「サステナブル(持続可能)な資本主義、市場経済を目指す」─。コロナ禍に加えて、格差、異常気象・生態系の破壊など地球規模で課題が広がる中、「常に社会性の視座を念頭に企業経営をやっていく時代」と日本経済団体連合会会長・十倉雅和氏(住友化学会長)は強調。経団連会長就任は今年6月。前任の中西宏明氏は闘病中で、「あとをよろしく頼む」と託されたのは4月中旬。中西氏は薬石の効なく、6月末逝去したが、「日本はこのままではいけない」という危機感を持ち続けた経済リーダーであった。後を託された十倉氏は「思いは
全く同じです」と”サステナブル”や”社会性”をキーワードに、新しい社会の仕組み構築に意欲を燃やす。出身母体の住友グループには、『自利利他公私一如』、三菱グループにも『所期奉公』などの三綱領がある。米国も株主第一主義を見直すなど、世界的に新しい潮流が起きつつある中、日本の立ち位置と経済人の果たすべき役割とは。
東京五輪から何を感じ取るか?
コロナ禍の中で東京五輪は開催され、8月8日(日)、17日間の日程を終えて閉会式を迎えた。
ワクチン接種もまだ道半ばで、第5波襲来のうねりが押し寄せようとする中、「開催反対」の声も根強かった。
無観客開催となったが、205の国・地域から約1万1000人の選手が参加し、技を競い合う姿に感動も広がった。
日本経済団体連合会会長の十倉雅和氏は今回の東京五輪をどう受け止めたのか?
「まず、最初に言わなければいけないのは、開催までこぎ着けた関係者の方々に敬意を払いたいと思います。本当に1年延期をというだけでも大変なのに、コロナ禍が続いて、安全安心を第一にいろいろ苦労をされて開催にこぎ着けた。開催自体に賛否あったことは承知していますけど、国際公約である開催にこぎ着けた関係者の方々に、敬意を改めて表します」と十倉氏は関係者の労をねぎらう。
第1回オリンピックは発祥の地・ギリシアのアテネで開催。以来、4年ごとに開かれてきたが、この間、戦争で中止となったり、紛争が原因でボイコットする国が出たりするケースも何回かあった。
1980年のモスクワ大会では旧ソ連のアフガニスタン侵攻に反発した米国、日本、西ドイツ(当時、現ドイツ)の自由主義陣営の西側諸国がボイコット。その次のロサンゼルス大会(84年)は旧ソ連と社会主義国の東側陣営が大会をボイコットし、政治的対立が『平和の祭典』の五輪に持ち込まれたという苦い経験がある。
今回は新型コロナ感染症のパンデミック(世界的大流行)の真っ只中、危機管理を行いながらの大会開催。賛否両論が激しくぶつかる中での開催であった。
「いろいろなドラマを生みましたね。人間の努力する姿は尊いとか、努力したものが結実する。また紙一重で結実しなくて報われない時に流す涙、それも素晴らしいんですが、すべての人間の尊厳に関わることですね。そうした個々の具体例がわれわれの胸を打ちます」と十倉氏は大会開催の意義はあったという感想を述べる。
8月24日(火)からは、『東京2020パラリンピック』が9月5日までの日程で開催される。
人類が困難や危機に遭遇したときに、共に手を携えて立ち向かい、1つの解をたぐり寄せることの大切さを今回のオリンピック・パラリンピックは示してくれている。
後事を託した中西氏とは思いを共有…
好きな言葉は『義』──。十倉氏は今年6月1日、経団連会長に就任したのだが、就任時の記者会見で、好きな言葉は?
