「保険金不払い」の際、現場で感じたこと
「当社は『明治安田フィロソフィー』を大事にしており、その上に3年計画、10年計画がある。根岸(秋男)社長(現・会長)時代に築いた計画を実行フェーズに移していくという覚悟にいささかの揺るぎもない」と話すのは、明治安田生命保険社長の永島英器氏。
2021年7月2日、明治安田生命は8年ぶりに社長を交代、永島氏が就任した。永島氏は1963年2月東京都生まれ。86年東京大学法学部卒業後、明治生命保険(現・明治安田生命保険)入社。人事部長、企画部長など要職を務め、根岸氏の改革を支えてきた。
「1日1日感じているのは、1200万人のお客様、グループで約6万人の役職員がいる会社だという責任の重さ。覚悟を持って取り組む」と抱負を語る。
永島氏は東京・深川で生まれ、主に小平市で育った。「父は深川で生まれ育った。私が小さい頃、親戚が集まるとよく喧嘩をしていたが、10分ほどすると涙ながらに抱き合っていた(笑)。『三丁目の夕日』の世界だが、当時は受け入れられなかった。反動で高校時代などは口数が少なかったが、今となっては『三丁目の夕日』を見て号泣するようになった(笑)」と笑う。永島氏が社内で「合理性と情を併せ持つ人」と評される背景には、深川の経験もありそうだ。
生保への入社は、大学の授業でフランスの哲学者・ジャン=ジャック・ルソーの『社会保険説』を学んで興味を抱いたことがきっかけ。
旧・明治生命入社のきっかけは、元々東京生まれながら阪神タイガースファンで、強いもの、大きいものに対抗する存在に共感を抱いていた。そのため生保でも最大手ではない明治生命を志望した。また、就職活動の中で出会った明治生命の先輩に好感を持ったことも大きかった。
永島氏が群馬県桐生で営業所長を務めていた05年、「保険金不払い問題」が明らかになった。永島氏は所長として顧客を回り土下座をするなどお詫び行脚の日々だったが、ある時、営業所のマネージャーが担当していた企業の契約が大量解約になった。
「マネージャーを信頼して契約してくださったものだったが、先方からは『あなたが悪いんじゃないが、けじめなので解約させてもらう』と言われた。結果として、企業の担当者の方の立場も悪くしてしまった。本当に多くの方にご迷惑をおかけしてしまった」
当時、不払いに関する情報を本社からではなく報道で知ることが多く、「本社は何をやっているんだろう」という思いも抱いたが、一方で現場の募集にも問題があったこともわかり、「現場の常識とお客様の期待に乖離が生まれてしまった」と自省。この経験は永島氏自身の胸に深く刻まれている。
コロナ禍で対面が難しい中で…
新型コロナウイルスの感染拡大は、我々の仕事、生活に大きな影響を与えたが、生命保険会社も例外ではない。特に「対面」を軸に活動する営業職員を約3万5000人抱える明治安田生命にとっては、その活動を制限される事象でもあった。「コロナによって社会のデジタル化が進んだが、当社にとっても同じ」(永島氏)。19年10月までに営業職員には業務用スマートフォン『MYフォン』を貸与し、保険商品の手続きや契約者への情報提供に活用してきた。
さらに、営業職員が対面で契約者の相談に応じている際に、税金など専門的な内容になった場合には、スマホやタブレットを通じて本社の税金の専門家がオンラインで説明するといった取り組みも進めている。
ただ、永島氏は「デジタルはどんどん進むが、同時に思っているのは、最後は『人間力』」と強調する。「AI(人工知能)やロボットは死ぬことはない。ゆえに不安や恐怖を感じず、お客様の不安や恐怖に共感できない。さらに〝一期一会〟の出会いに感動の涙を流すこともない。真の意味での絆は人間にしか築けないのではないか」(永島氏)
つまり、今の時代はデジタルを使いこなせなければ土俵に上がることはできないが、それを前提としながらも最後に勝負を分けるのは「人間力」だということ。
さらに、永島氏は社内に向けて、顧客をカテゴライズしたり、セグメント化するのではなく、契約者1人ひとりを大事に考えることの重要性を説く。「対面にしてもオンラインにしても、お客様のその時その時のニーズ、思いにしっかり応えることができる体制をつくることが大事」
だが今は、他の生保もデジタルトランスフォーメーション(DX)を志向し、取り組んできている。明治安田が他社と差別化できる点は何なのか?
