アラビア語が話せる社員もいて…
「ここ数年、新入社員の半数は外国籍の人たちです。英語はもちろんのこと、アラビア語が話せるイスラム圏出身の人たちもいて、多様性に富んでいます」
今、ミキハウス(三起商行)の社員は世界各国から来た人たちで構成されている。こう木村が話すように、ミキハウスがグローバルに事業を展開していることから、ダイバーシティ(多様性)を大事にする会社になったということである。
大学新卒者の間での就職ランキングでも、上場会社の大企業に勝るとも劣らない人気。
リーマン・ショック(2008年)が起き、混乱した世界経済が落ち着き、再び成長し始めた2010年代初めから、新卒学生の間でミキハウスの人気が高まっていった。
「2013年頃からですかね。うちの人気が、学生さんたちの間で高まっていったのは」と木村は述懐。
同社は毎年、数十人の新卒者を採用しているが、エントリーでは1万3千人も押しかけるような人気ぶり。
「今はコロナ危機でWEBでの面接も取り入れたりしていますが、コロナ前でしたら、東京は東京で広い会場を借りて面接をしてきました。500人くらい入る会場で多くの学生さんに来てもらってね。真剣なやり取りです」
木村も、若い人材が応募してくれていることに、経営者としての手応えを感じている様子である。
【母の教え】木村皓一・ミキハウスグループ社長
一流の人材を当初から採用!
企業経営を支えるのも「人」であり、創業時から一流の人材を集めようと、採用には人一倍神経を使ってきた。
「僕は1人で会社を立ち上げ、女房にも手伝ってもらっていたのですが、初めて人を採用する時、まずはリクルート社に行って採用を頼みに行ったんです」
1971年(昭和46年)に創業してから5年くらいが経った頃、ミキハウスを立ち上げ、スタートしたばかりの時点で、木村は採用最大手のリクルート(当時の社名は日本リクルートセンター)に採用を依頼しに行った。
売り上げも増え、事業が成長軌道に乗ってきたということで、木村の中にも、大学新卒の採用を堂々と始めたいという気持ちが強くなっていた。
創業当初から、世界を意識し、最高級のブランドを育て、社員も一流の人材を育てたいという思いが木村にはあった。
そこで、リクルート社を訪ね「いい人材を採用したい」と申し入れたのである。
木村はリクルート社に出向き、「関関同立以上の人の採用をお願いしたい」と申し入れたのである。
関関同立とは、関西大学、関西学院大学、同志社大学、立命館大学という、関西における有名私大のこと。優秀な学生を採用したいというメッセージを、木村はリクルート社の担当者にぶつけたのである。
それを聞いた担当者も前向きな人だった。
「よし、任せてください。いろいろ知恵を出して成功させます」と即答してくれた。
木村は採用費用として約1200万円を支払った。初任給は月額数万円という時代であり、”1200万円”は当時としてはバカにならない金額。
木村の意気込みを知り、リクルート社の担当者も張り切ってくれた。
木村は採用条件の出し方も、”関関同立の出身者”として、待遇面では世間の相場より3割高い月給を示したのである。
結果はどうだったのか?
「来ました。来ました。大阪府立大学、関西大学、亜細亜大学と関西圏だけでなく、関東の大学からも応募者が来てくれて」
応募してくれたのは、男性2人、女性3人。現在の数千人の就職希望者が押し寄せる人気ぶりに比べると、その時の数字は小さいが、木村にとっては、まさに値千金の出来事であった。
(敬称略、以下次号)
ミキハウスグループ代表・木村 皓一の「世界の子供に笑顔と安心を!」(第12回)
「ここ数年、新入社員の半数は外国籍の人たちです。英語はもちろんのこと、アラビア語が話せるイスラム圏出身の人たちもいて、多様性に富んでいます」
今、ミキハウス(三起商行)の社員は世界各国から来た人たちで構成されている。こう木村が話すように、ミキハウスがグローバルに事業を展開していることから、ダイバーシティ(多様性)を大事にする会社になったということである。
大学新卒者の間での就職ランキングでも、上場会社の大企業に勝るとも劣らない人気。
リーマン・ショック(2008年)が起き、混乱した世界経済が落ち着き、再び成長し始めた2010年代初めから、新卒学生の間でミキハウスの人気が高まっていった。
「2013年頃からですかね。うちの人気が、学生さんたちの間で高まっていったのは」と木村は述懐。
同社は毎年、数十人の新卒者を採用しているが、エントリーでは1万3千人も押しかけるような人気ぶり。
「今はコロナ危機でWEBでの面接も取り入れたりしていますが、コロナ前でしたら、東京は東京で広い会場を借りて面接をしてきました。500人くらい入る会場で多くの学生さんに来てもらってね。真剣なやり取りです」
木村も、若い人材が応募してくれていることに、経営者としての手応えを感じている様子である。
【母の教え】木村皓一・ミキハウスグループ社長
一流の人材を当初から採用!
企業経営を支えるのも「人」であり、創業時から一流の人材を集めようと、採用には人一倍神経を使ってきた。
「僕は1人で会社を立ち上げ、女房にも手伝ってもらっていたのですが、初めて人を採用する時、まずはリクルート社に行って採用を頼みに行ったんです」
1971年(昭和46年)に創業してから5年くらいが経った頃、ミキハウスを立ち上げ、スタートしたばかりの時点で、木村は採用最大手のリクルート(当時の社名は日本リクルートセンター)に採用を依頼しに行った。
売り上げも増え、事業が成長軌道に乗ってきたということで、木村の中にも、大学新卒の採用を堂々と始めたいという気持ちが強くなっていた。
創業当初から、世界を意識し、最高級のブランドを育て、社員も一流の人材を育てたいという思いが木村にはあった。
そこで、リクルート社を訪ね「いい人材を採用したい」と申し入れたのである。
木村はリクルート社に出向き、「関関同立以上の人の採用をお願いしたい」と申し入れたのである。
関関同立とは、関西大学、関西学院大学、同志社大学、立命館大学という、関西における有名私大のこと。優秀な学生を採用したいというメッセージを、木村はリクルート社の担当者にぶつけたのである。
それを聞いた担当者も前向きな人だった。
「よし、任せてください。いろいろ知恵を出して成功させます」と即答してくれた。
木村は採用費用として約1200万円を支払った。初任給は月額数万円という時代であり、”1200万円”は当時としてはバカにならない金額。
木村の意気込みを知り、リクルート社の担当者も張り切ってくれた。
木村は採用条件の出し方も、”関関同立の出身者”として、待遇面では世間の相場より3割高い月給を示したのである。
結果はどうだったのか?
「来ました。来ました。大阪府立大学、関西大学、亜細亜大学と関西圏だけでなく、関東の大学からも応募者が来てくれて」
応募してくれたのは、男性2人、女性3人。現在の数千人の就職希望者が押し寄せる人気ぶりに比べると、その時の数字は小さいが、木村にとっては、まさに値千金の出来事であった。
(敬称略、以下次号)
ミキハウスグループ代表・木村 皓一の「世界の子供に笑顔と安心を!」(第12回)