と聞かれて、「思わず出てしまった言葉ですけどね」と言う。
思わず口に出てきたというのには、十倉氏にも熱い思い出がある。
十倉氏は住友化学専務時代(2009年―2011年)、液晶や有機ELパネル素材をつくる情報電子化学部門を担当。この時、韓国での合弁会社、『東友ファインケム』の会長に就任。韓国側の合弁相手とは徹底した対話路線で信頼関係を築き、高収益会社に育て上げた。
『義』という1文字は、”正義”や”大義”、そして”信義”といった言葉に通じ、自分の生き方の基本軸になると同時に、相手との信義・信頼関係を構築する素地にもなる。
漢字圏の中国はもとより、今はハングル文化の韓国でも十分に、その真意が「伝わって安心しました」と言う。
2011年4月社長に就任、19年4月会長就任という足取り。この間、2015年から19年まで経団連副会長を務め、19年4月から経団連審議会副議長に就任していた。
その十倉氏に、闘病中の経団連会長・中西宏明氏から、「わたしの後任を」と要請が来たのは今年の4月15日のこと。
悪性リンパ腫で昨年5月から入院していた中西氏はWEB会議などで会長の仕事を続けていたが、この時点で、退任を決め、十倉氏に後任を託したのである。
中西氏の意を受けて、経団連事務総長の久保田政一氏(経団連副会長)が十倉氏を訪ね、その意向を伝えたという経緯。
突然の要請に、十倉氏もびっくりさせられた。帰宅して、夫人の猛反対を受けたという。
しかし、病床にある中西氏が自分を指名したことを受け、知人や関係者にも意見を聞いて熟慮、就任を引き受けた。
中西氏は薬石の効なく、6月27日に逝去。享年75。
「中西さんの体調が回復して、飯食おうよというお誘いを受けまして、そのとき一言でも二言でも中西さんの考えを聞きたいなと思っていたんですけれど、急転直下、体調がまた悪化して逝去されましたので、それがかなわなくなりまして……」
十倉氏が経団連会長に就任したのは6月1日。療養中の中西氏はそれから4週間弱後の6月27日に亡くなった。
「僕が経団連会長になってからは、中西さんとは一言も会話をしていないんです。話せていないんです。非常に残念です」と十倉氏は悔やむ。
十倉氏も無念の心境。会長就任を内諾した段階で、中西氏の闘病の様子から、電話で話すことについても、「中西さんも遠慮されたと思うし、僕も遠慮して……」という状況だった。
そのことが気に掛かるわけだが、「それまで中西さんとは基本的な哲学みたいなところで、非常に近いなと。共通の部分があるなというのをずっと意識していました」と十倉氏。
『ソサエティ5・0』を目指して
『ソサエティ(Society)5・0』──。日本が提唱する未来社会のコンセプトで、第5期科学技術基本計画(2016年度から2020年度の範囲)で打ち出されたが、この計画づくりに経団連も深く関わった。
同計画の立案を担った内閣府のCSTI(総合科学技術・イノベーション会議)には、中西宏明氏と内山田竹志氏(トヨタ自動車会長)が議員として参画。
「ええ、これはCSTIと経団連で大事に育ててきた概念だと。Society5.0 for SDGs と謳っているように、SDGs(国連の持続性ある開発目標)達成に向けて、それを実現するためのSociety5.0ということで、皆さんに受けいれられてきたと思うんですね。1つの社会像です。サステナブルな資本主義に基づいての社会像ですね」と十倉氏。
人類は、狩猟(Society1.0)、農業(Society2.0)、工業(Society3.0)、情報(Society4.0)を経て、Society5.0を迎えたということ。
このSociety5.0は、サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムを活用することで、新しい経済成長を促し、同時に社会的課題の解決を図っていこうというもの。
中西氏がCSTIの議員を引いたあと、十倉氏が同議員となり、仕事を引き継ぐ。中西氏とは、「基本哲学や思いを共有してきた」と十倉氏が言う背景にはそうした経緯もある。
では、十倉氏は経団連の会長として、どういうスタンスで仕事に取り組んでいくのか。
南場智子・副会長の存在意義
「やはり、まず行動で見せなければいけない。経団連はともすれば、大企業の利益を代表する集団とか、そういうことを思っている方が一部おられるのも事実。(日本全体が)DX(デジタルトランスフォーメーション)とかグリーントランスフォーメーション(GX)を実現している中で、われわれ経団連はこれをどう進めていくのかという課題。それらの課題を社会性の視座を持ってやろうと。そういう行動を世間に見せなければいけないし、アピールもしていかなければならないと思います」
経団連は2020年11月、『。新成長戦略』と『サステナブルな資本主義』を掲げ、会員(企業会員1461社)の行動指針としている。
『。新成長戦略』と”新成長戦略”の前にわざわざ終止符が打たれているのはなぜか?
