「私の仕事は、もう一度当社を成長軌道に乗せること」──クレディセゾン会長の林野氏はこう話す。消費の盛り上がりの中で成長してきた同社だが、近年は人々の消費動向の変化、ライバルの台頭もあって厳しい状況。ターゲット層を変え、リアルとデジタルの融合で会社の姿を変えていきたいというのが林野氏の考え。新たな企業像をどう描いているのか──。
株主還元が増え、社員の賃金は減った日本
── コロナ禍は我々の生き方、働き方に大きな影響を与えていますが、林野さんはこの1年半をどう捉えていますか。
林野 多くの人が、まさかコロナのようなパンデミックが起こるとは思っていなかったと思います。ただ、これによって21世紀の新たな社会に向けた動きが加速されたと思います。
その根底にあるのが米中の覇権争いです。この対立の中で、特に自由主義国の結束は強まったと思いますが、加速させたのはコロナ禍です。
日本は特に中国と地理的に近く、地政学上の問題がある上にサプライチェーンにも組み込まれています。さらに米国の同盟国でもある。この問題をどう考えていくかが、今後ますます重要になります。
── 日本が抱える課題が浮き彫りになっていますね。
林野 ええ。平成が終わり令和の時代になっていますが、日本は経済成長できていません。亡くなった堺屋太一さんは『平成三十年』という予測小説を書いていますが、第1章の表題は「何もしなかった日本」です。
── 平成の30年間は「失われた」というより「何もしなかった」ということですね。
林野 ええ。経済が成長しないので、中国など近隣の国からは日本は低く見られている面があります。そして多くの企業が日本国内ではなく海外での成長を志向しているのが現状です。
この間の日本企業の経営の実態ですが、誤った「株主至上主義」の影響で株主還元だけが強化され、格差社会が拡大しました。事実、01年度を1として、19年度までの推移を見ると、配当金は6倍、経常利益が2・7倍、内部留保は2・2倍、役員報酬が1・4倍になりましたが、労働者の賃金だけがマイナスになってしまっています。
── 賃金がマイナスでは消費は増えませんね。
林野 ええ。GDP(国内総生産)の約6割は個人消費ですから、これを伸ばさない限り、経済は成長しません。
賃金を上げるのは我々経営者の役割です。私は社員の給与を上げるのが自分の使命だと考えてきましたから、先程の01年度を1として、19年度までに配当金2・3倍増と株主還元を継続すると共に、人事制度の改革などを通じて社員の賃金も1・2倍に増加させてきました。
それでも当社を取り巻く事業環境は厳しいですから、今の私の仕事は、もう一度当社を成長軌道に乗せることだと考えています。そのためにも25年までに、ある程度の形をつくりたいと思っているんです。
【関連記事】大和証券グループ本社・中田誠司社長「SDGsなど社会課題解決に投資する商品づくりを」
カード会社からの転換を
── クレディセゾンをどういう姿にしていこうと?
林野 意識としては「第2の創業」です。そのコンセプトは、これまでのカード会社、ファイナンス会社から、「グループ一体となった総合生活サービス企業グループへの転換」です。
我々の社名になっている「セゾン」は、特にシニア層に浸透しています。こうしたシニア層の土地や家、介護といった「困り事」を解決する生活インフラを提供する企業になっていきます。こうしたシニア・富裕層に加えて中小企業経営者や女性といった層がターゲットになります。
── ライバルと言える企業はどこになりますか。
林野 今の我々の競合相手と言えるのは、実は楽天さんなんですが、ポイントサービスを生かして顧客を獲得しています。
一方、当社は、基幹システムの開発で長年にわたり苦労しました。既存のシステムではもうもたないということで更新を決めましたが、クレジットカードのシステムは非常に難しく、各社が苦労をしています。
我々も例外ではなく、18年の完成までに10年かかりました。この間、新しいビジネスを手掛けにくくなったわけですが、昨年から開発期間に計画してきた新たな商品・サービスを実現させています。
本来であれば、米国のように一つのシステムをどの企業も使うという形になればよかったのですが、日本は残念ながらそういう形にはならず、個別対応になってしまった。
ただ、楽天さん以外に強敵と言える企業はありませんから、そこで我々がどういう手を打つかが問われます。
── 具体的にどういう戦略をとりますか。
林野 当社に対して多くの方が持っているイメージは「セゾン=アメックス」です。このイメージ、ステータスを活用していこうと考えています。
例えば「ワンランク上の女性」をイメージしたピンク色の「セゾンローズゴールド・アメリカン・エキスプレスⓇ・カード」を発行しましたが、日本初の月会費制など独自の特典を提供しました。
また、1990年代中盤以降に生まれた「Z世代」など若年層も開拓していきます。この層をコアターゲットとしたコンセプトカード「Like me♡by saison card」も発行しています。
今まで我々は流通業と組んで、ハウスカード(発行会社または同社と提携する店舗やサービスのみで使えるようにしたクレジットカード)を中心に展開してきましたが、リアルが落ちて、EC(電子商取引)などバーチャルビジネスが中心になっている時代に、その戦略では立ち行かなくなります。
── ほぼ全サービス産業を対象にする形になりますか。
林野 ええ。重視するのは「B」、つまり法人需要です。個人事業主などスモールビジネス、さらに中小企業経営者をターゲットにビジネスを構築していく。
そして競合である楽天さんはデジタルオリエンテッドな企業ですが、我々はリアルからスタートした企業。ですから、いかにリアルとデジタルを融合させ、その戦略の違いをお客様に伝えていくかが課題です。
新規事業を立ち上げ若手に経験を
── サイバーエージェントとも提携していますね。どういったことも取り組もうと?