「当社には優しくて真面目な社員が多く、それが社風にもなっており、大事にしていきたい。レイモンド・チャンドラーの小説に出てくる探偵のフィリップ・マーロウが『強くなければ生きていけない、優しくなれなければ生きている資格がない』と言っているが、明治安田が勝ち残って、お客様に選ばれ続けるためには優しさに加えて強さがなければならない」
人とデジタルの融合にあたっても、元々明治安田が培ってきた社員の気質や社風といった「人」の要素が差別化ポイントになるということ。
明治安田は生保業界の中でも「アフターフォロー」に最も注力している会社として知られてきた。ここでも人によるフォローだけでなくデジタルを活用していく。
永島氏は就任内定の会見で、もう一つ「融合」を進めると触れたものがある。それが「個人営業と法人営業の融合」である。
法人営業の中では国や地方自治体など公法人向け、企業向けなどに分かれているが、例えば公法人分野では各自治体との間で地域連携協定を結んでいる。その地域のお祭りや健康診断の支援を進める時に、個人営業を担う営業職員が関わることが考えられる。
また、企業向けでは団体保険などを引き受けているが、これまでは担当部署との関係にとどまっていたが、近年は団体保険専用インターネットサービスである「みんなのMYポータル」で、より「個」に近いところまでつながるようになっている。これを活用し、例えば定年などで企業を退職した後でも、個人としてつながっていくことを考えている。
また、個人営業と法人営業との間で人材交流はあったが、どうしても「あの人は個人畑、法人畑」といった形で、明確に領域が分かれていた。「これは変えていきたい」と永島氏。
明治安田生命社長に常務の永島英器氏 「人とデジタルの融合」が課題
事務を担った人材が営業の前線に
今、明治安田は「人」に関わる改革を複数実行中。その一つがこれまで営業所や支店などで定型事務を担ってきた人材を、新たな役割である「事務サービス・コンシェルジュ」に転換すること。
明治安田では、これまで人手を介して行ってきた定型事務をデジタル化によって削減している。例えば紙の書類を人が確認していたが、デジタルで入力したデータが、そのまま本社に飛ぶようになっており、その仕事はなくなっているということ。
しかし「当社はメンバーシップ型雇用なので、仕事がなくなったから人がいらなくなるという話ではない」と永島氏。
そこで、定型事務を担ってきた人材はこれまで培った事務の知識、経験を生かし、営業職員とともに顧客を訪問し、保険金支払いなどに関する書類を現場で確認したり、諸手続きのサポートを行う「事務サービス・コンシェルジュ」に転換する。
「最初は怖かったりということもあったと思うが、『お客様を訪問して「ありがとう」と言われて感動しました』という声も届いている。世の中全体でデジタル化で、なくなる仕事が増える中、『ジョブ型雇用』で対応する企業さんもあるが、当社は1人ひとりの自己変革、自己成長を大前提に、メンバーシップ型の良さを守ることにこだわる」
21年4月から事務サービス・コンシェルジュは約2000人誕生。並行して21年4月から約2600人いた契約社員のうち、約1900人を正社員として登用、このうち約700人が事務サービス・コンシェルジュに含まれている。
「専門職など一部の職種ではジョブ型の要素を取り入れようとは思うが、基本はメンバーシップ型。それが生命保険という20年、30年というお客様との長い約束を守る会社として大事ではないか。そして我々は相互会社であり、株主ではなく、長期目線のご契約者がステークホルダー。『明治安田フィロソフィー』を体現できる人材は、外から持ってきて得られるものではない」
それを象徴しているのが、11年の東日本大震災時の職員の行動。自身や家族も被災する中、避難所を歩き回って顧客の安否確認や請求手続きに奮闘。永島氏は、こうした人材を大事にしていきたいと強調する。