それは、これまでの成長戦略に一旦、終止符を打って、サステナブルな資本主義・市場経済をつくり、当面の課題・コロナ危機を克服していこうという思いを込めてのもの。
十倉体制の副会長陣は19人。この中で初の女性副会長が誕生。ディー・エヌ・エー(DeNA)創業者で会長の南場智子氏が6月経団連副会長に就任。
十倉氏は、南場氏の副会長就任について、「経団連は歴史ある企業が多いんですけど、創業経営者が少ない。南場さんは女性経営者で創業者。大いなる活躍を期待しています」と語る。
その時代のテーマを背負ってきた歴代会長
経団連は伝統的に製造業を中心に運営されてきた。今の経団連(日本経済団体連合会)は2002年春、旧経団連と日経連(日本経営者団体連盟)が統合してスタート。
旧経団連は1946年(昭和21年)8月16日、まだ敗戦の余燼が燻る中、日本の復興と産業再生を目指して発足。歴代会長はその時代の課題解決に向けて、リーダーシップを発揮してきた。
例えば、2代目会長・石坂泰三氏(東芝元会長、会長在任は1956―1968)は日本の産業界の国際競争力を付けるためと資本自由化を推進。時期尚早の反対論もある中、遅かれ早かれ、通らねばならない道として、資本自由化の旗振り役を務めた。リーダーとしての覚悟だ。
4代目・土光敏夫氏(東芝元会長、在任期間は1974―1980)は石油ショックで痛手を受けた産業界の体質強化に尽力。会長退任後は行財政改革の目付となり、「増税なき財政再建」を訴えた。本人は倹約生活を実践、”メザシの土光さん”と呼ばれ、国民の人気を集めた。
国難に直面した時に苦い薬を呑むこともある。その必要を時に直言し、率先して実践するリーダーと国民との連携である。
日経連は1948年(昭和23年)の設立。戦後すぐは赤旗が林立し、労働争議が頻発。「経営者よ、強かれ」というスローガンの下、経営者サイドの労働政策立案にあたり、雇用問題などに対応してきた。
戦後、1960年代から70年代前半までの高度成長時代は労使対決路線の色彩が強かったのが、その後、労使協調による生産性向上へ移行。日経連の役割、使命も時代の流れに沿って変化してきた。
こうした時代の流れを背景に、21世紀入りした2002年春、旧経団連と日経連が統合し、日本経済団体連合会(略称・経団連)が発足したという経緯。今年は統合から20年目になる節目の年。記念すべき年だが、今、世界はコロナ危機の真っ只中。加えて米中対立、さらにはシリア、アフガンの混乱、ミャンマー国軍のクーデターと、大小の危機は世界規模で存在する。
この混乱・混迷の中で、どう新しい秩序、システムをつくり上げていくかという命題は十倉経団連にも振りかかる。
サステナブルをキーワードに活動
サステナブル(持続可能)な社会を創りあげていく──。十倉氏は今年6月、経団連会長に就任する際、”サステナブル”をキーワードに、これからの経団連活動の方向性と共に、企業人の生き方を強調。
「これは、日本だけではなくて、世界全体がそうですが、僕らは次の世代、若い世代にいい地球環境、いい社会を残していかなければいけない義務があると」
課題は見えている。所得格差、先進国と途上国との南北格差。異常気象を生み出すといわれる地球温暖化と、それの解決策としてのカーボンニュートラル(炭酸ガス排出ゼロ)へ向けての施策。またデジタル改革とは表裏一体のサイバーテロなどにどう対応していくかという課題である。
さらに言えば、米中対立に見られる価値観の違いをどう克服していくかという重苦しい課題もある。
「これは経済活動においても、政治の領域においても、やはり絶対に譲れない価値観、守るべき価値観ってありますよね。それは自由、それから民主主義、法の下の平等、言論の自由等々、こういうのは絶対に譲れない。そういう譲れない基本的な価値を共有するところと組んで、マルチラテラリズム(多国間での協調主義)でやっていくことがまず基本だと思います」
パンデミック、あるいは生態系の破壊といった問題を解決していくには、「一国では絶対にできない」と十倉氏は語る。
「ユヴァル・ノア・ハラリさん(イスラエルの歴史学者)が『21 lessons(21世紀の人類のための21の思考)』で書いていますが、一国主義では解決できない課題が3つあると。1つは核戦争。2つ目は生態系の破壊。これは気候変動や感染症によるパンデミックを含めて、生態系の保持が課題だということですね。3つ目の課題が破壊的な技術のコントロール、管理だと」。
そうした基本認識を踏まえた上で、サステナブル(持続可能)な地球環境・社会の構築へ、みんなで協力し合っていくときという十倉氏の考え。
そして、肝腎の経済の仕組み、その運営のあり方はどうか?