林野 例えば、サイバーエージェントさんは、グループ内にどんどん会社を立ち上げて、若手に社長を任せて、失敗も含めて経験させている。我々も若い人達にどんどん新しいことを経験してもらうために、100社ほど会社を立ち上げたいと考えています。そのために合弁、M&A(企業の合併・買収)などあらゆる手段を使って、新規事業を生み出していきたい。
── 新規事業は、有望なものが出てきていますか。
林野 キーワードは「イノベーション」、「デジタル」、「グローバル」の3つです。実現するのは難しいですが、やり遂げなければなりません。まさにこれからですが、例えば21年5月には、医師コミュニティサイトなどを運営するメドピアさんと、今秋にも在宅医療領域における共同事業を始めることを決めました。
そして、新しいビジネスを創っていくのは社員です。彼がそれを自分事として考えて、全社員が経営者になるという覚悟を持って取り組んでもらいたいと思っています。そういう会社になることができれば勝ち抜くことができます。
── 社員の意識を変えることも必要になりますね。
林野 先程挙げたキーワードのうち、「デジタル」、「グローバル」は、日本の学校を卒業して、日本の企業で育った人は非常に苦手です。そこで今、期待しているのはデジタルの素養を持った中途入社の人達です。
入社の段階で、ある程度力量がわかりますし、入社当初は社内に味方がいませんから甘えない。自分が仕事をして、周りに認めさせるしかないという覚悟があります。
ただ、企業ではロイヤリティも大事ですから、それを補完するのが定時採用です。上手にダイバーシティ(多様性)を生かして組み合わせていくことが大事だと考えています。
堤清二氏から学んだこと
── 林野さんはかつて、セゾングループで育ちましたが、グループが崩壊した後もクレディセゾンはカード業界の雄として事業に取り組んできましたね。セゾングループを築き上げた堤清二さんが亡くなって8年が経ちます。林野さんは晩年の堤さんとはどのような頻度で会っていましたか。
林野 私は常に2カ月に1回、堤さんに事業の報告に行っていました。意思決定は仰がず、報告だけでしたが。
堤さんはお金の話やシステムは苦手で、あまり関与しませんでしたが、その感性は非常に素晴らしかった。とても勝負になりませんでしたね。日本の国民に文化や芸術を知ってもらいたいという思いが強かった。
── セゾングループが成長した1980年代は、ちょうど日本が文化を求める時代でもありましたね。林野さんの人生において、堤さんはどういう存在だと言えますか。
林野 全てにおいて「師匠」です。堤さんという、いろいろなことを教えてくれる方に出会えたのは、本当にありがたかったですね。
── 1969年に池袋ステーションビルから百貨店の丸物が撤退し、堤さんはパルコに切り替えたわけですが、ネーミングも含めて堤さんは非常にセンスがありましたね。
林野 パルコによって日本の小売りは変わったと思います。「パルコ」という3文字のカタカナで、外来語を使ったところがよかったんです。その後、多くの企業が3文字のカタカナを使う形で追随しました。
また、「Jリーグ」のように、言葉の頭に「J」を付けたのも堤さんが最初です。これはFM放送の「J―WAVE」をつくった時のことでした。 私は準備室の仕事をしており、「FM24」という名称やコンセプトを考えて、堤さんのところに持っていきました。コンセプトはOKでしたが、「名前だけ、ちょっと考えさせてくれ」と言って、出てきたのが「J―WAVE」でした。これはとても敵わないと思いましたね(笑)。
そして我々の計画では設備投資などもあって3年間は黒字が出ない見通しでしたが、スポンサーが殺到して初年度から黒字になったんです。広告を入れたいと思っても入ることができず、順番待ちになったくらいです。
── 堤さんは「辻井喬」の筆名で小説家としても活躍しました。
林野 116冊の本を書き、13の文学賞をもらっています。
本を書くと、いつも私にくれるんです。ある時、「堤清二」というサインをして欲しいと思って持っていったことがあるんですが断られました(笑)。私としては、この世に1冊しかない本になるという思いでしたが、やはりご本人には強いこだわりがあったんです。
── 林野さんは堤さんのやってきたことを受け継いで経営をしているわけですね。