『サピエンス全史』や『ホモ・デウス』といった著作が全世界で読まれているイスラエルの歴史家・哲学者のユヴァル・ノア・ハラリは、かつては産業の発展の中でも新しい仕事を見つけることができた労働者も、デジタル化、AIの進展で転職が難しくなり、必要とされる技能を持たない「無用者」が増加すると指摘している。
それに対して永島氏は「ハラリはスーパーマーケットのレジ係の職を失った人はドローン操縦士にはなれないのではないかというが、私はそう決めつける必要はないと思う。大事なのは自己変革、自己成長」と話す。あくまでも「人」の可能性に賭ける決意を示す。
営業職員の給与体系を変える
もう一つ、明治安田が主力としている営業職員についても大きな変革が進む。それが営業職員に対して保険の契約実績に応じて支給してきた「販売奨励金」の廃止。これは大手生保で初めてのこと。22年度からは営業職員の報酬を全額固定給とする。
従来、生保では営業目標を設定し、それをいかに達成したかに応じて販売奨励金を出すなど、給与に差を付けてきた。それをモチベーションとして頑張る営業職員は多かったが、目標達成のために無理な営業をして顧客からのクレームにつながるケースもあり、業界全体の課題となっていた。しかも今はコロナ禍で対面営業が難しい環境。
「今月の成績で来月の給与が左右されるのではなく、1年間の仕事のパフォーマンスで翌年の固定給が決まるという、総合職型のスタイルを志向している。これは大きな変革」
この改革は永島氏のこだわりが反映されている。かつて自身が営業所長を務めていた時代、営業目標を、複数の営業職員で構成される「班」に下ろすことはしなかったのだという。「1人ひとりが自分の目標や、お客様と接する中で頑張った合計が、営業所の成績だと考えてきた。『自立した個』、1人ひとりを大事にした経営を進めていきたい」(永島氏)
これは22年度から始まる「次世代アドバイザー制度」の中で実施されるが、まさに「行うは難し」の改革。大事になるのは営業職員の評価方法。定量的部分だけでなく定性的な部分をどう見ていくかが問われる。
さらに支社長や営業所長など従来、本社からの施策や営業目標を背負ってきた立場の人達の意識改革と同時に、経営陣が彼らをどう評価するかという視点も大事になる。
「本社から来た目標を下ろすだけ、達成に向けて厳しく言うだけではいけない。お客様本位の業務運営をしなければ『生保の常識、社会の非常識』になってしまう可能性もある。不断の努力、働きかけを続けていく」
また、生保は長期契約の中で、顧客の保険料を運用し、支払いに備えることが大きな柱だが、長期化する低金利環境の中で、運用にも苦心している。
「大きな変化のタイミングではリスク・リターンの歪みが生じやすい。そのタイミングを機動的に捉えて運用することが大事。もう一つは中長期的な成長の場に身を置く、あるいは投資をすること。その意味で海外は重要になる」(永島氏)
国内のみならず世界の機関投資家が運用で競う今、運用の巧拙が従来以上に問われる。その体制の充実は大きな課題。明治安田では「資産運用『大』改革」を推進中で、人材、体制、ガバナンスを見つめ直している。
前述のように、永島氏は根岸氏が進めてきた改革の中で、その計画の立案に携わってきており、「(根岸氏との)付き合いも長く、相互会社、営業職員を大事にするといった考え方も共通することが多い。今後、何かを変えるというのではなく、実行フェーズに移そうという思いが強い。覚悟を決めて実行する」と話す。
まさに永島氏の実行力が問われる局面である。
世界的な運用難の中、農林中金とMUFGが資産運用で提携
「当社は『明治安田フィロソフィー』を大事にしており、その上に3年計画、10年計画がある。根岸(秋男)社長(現・会長)時代に築いた計画を実行フェーズに移していくという覚悟にいささかの揺るぎもない」と話すのは、明治安田生命保険社長の永島英器氏。