資本主義、市場経済の弊害を克服するには
「資本主義とか市場経済、これは僕自身は素晴らしい制度だと思います。資源配分も市場制度を通じてやる。私有財産も認めるなど、そういう市民改革で得た人権を前提とした制度で素晴らしいと思うんですけれども、やはりちょっと行き過ぎたところあって、市場の原理で全ては解決できないこともあるのだと」
30年前に世界は大きく揺れた。1989年、ベルリンの壁が崩れ、1991年には社会主義陣営の盟主・ソ連邦が崩壊。このとき、資本主義が社会主義に勝利し、”イデオロギーの時代の終焉”が言われた。
しかし、この間、もう一方の社会主義の大国・中国は”社会主義市場経済”なる概念の下、経済成長を遂げ、2010年にはGDP(国内総生産)で日本を抜いて、米国に次ぐ世界2位の経済大国にのし上がった。
その中国は香港の民主化運動を強権で封じ込め、新疆ウイグル自治区ではウイグル族への強権発動で統治、欧米など自由主義国側の批判を浴びている。
自由主義・民主主義対専制主義・強権主義という構図の中で、価値観を巡る対立は企業活動にも大きな影響を与えつつある。
「もともと米中の対立は、貿易不均衡から始まって、それから次は機微技術というか先端技術、基盤的技術の話になって、それが高じて今やイデオロギー対立ですよね」
十倉氏は続ける。
「そこまでになってしまうと、やはりわれわれが譲れない価値観のところはしっかり守りながらやっていく。ただ、all or nothing では決してなくて、例えば機微技術でサプライチェーンをひょっとしたら米国を中心とする社会と、中国を中心とする社会というように、別のものを組まざるを得なくなるかもしれない」。
十倉氏はそう基本姿勢を示しつつ、「世界は中国抜きでは経済が成り立ちませんし、中国だって世界抜きではあの10何億人の人を養っていけませんから、どちらも必要なんです」と強調。
Competition with Cooperation(競争と協調)が必要──。「だから、アジアやASEAN地域は伸びてるわけですから、その経済発展に日本と中国は両方ともしっかり役割を果たしていかないといけない。そういう意味ではパートナーです。競争と協調、この2つで、したたかにという言い方は少し古いかもしれませんが、しっかりとやっていくことだと思います」と語る。
日本が先頭を切って手本を世界に…
どんな制度、主義にも完全なものはない。時代や環境の変化に対応して、手直しをしていく必要が出てくる。
「だから、われわれはこれをつくり直さなければいけない。それはやはりサステナブルな社会、サステナブルな地球ということ。その中で生きられるサステナブルな資本主義、市場経済をもう一回、僕らは構築しなければいけない」
これまでも資本主義や社会主義という考え方を超えて、社会的共通資本(social overhead capital, social common capital)という概念の必要性を強調してきた宇沢弘文氏(故人)らがいる。
「ええ、ホモ・エコノミクスという概念から出発した市場原理、自由放任主義ではやはり解決できない問題があると。地球の生態系の保持、大気や水、土地などの資源、それに教育制度や医療制度などは市場原理になじまないし、これらは社会的共通資本という考えで対応していくと。公益性とかパブリックという考えですね」
サステナブルな社会をつくる上で、日本の使命とは何か?