林野 いえ、私が受け継いでいるなどというのはとんでもないです。ただ、模倣をし、欠点があれば修正しているという感じです。堤さんや竹内敏雄さん(元クレディセゾン会長)、和田繁明さん(元西武百貨店会長)は得意分野もありますが、それぞれ苦手分野もありました。
皆さんの良い部分を真似して、苦手分野を切り取っていくということができるのは、後から生きている者として有利な点ではないかと思います。
── 今、セゾングループから発祥して残っている企業はクレディセゾンと良品計画だと思います。この2社が残ったのは変化対応ができたからでは?
林野 一言で言うと運がよかったんです。よく「間がいい」、「タイミングがいい」と言いますが、これは運です。例えば今、カード会社を始めるといっても難しいですが、当時だからできたわけです。
── 林野さんが西武クレジットに来たのは39歳の時でしたね。転籍でしたが、林野さん自身はどういう思いでしたか。
林野 再建に3度失敗し、「4度目の正直」で、クレジットカード会社に転換しようとしていた時でした。私は「日本一のカード会社をつくろう」と思って、行くことを決めたんです。
── その後、消費拡大の追い風を受けて事業は成長したわけですが、これまでの歩みの中で厳しかったのはいつでしたか。
林野 確かに06年までは事業は順調でした。しかしそれ以降、貸金業法、割賦販売法の改定、そして利息過払い金請求という「三重苦」に見舞われてからは厳しかったですね。
ただ、厳しい時には常に、必ず「生き筋」があると思って仕事をしてきました。それを見つけるために常に努力をすることが必要なんです。
【関連記事】【良品計画】次期社長に『ユニクロ』出身・堂前専務が昇格
株主還元が増え、社員の賃金は減った日本
── コロナ禍は我々の生き方、働き方に大きな影響を与えていますが、林野さんはこの1年半をどう捉えていますか。
林野 多くの人が、まさかコロナのようなパンデミックが起こるとは思っていなかったと思います。ただ、これによって21世紀の新たな社会に向けた動きが加速されたと思います。
その根底にあるのが米中の覇権争いです。この対立の中で、特に自由主義国の結束は強まったと思いますが、加速させたのはコロナ禍です。
日本は特に中国と地理的に近く、地政学上の問題がある上にサプライチェーンにも組み込まれています。さらに米国の同盟国でもある。この問題をどう考えていくかが、今後ますます重要になります。
── 日本が抱える課題が浮き彫りになっていますね。
林野 ええ。平成が終わり令和の時代になっていますが、日本は経済成長できていません。亡くなった堺屋太一さんは『平成三十年』という予測小説を書いていますが、第1章の表題は「何もしなかった日本」です。
── 平成の30年間は「失われた」というより「何もしなかった」ということですね。
林野 ええ。経済が成長しないので、中国など近隣の国からは日本は低く見られている面があります。そして多くの企業が日本国内ではなく海外での成長を志向しているのが現状です。
この間の日本企業の経営の実態ですが、誤った「株主至上主義」の影響で株主還元だけが強化され、格差社会が拡大しました。事実、01年度を1として、19年度までの推移を見ると、配当金は6倍、経常利益が2・7倍、内部留保は2・2倍、役員報酬が1・4倍になりましたが、労働者の賃金だけがマイナスになってしまっています。
── 賃金がマイナスでは消費は増えませんね。
林野 ええ。GDP(国内総生産)の約6割は個人消費ですから、これを伸ばさない限り、経済は成長しません。
賃金を上げるのは我々経営者の役割です。私は社員の給与を上げるのが自分の使命だと考えてきましたから、先程の01年度を1として、19年度までに配当金2・3倍増と株主還元を継続すると共に、人事制度の改革などを通じて社員の賃金も1・2倍に増加させてきました。
それでも当社を取り巻く事業環境は厳しいですから、今の私の仕事は、もう一度当社を成長軌道に乗せることだと考えています。そのためにも25年までに、ある程度の形をつくりたいと思っているんです。
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カード会社からの転換を
── クレディセゾンをどういう姿にしていこうと?
