすると、研修を行っている最中に商品がデリバリーされてきました。僅か2時間で配達されたのですから、研修内では「すごい」と、皆で拍手したほどです。
─ 日本ではそういった仕組みができていませんでした。
和佐見 そうです。しかも、大手eコマース事業者のサービスでは、どの品物が現在どこにあって、どのくらいの所要時間でお届けしますといった情報も提供していました。つまり、あらゆる荷物に関する情報を追跡できるようになっていたのです。日本にもeコマース事業者はありましたが、ここまでの精度ではありませんでした。
一方で、海外と同じように日本でもeコマースが広がれば、大手の宅配業者の配送が難しくなるのではないだろうかという予測もありました。というのも、宅配便は配達以外に集荷の業務もありましたから、ドライバーもどちらを優先すべきか判らない。それだけドライバーの負担が重くなると見ていたのです。
それでもeコマースの荷物はどんどん増える。大手宅配業者の取扱個数が2%程度の伸びだったのに対し、eコマースの取扱個数は20%を超える伸びでした。
急激に増えた荷物に対し、現場のドライバーの負担が増えたことで労働組合からも「荷物の取扱い個数を制限してほしい」という声があがり、結果として大手の宅配業者はラストワンマイルの当日配送から撤退せざるを得なくなりました。
─ その大手eコマース事業者の配達を任されるようになった決め手は何だったのですか。
和佐見 運送事業者のネットワーク「AZ―COM丸和・支援ネットワーク」(通称:アズコムネット)と個人事業主の独立開業型モデルのMQA(桃太郎クイックエース)というシステムです。中小運送事業者や個人事業主を束ねた組織が強みとしてありました。
そういった背景から当社に宅配業務の要請が来たのです。ただ、要請の難易度は高いものでした。例えば、そのeコマース事業者が首都圏に配送センターを短期間で50箇所以上作るという計画を打ち出したとき、配送センターや人員の確保を当社が短期間で準備しました。ここで感じたのはスピード感でした。これが違いました。
─ 日本ではeコマースが普及し、コロナ禍の巣ごもり需要で更に拡大を続けていますね。
和佐見 eコマースはこれからも成長していくでしょう。現在の日本のEC化率6・7%(2019年)。中国は約44%(20年)、米国は約14%(20年)。誰が見ても世界のEC化率は今後20%を超えていくと見込まれていますので、日本もまだまだ伸びていくと思います。ですから、この流れを念頭に置いてラストワンマイルの配送体制を整えていこうと思っています。
加えて、同社の大都市圏にある物流センターを結ぶ幹線輸送の仕事も当社が担っていますし、物流センター内での受注から梱包、在庫管理、発送、受け渡し、代金回収までのフルフィルメント業務の仕事もあります。優良なお客様と取引をしていることで、我々にとってのチャンスにもつながっていくのです。
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