「これは日本だけの問題ではなくて、世界全体の問題ですけれど、これも多くの方が言われますように、日本というのは割とそういう、株主価値一辺倒でやってきた国ではないんですね。
三方良しの考え方とか、わたしの出ている住友グループには『自利利他公私一如』という事業精神があります。住友の事業、住友を利するだけであってはならない。広く地域、社会、国家を利するものでなければならないということを言っていますし、三菱グループさんには、(所期奉公、処事光明、立業貿易の)三綱領というものがあります。日本の企業はそういうことでやってきた。だから日本は長寿企業が多いんです」
一方で、不祥事が無くならないという現実もある。そうした現実を直視しながら、新しい秩序を追求していくということ。
米国の経済人たちも、株主第一主義から、マルチステークホルダー主義に”修正”し始めている。世界で変革が進む中、「日本は先頭を切って手本を見せていかないといけないと思います」と日本の文化になじんだ価値観を世界に発信するときという十倉氏。日本及び経済人の真価もまた問われている。
〈編集部のおすすめ記事―【コロナ第5波、米中対立】非常時の統治をどう進めるか?問われる経営者の『覚悟』〉
全く同じです」と”サステナブル”や”社会性”をキーワードに、新しい社会の仕組み構築に意欲を燃やす。出身母体の住友グループには、『自利利他公私一如』、三菱グループにも『所期奉公』などの三綱領がある。米国も株主第一主義を見直すなど、世界的に新しい潮流が起きつつある中、日本の立ち位置と経済人の果たすべき役割とは。
東京五輪から何を感じ取るか?
コロナ禍の中で東京五輪は開催され、8月8日(日)、17日間の日程を終えて閉会式を迎えた。
ワクチン接種もまだ道半ばで、第5波襲来のうねりが押し寄せようとする中、「開催反対」の声も根強かった。
無観客開催となったが、205の国・地域から約1万1000人の選手が参加し、技を競い合う姿に感動も広がった。
日本経済団体連合会会長の十倉雅和氏は今回の東京五輪をどう受け止めたのか?
「まず、最初に言わなければいけないのは、開催までこぎ着けた関係者の方々に敬意を払いたいと思います。本当に1年延期をというだけでも大変なのに、コロナ禍が続いて、安全安心を第一にいろいろ苦労をされて開催にこぎ着けた。開催自体に賛否あったことは承知していますけど、国際公約である開催にこぎ着けた関係者の方々に、敬意を改めて表します」と十倉氏は関係者の労をねぎらう。
第1回オリンピックは発祥の地・ギリシアのアテネで開催。以来、4年ごとに開かれてきたが、この間、戦争で中止となったり、紛争が原因でボイコットする国が出たりするケースも何回かあった。
1980年のモスクワ大会では旧ソ連のアフガニスタン侵攻に反発した米国、日本、西ドイツ(当時、現ドイツ)の自由主義陣営の西側諸国がボイコット。その次のロサンゼルス大会(84年)は旧ソ連と社会主義国の東側陣営が大会をボイコットし、政治的対立が『平和の祭典』の五輪に持ち込まれたという苦い経験がある。
今回は新型コロナ感染症のパンデミック(世界的大流行)の真っ只中、危機管理を行いながらの大会開催。賛否両論が激しくぶつかる中での開催であった。
「いろいろなドラマを生みましたね。人間の努力する姿は尊いとか、努力したものが結実する。また紙一重で結実しなくて報われない時に流す涙、それも素晴らしいんですが、すべての人間の尊厳に関わることですね。そうした個々の具体例がわれわれの胸を打ちます」と十倉氏は大会開催の意義はあったという感想を述べる。
8月24日(火)からは、『東京2020パラリンピック』が9月5日までの日程で開催される。
人類が困難や危機に遭遇したときに、共に手を携えて立ち向かい、1つの解をたぐり寄せることの大切さを今回のオリンピック・パラリンピックは示してくれている。
後事を託した中西氏とは思いを共有…
好きな言葉は『義』──。十倉氏は今年6月1日、経団連会長に就任したのだが、就任時の記者会見で、好きな言葉は?