林野 意識としては「第2の創業」です。そのコンセプトは、これまでのカード会社、ファイナンス会社から、「グループ一体となった総合生活サービス企業グループへの転換」です。
我々の社名になっている「セゾン」は、特にシニア層に浸透しています。こうしたシニア層の土地や家、介護といった「困り事」を解決する生活インフラを提供する企業になっていきます。こうしたシニア・富裕層に加えて中小企業経営者や女性といった層がターゲットになります。
── ライバルと言える企業はどこになりますか。
林野 今の我々の競合相手と言えるのは、実は楽天さんなんですが、ポイントサービスを生かして顧客を獲得しています。
一方、当社は、基幹システムの開発で長年にわたり苦労しました。既存のシステムではもうもたないということで更新を決めましたが、クレジットカードのシステムは非常に難しく、各社が苦労をしています。
我々も例外ではなく、18年の完成までに10年かかりました。この間、新しいビジネスを手掛けにくくなったわけですが、昨年から開発期間に計画してきた新たな商品・サービスを実現させています。
本来であれば、米国のように一つのシステムをどの企業も使うという形になればよかったのですが、日本は残念ながらそういう形にはならず、個別対応になってしまった。
ただ、楽天さん以外に強敵と言える企業はありませんから、そこで我々がどういう手を打つかが問われます。
── 具体的にどういう戦略をとりますか。
林野 当社に対して多くの方が持っているイメージは「セゾン=アメックス」です。このイメージ、ステータスを活用していこうと考えています。
例えば「ワンランク上の女性」をイメージしたピンク色の「セゾンローズゴールド・アメリカン・エキスプレスⓇ・カード」を発行しましたが、日本初の月会費制など独自の特典を提供しました。
また、1990年代中盤以降に生まれた「Z世代」など若年層も開拓していきます。この層をコアターゲットとしたコンセプトカード「Like me♡by saison card」も発行しています。
今まで我々は流通業と組んで、ハウスカード(発行会社または同社と提携する店舗やサービスのみで使えるようにしたクレジットカード)を中心に展開してきましたが、リアルが落ちて、EC(電子商取引)などバーチャルビジネスが中心になっている時代に、その戦略では立ち行かなくなります。
── ほぼ全サービス産業を対象にする形になりますか。
林野 ええ。重視するのは「B」、つまり法人需要です。個人事業主などスモールビジネス、さらに中小企業経営者をターゲットにビジネスを構築していく。
そして競合である楽天さんはデジタルオリエンテッドな企業ですが、我々はリアルからスタートした企業。ですから、いかにリアルとデジタルを融合させ、その戦略の違いをお客様に伝えていくかが課題です。
新規事業を立ち上げ若手に経験を
── サイバーエージェントとも提携していますね。どういったことも取り組もうと?