2021年7月2日、明治安田生命は8年ぶりに社長を交代、永島氏が就任した。永島氏は1963年2月東京都生まれ。86年東京大学法学部卒業後、明治生命保険(現・明治安田生命保険)入社。人事部長、企画部長など要職を務め、根岸氏の改革を支えてきた。
「1日1日感じているのは、1200万人のお客様、グループで約6万人の役職員がいる会社だという責任の重さ。覚悟を持って取り組む」と抱負を語る。
永島氏は東京・深川で生まれ、主に小平市で育った。「父は深川で生まれ育った。私が小さい頃、親戚が集まるとよく喧嘩をしていたが、10分ほどすると涙ながらに抱き合っていた(笑)。『三丁目の夕日』の世界だが、当時は受け入れられなかった。反動で高校時代などは口数が少なかったが、今となっては『三丁目の夕日』を見て号泣するようになった(笑)」と笑う。永島氏が社内で「合理性と情を併せ持つ人」と評される背景には、深川の経験もありそうだ。
生保への入社は、大学の授業でフランスの哲学者・ジャン=ジャック・ルソーの『社会保険説』を学んで興味を抱いたことがきっかけ。
旧・明治生命入社のきっかけは、元々東京生まれながら阪神タイガースファンで、強いもの、大きいものに対抗する存在に共感を抱いていた。そのため生保でも最大手ではない明治生命を志望した。また、就職活動の中で出会った明治生命の先輩に好感を持ったことも大きかった。
永島氏が群馬県桐生で営業所長を務めていた05年、「保険金不払い問題」が明らかになった。永島氏は所長として顧客を回り土下座をするなどお詫び行脚の日々だったが、ある時、営業所のマネージャーが担当していた企業の契約が大量解約になった。
「マネージャーを信頼して契約してくださったものだったが、先方からは『あなたが悪いんじゃないが、けじめなので解約させてもらう』と言われた。結果として、企業の担当者の方の立場も悪くしてしまった。本当に多くの方にご迷惑をおかけしてしまった」
当時、不払いに関する情報を本社からではなく報道で知ることが多く、「本社は何をやっているんだろう」という思いも抱いたが、一方で現場の募集にも問題があったこともわかり、「現場の常識とお客様の期待に乖離が生まれてしまった」と自省。この経験は永島氏自身の胸に深く刻まれている。
コロナ禍で対面が難しい中で…
新型コロナウイルスの感染拡大は、我々の仕事、生活に大きな影響を与えたが、生命保険会社も例外ではない。特に「対面」を軸に活動する営業職員を約3万5000人抱える明治安田生命にとっては、その活動を制限される事象でもあった。「コロナによって社会のデジタル化が進んだが、当社にとっても同じ」(永島氏)。19年10月までに営業職員には業務用スマートフォン『MYフォン』を貸与し、保険商品の手続きや契約者への情報提供に活用してきた。
さらに、営業職員が対面で契約者の相談に応じている際に、税金など専門的な内容になった場合には、スマホやタブレットを通じて本社の税金の専門家がオンラインで説明するといった取り組みも進めている。
ただ、永島氏は「デジタルはどんどん進むが、同時に思っているのは、最後は『人間力』」と強調する。「AI(人工知能)やロボットは死ぬことはない。ゆえに不安や恐怖を感じず、お客様の不安や恐怖に共感できない。さらに〝一期一会〟の出会いに感動の涙を流すこともない。真の意味での絆は人間にしか築けないのではないか」(永島氏)
つまり、今の時代はデジタルを使いこなせなければ土俵に上がることはできないが、それを前提としながらも最後に勝負を分けるのは「人間力」だということ。
さらに、永島氏は社内に向けて、顧客をカテゴライズしたり、セグメント化するのではなく、契約者1人ひとりを大事に考えることの重要性を説く。「対面にしてもオンラインにしても、お客様のその時その時のニーズ、思いにしっかり応えることができる体制をつくることが大事」
だが今は、他の生保もデジタルトランスフォーメーション(DX)を志向し、取り組んできている。明治安田が他社と差別化できる点は何なのか?