と聞かれて、「思わず出てしまった言葉ですけどね」と言う。
思わず口に出てきたというのには、十倉氏にも熱い思い出がある。
十倉氏は住友化学専務時代(2009年―2011年)、液晶や有機ELパネル素材をつくる情報電子化学部門を担当。この時、韓国での合弁会社、『東友ファインケム』の会長に就任。韓国側の合弁相手とは徹底した対話路線で信頼関係を築き、高収益会社に育て上げた。
『義』という1文字は、”正義”や”大義”、そして”信義”といった言葉に通じ、自分の生き方の基本軸になると同時に、相手との信義・信頼関係を構築する素地にもなる。
漢字圏の中国はもとより、今はハングル文化の韓国でも十分に、その真意が「伝わって安心しました」と言う。
2011年4月社長に就任、19年4月会長就任という足取り。この間、2015年から19年まで経団連副会長を務め、19年4月から経団連審議会副議長に就任していた。
その十倉氏に、闘病中の経団連会長・中西宏明氏から、「わたしの後任を」と要請が来たのは今年の4月15日のこと。
悪性リンパ腫で昨年5月から入院していた中西氏はWEB会議などで会長の仕事を続けていたが、この時点で、退任を決め、十倉氏に後任を託したのである。
中西氏の意を受けて、経団連事務総長の久保田政一氏(経団連副会長)が十倉氏を訪ね、その意向を伝えたという経緯。
突然の要請に、十倉氏もびっくりさせられた。帰宅して、夫人の猛反対を受けたという。
しかし、病床にある中西氏が自分を指名したことを受け、知人や関係者にも意見を聞いて熟慮、就任を引き受けた。
中西氏は薬石の効なく、6月27日に逝去。享年75。
「中西さんの体調が回復して、飯食おうよというお誘いを受けまして、そのとき一言でも二言でも中西さんの考えを聞きたいなと思っていたんですけれど、急転直下、体調がまた悪化して逝去されましたので、それがかなわなくなりまして……」
十倉氏が経団連会長に就任したのは6月1日。療養中の中西氏はそれから4週間弱後の6月27日に亡くなった。
「僕が経団連会長になってからは、中西さんとは一言も会話をしていないんです。話せていないんです。非常に残念です」と十倉氏は悔やむ。
十倉氏も無念の心境。会長就任を内諾した段階で、中西氏の闘病の様子から、電話で話すことについても、「中西さんも遠慮されたと思うし、僕も遠慮して……」という状況だった。
そのことが気に掛かるわけだが、「それまで中西さんとは基本的な哲学みたいなところで、非常に近いなと。共通の部分があるなというのをずっと意識していました」と十倉氏。
『ソサエティ5・0』を目指して
『ソサエティ(Society)5・0』──。日本が提唱する未来社会のコンセプトで、第5期科学技術基本計画(2016年度から2020年度の範囲)で打ち出されたが、この計画づくりに経団連も深く関わった。
同計画の立案を担った内閣府のCSTI(総合科学技術・イノベーション会議)には、中西宏明氏と内山田竹志氏(トヨタ自動車会長)が議員として参画。
「ええ、これはCSTIと経団連で大事に育ててきた概念だと。Society5.0 for SDGs と謳っているように、SDGs(国連の持続性ある開発目標)達成に向けて、それを実現するためのSociety5.0ということで、皆さんに受けいれられてきたと思うんですね。1つの社会像です。サステナブルな資本主義に基づいての社会像ですね」と十倉氏。
人類は、狩猟(Society1.0)、農業(Society2.0)、工業(Society3.0)、情報(Society4.0)を経て、Society5.0を迎えたということ。
このSociety5.0は、サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムを活用することで、新しい経済成長を促し、同時に社会的課題の解決を図っていこうというもの。
中西氏がCSTIの議員を引いたあと、十倉氏が同議員となり、仕事を引き継ぐ。中西氏とは、「基本哲学や思いを共有してきた」と十倉氏が言う背景にはそうした経緯もある。
では、十倉氏は経団連の会長として、どういうスタンスで仕事に取り組んでいくのか。
南場智子・副会長の存在意義
「やはり、まず行動で見せなければいけない。経団連はともすれば、大企業の利益を代表する集団とか、そういうことを思っている方が一部おられるのも事実。(日本全体が)DX(デジタルトランスフォーメーション)とかグリーントランスフォーメーション(GX)を実現している中で、われわれ経団連はこれをどう進めていくのかという課題。それらの課題を社会性の視座を持ってやろうと。そういう行動を世間に見せなければいけないし、アピールもしていかなければならないと思います」
経団連は2020年11月、『。新成長戦略』と『サステナブルな資本主義』を掲げ、会員(企業会員1461社)の行動指針としている。
『。新成長戦略』と”新成長戦略”の前にわざわざ終止符が打たれているのはなぜか?