林野 例えば、サイバーエージェントさんは、グループ内にどんどん会社を立ち上げて、若手に社長を任せて、失敗も含めて経験させている。我々も若い人達にどんどん新しいことを経験してもらうために、100社ほど会社を立ち上げたいと考えています。そのために合弁、M&A(企業の合併・買収)などあらゆる手段を使って、新規事業を生み出していきたい。
── 新規事業は、有望なものが出てきていますか。
林野 キーワードは「イノベーション」、「デジタル」、「グローバル」の3つです。実現するのは難しいですが、やり遂げなければなりません。まさにこれからですが、例えば21年5月には、医師コミュニティサイトなどを運営するメドピアさんと、今秋にも在宅医療領域における共同事業を始めることを決めました。
そして、新しいビジネスを創っていくのは社員です。彼がそれを自分事として考えて、全社員が経営者になるという覚悟を持って取り組んでもらいたいと思っています。そういう会社になることができれば勝ち抜くことができます。
── 社員の意識を変えることも必要になりますね。
林野 先程挙げたキーワードのうち、「デジタル」、「グローバル」は、日本の学校を卒業して、日本の企業で育った人は非常に苦手です。そこで今、期待しているのはデジタルの素養を持った中途入社の人達です。
入社の段階で、ある程度力量がわかりますし、入社当初は社内に味方がいませんから甘えない。自分が仕事をして、周りに認めさせるしかないという覚悟があります。
ただ、企業ではロイヤリティも大事ですから、それを補完するのが定時採用です。上手にダイバーシティ(多様性)を生かして組み合わせていくことが大事だと考えています。
堤清二氏から学んだこと
── 林野さんはかつて、セゾングループで育ちましたが、グループが崩壊した後もクレディセゾンはカード業界の雄として事業に取り組んできましたね。セゾングループを築き上げた堤清二さんが亡くなって8年が経ちます。林野さんは晩年の堤さんとはどのような頻度で会っていましたか。
林野 私は常に2カ月に1回、堤さんに事業の報告に行っていました。意思決定は仰がず、報告だけでしたが。
堤さんはお金の話やシステムは苦手で、あまり関与しませんでしたが、その感性は非常に素晴らしかった。とても勝負になりませんでしたね。日本の国民に文化や芸術を知ってもらいたいという思いが強かった。
── セゾングループが成長した1980年代は、ちょうど日本が文化を求める時代でもありましたね。林野さんの人生において、堤さんはどういう存在だと言えますか。
林野 全てにおいて「師匠」です。堤さんという、いろいろなことを教えてくれる方に出会えたのは、本当にありがたかったですね。
── 1969年に池袋ステーションビルから百貨店の丸物が撤退し、堤さんはパルコに切り替えたわけですが、ネーミングも含めて堤さんは非常にセンスがありましたね。
林野 パルコによって日本の小売りは変わったと思います。「パルコ」という3文字のカタカナで、外来語を使ったところがよかったんです。その後、多くの企業が3文字のカタカナを使う形で追随しました。
また、「Jリーグ」のように、言葉の頭に「J」を付けたのも堤さんが最初です。これはFM放送の「J―WAVE」をつくった時のことでした。 私は準備室の仕事をしており、「FM24」という名称やコンセプトを考えて、堤さんのところに持っていきました。コンセプトはOKでしたが、「名前だけ、ちょっと考えさせてくれ」と言って、出てきたのが「J―WAVE」でした。これはとても敵わないと思いましたね(笑)。
そして我々の計画では設備投資などもあって3年間は黒字が出ない見通しでしたが、スポンサーが殺到して初年度から黒字になったんです。広告を入れたいと思っても入ることができず、順番待ちになったくらいです。
── 堤さんは「辻井喬」の筆名で小説家としても活躍しました。
林野 116冊の本を書き、13の文学賞をもらっています。
本を書くと、いつも私にくれるんです。ある時、「堤清二」というサインをして欲しいと思って持っていったことがあるんですが断られました(笑)。私としては、この世に1冊しかない本になるという思いでしたが、やはりご本人には強いこだわりがあったんです。
── 林野さんは堤さんのやってきたことを受け継いで経営をしているわけですね。
林野 いえ、私が受け継いでいるなどというのはとんでもないです。ただ、模倣をし、欠点があれば修正しているという感じです。堤さんや竹内敏雄さん(元クレディセゾン会長)、和田繁明さん(元西武百貨店会長)は得意分野もありますが、それぞれ苦手分野もありました。
皆さんの良い部分を真似して、苦手分野を切り取っていくということができるのは、後から生きている者として有利な点ではないかと思います。
── 今、セゾングループから発祥して残っている企業はクレディセゾンと良品計画だと思います。この2社が残ったのは変化対応ができたからでは?
林野 一言で言うと運がよかったんです。よく「間がいい」、「タイミングがいい」と言いますが、これは運です。例えば今、カード会社を始めるといっても難しいですが、当時だからできたわけです。
── 林野さんが西武クレジットに来たのは39歳の時でしたね。転籍でしたが、林野さん自身はどういう思いでしたか。
林野 再建に3度失敗し、「4度目の正直」で、クレジットカード会社に転換しようとしていた時でした。私は「日本一のカード会社をつくろう」と思って、行くことを決めたんです。
── その後、消費拡大の追い風を受けて事業は成長したわけですが、これまでの歩みの中で厳しかったのはいつでしたか。
林野 確かに06年までは事業は順調でした。しかしそれ以降、貸金業法、割賦販売法の改定、そして利息過払い金請求という「三重苦」に見舞われてからは厳しかったですね。
ただ、厳しい時には常に、必ず「生き筋」があると思って仕事をしてきました。それを見つけるために常に努力をすることが必要なんです。
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