「当社には優しくて真面目な社員が多く、それが社風にもなっており、大事にしていきたい。レイモンド・チャンドラーの小説に出てくる探偵のフィリップ・マーロウが『強くなければ生きていけない、優しくなれなければ生きている資格がない』と言っているが、明治安田が勝ち残って、お客様に選ばれ続けるためには優しさに加えて強さがなければならない」
人とデジタルの融合にあたっても、元々明治安田が培ってきた社員の気質や社風といった「人」の要素が差別化ポイントになるということ。
明治安田は生保業界の中でも「アフターフォロー」に最も注力している会社として知られてきた。ここでも人によるフォローだけでなくデジタルを活用していく。
永島氏は就任内定の会見で、もう一つ「融合」を進めると触れたものがある。それが「個人営業と法人営業の融合」である。
法人営業の中では国や地方自治体など公法人向け、企業向けなどに分かれているが、例えば公法人分野では各自治体との間で地域連携協定を結んでいる。その地域のお祭りや健康診断の支援を進める時に、個人営業を担う営業職員が関わることが考えられる。
また、企業向けでは団体保険などを引き受けているが、これまでは担当部署との関係にとどまっていたが、近年は団体保険専用インターネットサービスである「みんなのMYポータル」で、より「個」に近いところまでつながるようになっている。これを活用し、例えば定年などで企業を退職した後でも、個人としてつながっていくことを考えている。
また、個人営業と法人営業との間で人材交流はあったが、どうしても「あの人は個人畑、法人畑」といった形で、明確に領域が分かれていた。「これは変えていきたい」と永島氏。
明治安田生命社長に常務の永島英器氏 「人とデジタルの融合」が課題
事務を担った人材が営業の前線に
今、明治安田は「人」に関わる改革を複数実行中。その一つがこれまで営業所や支店などで定型事務を担ってきた人材を、新たな役割である「事務サービス・コンシェルジュ」に転換すること。
明治安田では、これまで人手を介して行ってきた定型事務をデジタル化によって削減している。例えば紙の書類を人が確認していたが、デジタルで入力したデータが、そのまま本社に飛ぶようになっており、その仕事はなくなっているということ。
しかし「当社はメンバーシップ型雇用なので、仕事がなくなったから人がいらなくなるという話ではない」と永島氏。
そこで、定型事務を担ってきた人材はこれまで培った事務の知識、経験を生かし、営業職員とともに顧客を訪問し、保険金支払いなどに関する書類を現場で確認したり、諸手続きのサポートを行う「事務サービス・コンシェルジュ」に転換する。
「最初は怖かったりということもあったと思うが、『お客様を訪問して「ありがとう」と言われて感動しました』という声も届いている。世の中全体でデジタル化で、なくなる仕事が増える中、『ジョブ型雇用』で対応する企業さんもあるが、当社は1人ひとりの自己変革、自己成長を大前提に、メンバーシップ型の良さを守ることにこだわる」
21年4月から事務サービス・コンシェルジュは約2000人誕生。並行して21年4月から約2600人いた契約社員のうち、約1900人を正社員として登用、このうち約700人が事務サービス・コンシェルジュに含まれている。
「専門職など一部の職種ではジョブ型の要素を取り入れようとは思うが、基本はメンバーシップ型。それが生命保険という20年、30年というお客様との長い約束を守る会社として大事ではないか。そして我々は相互会社であり、株主ではなく、長期目線のご契約者がステークホルダー。『明治安田フィロソフィー』を体現できる人材は、外から持ってきて得られるものではない」