それは、これまでの成長戦略に一旦、終止符を打って、サステナブルな資本主義・市場経済をつくり、当面の課題・コロナ危機を克服していこうという思いを込めてのもの。
十倉体制の副会長陣は19人。この中で初の女性副会長が誕生。ディー・エヌ・エー(DeNA)創業者で会長の南場智子氏が6月経団連副会長に就任。
十倉氏は、南場氏の副会長就任について、「経団連は歴史ある企業が多いんですけど、創業経営者が少ない。南場さんは女性経営者で創業者。大いなる活躍を期待しています」と語る。
その時代のテーマを背負ってきた歴代会長
経団連は伝統的に製造業を中心に運営されてきた。今の経団連(日本経済団体連合会)は2002年春、旧経団連と日経連(日本経営者団体連盟)が統合してスタート。
旧経団連は1946年(昭和21年)8月16日、まだ敗戦の余燼が燻る中、日本の復興と産業再生を目指して発足。歴代会長はその時代の課題解決に向けて、リーダーシップを発揮してきた。
例えば、2代目会長・石坂泰三氏(東芝元会長、会長在任は1956―1968)は日本の産業界の国際競争力を付けるためと資本自由化を推進。時期尚早の反対論もある中、遅かれ早かれ、通らねばならない道として、資本自由化の旗振り役を務めた。リーダーとしての覚悟だ。
4代目・土光敏夫氏(東芝元会長、在任期間は1974―1980)は石油ショックで痛手を受けた産業界の体質強化に尽力。会長退任後は行財政改革の目付となり、「増税なき財政再建」を訴えた。本人は倹約生活を実践、”メザシの土光さん”と呼ばれ、国民の人気を集めた。
国難に直面した時に苦い薬を呑むこともある。その必要を時に直言し、率先して実践するリーダーと国民との連携である。
日経連は1948年(昭和23年)の設立。戦後すぐは赤旗が林立し、労働争議が頻発。「経営者よ、強かれ」というスローガンの下、経営者サイドの労働政策立案にあたり、雇用問題などに対応してきた。
戦後、1960年代から70年代前半までの高度成長時代は労使対決路線の色彩が強かったのが、その後、労使協調による生産性向上へ移行。日経連の役割、使命も時代の流れに沿って変化してきた。
こうした時代の流れを背景に、21世紀入りした2002年春、旧経団連と日経連が統合し、日本経済団体連合会(略称・経団連)が発足したという経緯。今年は統合から20年目になる節目の年。記念すべき年だが、今、世界はコロナ危機の真っ只中。加えて米中対立、さらにはシリア、アフガンの混乱、ミャンマー国軍のクーデターと、大小の危機は世界規模で存在する。
この混乱・混迷の中で、どう新しい秩序、システムをつくり上げていくかという命題は十倉経団連にも振りかかる。
サステナブルをキーワードに活動
サステナブル(持続可能)な社会を創りあげていく──。十倉氏は今年6月、経団連会長に就任する際、”サステナブル”をキーワードに、これからの経団連活動の方向性と共に、企業人の生き方を強調。
「これは、日本だけではなくて、世界全体がそうですが、僕らは次の世代、若い世代にいい地球環境、いい社会を残していかなければいけない義務があると」
課題は見えている。所得格差、先進国と途上国との南北格差。異常気象を生み出すといわれる地球温暖化と、それの解決策としてのカーボンニュートラル(炭酸ガス排出ゼロ)へ向けての施策。またデジタル改革とは表裏一体のサイバーテロなどにどう対応していくかという課題である。
さらに言えば、米中対立に見られる価値観の違いをどう克服していくかという重苦しい課題もある。
「これは経済活動においても、政治の領域においても、やはり絶対に譲れない価値観、守るべき価値観ってありますよね。それは自由、それから民主主義、法の下の平等、言論の自由等々、こういうのは絶対に譲れない。そういう譲れない基本的な価値を共有するところと組んで、マルチラテラリズム(多国間での協調主義)でやっていくことがまず基本だと思います」
パンデミック、あるいは生態系の破壊といった問題を解決していくには、「一国では絶対にできない」と十倉氏は語る。
「ユヴァル・ノア・ハラリさん(イスラエルの歴史学者)が『21 lessons(21世紀の人類のための21の思考)』で書いていますが、一国主義では解決できない課題が3つあると。1つは核戦争。2つ目は生態系の破壊。これは気候変動や感染症によるパンデミックを含めて、生態系の保持が課題だということですね。3つ目の課題が破壊的な技術のコントロール、管理だと」。
そうした基本認識を踏まえた上で、サステナブル(持続可能)な地球環境・社会の構築へ、みんなで協力し合っていくときという十倉氏の考え。
そして、肝腎の経済の仕組み、その運営のあり方はどうか?