それを象徴しているのが、11年の東日本大震災時の職員の行動。自身や家族も被災する中、避難所を歩き回って顧客の安否確認や請求手続きに奮闘。永島氏は、こうした人材を大事にしていきたいと強調する。
『サピエンス全史』や『ホモ・デウス』といった著作が全世界で読まれているイスラエルの歴史家・哲学者のユヴァル・ノア・ハラリは、かつては産業の発展の中でも新しい仕事を見つけることができた労働者も、デジタル化、AIの進展で転職が難しくなり、必要とされる技能を持たない「無用者」が増加すると指摘している。
それに対して永島氏は「ハラリはスーパーマーケットのレジ係の職を失った人はドローン操縦士にはなれないのではないかというが、私はそう決めつける必要はないと思う。大事なのは自己変革、自己成長」と話す。あくまでも「人」の可能性に賭ける決意を示す。
営業職員の給与体系を変える
もう一つ、明治安田が主力としている営業職員についても大きな変革が進む。それが営業職員に対して保険の契約実績に応じて支給してきた「販売奨励金」の廃止。これは大手生保で初めてのこと。22年度からは営業職員の報酬を全額固定給とする。
従来、生保では営業目標を設定し、それをいかに達成したかに応じて販売奨励金を出すなど、給与に差を付けてきた。それをモチベーションとして頑張る営業職員は多かったが、目標達成のために無理な営業をして顧客からのクレームにつながるケースもあり、業界全体の課題となっていた。しかも今はコロナ禍で対面営業が難しい環境。
「今月の成績で来月の給与が左右されるのではなく、1年間の仕事のパフォーマンスで翌年の固定給が決まるという、総合職型のスタイルを志向している。これは大きな変革」
この改革は永島氏のこだわりが反映されている。かつて自身が営業所長を務めていた時代、営業目標を、複数の営業職員で構成される「班」に下ろすことはしなかったのだという。「1人ひとりが自分の目標や、お客様と接する中で頑張った合計が、営業所の成績だと考えてきた。『自立した個』、1人ひとりを大事にした経営を進めていきたい」(永島氏)
これは22年度から始まる「次世代アドバイザー制度」の中で実施されるが、まさに「行うは難し」の改革。大事になるのは営業職員の評価方法。定量的部分だけでなく定性的な部分をどう見ていくかが問われる。
さらに支社長や営業所長など従来、本社からの施策や営業目標を背負ってきた立場の人達の意識改革と同時に、経営陣が彼らをどう評価するかという視点も大事になる。
「本社から来た目標を下ろすだけ、達成に向けて厳しく言うだけではいけない。お客様本位の業務運営をしなければ『生保の常識、社会の非常識』になってしまう可能性もある。不断の努力、働きかけを続けていく」
また、生保は長期契約の中で、顧客の保険料を運用し、支払いに備えることが大きな柱だが、長期化する低金利環境の中で、運用にも苦心している。
「大きな変化のタイミングではリスク・リターンの歪みが生じやすい。そのタイミングを機動的に捉えて運用することが大事。もう一つは中長期的な成長の場に身を置く、あるいは投資をすること。その意味で海外は重要になる」(永島氏)
国内のみならず世界の機関投資家が運用で競う今、運用の巧拙が従来以上に問われる。その体制の充実は大きな課題。明治安田では「資産運用『大』改革」を推進中で、人材、体制、ガバナンスを見つめ直している。
前述のように、永島氏は根岸氏が進めてきた改革の中で、その計画の立案に携わってきており、「(根岸氏との)付き合いも長く、相互会社、営業職員を大事にするといった考え方も共通することが多い。今後、何かを変えるというのではなく、実行フェーズに移そうという思いが強い。覚悟を決めて実行する」と話す。
まさに永島氏の実行力が問われる局面である。
世界的な運用難の中、農林中金とMUFGが資産運用で提携