資本主義、市場経済の弊害を克服するには
「資本主義とか市場経済、これは僕自身は素晴らしい制度だと思います。資源配分も市場制度を通じてやる。私有財産も認めるなど、そういう市民改革で得た人権を前提とした制度で素晴らしいと思うんですけれども、やはりちょっと行き過ぎたところあって、市場の原理で全ては解決できないこともあるのだと」
30年前に世界は大きく揺れた。1989年、ベルリンの壁が崩れ、1991年には社会主義陣営の盟主・ソ連邦が崩壊。このとき、資本主義が社会主義に勝利し、”イデオロギーの時代の終焉”が言われた。
しかし、この間、もう一方の社会主義の大国・中国は”社会主義市場経済”なる概念の下、経済成長を遂げ、2010年にはGDP(国内総生産)で日本を抜いて、米国に次ぐ世界2位の経済大国にのし上がった。
その中国は香港の民主化運動を強権で封じ込め、新疆ウイグル自治区ではウイグル族への強権発動で統治、欧米など自由主義国側の批判を浴びている。
自由主義・民主主義対専制主義・強権主義という構図の中で、価値観を巡る対立は企業活動にも大きな影響を与えつつある。
「もともと米中の対立は、貿易不均衡から始まって、それから次は機微技術というか先端技術、基盤的技術の話になって、それが高じて今やイデオロギー対立ですよね」
十倉氏は続ける。
「そこまでになってしまうと、やはりわれわれが譲れない価値観のところはしっかり守りながらやっていく。ただ、all or nothing では決してなくて、例えば機微技術でサプライチェーンをひょっとしたら米国を中心とする社会と、中国を中心とする社会というように、別のものを組まざるを得なくなるかもしれない」。
十倉氏はそう基本姿勢を示しつつ、「世界は中国抜きでは経済が成り立ちませんし、中国だって世界抜きではあの10何億人の人を養っていけませんから、どちらも必要なんです」と強調。
Competition with Cooperation(競争と協調)が必要──。「だから、アジアやASEAN地域は伸びてるわけですから、その経済発展に日本と中国は両方ともしっかり役割を果たしていかないといけない。そういう意味ではパートナーです。競争と協調、この2つで、したたかにという言い方は少し古いかもしれませんが、しっかりとやっていくことだと思います」と語る。
日本が先頭を切って手本を世界に…
どんな制度、主義にも完全なものはない。時代や環境の変化に対応して、手直しをしていく必要が出てくる。
「だから、われわれはこれをつくり直さなければいけない。それはやはりサステナブルな社会、サステナブルな地球ということ。その中で生きられるサステナブルな資本主義、市場経済をもう一回、僕らは構築しなければいけない」
これまでも資本主義や社会主義という考え方を超えて、社会的共通資本(social overhead capital, social common capital)という概念の必要性を強調してきた宇沢弘文氏(故人)らがいる。
「ええ、ホモ・エコノミクスという概念から出発した市場原理、自由放任主義ではやはり解決できない問題があると。地球の生態系の保持、大気や水、土地などの資源、それに教育制度や医療制度などは市場原理になじまないし、これらは社会的共通資本という考えで対応していくと。公益性とかパブリックという考えですね」
サステナブルな社会をつくる上で、日本の使命とは何か?
「これは日本だけの問題ではなくて、世界全体の問題ですけれど、これも多くの方が言われますように、日本というのは割とそういう、株主価値一辺倒でやってきた国ではないんですね。
三方良しの考え方とか、わたしの出ている住友グループには『自利利他公私一如』という事業精神があります。住友の事業、住友を利するだけであってはならない。広く地域、社会、国家を利するものでなければならないということを言っていますし、三菱グループさんには、(所期奉公、処事光明、立業貿易の)三綱領というものがあります。日本の企業はそういうことでやってきた。だから日本は長寿企業が多いんです」
一方で、不祥事が無くならないという現実もある。そうした現実を直視しながら、新しい秩序を追求していくということ。
米国の経済人たちも、株主第一主義から、マルチステークホルダー主義に”修正”し始めている。世界で変革が進む中、「日本は先頭を切って手本を見せていかないといけないと思います」と日本の文化になじんだ価値観を世界に発信するときという十倉氏。日本及び経済人の真価もまた問われている。
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